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私はなぜ週刊誌が好きか

 私は週刊誌を偏愛しています。

 高校から大学、大学院の初期までは『朝日ジャーナル』でした。最初に読み始めたときは、「光芒の1920年代」という連載があって、アベル・ガンス、エイゼンシュタインの映画、ブレヒトなど、田舎都市では理解のヒントになるものすらなかったけれど、なぜか頑張って読んでいた気がします。大学に入った年に筑紫哲也が編集長になり、硬派の雑誌としては売れ出して、浅田彰とともに、だれもがフランス哲学、文学の翻訳口調を真似だしました。しかし、やがて伊藤編集長から下村編集長になると、変にフェミニズムの入った女性誌の悪いところだけ入れたような軽いものになり、やはりというか休刊になってしまったものです。

 毎週読むものがなくなったとき、最初の会社勤めをしました。そこはD総研といい、証券系の調査会社でしたが、記事を書く仕事なので、まずは新人社員の教育として、M新聞出身のH部長に、テーマを出されて作文の提出を求められました。テーマは「鼻」。「花」の誤植ではありません。学生というか学者になりたくてなれなかった(後で大学院に入りなおすことになります)気分そのままに、シラノの大鼻とシラノに例えられることも多かったド・ゴールを引き合いにして芥川のアフォリズムを真似た、青臭いエッセーを出しました。

 返ってきた評価は、ほぼゼロ評価で、「このような文は読者に、書き手のインテリ臭さを感じさせて敬遠させる。われわれの仕事は売文、売れる文であり、読者にスッと入ってくる文でなくてはならない。」H部長の具体的なアドバイスは、知識が豊富でありながら、読者に嫌味な感じを与えない司馬遼太郎さん(彼自身が産経新聞の出身)が当時『週刊朝日』に掲載していた紀行エッセー「街道を行く」の連載でした。

 たまたま、当時このエッセーが東大のある本郷界隈を扱っていたことから、大学という場が好きな私にも楽しく読めて、ほかの記事を読んでいるうちに、確かに内容は易しいが、こういう風に分かりやすく書くには、いろいろ工夫がいるな、とようやく分かってきました。

 そのあとに自分で論文を書くようになっても、基本的にいろいろな小ネタを盛り込みすぎて話題豊富だが、論理明確でないという友人評を受ける私ですが、逆に話すほうでは、週刊誌のリズムというか、筆致が大いに参考になっています。

 このあとで、私が知ったほかの週刊誌の効能は意外なものでした。研究や文章を仕事にしている人のイライラしたときの気晴らしや何か事故にあったときのリハビリには週刊誌がいい、と医師がインタビューで答えていたのです。こういう人が仕事で行き詰ったときは、自分が精魂入れている中心的テーマから一時的に離れたほうがいいが、まったく別の分野ではかえってそれがストレスになることがあるというのです。これは、私が今日まで実感していることです。

 ただ、子供の頃から写真が好きで、写真雑誌や写真美術書もよく見る私は、表紙やグラビアにも脱線的に開眼してしまいました。もともと、いろいろな雑誌の綺麗な写真を切り取って保存ることをよくやっていた私は、部長の勧めるまま『週刊朝日』を毎号買って読んでいるうちに、当時、篠山紀信が撮っていた表紙も好きになってしまったのです。

 篠山紀信といえば、今は週刊ポストの「アカルイハダカ」などが有名ですが、私の世代には「写楽」という写真雑誌で山口百恵のビキニ写真を撮った伝説のカメラマンです。90年代前半の『週刊朝日』の表紙は、まるで無くなった『朝日ジャーナル』のポップな部分が移ってきたような軽いタッチの題字に白地バックのシンプルな画面に時代のモデル、タレントたちが毎週登場しました。松雪泰子、緒川たまきのヴェールをつけた貴婦人風の像など、今も頭に浮かびます。

 雑誌は溜まると捨てざるを得ませんが、この表紙が捨てがたく、今日までほぼ毎号クリアファイルにストックしています。10年も経つと、これは一種の社会風俗資料です。ですから、『週刊朝日』が編集長の交代で、『週刊新潮』のような絵になったとき、苦情の葉書を書いたものです。いわく、「週刊誌は時代を切り取るものだ。鮮度が大事で発売日に買わないと、たちまち情報が風化するくらいだ。その時代時代を表すタレントたちが表紙に出ているからこそ、時代を共感できるし、都市生活を実感できる。」

 その後、別に私の葉書に関係なく、表紙は写真に戻り、むしろ女性カメラマンによるライブな写真を掲載するようになりました。ときどき、絵に描いたような美人をそのまま撮るのに抵抗を感じて、そのまま撮るだけで美しい伊藤美咲などをわざとワイルドに撮ろうとして失敗していることもあるけれど、基本的に毎週楽しみにしているのです。流行のモデルなども分かるし。

 90年代後半になると、それまでややお色気路線だった『週刊文春』の巻頭グラビア「原色美女図鑑」(タイトルがオッサンですなあ)が、むしろ美しい写真に路線変更してから、こちらも買うようになってしまいました。本当にクオリティ高いですよ。

 国外に行くとき、週刊誌を買いもらすことだけが気がかりです。しかし、定期購読にしないのは、発売日(都心では発売日前)に、できるだけ傷のないのを買うという至上命題が私にあるからです。自分の好きな研究以外で、これがほとんど唯一の趣味なのです。高い写真集を買うお金はないので。

 多分、将来ホームレスになっても、ゴミ箱から週刊誌を拾って読むでしょう。

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