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裏切られる思い入れ

 ゴヤの「巨人」が所蔵するプラド美術館から、研究者が弟子の作品ではないかとの判定を発表。これまで堀田善衛氏ら日本の知識人も、ナポレオン支配への抵抗の象徴である、あるいは、もっと深い人間性への観察である、などの様々な見立てをしてきた作品である。

 もちろん、そうした見立てを今更、馬鹿にするつもりはない。むしろ芸術作品によって深く考えることができたことが貴重である。弟子の作品だとしても、同時代の人間なのだから、同じような思想になっていたかもしれない。

 むしろ、考えさせられるのは、後世の人間の様々な解釈を裏切る芸術作品のおもしろさである。われわれが源頼朝の肖像と思っているものはどうも実は別の、しかも平氏の正装姿であるらしいことはよく知られているが、それでもわれわれは冷徹な頼朝像にあの透徹した顔立ちがぴったりと思い入れをしてきた。作品のほうは長い年月を経て、作者も、それを証明してくれる弟子や後継者ももうこの世にはいないのに、われわれの心をとらえてやまない。

 テレビ東京の「なんでも鑑定団」が、骨董などのお宝が主に見えて、実は、そのモノにまつわる人間のストーリー(偽物を質にお金を貸した人など)が視聴者を引きつけるように、モノに独特の生命を通わせることが人間の人間たるゆえんである。

 世界中にある遺骨を集めると何人分にもなるお釈迦さんやコロンブスの骨(「これはコロンブスの子供の頃の骨です」という古典的ジョークがある)も許せるかもしれない。

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