« 2006年3月 | トップページ | 2006年5月 »

千葉7区補選から考えたこと

 千葉7区で民主党の太田和美さんが勝ちました。千票に満たない僅差だったとの報道ですが、共産党が1万票くらいとっていますので、間違いなく過半数は自民党候補にはノーの判断です。逆に、共産党の存在を考えれば、太田さんも有効投票のさらに半分もとっていないこととなり、彼女も厳密に考えると実は完璧な国民の代表とはいえません。法律がその勝利を決定しているだけです。私たちは近年、無意識に共産党を除外して考える癖がついているかもしれませんが、1票の重みは平等ですからそれ自体は変なことです。

 政党である以上、自党の候補を全国の選挙区で立てることは自由で、むしろ立派なことです。しかし、現在の日本の選挙制度のなかで、比例区を除けば、共産党が議席をとれるのは、ごくわずかです。学者やジャーナリストに共産党を「自民党の補完勢力」という人があるのは、そのためです。そこまで言わなくても、自民党、民主党のどちらの候補にも正当性を与えない意味では、国政全体の不安定化を招いている存在ともいえるのです。

 政権をとる意思がないというところが、やはり批判点になるのでしょう。現実的に政権をとれない選択をしている。それは批判されてもしょうがありません。民主党に共産党と組む意思がないことも事実ですが、勝算をあまりにも度外視した候補擁立は、結果として、有権者の与野党の支持割合と逆の候補を当選させていることも多いということをもっと真剣に考えるべきでしょう。

 イタリアに再建共産党という政党があります。この政党は前回(2001年)の総選挙では、日本の現行制度に少し似ている小選挙区・比例代表並立制で、2大陣営のどちらにも加わらなかったので小選挙区議席はゼロ、比例区のみで議席を獲得しました。全国レベルでは数%は確実に得票するので、これでもイタリアでは得票率で5番目か6番目に相当します。今回は比例代表制に変わり、中道・左派「連合」に加わったため、勝者側のプレミアム議席の分配にも参加できて、議席は3倍くらいになりました。これを見ると、日本の共産党が中選挙区制復活を主張している気持ちも分からなくはありません。

 この政党は早くも下院議長ポストを要求して、中道・左派内に不協和音を生じさせています。反戦、反グローバルの政党が一つくらいあってもいいと思うのですが、どう見ても政権与党向きではありません。僅差で勝った中道・左派も頭の痛いところです。

 しかし、この政党は地方議会ではけっこう重要な位置にいます。イタリアの場合、地方議会は首長の候補者と支持政党が議会選挙で連結しており、長野県のような首長と与党が真逆ということは起こりません。敗れた側の首長候補は野党の議員筆頭として議席を得ます。再建共産党は第1回投票では独自の候補を立てることもありましたが、中道・右派と中道・左派の2大連合の候補がどちらも過半数をとれず第2回投票(決戦投票)にもつれ込んだ場合は、ほぼ例外なく中道・左派に入れました。その意味でこの政党の根本の方向性は、2回投票制という制度にも支えられ、決まっているといえます。

 この2回投票制は日本のように投票率が低い国では実施は難しいと思います。1回の投票ですら行かない人が多いのに、2回もやっては。しかし、この制度のいいところは、有効投票の過半までとらないと当選できないので、少なくとも投票する意思があった人の過半はとったということは、相当強い正当性の確保になります。

 実は民主党のほうにも真剣さが足りないのも、日本に2回投票制がなく、相乗りが多いからです。地方議会の多くで民主党は共産党以下の議席しか持っていません。国政で自民党と対立しつつ、地方のほとんどで手を組んでいるのも何か変な話です。「共産党と組むくらいなら、自民党政権継続でいい」と確信しているなら、別ですが。

 長野県知事が議会でリコールされ、選挙で返り咲いたときも、議会はそのままというのも変な話です。知事が解散しなかったから、というかもしれませんが、自らの判断のミスを議員たちはいかに償ったでしょうか。法律で定めていなくても道義的には辞職すべきだったんのです。

