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プレスティジャコモ環境相来日

 G8環境相会議で、イタリア新政権のプレスティジャコモ環境相(元・機会均等相)が来日。NHKのニュースにも少し映りました。もちろん、本人の政策に第一に注目すべきですが、イタリアの女性史の本にも彼女の成功にはその美貌は無関係ではないだろう、と写真つきで記してあるものがあります。もちろん、ベルルスコーニ首相のフォルツァ・イタリア所属。その点は、話題になった元テレビ・リポーターのカルファーニャ新機会均等相と同じ。ご関心の向きに環境省のHPをリンクしておきます。まだ就任したばかりで写真などはほとんどありません。

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狐と狸と狼(イタリア新政権入門)

 安易な類推は学問の最大の敵である、ともいえるが、誤解を含んでいても、大きなイメージを伝えないといけないこともある。サルマン・ラシュディの『悪魔の詩』の訳者、故・五十嵐一氏はイスラムの美学にも通じた大変な学者だったが、一方で日本でのアラブ理解を進めるために『中東ハンパが国を滅ぼす』という新書で、中東の政治地図を日本の55年体制の各政党に例えて紹介した。ぬるま湯的な大国サウジアラビアは自民党、強烈なイデオロギーを持つイスラエルは共産党、中間的なトルコは民社党というような感じだったかと思う。
 私は、現地体験のある日本人などが書くいわゆるイタリアもののエッセーが、実体験部分はともかく、しばしば政治や歴史への理解が乏しく、好まないのだが、素人でも言い得て妙な表現をする人がいて、立ち読みしたので本の題名や著者名は忘れたが、ベルルスコーニとフィーニをキツネとタヌキに例え、両者が化かし合いをしながら、互いを切れずにいる関係を解説していたのは、巧いと思った。この例えを私なりに拡張し、ボッシをオオカミとして、3者の関係で初心者向けの解説をしてみよう。
 人里(イタリア)には、北と南の二つの村があった。
 キツネ(ベルルスコーニ=フォルツァ・イタリア党首、首相)は、3匹のなかで最もルックスがよく、人なつっこく、お金持ちで、どちらの村でも村人に好かれている。「変身自由動物連合」(右派陣営)の表看板は常に彼であり、過去5回の「村人だまし合い合戦」(総選挙)で「共同変身動物連合」(左派陣営)に3回勝利した後は、いずれも彼が動物頭(首相)になった。自身はよく変身(財界から政界に転身、首相在任中に整形手術)するだけでなく、葉っぱのお金のおまじない(減税政策)で人間をたぶらかす。
 タヌキ(フィーニ=国民同盟党首、下院議長)は、もともとは暗い山里(ネオ・ファシスト)の出身である。しかし、変身(穏健保守化)して、ルックスがよく、知性的で、人里に出ても恥ずかしくない姿になった。キツネに比べると派手な言動ではなく、オオカミほどは危険でないので、特に古い保守的な南の村(南部)では人気がある。今回、仲間のタヌキ(アレマンノ元農相)を「羅馬」という大きな集落の長(ローマ市長)にした。
 オオカミ(ボッシ=北部同盟党首、改革相)は、何でも噛みつく危険な動物である。もともとは、北の村で生まれ、北の村(北部)と南の村(南部)をケンカさせ(分離主義)ようと、南の村人に噛みついたり、南の畑を荒らしたり(補助金カットを要求)していたが、今ひとつだったので、噛みつく相手を変えた。今では、北の村人の中に、よそ者(移民)に噛みつくのが小気味いいとオオカミを可愛がるものも多い。
 キツネはタヌキもオオカミも必要としているが、両者を使い分けている。北の村でオオカミ、南の村ではタヌキの力を借り、合戦での副大将(副首相、外相、下院議長)などは落ち着いたタヌキにさせ、攻撃的なオオカミには好きなエサ(連邦主義、移民制限)を与えている。そうすると、タヌキが文句をいいそうだが、そのときは、お前には暗い過去(ネオ・ファシスト)があるではないか、お前がそこまで人里に出てくる(穏健保守化に成功する)には、俺の助けもあったからだろう、と説き伏せる。オオカミはやたらめたら噛みつくので、本当に危ないと思ったら、キツネがなだめる。
 共同変身動物連合(左派連合)では、2度キツネに勝った、ぽっちゃりとしたブタさん(プローディ前首相=「モルタデッラ」=ハムの一種=のニックネームあり、いくらなんでも「ブタ」では蔑称なので、「さん」づけする)が村人に節約術(財政再建)を教えていたが、ブタさんの仲間たち(中道派)といっしょに変身しようというロバ(ヴェルトゥローニ・民主党書記長、旧左翼民主主義者、前ローマ市長)と、猪突猛進で変身しようとしないイノシシたち(左翼・虹連合、旧共産系4党)の対立に苦しんで、辞めてしまった。イノシシたちは、自分たちだけで合戦に突入して全滅した。ロバは仲間たちと変身に成功したが、合戦で仲間の数が減ってしまった。ロバは自分がやっていた羅馬集落の長の仕事もブタさんの仲間(ルテッリ前・副首相、元ローマ市長)に譲ろうとしたが、タヌキの仲間に負けたので、その点でも責められている。
 村人は、タヌキの腹黒さやオオカミの危険性などは薄々感づいているのだが、キツネがなんとかまとめてくれるだろう、ブタさんはマジメだけれど小遣いもくれなかったし、と思って、また、キツネを動物頭に選んでしまった。
 はて、これで分かりやすくなっているかな?

