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やそだゼミで読んだ本、読んでいる本(3)

 新学期の慌ただしいなか、ようやく頭が授業をする体勢に戻ってきた。今年から担当する、コースを選択した2年生に社会科学の手ほどきをする授業で何をやるか考えてテキストに採用したのが、ジャック・アタリ『21世紀の歴史』(作品社)。Attali

 そんなベストセラーを使うなんて、何と安直な、と言われそうだが、理由はそれなりにある。
 実は最初に使おうとしていた本ではない。最初は、ヤーギン&スタニスロー『市場対国家』(上・下2巻、日経ビジネス人文庫)を使おうとしていたのだ。これは、戦後の経済計画やサッチャリズムについてもよい案内になるのだが、必要な部数が集まらなかった。経済学部ではないので、経済史に特化した授業もなく、でも世界金融危機を歴史的に資本主義を振り返る形でじっくり考えたいと思っていて、かつ時事的情報から先を読む練習ということをするためにも、その基盤になる知識や思考、勘の働かせ方を勉強させたいと思った。アタリの本には最初のほうにこのためになるような部分がある。
 社会科学における未来予測というものについても、少し考えて見たかったのが、一つ。若い学生たちにとっては未知のトフラーやセルヴァン=シュレヴェールなどが何で読まれたかも一通り話しておかねばなるまいし、ダンコースやモントゥイユのソ連の崩壊、変質の予測も思い出すし、もっと言えば古典中の古典、マルサス『人口論』だってある意味そう。そそっかしい反共主義者たちのように、マルクスの本を「はずれ」(革命が先進国でなくロシアで起こった、など)と言っても意味がないことも言っておかねばなるまい。
 書いてあることが当たるかどうかということよりも、何を根拠にどこまで言えるか、ということを考えてみる。例えば、アタリの日本の将来への評価は厳しいが、韓国の将来への評価は意外なほど高い。これなどは欧州市場で韓国のサムスンが伸びていることと無関係ではないのではなかろうか。でも、日本の技術の「ガラパゴス化」(日本の携帯電話のように、世界が求めていないところまでオタク的に技術が高度化)が、安価でそこそこ品質のボリュームゾーンに合っていない現状も確かにある。フランス人特有の「自分の判断自信持って断定」調、「鬼面人を驚かす」調も、それ自体面白いだけでなく、いろいろな楽しみ方を学生に教えたい。
 それにしても、最近私が気に入ってしまう本は、アンデルセンにせよ、アレグレにせよ、みな林昌宏氏の訳である。私がフランス好きである大前提のほかに、やはり訳文が読みやすく、頭に入ってくるからだと思う。とにかく、なかなか横文字に手を出さない学生にも英語以外の言語で書かれた良書の良訳がたくさん出るのは助かる。奥付を見ると、林氏は私と同年(1965年)のお生まれであった。ヨーロッパ研究者にも意外に同年生まれの人が多く、センスのいい人たちの年、と勝手に思い込んでいる。

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車を買わないといけないか

 25歳以降、もう10数年もペーパードライバーを続けている。大学は不便なところにあったので、親が安い中古車を買ってくれ、6年間は乗っていた。片道半日かけて帰省もしたし、友人たちと河口湖に行って、さらにディズニーランドから房総半島を館山まで行ったこともある。
 都内の会社の寮に駐車場がないということで廃車にしたが、まだ全然乗れる状態だった。それ以後、都会にいるのと、会社を辞めてからは車を持つどころか、生きるのに精一杯という感じ(いや派遣社員と同じくらいは稼いでいるのだが、学問をやっているので、どうしても余裕がないのだ)だったので、持つという選択肢そのものがなかった。
 現在、ようやく中古なら持とうと思えば持てなくもない(楽ではないが)生活水準で、かつ必要性が出てきている。
1.体力的にいろいろなものを担ぐことがしんどくなってきている。もうリュックもしんどい。
2.歩ける範囲内での消費に飽きてきた。
3.地方都市の中心にあった実家が商店街のシャッター化、中小スーパーの撤退、大型店の郊外への移転で不便な土地になってしまったこと。もう食品はもちろん、本も家電も歩いて買いに行けるところにはない。
4.学生を連れて合宿に行くにも、行った先ではやはり車があったほうが便利。
 要は、自分の体力の衰えを機械でカバーするということと、この年になっての社会的責任というものを果たすにも必要だと言うことだ。運転はあまり好きではないけれど、本当に乗れなくならないうちに、乗り始めておかないといけない。金がかかるな、心配事も増える。眠っても人を轢かない車、誰か作ってくれ。

