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私の「大阪嫌い」克服法1 鶴瓶讃

 事務に追われる平日の終わりに私をほっとさせてくれるのは、首都圏では月曜日に見ていたテレビ大阪の「きらきらアフロ」。鶴瓶&オセロ松嶋の超脱線トーク番組です。吉本のコテコテギャグには閉口する私も、ここまでアナーキーだと感動します。まさに自由自在のトークの嵐。ウンコや下痢の話もバンバン入るのですが、思うにこの二人が行くところに笑いが生じるような、その意味では二人はまわりの人を幸福にする天使のようです。天使は決してキューピットのようにかわいくなく、案外不恰好なものではないかという説を読んだことがありますが、それを思わせます。

 以前、サブカル薀蓄雑誌『宝島』別冊に、河合塾が編集にかかわった大学教師たちのリポート『学問の鉄人』という号がありました。評判の教授陣をリストアップしたものですが、面白いことに、その評判の教授陣のなかで何人かが注目するタレントに上げていたのが鶴瓶でした。これを読んだときは、まだ「きらきらアフロ」はやってなかったので、不思議な印象を持ちました。インテリっぽい三枝や文珍と違って、この人には気の利いた表現や気障な所作はなく、知ったかぶりをしないし、知らないということを恥ずかしがらないのです。学問からは遠いような。

 それは、哲学者がいう「無知の知」でもあり、立派なことなのですが、それだけではないと思います。三枝や文珍なら何かしらの技巧で人を笑わせるところだと思います(それ自体、大変なことです)が、鶴瓶は、それこそ全裸でもよく、その存在が笑いそのものを体現している、生きているような余裕があります。彼が言葉を発しなくても、その「気」自体がすでに笑いです。

 実は、私は本当は首都圏の「爆笑問題」のような多少とも社会性があり、知的な要素を織り込める人が好きです。それでいて、彼はアイドルや某レコード会社の某有力歌手などにも遠慮なく突っ込みます。作家とのトーク番組を民放でやった「爆笑問題のススメ」は、日本テレビ史上の傑作だと思います。その番組に出た阿刀田高さんが太田さんと語っていたように、大阪の笑いは繰り返しによる聴衆との馴れ合いに拠っているところが多く、いわゆるユーモアやウィットではない、というのは真実だと思います。「爆笑問題」の太田さんは、ラジオでプルーストの超長編小説「失われた時を求めて」(インテリは読まなくても内容を知っていないといけないような名著です)の叙述のまわりくどさを実に小一時間もCMなしで語ったときがありましたが、その知的な面白さといったらありませんでした。これは大阪では誰にもできないことです。

 しかし、この知的な要素を含まないが、繰り返しでなく、脱力的ですらあるのに、決定的な力を持っているのは鶴瓶だと思います。彼や松嶋が吉本興行でないのは、よく理解できます。今、私は松竹のほうに関心があります。大阪の色々な初体験シリーズで見に行くなら松竹と決めています。

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