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(学術書として)大ヒット発売中!

私も参加していた「原典・ヨーロッパ統合史研究会」の成果である『ヨーロッパ統合史』(遠藤乾編、名古屋大学出版会)が刊行されました。定価は3,200円+税で、今月中に書店に並びます。このテーマでこれだけの内容の本が出るのは、関係者として言うのは何ですが、まさに空前絶後でしょう。
 専門家にぜひ使って頂きたいのはもちろんなのですが、例えば大学で専門でないのに国際政治、ヨーロッパの歴史や政治も教えなければいけないという方もぜひ、これを頼って講義をしてください。
 なお、私はこの通史には執筆していません。年内に姉妹編の史料集が出て、そこに少し執筆しています。お楽しみに。(当分の間、この記事を常にトップにおきます。実質的な最新記事はこの下です。)
Thebook

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ディベートの視覚的表現

 NHKのBS-1の「BSディベート」で子供とインターネットの問題を討議している番組(再放送)を昼食をとりながら見る。内容はここで書かないが、大変よい内容で、ネットの様々な問題を概観できた。
 一つ印象的だったのは、国内の専門家4人がそれぞれの役割に応じた服装で、視覚的にもそれぞれの立場が分かりやすかったこと。シンプルなスーツの教育評論家、ダークスーツの弁護士、ノーネクタイのインターネット業界団体代表、蝶ネクタイの大学教授。特に、大学教授が一般的に蝶ネクタイ、ということはないわけだが、海外の大学では結構いて、むしろこうしたテーマの専門家としては、こういうこだわりのある人のほうが信用できる。業界団体だけに一方的な批判をしないようにする議論の全体のバランスからも、この先生の存在は重要だった。海外から中継で番組に参加していた英米の専門家も日本側の議論を理解しやすかったと思う。
 こうした無言の部分の表現は過去10年間に我が国でも進んだ気がする。

