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伴侶動物

 自分が知らない世界で、言葉が大きく変わっている。私はペットを飼わないので、本屋で「伴侶動物」という言葉がタイトルに入った本を見て、少し驚いた。
 私のイメージの「伴侶」という語は、サルトルにとってのボーボワール、いや、今風(男女の順にしない)に書くと、ボーボワールにとってのサルトルか、あるいは(順を元に戻すけど)トリアッティ(かつてのイタリア共産党書記長)にとってのヨッティで、正式の夫婦でない男女のペアのイメージがあった。もちろん、正式の夫婦でも伴侶といっていいわけだが、その場合は単なる夫婦でない、何か精神的な強めを感じる。
 実際、「愛玩動物」たるペットに代わって用いられてきている「伴侶動物」(コンパニオン・アニマル)も、飼っているというより共に生きることで精神的な豊かさにつながることを評価したものだと思う。こういう語を使うことは動物にもいいといえる。
 ただし、やはり一抹の不安を感じないわけでもないのだ。まさに家族同然となることで、特に独居者にとってリアルな家族の代替となって、結果、ほかの人間よりも大事ということになりはしないか。動物が潜在的に持つ野獣性を発揮してかみついてきても、他人が殴ってはいけないだろうか。その結果、動物が負傷した場合、器物損壊でなく、過剰防衛になるのだろうか。
 栄養バランスまで配慮された特別食を食べ(「食い」と書いたら怒られそうだ)、美容院にも行く「伴侶動物」。その金があれば、何人の飢えた人が救えるか、というのは、余り正しくない想像かもしれない。なぜなら、お金を飢餓に回しても容易に付加価値(元気になった人が何か生産的なことをしてくれる状況)は生じないだろうし、逆にペット産業から失業が出る。
 頭では分かっている。でも腑に落ちない。

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