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連休はリスク、喜ぶことをやめよう

 連休がうれしいのは、当然の気持ちだ。この間にいろいろなことが立て直せる。しかし、長いバカンスが取れるヨーロッパ諸国では、国民の祝日はむしろ少ない。ある人が休暇を使わずに貯めすぎると、労使双方がその人を強制的に休ませる(企業は義務を果たすため、労組は権利を守るため)ことすらある。
 日本はたぶん世界のなかで最も祝日が多い国の一つで、国が強制的に日程に入れないと休めないという、むしろ日本の休暇取得の貧しさを語るものであることは、かなり知られてはいる。しかし、ここに来て、新たなリスクが出てきた。
 非常勤など不安定な日銭稼ぎをしているとき、連休のある5月の給料が少なくなり、頼むから仕事をさせてくれ、と思ったことがある。実はそれ以上のリスクは、現在のような病院、医者不足で、休日に病気になったときの心配である。そうでなくとも、みな一斉に休むということから、レジャーも過密、集中という問題がある。
 連休は実はリスクだ、という認識はあるか。民主党政権で休暇の取得は進むか。

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「不肖・宮嶋」は正しい用法?

 前々から違和感を感じていた表現に、表題のものがある。私の勝手な思い込みかもしれない。もちろん、「不肖」が謙った表現だということは知っているが、正しい用法を調べようと思っても、普通の国語事典でははっきりしない。ネットのさまざまな実例では、辞書にも意味が出ている「わたくし」という意味で広く使われている。
 私の記憶では、私が子供のころ見た、江藤淳がシナリオを書いたNHKの歴史ドラマ『明治の群像』では、伊藤博文が(もちろん江藤が脚本でそう語らせているわけだが)「不肖博文」と自称していたのだ。つまりは、総理大臣・伯爵(後に公爵)になったとはいえ、もともと下級武士、明治維新のさまざまな諸先輩の前では、苗字を偉そうに語るような、そういう大層な者ではございません、という意味合いで使っていたのだ。ただ、そうとも言い切れないニュアンスもあって、博文の名にかけて、というニュアンスや、あるいは歌人や俳人の号(「芭蕉」とか「一茶」)のように、下の名前にプライドのようなものを持っていたような気もする。誤解かもしれないが、明治維新までは武士以外に苗字がなかったことも、そういう意識に影響しているのかと思っていた。ただ、第三者に使う「某」とも違うし、単純に「わたし」でもない気がする。
 これは、まったく専門ではないので、自信が持てないのだ。正直、専門の方に教わりたい。もちろん、体当たり取材で、世界の紛争地に行くカメラマン、宮嶋茂樹氏の本や記事は私も大好きだ。手元にも何冊かあるので、愛読者と言ってもいいだろう。
 国語辞典の用例で、「不肖の弟子」というのがあるが、これを師匠が言うのでなく、弟子のほうが自称に誤用している例もよくあるようだ。どうも、この言葉、しっかり調べないと恥をかきそうだ。だから、結論はここでは、ペンディングにしておく。もし、私のほうが間違っていたら、ここで謝ります。

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「教育大式」史書講読

 どんな学校、どんな会社にも、自分たちが開発したという「○○方式」という勉強や仕事の仕方があって、外部には全然有名でなく、実際にはどこか他でやっていてもおかしくないというものがある。
 私が出た筑波の前身は東京教育大学(もう知らない人も多いだろう)といい、この大学は名前に反して、教育学部だけでなく、文学部、理学部、農学部、体育学部の5学部を持つ総合大学だった。これは、それぞれの前身が東京高等師範学校、東京文理科大学、東京農業教育学校、東京体育専門学校なので当然なのだが、進学校で有名な筑波大附属駒場中学校・高等学校は、実はもともと農業教育学校の附属で、私も教育実習に行ったが、確か水田を持っていて、今も校長は筑波大の農学(今では生物資源学?)の教授が兼任しているはずだ。
 私がいた西洋史学は、教育大時代に筑波移転に反対した人が多いらしく、教育大では西洋史は強かったのに、その名残は私の恩師ともう一人だった。その恩師が教えてくれたのが、「教育大式」史書講読である。
 恩師は、西洋史学につきものの「史書講読」の際に、例えば、フランス革命の理解にドイツ語のフランス革命研究書を読むような、渦中の事件が起こったその国の言語でない言語で読ませようとする。それは、ヨーロッパはどの時代でも各国が単独に動いていたのでなく、国境を越えた政治、経済、社会の動きに敏感になるためと、その国特有の歴史解釈、文体などを客観的に批判的に見る視点を身につけるためで、実際に教育大時代には、そのような本を選んで読んだという。
 おそらく、そこには、フランス革命を研究するなら、フランス語の本は自分でたくさん読んでいて当たり前、その上にさらにドイツ語でも読むようでなければ、という、とても気合いの入った教育方針もあったのだろう。
 私は西洋史学ではドイツ語が主流のなかでフランス語を選択し、西洋史学専攻に入ると、案の定、ドイツ語とスペイン語を読まされた。もちろん、手に負えない。友人と共同戦線を張り、当たらずとも遠からずの訳で先生を誤魔化しつつ、何とか乗り切った。ときどき、西洋史の授業ではラテン語も出てくるぞ、ということで隣接の言語学のラテン語も取りに行ったが、私は、柳沼重剛先生(岩波文庫のプルタルコスの訳者)の落語のように面白い余談ばかりを楽しみに授業に出ているダメな学生だった。途中、イタリア語と出会ってしまうが、いまだに自慢できるほどの語学力はない。
 本当に不勉強だな、と思う。

