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天才バカボンの凄さ

 私も子供の頃は、天才バカボンのファンでした。母方の祖父が町医者で、夏休みなどに泊まりで遊びに行くと、待合室に置いてある漫画雑誌(たくさん見たのに、なぜか、今となっては、ちょっとエッチな「イヤハヤ南友」くらいしか思い出せない)を読んで、そこから子供の小遣いでも買える「ドラえもん」や「天才バカボン」の単行本を買った記憶がある。
「バカボン」はその名に反して、結構、風刺やエスプリの効いた漫画で、小学生にはむしろ大人の世界をのぞき見る観もあった。例えば、今でも思い出せるのだが、作中に登場した、当時人気の「森昌子」の偽者「森日日子」(縦に書くと区別がつかない)を売り込もうとするペテン師など、現実にも似た例があったかもしれない。
 赤塚不二夫氏が果敢にも実存哲学に挑戦したことがあって、その内容が合っているかはともかく、何でも理詰めで哲学的に考え通す早熟の少年が、実はクラスで唯一自分の名前が書けないといって、バカボンたちに平仮名を教わるが、これは「あ」です、と教えると、その「あ」という字は何と読むの、と聞いて、バカボンたちを愕然とさせるという回もあった。文字の「名前」と「音声」は同じであるとは限らない、という懐疑心過剰というか、ほかの漫画ではあり得ない、笑いとともに哲学的なブラックな味があった。
 赤塚不二夫の「作品」、生きている名作の一つであるタモリも最近では「タモリ倶楽部」以外では見られないが、こういうセンスのある人である。紅白歌合戦で冬の背景で黒いマントを着た沢田研二の衣装を「歩く日露戦争」(この表現だったか不確か)と例えたことがあったかと記憶する。要は大人も笑えるということ。それにしても、タモリ氏の弔辞は、透徹した名文だった。弔辞の名文として保存したい。
 朝日の記者の赤塚氏追悼記事もとてもよくて、明日か明後日に帰省の折りには、東京駅で天才バカボンのベスト版を買って乗り込むことになりそうだ。

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