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演劇と映画

プロ野球のチームがリアルな闘争心を磨くためにラグビーの試合を見に行ったのをニュースで見たことがあります。それと同じというわけでもないのですが、私はときどき演劇を見たくなります。生身の俳優と同じ空気を吸っている、場合によってはその息遣いも聞こえてきそうな、他の観客の感覚全体が伝わってくる感じ、それだけでも休日としては十分充実しているように思えます。

今の仕事に就いて、土日は人並みに休めるようになったものの、講義の機会は少なくなり、表現者の持っている、あの全身を観衆に投げ出すような感じをせめても観客として味わいたくて、週末勤務の代休となった木曜の一日を東京の日帰り観劇に使うという、貧乏人には過ぎる贅沢をしました。

もちろん、見るには美女に越したことはないわけで、特に木曜を選んだのは、この日の午後に北区つかこうへい劇団の黒谷友香スペシャル「売春捜査官 女子アナ残酷物語」の追加公演が決まったことに発します。前の東京行きで紀伊国屋に張ってあるポスターを見かけたものの、事前決定の日程の前売りは完売、当日券を狙うしかなかったわけですが、この追加公演もすぐにネットは売り切れになりました。朝の1便で羽田に降り、首尾よく残っていた前売りで結構いい席を得ました。

もちろん、百戦練磨のつか氏のこと、人を食った表題は観客もみなお見通しの上での来場、この演劇が「熱海殺人事件」の数あるバージョンのひとつであることも周知のことです。それでも楽しめることも観客は分かっているし、期待している。黒谷友香がセクシーな衣装を着て出てくるわけでもない。それも分かっている。演技というものは、すべからく裸でするようなものだし、カチッとした衣装から、心も体もの律動がむしろよく伝わってくる。

広末涼子など、それまでのアイドルやモデルから女優へと脱皮していくきっかけとなってきたつか氏の演劇ですが、黒谷さんの場合もそれは成功している感じがしました。30前後の女性がいちばんきれいに見えるものですが(主観的に断定してすみません)、観客を睨みつける視線もダンスも凛々しくて素敵でした。

演劇の不思議なところは荒唐無稽ともいえる設定が、俳優たちの演技によって、なにかしらの現実のリアルな再現になってしまうことです。「熱海殺人事件」の数あるバージョンで共通の、なぜ、美人ならともかく、無視して放っておけばいいはずのブスをわざわざ殺すことになるかという理由の探求は常にリアルです。

連休中には一本だけ映画を見ました。イタリアの「13歳の夏に僕は生まれた」。梅田のスカイビルの映画館で、渋谷東急のBUNKAMURAのパンフを売っていたので、ようやく東西のスポットの類比が一組できました。とにかく、私は大阪という街には文化面では何も期待していない(ごめん!)。むしろ、この街が東京の最大のコピー都市になってくれることを切に願う、東京至上主義者なのです。東京のミニシアターでかかるヨーロッパ映画を全部見せてくれれば、それで満足です。

この映画の最初の場面設定は、パンフの解説者も認めるように唐突ですが、それ以後の違法移民たちの描き方はリアルで、もちろん実際よりもきれいにしてあるシーン(移民の女の子たちがシャワーを浴びるシーン)もありますが、思わず唸らされるところも多々あります。ストーリーをばらさずに指摘できるところは、移民を載せた船で怪しげな人物二人が操舵する船室の天井や壁にヌード・グラビアが貼りまくってあるところ。90年代末からイタリアで評判になったレティシア・カスタ(サン・レモ歌謡祭の司会も務めたイタリア系仏人モデル)のそれなど、いかにもありそうで納得しました。

エンド・ロールで出た協力者のリストにレッチェ、ガリポッリというプーリア州(イタリア半島の長靴の踵にある)の地名が出ていたことは、まさに移民が流れ着く州でロケしたことを示していますし、移民が働く街としてロンバルディーアのブレーシャが選ばれたのも、この映画で移民問題を始めて知る人にも格好の設定です。実際、移民センターのシーンは、これまでニュース報道で見てきた実物を思わせるほど、よくできていました。

しかし、どんなに装置がよくても、それだけでは映画にならないわけですが、何よりも、この問題が個々人の力ではどうにもならないものにしても、徒労に終わることが多くても無視できるものではないし、そこである意味ジタバタするのが人間なんだということを伝えてくれる好篇だと思います。

明日からは、また日常が始まりますが、自分も何かをリアルに伝えたいという気持ちだけは忘れないようにしていきたいと思います。上記の映画のパンフに掲載されているイタリア研究の先達、北村暁夫さんの一文によって、旧知の人の文を遠くで読むということから、なぜか元気づけられます。

それにしても、ブログというものは日記のはずなのに、なぜかシリーズものの遺言じみてくるのは、年のせいでしょうか。まだ30年ほどは生きていかねばなりません。

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