 私たちは、地方議会だけ首長を独立させた選挙で選ぶ一種の「大統領制」を取る理由を「民主主義の学校」だから、などと教えられてきました。今、私は自分が受けた教育を疑っています。民主党は、まず相乗りをやめて、地方自治制度から、設計のし直しを考えて見てはどうでしょう。2回投票制が難しいなら、首長選と議会選の連結から考えてはどうでしょう。

|

民主政の夕暮れ?暁? イタリア総選挙の総括

イタリアの総選挙の結果がようやく見えてきました。

当初、圧倒的に有利と見られた中道・左派連合「連合」(ウニオーネ)が、ベルルスコーニ首相率いる中道・右派連合「自由の家」の猛追によって苦戦し、最後の最後に、まさに薄氷の勝利です。国内の開票が終わった時点で勝者の予測がまだつかず、最初は下院は中道・左派、上院は中道・右派と多数派が分かれるという最悪の結果も予想されました。

最後に残った新設の国外居住者選挙区の票が開かれてきて、ようやく上院でも中道・左派の勝利が見えてきたわけですが、議席でもわずか数議席の差であり、中道・左派が票の数えなおしを求めるのも無理もありません。いずれにしても最終結果はまだであり、明日の朝に逆転していた、ということになっても、もう驚けません。

前回の総選挙ではなかった左右の首相候補のテレビ討論では、3月14日の初回で中道・左派のプローディ元首相(前EU委員長)が有利に進め、もう勝利は見えたと思われました。ところが、その討論でも取り上げられた税金の問題に絞って、右派が猛烈な攻勢をかけた結果、いわば引き分けに近いところまで来たのです。ベルルスコーニ、恐るべし。

前回の総選挙の前にもベルルスコーニの資質を疑う特集を組んだイギリスの経済誌「エコノミスト」は今回も直前に特集を組みましたが、こうした国際世論もものかは、左派や司法官、財界の一部までありとあらゆる非難を繰り返し、四面楚歌になったかと思っていたのに、中道・左派の弱点である税金に終盤の論争をしぼって盛り返しました。

一つ目の住宅には課税しないという、財政的には無理と思われる提案を掲げ、第2回目のテレビ討論では、疲れの見えた具体性のないプローディに対し、優勢に転じました。実際には、前回の総選挙の公約である所得税減税を財源の裏づけなく実施したことが、今日の財政難につながっているのですが、その修復も放棄して、さらに減税を公約したわけです。

イタリアの財政状況を見れば、このような無責任で場当たり的な政策は無理と思えそうなのですが、選挙民には自分の生活に響かないことには動かない人もいます。国が傾いても自分の税金が安いほうがいいと思う人もいるでしょう。左派は増税するというイメージをつくり、何度も同じことを繰り返し言うことで状況そのものも変化させた、そのキャンペーンは、少なくとも中道・右派のボロ負けだけは防ぎました。

もはや高度成長のない成熟経済で国民の満足する政策は出しにくいなか、正直に増税が必要ということも難しく、政策の幅がますます狭くなり、穏健な改革を進めようにも、生活が改善しない国民の不満はポピュリストに向かう、というヨーロッパ政治全体の苦難をイタリアもよく表象しています。

新政権は民主政の暁となるか、それとも夕暮れを迎えることになるのでしょうか。あまり、楽天的になれない感じです。ベルルスコーニの批判を真に受けるわけではありませんが、反グローバリズムにも関わる再建共産党が実に6~7%の議席を占めるとなれば、この与野党超伯仲国会で、中道・左派が改革をするめることも容易ではありません。

なお、この選挙の分析した私の小論は、来月にある雑誌に掲載する予定です。

|

私の「大阪嫌い」克服法2 B1角座に行く

先日、大阪に来てから初めて、というより生まれて初めて、お笑いライブを見に行きました。仕事で煮詰まって、とにかく馬鹿馬鹿しいことでリラックスしたかったからです。

「ぴあ」関西版を買って驚いたのは、お笑いライブも結構高いこと。吉本興行は劇場によっていろいろ違いますが、安いほうで3000円弱、テレビでおなじみの顔ぶれが出るほうだと4000円もするのですね。この額は一流のエンターテインメントです。分かる人には分かる表現で書くと、サッカーのセリエAのクルヴァ(ピッチの両端の安い席)並み。よくテレビで会場の中年男女のお客さんを見て、大阪の庶民だと思っていましたが、これだけの額を出せるというのは、中層以上ですね。とても自分はそこまで出せないなと思いつつ聞いてみたら、チケットも売り切れでした。吉本恐るべし。

いちばん安いのは、1200円で見れる松竹芸能のライブでした。鶴瓶と松嶋という私の好きなお笑いスターの所属会社であり、多分、これは若手の回だろうと思いつつも、一度行ってみようと決めたわけです。

