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日本の技術の「ガラパゴス化」

 オーストラリア滞在中に地元の携帯会社テレストラのノキア製携帯電話を使った。滞在中のみの使用なのでいちばん安いカード式携帯電話を買ったのである。わずか79豪ドル。日本円で5千円を切る。手のひらに収まるくらいの小さな平らな電話。でもこれで写真もとれるし、メールも(当然、欧文のみだが)できる。
 日本で使っている携帯も持って行った。買って一年、まだ機能が覚えきれない。i modeなどのために画面を大きくとるためには、どうしても日本で主流の折りたたみ式しかない。でも、本当は、私は電話が鳴ってすぐ出られる平らな電話機のほうが好きだ。日本の携帯は、開くときに開くサイドをよく間違える(開かない方を開こうとしてしまう)し、つくづく機能が多すぎると思う。
 このことを考えるのに格好の論考を日本に帰ったら着いていた『学士会会報』に見つけた。三木雄信氏の講演記録「複雑系科学から考える日本企業のガラパゴス化」である。(ちなみに七帝大卒でない私が学士会に入会しているのは、大学院に在籍していたからで、就職に役立つかと考えたからでもある)
 つまり、いくら日本の技術が進んでいるからといって、日本国内のマニアックな市場の志向性に合わせて進化していくと、世界の市場に合わない孤立化した技術になってしまう、ということである。世界の人々は日本人のように細々としたことをするためにゴテゴテとした機械を使わないのではないか、そういった見極めが出来ないから、携帯でノキアやサムソンに全然敵わなくなってしまったのではないか、ということだと理解した。
 自分が世界標準だと言うつもりはないが、われわれは細かいことにこだわり過ぎて、世界の中で「一億総オタク」化しているのではないか、と思う。

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