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初のノーベル賞受賞者100歳到達はイタリア人

 イタリアの終身上院議員(大統領任命)でもあるリータ・レーヴィ=モンタルチーニ女史(1986年ノーベル医学生理学賞受賞)が4月22日で100歳になった。ノーベル賞受賞者で100歳に達した人は初めてであるという。トリーノ文化人に少なくないユダヤ系で、ファシスト期イタリアからベルギーに逃れるが、ベルギーがドイツ侵攻を受けて帰国、研究を続けながら、ムッソリーニ失脚後の内戦期(国王&反ファシスト勢力VSファシスト&独軍)には、ドイツ軍の残党が残るフィレンツェでレジスタンスと連絡をとったり、アメリカ軍の医師をしたようだ。戦後、アメリカで神経物質に関する研究成果をあげたという、彼女自身の人生が一つの20世紀の歴史である。ノーベル財団のホームページにも現在、トップで記事が出ている。

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「ヘタリア」を知っていますか?

 若者に阿るつもりはさらさらないが、彼らを知ろうとすることは必要で、そのためか、あるいは単に勝手な関心からか、今流行っているものを教えてもらうことがある。
 着任2年目でようやく、私がイタリア研究者の端くれであることが学生にも浸透してきた。普段教えている、国際関係論やヨーロッパ政治外交史では、特にイタリアに重点を置いて教えていないためであり、それ以外の、ゼミのコンパをカジュアルな店でもイタリアンに絞っていることなどから徐々に伝わってきたようだ。
 その学生の一人が教えてくれたのが、国家を擬人化した漫画「ヘタリア」である。イタリアとドイツなど他国がそれぞれ個人(若者)になって、国際関係を人間関係として、一応、歴史を追う形で面白おかしくふざけながら描いているようだ。
Hetalia

 よく小中学生に、安直に教えるときに使われる「イタリアは(卑怯で)三国同盟から寝返った」などの見方を、さらに進めてイタリア人に対する偏見(アホ、スケベ、軽薄)を歴史に無理矢理投影しているような感じ。
 題名は、「へたれ」(関西では、力がなく情けない人をこう呼ぶ)から来ている。う~ん、これが一般に楽しまれたら、イタリア認識の点では、今出回っている幾つかのお手軽エッセー同様、ちょっとまずいかも。というのは、誰も漫画を真に受けないにしても、これが笑える(私もウェブ掲載分を見て笑ったが)ということであれば、そこに上記のような偏見が当然、前提にあるからである。

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勉強法の季節

 解剖学者の養老孟司氏が東大教授の頃に書かれたエッセーで、解剖科目の授業の日程からご自分にとって春先が「解剖の季節」になるということを書かれていた、と記憶している。
 私の場合は、春先は「勉強法」の季節である。現在では、どの大学でも初年度教育を重視していて、新入生向けに大学での学びの方法を教授していると思う。私もそうであって、特にわれわれ教員は自分の学生時代にこの種の授業を受けてこなかったものが多く、長い時間をかけて少しずつ見よう見まねで習得し、しかも今では息をするように日常となったものを、言葉で説明するのが難しい。
 思いつきになってはいけないので、教案を練るのだが、どの程度まで語るべきかという最大限の質、量と、逆にどの程度まで降りていかないといけないか、という下限がなかなか分からない。自分の習いとなった方法をそのままだと詳しすぎるし、個人的な変な癖まで伝えてしまうことになりかねない。一方で、高校を卒業していれば、われわれの常識ではここまで言わなくてもいいだろうというところも、現状では、あるいは言うべきかもしれないと疑ってみる必要がある。
 さらに伝えるべきことが決まっても、この伝えにくいものをどう使えるか、という教材化の問題がある。実際、何冊か本も見たが、そのままコピーして使えるというものは皆無に近かった。一般的な勉強法のサンプルにあげてあるモノも、何か他人の褌を使うような気がして、気持ちよく使うことができないのである。多くの場合、方法面で優れたところだけ参考にして、実際の材料は自分で探してくることが多い。
 こういうことは本来、当たり前のことでもあるが、果たして全教員がやらなければならないことなのだろうか。専攻の決まっていない1年生には、こちらの専門分野に引きつけるのも少し禁欲しないといけないのが苦痛なのである。決して面倒だからというのではなく、初年度教育のプロという存在もあってよい気がする。でも、新入生ゼミだけ5、6コマというのも大変だし、誰もやらない気もする。遊園地のジェットコースターのように、毎回同じように人を詰め込めばよいわけではないから。

