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なぜ記号式投票にしないのか?

大阪市議選で「こなみ」と仮名書きした票が「小波」(さざなみ)氏の票となった開票作業をめぐって「小南」(こみなみ)氏が抗議。少なくとも按分(小数点以下をつけて分ける)すべきであると。

至極もっともな主張である。

しかし、そもそも先進国で候補者の名前を投票者にわざわざ書かせること自体、珍しいことは知られているだろうか。比例代表制であるドイツ、イタリア、ベルギーなどは、候補者とその政党のシンボルマールが大きな投票用紙に記載されていて、それに×などのマークをつけるだけである。(×のマークはヨーロッパでは「ダメ」を意味しない)

ほかによくある例は、候補者名の札があって、それを1枚のみ封筒に入れて投票するパターンだ。いずれにしても記名しない。

日本で名前を書く理由はよく分からないが、私は根拠はないが、保守主義者(党派を問わない)たちの陰謀ではないかと思っている。政見を語ることなく、名前のみを連呼する街宣車などという非文明的なツールを利用して(これ自体、先進国では異常である)とにかく自分の名前を書いてくれ、という流れでは、やはり名前を書かないと盛り上がらないということではなかろうか。そんな浪花節、必要だろうか?

もう一つは踏み絵的効果である。現在のような市町村合併が進む前には、小さな村が村民こぞって投票に行き(これ自体はよいこと)、自民党へ投票して、その投票率から忠誠心を明らかにするということがあった。市町村ごとに各候補の得票は客観的な数値として公表されるので、大都市以外は動員の善し悪しがはっきり出るのである。(その意味では中央官庁主導の今回の市町村合併は、自民党に打撃となったかもしれない。)富山のある小村が驚異的な投票率で、それに注目した首相の訪問が実現した例がある。

投票所には立会人がいるから、最初が縦か横かで書いている名前が分かるケースはある。日本の投票ブースは投票者はお互いを見ないでいいが、立会人からは見えるケースが多い。これでは秘密投票の原則は少しだが崩れている。アメリカなどでカーテンつきのブースを見たことがある人も多いはずである。

もっともらしい嘘があって、記号式だと選択が軽んじられるというものがある。馬鹿馬鹿しい。われわれはもっと自分の人生に直接関わる書類で幾らも記号で答えている。投票者のためを考えれば、記号式にしない理由はないはずだ。

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