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独裁国家もテロもない世界になったら

大半の人々と同様に、私も北朝鮮が日本本土にミサイルを撃ち込めば自殺行為だ、というあまり根拠のない理由づけで安心しています。しかし、彼らが本気であれ、狂気であれ、ミスであれ、ミサイルを撃ち込んだ場合にそれを破砕する能力は現実にないのですから、結局はすべてが中間的な仮説でもあります。

しかし、かなり先のことになると思いますが、北朝鮮で独裁体制で倒れた後の世界は、それ以前の世界よりもよい世界になるかというと、どうも期待が持てないのです。北朝鮮のミサイルの報道が一巡した今、ハワイ沖では日米など8ヶ国がミサイル演習を行っています。こうした問題国の存在が逆に日米の関係を強化し、自由主義陣営の団結を守ってきたし、その上に日本がかろうじて経済以外の分野で少なからず国際的地位を保ってきたからです。防衛の面で緊張のある時代のほうが、日本の政治的地位が高くなったのは事実です。

一つ言えることは、共通の脅威で団結している現在の日米を常態と見てはいけないのではないか、北朝鮮が独裁体制を終了したとき、そこで見えてくる生身の我々は、ブッシュ政権時の日本でなく、クリントン政権時の日本に近いであろうことです。防衛問題が重石の役目で無くなり、アメリカが対日関係で実態経済でうまく行かないところは、法と政治で自らの意思を他国においても貫徹させるという意気込みでかかってきたとき、果たしてわれわれにそれに戦う備えはできているのでしょうか。それは、ある意味で暴力よりも陰湿な面もある(もちろん高度に洗練された部分もあるが)知的な闘争といわないまでも競争になるのは、間違いないだろうからです。

不謹慎の極みですが、北朝鮮や成功しないテロがあったほうが、生命に関わらないちょっとした黴菌に備えるように、無防備な日本は安全でいられるのではないか、とさえ思います。

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