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昭和40年

 週末に放送されたNHK-BSのタイムトラベル昭和40年は、大変面白い企画だった。べ平連が生まれた年であることで、当時の資料映像が多数出てきたこともよかったが、当時のテレビ東京が仕掛けた徹夜の戦争と平和に関する討論会が出色で、宮沢喜一、中曽根康弘、勝間田清一、飛鳥田一雄といった与野党の政治家、長洲一二、桑原武夫らの学者に、べ平連の小田実、開高健などが参加していたのを、音声資料が残っていないので、俳優による読み上げで再現していた。この討論会が天皇の戦争責任を問う無着成恭(生活綴り方運動で教員免許取得者の習う教育史には必ず名前が出てくる人だ)の発言で明け方前に放送が止まったということも改めて知った。当時、テレビ東京にいた田原総一朗氏も、この番組の担当ではなかったが、ずっとこの放送を見ていたという。
 また、この年に献血を広める運動を早稲田大学の政経学部の学生がしていて、彼らが売血の現場に潜り込み自ら取材し、その危険性を指摘したリポートが献血の推進に大変役立ったこと(翌年には早くも献血と売血の量が逆転する)など、やはり当時の学生の意識の高さに感動した。こういう学生がいたことだけで早稲田はすばらしい大学だと言い切れる。
 すべて私が生まれる直前の話である。

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もう一つの「スペインの奇跡」

 知っている人は知っているが、私は知らなかった言葉シリーズその2。
 表題は、もちろん、ユーロに加入してから、住宅バブル崩壊、世界金融危機の前までユーロ圏のライジング・スターだったスペイン経済のことを言っているのではない。それは、皆さんご存じ。
『週刊朝日』の家庭医療ページを読んでいたら、スペインでは近年、移植医療が進み、日本よりも進んでいて、このような言葉が医学界でも使われている?ようだ。
 カトリック国で倫理上うるさそうなのに意外。どうしてそうなったのかな?

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アッシジ、ラクィラ

 イタリア中央部を襲った大地震。今回は、ラクィラが襲われたわけだが、十数年まえにアッシジの大聖堂のフレスコ画をこなごなにした大地震も覚えておられる方も多いだろう。実は、イタリア研究者を名乗りながら、この二つの町にはまだ行っていない。自分がいつか行くべきと思いながら行かずにいた町がもう二つ崩れた。
 それは理由があって、政治や歴史を研究するといっても現代が主たる関心なので、この二つの町に行くには純粋に観光でないと行けないし、主要大都市から少し離れている(逆に飛行機でいくほど遠くもない)という距離の中途半端さもあり、非常勤時代にはとてもそういう余裕はなかった。
 実は、私は学部時代には史学科で中世史の研究を志していた。しかし、フランス語やイタリア語は何とか読めるようになったが、ラテン語やドイツ語は全然覚えられなかったので、卒業と同時に純粋な歴史学者になる道は諦めた。ただ、中世の都市にこだわりはあって、卒業してしばらくして、シエナに語学留学したときは、近郊のサンジミニャーノ、モンタルチーノ、モンテプルシャーノといった小さな町を週末ごとに回った。
 しかし、アッシジとラクィラは、中世においては、これらの小さな町よりも重要な都市だったのだ。シエナ近郊の小さな駅で発車前の列車の中で座っていたとき、ホームから窓越しに初老のフランス人紳士が話しかけてきて、「日本人がこういう小さな町にくるのは珍しいな。お前はこの近くに住んでいるのか。」と聞かれ、「シエナでイタリア語を勉強している」と答えた後、なぜか、「お前はラクィラに行ったことがあるか。とてもきれいな町だから、一度行ってこい。」と言われたことを思い出した。この後、列車が発車して、彼のラクィラに関するこだわりは聞けなかったが、それを自分で発見することも今回の地震で難しくなったわけで、何がそこにあったか分からない分、余計に残念である。

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ベルルスコーニはラスムセンを助けたか?

