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煙草への規制について

アメリカの政治で欠かせないスピニング(情報操作)の手法を、タバコ業界のロビイストの視点から面白く描いた映画「サンキュー・スモーキング」を一昨日、梅田で見ました。そこのなかの台詞で秀逸だったのが、「映画に出てくる喫煙者は異常者かヨーロッパ人だ」という言葉。禁煙が行き過ぎたアメリカとそこまで行っていない(しかしEUも警告文などかなり強化していますが)ヨーロッパの温度差をよく表していました。

しかし、映画にもあった過去の文化作品に登場する喫煙シーンまでカットするのは、歴史学を囓ったものにはやはり抵抗があります。愚行を含めてありのままというのが歴史学ですし、やはり嗜好品というものはそれを囲んだ人々の文化としての時間があるわけで、大事にしてほしいです。

実はヨーロッパでも悲しい傾向はあり、数年前に作家カミュの若い頃の肖像が入った記念切手が出たのですが、タバコをくわえているリラックスした表情が問題になり、表情はそのままタバコだけ画像から外して修正後に発行されました。本来くわえているものがなくなった口が不自然で気持ち悪い出来になっています。非順応主義的な彼の個性も台無しです。

私は「嫌煙権」という言葉は嫌い(誰も「嫌う権利」などない)ですが、「避煙権」はあると思っている、どちらかといえばアンチ・スモーキング派ですが、人に迷惑がかからないなら、愛煙者にはストレス発散にぜひ吸ってほしいと思います。体質的にタバコを吸えない私も人を待ったりするような時間にタバコが吸えればいい時間つぶしになるのに、と愛煙家を羨ましく思うことがよくあります。タバコやライターを介して初めて言葉を交わすなどという出会いのシーンは地球上で何億回と行われてきたはずですし、経験上、愛煙家には尊敬できる、いい人が多いです。

喫煙にはマナーを。しかし、歴史と(喫煙という)文化には敬意を。

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