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ここ数年の出版トレンドを再確認する

 学部教育用の購入図書リストを作成、チェックしながら、狭い関心以外のここ数年の国内の出版トレンドを遅まきながら確認する。
 まず、驚いたのが、中国、ロシアの外交政策についての本がそれぞれ数点ずつ出ていたこと。やはり、ビジネスからの関心もあるのが、これらの国々。しかも、書店でざっと見て、内容は予想以上に深かった。EUは点数は多いようでいて、本質的なものはまだまだ少ない。
 日本の古い時代の外交や国際政治についても、重要な文献を見逃していた。酒井哲哉『近代日本の国際秩序論』(岩波書店、2007)、岡本真希子『植民地官僚の政治史―朝鮮・台湾総督府と帝国日本』(三元社、2008)、千葉功『旧外交の形成―日本外交一九〇〇~一九一九』(勁草書房、2008)など。(著者の敬称略)
 インドに至っては、図解のインド経済入門まである。十数年前には、EUについてこういう本が流行っていたものである。時代は変わった。ボーっとしていると、見失う。

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聖子ちゃんか、イタリア政治か?

 水曜日、夜11時からNHKのSongsで聖子ちゃん(松田聖子のファンは永遠に彼女をこう呼ぶ)の歌を聴いていて、BS-1「きょうの世界」のイタリア政治の特集をチェックしていなくて、見損なう。まあ、チェックしていても、うちのテレビは地上波からCSまでケーブルで入れているから同時には見られないが、知っていれば、職業上の自覚が、ファン心理を超えたかもしれない。
 もっとも、番組自体は、「ピンクのモーツァルト」「チェリー・ブラッサム」など感涙ものであり、満足だった。ベルルスコーニより、やっぱり聖子ちゃん。(読んでいる方へ:キモくてすみません。でも、40歳台の人は理解してくれると思う。)

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ここ2ヶ月のわが「イタリア」教育

 勤務先のことはブログでは書かない主義である。特に同僚や学生のことは絶対に書かない。ただ、自分の教育方法の苦心などは書いても、それは教員自身の心と頭のなかの葛藤だから許されるだろう。
 私が主として担当しているのは、国際関係論とEU論、ヨーロッパ政治である。イタリアを本来必要な程度以上に強調はしていない。しかし、余裕や機会があれば、イタリアに特化した授業も作れれば作りたいと思ってはいる。文化の演習を1コマ持っているので、そこではGinsborgの英語の通史を輪読に使おうとした。しかし、これは断念せざるを得なかった。
 英語の問題もあるが、前提となる知識はほとんどない。それも序論から読んでいけばできるかと考えていたが、これは私の戦略ミスで、やはりレクチャーが必要だった。学生の関心のある国もイタリアに限らないので、今はイタリア、スペイン、ポルトガル、ギリシャ、トルコの5ヶ国を比較したSapelliの英語とイタリア語両方で出ている南欧戦後史を使おうとしている。経済学者の書いた本なので、数字が入って具体的で節割りも多く、分担も分割しやすい。これはレクチャーを入れても、無理でもやるつもりである。私の勤務校ではイタリア語を選択で履修できるので、何とかそういう関心も助けたい。
 イタリア、特に現代イタリアについての講義が少ないのは他の大学でも同様だ。せめて特講のような不定期なものでも、学生が4年間に1回でも現代イタリア史の講義が受けれるようにできればいいが、現状では自分でそこまでやる自信がない。

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私的物価指標(3)

 前に2回書いた近所のスーパーでの「日清カップ焼きそばUFO」による物価調査。スーパーでは先週再び158円の最高値を記録。ガソリン税復活のせいか?そう単純な連関性でもないか。
 コンビニでは、値上げでの消費減の埋め合わせか、普通版を売らず、逆に大判だけを198円で売って利益確保をしている。しかし、大判だからといって余計に出すだろうか。コンビニの場合、売り場での商品の選択権はコンビニ優位だから、むしろコンビニ側から利益を出さないと置きませんよとプレッシャーをかけられているのかもしれない。
 コンビニでは、カップヌードルも168円、シーフードヌードルも158円。これ以上だと誰も買わないだろう。企業は十分努力していると思うのだが、今でも高いと思うほど、われわれは安いものに慣れすぎてしまった。
 最近、仕事で遅く帰ることもあって、24時までやっているディスカウントストアに入る。生活が安定してから行っていなかったが、やはり庶民の味方だ。カップヌードル1コ税抜きで100円を切る。もちろん、賞味期限はスーパーより短いものだが、即席麺で新鮮さを求める人はいない。
 ところでビジネスソックス1足・税抜き79円って、どうやって作っているの?買うべきか、迷った。

