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富山県立近代美術館への私的こだわり

 1日の朝、例によって安い切符狙いで早朝の始発で空路、富山に帰省。実家には直行せず、富山市にある富山県立近代美術館で日展100年展と常設展を見る。
 この美術館は私が高校生のとき(1981年)に出来たもので、今では珍しくなくなったが、20世紀の現代美術に絞ってコレクションを作った、当時としては画期的な美術館で、朝日の名記者、百目鬼恭三郎氏も文化面のコラムで取り上げていたのを記憶している。率直な批評で知られる氏の記事は、現代美術の持ついかがわしさに幾らかの疑義も呈されていたと思うが、タバコを吸う唇だけを大きく描いた展示品(トム・ウェッセルマン「スモーカー#26」)を風刺したイラストもついていたことを考えると、むしろあの記事は今となっては美術館にとっては勲章ものだったと思う。(物議を醸さない現代美術などつまらない)
 その後、美術館は、昭和天皇をコラージュした作品に対する処遇(右翼や保守派県議による圧力に当時の県知事が屈し、展示をやめた)で批判を受けて、これ以降、美術専門メディア以外で記事を見ることはなくなったと思う。この事件を契機に美術館への評価を変えた知識人もいるはずで、つくづく保守王国の政治家たちの文化度の低さが悔やまれる。
 しかし、これは富山県の政治家のレベルの低さであって、美術館のせいではない。むしろ、こうした作品にも対象を広げていたキュレーターたちの質はよいと考えるべきで、国際ポスタートリエンナーレのように意義のある活動を地道に続けている美術館の努力は評価したい。
 常設展も何回も来ていると、おなじみの作品に、少しずつ新顔が加えられていて、うれしい。この美術館の後に東京都の現代美術館などが出来たが、東京は一点一点の価格ではすごいものを持っているが、1フロアに20世紀美術を要約した啓蒙的・統合的なコンセプトとしては、富山のほうがいいと思う。それぞれの作家の代表作とはいえないものの、その作風が分かるよい作品を収集していて、ロートレック、ピカソ、シャガール、ルオーからミロ、ダリ、フェルナン・レジェ、パウル・クレー、マン・レイ、マグリット、マックス・エルンストらを経て、フォンタナ、ジャコメッティ、マリーニ、アンディ・ウォーホル、ジョージ・シーガルらに至る。
 現在の企画展「日展100年展」(東京に始まり全国4ヶ所で展覧)は、今や美術館の客層の最有力勢力となった高齢者にも受けのいい鉄板企画だが、できれば、近代美術館には、若い人にも刺激となるような、議論を呼ぶような、冒険的な企画をしてほしい。接客がえらく丁寧なことなど、今後のスケジュールを見ても、初期に比べ、やや保守化した印象を受けた。
 古い政治家の頭には、ルノアールやセザンヌ、モネなどのような「長い19世紀」的なものしかないと思われるだけに、美術館のポリシーに影響を与えていないか心配だ。そういう評価の定まったものではない、現代美術について、自分なりの言葉で語ることこそ、真の知者の証なのだが。

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