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旺文社文庫とルビ

 文部科学省の新しい学習指導要領案で、習っていない漢字にルビを打つことを認める方向に方針転換するらしい。私にはまったく分からないのが、これまではルビの代わりに「ちょう戦」のような交ぜ書きをしていたことで、文化庁の文化審議会がその廃止を提言しても、ルビは使用しなかったという。こどもの自習能力をなめていたのか、それとも知識を低い方で平等化しようとしたのか。
 漢字には同音異義語が多く、日本ではそもそも漢字の母国にはない訓読みまで開発し、漢字を意味でいろいろな音に読む(人名に用いたときの自由さを考えれば分かる)のだから、すべての読みを学校で教えることは不可能で、どうしても各自の読書に頼ることになる。しかし、漢和辞典でも多様な読みが出ているから、自分では絞れない。教養ある親がいれば聞く、NHKなどで教養ある人が読むのを聞くなどすればよいが、即効性のあるのがルビである。
 子供のころの私(両親とも働きに出ていて「鍵っ子」だった)を助けてくれたものとして、もはや刊行されていない「旺文社文庫」に今も感謝している。ちょうどまともな文学作品を読むべき年齢(と私が思う)中学に入って初めての夏休み前に、もともと教育現場にセールスが浸透していた旺文社文庫の希望者申し込みの紙が学校で配られて、何冊か注文して読んだ後、自分でも書店で買い始めたと思う。たぶん、一冊目は夏目漱石の『我が輩は猫である』で、当時はそのインテリ的蘊蓄に分からないものも多いままで読んでいたと思うが、意外に楽しく読めた。それは、ルビのおかげである。そもそも明治・大正期の新聞にもルビは打ってあったのだから、当然なのだが。
 実は、ルビは出版社にとってもうれしくない。ないほうが印刷しやすいからだ。旺文社文庫は、もともと教育書の出版社が始めたものだから、ルビの配慮はすごくできていた。解説や資料も丁寧だった。それに従って、たくさんの漢字も覚えられたと思う。
 しかし、同時期に始まった角川の文庫と映画を合体化させた大セールスで、文庫というものの存在は大きく変わった。岩波に代表される教養文庫的なものより、誰でも読めるエンターテイメントが文庫市場の中心になってしまったのだ。
 旺文社文庫も他の文庫にはない、ドーデの『タルタラン・ド・タラスコンの冒険』、マーク・トゥエインの面白話など、有名作家の有名ではない(しかし、その作家の一面をよく表す)作品や、内田百閒ものなど大人の読書通も唸らす独自の路線を図ったのだが、その後いつの間にか発行されなくなってしまっていた。
 私も一通りの読書入門を旺文社文庫でした後、30冊ほどの旺文社文庫は従弟に譲ってしまった。しかし、後にも先にも文庫本の漱石では旺文社文庫の解説がいちばん良かった。商業的な文庫はスター性のある解説者の勝手な思い(それ自体は面白かったりするが)はあるが頼れず、岩波文庫はすごく解説が充実したものもあるが、古典の初心者向きの丁寧な情報は足りない。
 将来お金に余裕ができたら、古本市場とネットで旺文社文庫を全部買いたいくらいである。それを全部読み返す時間はないだろうが、年金生活に入り、頭が弱ってきたら、最後は古典をルビつきで読み直し、正しい読みで読み直してからあの世に行きたいと思う。
 学校には「生きる力」の育成など期待しないでほしい。そんなことまでさせるから、学校の先生が授業を充実できないのだ。せめて、子供が自分でどんどん読書を進める邪魔はしないほうがいい。

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