 金融サミットに続き、NATO首脳会談の記念撮影でもベルルスコーニが欠ける事態発生。他のすべての首脳が揃って待っている間も離れた場所で携帯電話でずっと話していた。メルケルは、呆れたのか、諦めたのか、スマイルしているが微妙な表情。ベルルスコーニに「後でね」みたいな身振りをして、結局、ベルルスコーニ抜きで撮影は終わったのだった。
 これは、「32分間にわたり」ラスムセン・デンマーク首相のNATO事務総長就任に難色を示していたトルコのエルドガン首相の説得をしていたと説明された。実際に、首脳会談に来ていたトルコのギュル大統領も「ベルルスコーニ首相やいろいろな人が」合意にために働いてくれたと認めてはいる。
 しかし、実際にはムハンマド風刺画事件に発するトルコのデンマーク不信その他の懸念は、大部分はオバマ米大統領との会談で解決していたという観測がある。
 とすれば、これはアメリカの功績の上にかぶせてきたのか、目立ちたいスタンドプレーなのか。本当にこの人は分からない。

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J.サックスはマック派

 NHKーBS hiで放送されたジェフリー・サックスへのインタビューを見た。インタビュアーは明石康氏。世界中のメディアに名前が出たVIP同士の対談である。
 インタビューの合間に流れるサックス氏のオフィスでの日常。コロンビア大学地球研究所のオフィスの机上にあったのは、アルミ製のMacBook。たぶん、私の持っている最安の小さなものではなく、もっと大きいほうではないだろうか。Macの専門誌にMacを使うVIPというコーナー記事を作ってほしいなあ。インテリやアーチストにはそこそこいるはずなので。
 もう一つ、気づいたこと。映像で流れる若い頃のサックス教授(30歳にしてボリビアのインフレを10日で収束させた)は、大きな、ちょっと野暮ったい眼鏡をしていた。現在は眼鏡がない。コンタクトレンズにしたのか、もともと若々しいうえに、とてもグッド・ルッキングになっている。真似しても偉くなれないけれど、地位に応じた身だしなみは、やはり大事。

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伴侶動物

 自分が知らない世界で、言葉が大きく変わっている。私はペットを飼わないので、本屋で「伴侶動物」という言葉がタイトルに入った本を見て、少し驚いた。
 私のイメージの「伴侶」という語は、サルトルにとってのボーボワール、いや、今風(男女の順にしない)に書くと、ボーボワールにとってのサルトルか、あるいは(順を元に戻すけど)トリアッティ(かつてのイタリア共産党書記長)にとってのヨッティで、正式の夫婦でない男女のペアのイメージがあった。もちろん、正式の夫婦でも伴侶といっていいわけだが、その場合は単なる夫婦でない、何か精神的な強めを感じる。
 実際、「愛玩動物」たるペットに代わって用いられてきている「伴侶動物」(コンパニオン・アニマル)も、飼っているというより共に生きることで精神的な豊かさにつながることを評価したものだと思う。こういう語を使うことは動物にもいいといえる。
 ただし、やはり一抹の不安を感じないわけでもないのだ。まさに家族同然となることで、特に独居者にとってリアルな家族の代替となって、結果、ほかの人間よりも大事ということになりはしないか。動物が潜在的に持つ野獣性を発揮してかみついてきても、他人が殴ってはいけないだろうか。その結果、動物が負傷した場合、器物損壊でなく、過剰防衛になるのだろうか。
 栄養バランスまで配慮された特別食を食べ(「食い」と書いたら怒られそうだ)、美容院にも行く「伴侶動物」。その金があれば、何人の飢えた人が救えるか、というのは、余り正しくない想像かもしれない。なぜなら、お金を飢餓に回しても容易に付加価値(元気になった人が何か生産的なことをしてくれる状況)は生じないだろうし、逆にペット産業から失業が出る。
 頭では分かっている。でも腑に落ちない。