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イタリア新内閣閣僚名簿を読む

 第4次ベルルスコーニ内閣(首相就任は3度目だが、前回は任期途中で一度内閣を総辞職して、再組閣している)の閣僚名簿を読む。人や任所は変わっても主要な人物は変わっていない。同性愛者への差別発言で欧州議会からEU委員就任を拒否されたカトリック右派のブッティリョーネの代わりに現職外相からEU副委員長に転出していたフラッティーニ(イラク派兵時の外相)が外相に返り咲き、財政政策の失敗でEUと齟齬が多かったトレモンティがまたしても経済・財務省に戻り、前回社会政策相だった北部同盟の幹部マローニが内相に移り、病気から回復した北部同盟のリーダー、ボッシももとの改革相に戻った。トレモンティを使い続けるのは、対EUには何も反省を示さない、超KY人事。こういうところは、我が国の小泉元首相に似ている。
 メディア宰相の面目躍如で、美人女性閣僚も目立つところに。このブログの親サイト「やそだ総研」でも以前紹介したプレスティジャコモ元機会均等相は環境相に。洞爺湖サミット関連の環境相会議等で日本でもメディアに出るでしょう。機会均等相には、元テレビ・リポーター(ベルルスコーニ支配下の民放で日曜の人気番組を担当、各地をロケで回る)のマーラ・カルファーニャを抜擢。閣僚以外でも、ベルルスコーニの周辺の女性政治家は顔で選んでいるのかと思うほど、みな美人。その意味では、女性閣僚の数では上回っていた左派の前内閣の6人も、メディアや一般の関心を誘う点では右派の現政権に勝ち目がない。
 外面はきれいに出来ているけれど、内容は乏しく、新自由主義的な政策だけがイメージ先行で進行していく、なんとも研究しがたく、好感ももてない政権がまた誕生した。

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残るものの条件

 作ったときは何と思っていなくても、ちょっとしたアイディアのおかげで、後に残るものがある。

Wall 母校の小学校には、私の学年だけ、学校の一角に今も残るオブジェを残している。記念の植樹や一部の施設の寄贈などは他の年度もしているだろうが、私の学年だけ、葉書大の全員の自画像を一つ一つ粘土で立体化して焼いたたものをパネルにして残しているのだ。

Face 私の顔などは出っ張った鼻が欠けてしまっているが、われわれだけが今も当時の同級生をここで思い出すことができる。これが残ったのは、当時の図工担当の先生(いささか個性的な人であった)のアイディアのおかげだ。さすがに学校側も人の顔を描いたものは壊しにくいのか、30年経った今も児童用の玄関脇に残っているのである。他の学年も同じことをしていれば、いまごろ運動場はオブジェだらけになっている。

 将来、いつかはこれを壊すかどうかを議論する日が来ると思うが、高度成長下、ちびまる子ちゃんの作者さくらももこと同年に生まれたわれわれは、団塊の世代ほどではないが、まだまだ数が多く、小学校に入って二つのオイルショックの時代でも元気がよかった。だから、このオブジェは、日本のいい時代の象徴だと思って、残しておいてくれないだろうか。