大阪の地名を学習中の私は、今回ようやく、「道頓堀」「千日前」「難波」の各地名の配置が分かりました。それまでの認識は「なんば」という大地域のなかにこうした地名があるのかと思っていたのですが。有名な「食い倒れ人形」が想像以上に小さく、これこそが「道頓堀」のど真ん中にあることを知りました。

B1角座は、その名の通り地下にあり、ステージとお客の距離が近い、100人くらいの小さな劇場です。まず、東京でルミネ吉本がそうだと聞いてはいたのですが、ほとんどが若い女性なのに驚きました。会場で入念にお化粧している子も多く、二枚目のタレントの追っかけと同じだな、と思いました。

ネタを書くのは、芸人を殺すので書きませんが、正直私には笑えないものが多かったです。私はこの年でも流行事象を追うのは好きで、取り扱うテーマや題材が分からなかったものはありませんでしたが、どうも観客の若い女性との仲間同士の雰囲気で笑わせるというか、どんな人でも絶対に笑わせてやろう、というものには見えませんでした。

それでもやはり、出演順で後ろになるほど、確かな腕は感じられました。初めて見たダブルダッチという男子コンビの片方のオカマキャラは安定感がありましたし、チョップリン(これはテレビ東京の「虎ノ門」で見たことのある男子コンビ)は、やるきのなさそうな惚けた方の人が秀逸でした。この二組以外は特に記憶に残りませんでした。

若手の養成の装置なのかもしれないので、暖かい目でみるべきでしょうが、正直、2時間で9組ほどで、値段相応だなという感想です。逆に、人を笑わせることの難しさ、確実に笑いをとる吉本芸人たちのすごさを再認識せざるを得ませんでした。

次はお金に余裕があるときに、吉本を見に行くつもりです。

|

地域性のある広告

「ぴあ」関西版を開いていたら、高見盛のCMが有名なお茶漬け「永谷園」の面白い調査が出ていました。あまり詳細にデータを紹介すると著作権などが絡むかもしれないので、詳しくは「永谷園」のHPを見て頂くとして、要は「永谷園」のお茶漬け購入者では、関西の人は圧倒的にお茶をかけるが、関東では過半数がお湯をかけるのだそうです。

「永谷園」としては、お湯をかけることを期待して開発しているようです。私もそのほうが美味しいと思ってきたので、どうして関西の人はお茶をかけるのだろうと考えました。

まず最初に浮かんだのは、関西に偏見を持っている東京至上主義者の私らしい独断的な解釈。「関西人はズボラか横着のどちらか」。食事のときに急須に用意してあるお茶をそのままかけてしまうのだろう、というもの。

しかし、三流とは言え社会科学者、このような偏見だけでは駄目で、他の可能性を考えてみると、多分こちらの可能性が高い。京都などでは、お食事処などで、実際お茶をかけることを予定して作ってある「お茶漬け」がある。もちろん「永谷園」のような粉末ではなく、お漬物などを組み合わせたもの。これは大変に上品な味もある。多分、この流れでお茶をかけることが一種の文化になっている可能性もある。

そうすると「永谷園」は東京発祥なのだろうか、と逆に問い直して調べなければならない。実際に同社のHPの「沿革」を読むと、初期のお茶漬けのパッケージに「江戸風味」と書いてある。最初、大森に工場があったようだ。これも海に近いし、創業当時の風景が想像できますね。

もちろん、最初の「ズボラ」説も、そういう人がまったくいないわけではないだろう。

ところで、企業のHPや広告の引用は慎重にする必要があります。もっとも、公開のものは分析のため、出所を明らかにすれば、ベタな引用でなければ違法ではありませんが、予め規定を掲載して非常に厳しく引用を禁じているものがあります。広告などは、初見の驚きというのも重要ですから。

では、なぜ私が「永谷園」の広告を引用したか。理由1=「ぴあ」のように部数の多いものは、周知の事実として論証できる余地がある。理由2=「永谷園」のような成熟した企業が一民間人の悪意のないブログでの慎重な引用はとがめないだろうこと。理由3=昔、「永谷園」の幹部と机を並べて働いていたことがある。万一の場合は彼に泣きつく。彼が私のことを覚えていればの話だが、とてもいい人物だった。

貧乏で社会的地位の弱い人はこのくらい臆病でいましょう。

広告内容の詳細はこちらを。

永谷園ホームページ http://www.nagatanien.co.jp

|

« 2006年3月 | トップページ | 2006年5月 »