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ベルルスコーニ、G20記念撮影で大顰蹙

 前回に引き続き、何かが起こるG20記念撮影。前回は、オランダの首相が出席できず、急遽代行した政務次官が最前列の国家元首(国王&大統領)たちの列の端に加えられるというドタバタがあったが、今回もカナダのハーパー首相が記念撮影に間に合わず、2回目の記念撮影をした、というところまでは報道で読んだ。
 ところが、今朝のBSで流れたロシアのニュースに、1回目の記念撮影でベルルスコーニがオバマやメドベージェフ(大統領としては新人なので2列目になる)の近くに行きたがって顰蹙を買い、メルケルが呆れ顔をしているところが写されていた。ロシアのニュースは旧西側諸国が仲間割れしているところや混乱しているところを好んで長く流すので、いつも面白くみている。
 前回同様、外交儀礼に完全準拠で、議長国首脳を中心に、国家元首から首相へ、在任期間の長い順から前、中央寄りに並ぶ方式なので、すでに通算では数年とはいえ昨年に就任(3度目)したベルルスコーニや日本の麻生首相は後ろのほうになる。イタリアの各紙にベルルスコーニがオバマとメドベージェフに語りかけてサムアップしている写真が流れたが、CNNでも(半ば馬鹿にされて)放送された。
 メルケルが呆れるのも無理はなく、イタリア各紙のHPによれば、首脳たちの1回目の記念撮影の前に、エリザベス女王との記念撮影が別にあったが、そのときも、一緒に写真を撮ろうとしたのか、最後列からベルルスコーニが大声でオバマの名前を呼んだので、女王が「なぜそんなに大声で呼ぶのか」と聞いていたところも画像で流れている。
 さらに、2回目の記念撮影では今度はベルルスコーニが入らなかったという。一体、この人は...

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アクアライン雑感

 千葉県知事に就任する森田健作氏が値下げにこだわるアクアラインは、誰もが認める公共事業の大失敗の実例である。同じく世紀の無駄遣いである3本の本四連絡橋(淡路島を通る一本くらいならいいと思うが)と同様、このところの景気刺激を理由とした値下げで通行量が増している。甘い通行予測で建設を強行してきた結果を採算のとれぬ値下げで通行量を増やしてごまかしているように見えなくもない。
 実は、私が加入している学会の一つは、よく木更津の会議施設を利用する。会員数が多いので大きな会場が必要だが、都内では高すぎるからだと思う。もう2、3度行っている。ところが、市内からも遠い山のなかにあるので、会場併設のホテル以外の場所に飲みにいくには、バスやタクシーで市内に出ないといけない。市内は古い港町だから、探せば風情のあるところもあって、私は木更津の市街での宿泊は嫌いではない。そこのタクシーの運転手に聞いた話。
 木更津の中心街にも寂れたシャッター通りがあるが、結局アクアラインは地元を発展させなかった。百貨店のそごうは撤収した(これ自体はアクアライン建設と直接の関係はないが)。木更津で余裕のある人は地元で消費せず、横浜のデパートや高級店にどんどん行くようになった。とにかく人に来てもらうために、ゴルフ場はアクアラインを超えてバスで横浜方面に客を迎えにいくようになった。
 本四連絡橋にしても、四国に企業がやってくるというよりは、若い人がどんどん都会へ逃げていく橋になっているのではなかろうか。
 それにしても、映画になった近未来SF漫画「20世紀少年」が、アクアラインの人工島「海ほたる」を陸から途絶した海上の刑務所にしていたのは、なかなかの政治風刺だった。「800円にできないなら、アクアラインを壊してくれ」という森田氏の麻生首相への言葉。本当にそうしたら?
 

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G20+4?

 世界金融危機の発生以来、国際経済協調システムがうねりをあげて変貌しつつある。今回のG20首脳会議もまず参加国・機関から確認しないといけない。
 今回はロンドン・サミット専用のHPがあって、わかりやすい各国情報もある。
 前回、フランスが兼ねるEU(国家でないが正式メンバー)議長国枠を使う?形で招かれたスペインとオランダが、G20でないものの、サミット招待国になっている。同様の待遇が、ASEAN議長国のタイ、NEPAD(アフリカの開発のための新たなパートナーシップ)議長国のエチオピアである。EU議長国は1月からチェコ(政府が不信任になってしまっているが)になっているから、これも参加している。こういう形が定着するのだろう。
 ASEANの位置づけが高まったことが私には印象的だ。加盟国のインドネシアがこれと別に国として参加しているからなおさら。

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