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人生に「イベント」はなくていい

 秋葉原の事件から、ブログを持っている人々も何かしら自省モードに入っているのではなかろうか。犯人が使っているのが携帯サイトであり、短文ではなくそれなりの長さの文をPCで書くことが多い(携帯からも書けるが)ブログとやや性格が異なるとはいえ、書くということで自己顕示的になり、自分で自分を追い込んでいったのであろう犯人の行動を見て、ブログや携帯サイトに疑問を感じざるを得なくなる。
 反論は幾らも可能である。引きこもりがちな現代人が、ブログに何か書くことを作るために、遊園地や公園に行くなど外出を促す側面もある。仲間と疑似社会であってもつながりを作るのも悪いこととはいえまい。
 ただ、とりあえず、人生には「イベント」はなくてもいい、ということを社会全体の雰囲気から教えることは必要だと思う。それは、辛い環境に置かれた派遣労働者の挫折感の分析や、死刑論議よりも重要なことだけは確かである。本人の罪が重要で、社会のせいではない、というのは、正論だが、それでは、一連の事件を説明も防止もできない。まじめな法的な議論だけでもダメだし、かといって、心理学だけに委ねてもいいものではない。社会全体の文脈のなかでの問い直しが必要で、むかし、「朝日ジャーナル」でやっていた「犯罪季評」のような自由な論議が今こそ必要だ。
 みんなで夢を追いかけよう、というのも、考え直すべきところがある。夢がなく、たった一つの夢が破れても(私の好きな歌「誰もいない海」の歌詞)、平凡で地道な人生でも、それはそれで意味がある、ということを、これだけ情報過多の時代で、若い人が理解するのは確かに難しくなっている。
 しかも、その孤独感を癒すかもしれない、ブログや携帯サイトも、大多数は友人などが見れば上等で、無数の独り言の壮大な集積になっている。でも人はそういうものを書く。自家中毒のようになって犯罪をする者も出てくる。
 私自身もこういうブログに意味があるとは思っておらず、ホームページ同様、実際自分でやってみないと分からない、時代の流れや人々の思考法を考える意味もあると思って、続けているのだが、ときどきとても馬鹿馬鹿しく思えてもくる。でも、わざわざ書くのはなぜだろう?
 とりあえず、ここにおいては、他愛もないことだけを無責任に書く、というスタンスで続けたいとは思う。
 ネットができる前の、人に読まれる日記というものの意味を考えるのに、改めて「アンネの日記」を再読したい気がした。反戦ものとして読まれるが、私はやはり一人の人間が、日常のどうでもいいことを含めて、いろいろなことをわざわざ書く、という側面に関心がある。その意味で数年前に出た完全版の日記(アンネが性のことなども書いた部分を入れたもの)のほうが参考になる。

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