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富山県立近代美術館への私的こだわり

 1日の朝、例によって安い切符狙いで早朝の始発で空路、富山に帰省。実家には直行せず、富山市にある富山県立近代美術館で日展100年展と常設展を見る。
 この美術館は私が高校生のとき(1981年)に出来たもので、今では珍しくなくなったが、20世紀の現代美術に絞ってコレクションを作った、当時としては画期的な美術館で、朝日の名記者、百目鬼恭三郎氏も文化面のコラムで取り上げていたのを記憶している。率直な批評で知られる氏の記事は、現代美術の持ついかがわしさに幾らかの疑義も呈されていたと思うが、タバコを吸う唇だけを大きく描いた展示品(トム・ウェッセルマン「スモーカー#26」)を風刺したイラストもついていたことを考えると、むしろあの記事は今となっては美術館にとっては勲章ものだったと思う。(物議を醸さない現代美術などつまらない)
 その後、美術館は、昭和天皇をコラージュした作品に対する処遇(右翼や保守派県議による圧力に当時の県知事が屈し、展示をやめた)で批判を受けて、これ以降、美術専門メディア以外で記事を見ることはなくなったと思う。この事件を契機に美術館への評価を変えた知識人もいるはずで、つくづく保守王国の政治家たちの文化度の低さが悔やまれる。
 しかし、これは富山県の政治家のレベルの低さであって、美術館のせいではない。むしろ、こうした作品にも対象を広げていたキュレーターたちの質はよいと考えるべきで、国際ポスタートリエンナーレのように意義のある活動を地道に続けている美術館の努力は評価したい。
 常設展も何回も来ていると、おなじみの作品に、少しずつ新顔が加えられていて、うれしい。この美術館の後に東京都の現代美術館などが出来たが、東京は一点一点の価格ではすごいものを持っているが、1フロアに20世紀美術を要約した啓蒙的・統合的なコンセプトとしては、富山のほうがいいと思う。それぞれの作家の代表作とはいえないものの、その作風が分かるよい作品を収集していて、ロートレック、ピカソ、シャガール、ルオーからミロ、ダリ、フェルナン・レジェ、パウル・クレー、マン・レイ、マグリット、マックス・エルンストらを経て、フォンタナ、ジャコメッティ、マリーニ、アンディ・ウォーホル、ジョージ・シーガルらに至る。
 現在の企画展「日展100年展」(東京に始まり全国4ヶ所で展覧)は、今や美術館の客層の最有力勢力となった高齢者にも受けのいい鉄板企画だが、できれば、近代美術館には、若い人にも刺激となるような、議論を呼ぶような、冒険的な企画をしてほしい。接客がえらく丁寧なことなど、今後のスケジュールを見ても、初期に比べ、やや保守化した印象を受けた。
 古い政治家の頭には、ルノアールやセザンヌ、モネなどのような「長い19世紀」的なものしかないと思われるだけに、美術館のポリシーに影響を与えていないか心配だ。そういう評価の定まったものではない、現代美術について、自分なりの言葉で語ることこそ、真の知者の証なのだが。

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連休は中国とロシア?

 経済誌「週刊ダイヤモンド」が中国とロシア、「週刊東洋経済」が中国の特集を組んで、ビジネスマンの連休の頭の体操は中国とロシアで決まり、のようだ。確かに生半可な理論では解けない国である。
 しかし、やはり連休はビジネスから離れて思想や文学、美術や音楽を語りたいものである。それに格好の本が連休直前に出た。「カラマーゾフの兄弟」の話題の新訳(光文社古典新訳文庫)の訳者、東京外大の亀山郁夫学長と佐藤優氏の対談本『ロシア 闇と魂の国家』(文春新書)である。帯の惹句からしてシビれる。「独裁者なきロシアなどあろうか?」
 ジャンルなどという狭い了見は、両氏にはない。政治から文学、音楽、美術、映画、宗教に自由に行き来し、ロシア人の心性に深く切り込む、すごい本だ。スターリンやプーチンなどのロシアの指導者の心理面の分析には、ドストエフスキーはもちろんのこと、ヴィソツキーの歌も出てくれば、タルコフスキーの映画の話も出てくる。
 この二人の教養はロシアに留まらない。いつも感心させられるが、佐藤氏がプーチンのイデオロギーをムッソリーニのイタリア・ファシズムと比較しているくだりは、特に素晴らしかった。
 

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