« 仏新聞・雑誌の預言者ムハンマド漫画掲載に | トップページ | 不思議な町 ピサ »

トリノ五輪とイタリア大統領

 間もなく、トリノ・オリンピックが開幕します。今回は、私の本分である研究者として、ちょっと変わった、トリノならぬトリーノと、開会式に出席するチャンピ大統領についての、薀蓄話をします。

 さて、このトリーノ、日本人の行く一般的な観光ロード、ローマ=フィレンツェ=ミラーノという線を北西方向に進めるとフランスを目の前にしたピエモンテ州の州都として、そこにあるわけですが、イタリアに深い関心を寄せていない方には、いま一つイメージの沸かないところです。よく英語の記事を訳した日本語に英語名のチューリン(Turin)がそのままカタカナになっているのも見受けられます。

 しかし、イタリアの統一を成し遂げたサルデーニャ王国がその名に反してサルデーニャ島でなく、このトリーノに本拠があり、イタリア最初の首都がここであったということは、この際想起されるべきでしょう。イタリアは、北部からサルデーニャ王、後にイタリア国王となるヴィットーリオ=エマヌエーレ2世が北から、シチーリアから南部をナポリ王国の支配から解放した英雄ジュゼッペ・ガリバルディが南から、イタリア統一に向け進軍し、この両者が、前者が白馬に乗って、後者が普通の馬に乗って、ナポリの北、ティアーノで握手し、ガリバルディが平定した南部を国王に提供したのです。

 首都はその後、トリーノから短期間フィレンツェに移り、ローマ教皇をヴァテイカンの一角に閉じ込めることでローマがようやく首都となります。だから、フィレンツェの中心街にえらくごつい建築物でできた広場が、ローマには「世界最大のタイプライター」と揶揄されるヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂が、それぞれまわりの風景と不調和で存在しますが、これらはすべて、ようやく統一したイタリア王国のアイデンティティー形成に使われたものなのです。

 トリーノは、その後もミラーノとは違った形で国際都市、文化都市であり続けました。もちろん、ここにフィーアト(FIATのTがトリーノですね。なんせ、これは「トリーノ・イタリア自動車工場」という名前なのですから。フィアットというのはちょっと英語読みですね)という自動車メーカーができ、何よりも工業都市、イタリアのデトロイト、ないしは豊田ではないか、ということになるのですが、それ以上に知的に重い都市です。

 グラムシに代表される共産主義、ゴベッティなどの左派リベラルなど、イタリアを代表する政治思想を育んだ町です。戦後できたイタリア共和国の事実上の初代大統領(公式に初代大統領のデ=ニコラは臨時国家主席から新憲法施行時の大統領に暫定的に就任した)である自由主義者のエイナウディもこのトリーノ大学の財政学教授出身で、戦後の通貨危機をイタリア銀行総裁、予算相となって乗り切った人です。かれの親族が作った出版社がその名もエイナウディで、この書店の水曜会は多くの作家、文化人が集うサロンでした。

 さて、話は今回のトリーノ五輪で開会宣言をするであろう、現在のイタリア共和国大統領カルロ=アゼーリオ・チャンピに移ります。この人は歴代の大統領の中でも最高の経歴と資質を持った素晴らしい人物です。現首相のベルルスコーニが財界出身で、お騒がせなことが多い人物、おそらく歴代首相でモラルは最低に近いだけに、好対照です。

 チャンピはイタリアの大統領選では珍しく1回の投票(国会議員と地方代表による間接選挙)で選ばれました。こういう人は過去の大統領でほかに一人しかいません。多くの政党があり、左右両勢力の対立が激しいイタリア政界で一人の人物を選ぶのは難しいのです。よほどの人物だといえます。

 チャンピは長くイタリア銀行総裁を務めた後、1992年以降、大汚職事件と通貨危機でイタリア政界全体が大混乱に陥ったなかで、1993年に非議員(イタリアの首相は国会議員でなくてもよい)ながら経済政策への期待から首相に選ばれます。そこで政労使の協定で一応の安定を保った後、新選挙法が施行され、新しい政治家たちが参入してきます。その代表格がメディア王ベルルスコーニでした。

 しかし、このベルルスコーニ政権が短期でつぶれ、次の内閣は選挙内閣として、今度はイタリア銀行副総裁だったディーニが首相となり、閣僚全員が非議員の選挙管理内閣を作ります。その後に1996年「オリーヴの木」連合のプローディが中道・左派政権を樹立するのですが、その国庫相(日本の財務相に相当)がチャンピでした。チャンピの努力でイタリアは財政難を建て直しユーロに初めから参加することができました。

 ユーロ参加一つをとっても大統領に選ばれるに十分ですが、実はそれ以外に彼には政治家たちが持っていないすごい経歴があります。彼は、若い頃、ムッソリーニ失脚後、ドイツ軍と戦ったパルチザン知識人の作った「行動党」という政党の地方支部にいたのです。対独レジスタンスこそが戦後のイタリア共和制の基礎であるわけですから、これは左右両派ともに尊敬しなければいけないことなのです。

 もちろん当時二十歳前後のチャンピはレジスタンスの代表的な英雄ではありません。しかし戦後60年、もう生き証人も少なくなったなかで、彼は現存する最後のレジスタンス経験者の一人です。レジスタンス参加者で一番若い層に属します。だから、彼が大統領として1948年にできた共和国の伝統を語るとき、ほかの政治家にはない重みがあるのです。

 現在の政権与党には北部同盟のように、イタリア共和制の伝統を否定する勢力もいます。そのなかでチャンピは、三色旗の意義、国家の意義、解放記念日(4月25日)の意義を演説で述べつつ、現実に法案への親署権によって、憲法違反の法令には署名しないという形で「憲法の番人」を務めているのです。もう85歳くらいのはずで、任期7年の大統領への再選は普通あり得ないのですが、それでも今年任期の切れる彼に再選を期待する声がやみません。

 トリノ五輪の開会式をご覧になるみなさん、イタリアの政治家はベルルスコーニのような人ばかりではありませんよ。ぜひ、チャンピという人をこの際、記憶にとどめてください。

|

« 仏新聞・雑誌の預言者ムハンマド漫画掲載に | トップページ | 不思議な町 ピサ »