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アマチュア・コード

 私の父は昔、社団法人日本アマチュア無線連盟という団体の理事(あくまでアマチュアであって、これは仕事ではない)をしていた。この団体にアマチュアのあるべき姿をうたった「アマチュア・コード」というものがあって、これはすばらしいと常日頃、思ってきていた。
1.アマチュアは、良き社会人であること
1.アマチュアは、健全であること
1.アマチュアは、親切であること
1.アマチュアは、進歩的であること
1.アマチュアは、国際的であること
 つまり、アマチュアは、本業をおろそかにしてはいけないのであって、オタク的に閉じこもるのでなく社会に開かれたものでないといけない、ということだ。特に、結構歴史ある団体が早くから「進歩的」「国際的」という言葉を入れている先見性に驚く。
 しかし、これらはどの仕事にも結びつくものではないか。例えば、試みに「アマチュア」のところに「大学教師」を入れても違和感はまったくない。あることを好きになるということは、このように素晴らしい言葉を生むことがある。趣味を甘く見てはいけない。

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富山弁の実例

 首都圏に出てきてからいつの間にか25年になった。会社勤めの2年余り以外は大学とその周辺にいて、途中大阪にも2年半いたわけだが、感情が入ったとき、言葉は富山弁になる。あるとき、父親と電話で話したあと、ゼミで(講義ではまずないが)いきなり富山弁で3分ほど話してしまい、自分で気づいて驚いた。たぶん、よく知る学生たちとの親近感で錯覚したのだろう。
 ただ、富山弁がどんなものかは、なかなか説明しにくい。県民性を暴露する番組で、富山県出身の柴田理恵が語ることも、彼女が県中南部の「おわら風の盆」で有名な八尾(やつお、現在は富山市の一部、渡辺淳一『愛の流刑地』にも登場)出身なので、県西部出身の私には違和感がある。
 しかし、立川志の輔は私の母の出身地、新湊(しんみなと、現在は射水市の一部)の生まれなので、富山弁を話すときは、かなり私の生来の感じに近い言葉だ。
 よく、語尾や節目に「〜やろ(〜だろう)」とか、「〜やし(〜だし)」というので、関西弁に似ているかというと、大阪弁ほど強くないし、やや柔らかいところは、京都に似たところもあるが、それほど上品でもない。意味のない「〜が」がやたら入る。「先生、おやつにバナナは入るがですか?(おやつにバナナは入るのですか?)」
 ネット上にも紹介がたくさんある、県内だけで有名な「富山弁かるた」を参考に、実際の会話や、単語でお教えしよう(迷惑か?)。ただし、県内にも微妙な差があり、ここでは、全県共通のもの以外は、県西部の言葉で紹介する。
 会話で、たぶんいちばんよく使うのは、「きのどくな(気の毒な)。」ありがとう。相手に気を遣わせているという意識。贈り物をもらうときにも使う。
 私がいまだに東京でもすぐ出てしまうのが、「な〜ん。」いいえ。短いヴァージョンもあり、「なん、ちご。」いいや、ちがう。「なん、ちごちゅが。」いいや、違うと言っているだろ。
「全然」の意味でも使う。「寒いがか?」寒いのか?「な〜ん、さむない。」ううん、全然寒くない。他県の人を迷わすのは、「なん、つかえん」。これは「使えん」ではなく、「(差し)支えん」の意味で、「全然構わない」。「この消しゴム使(つこ)てもいいがぁ?」この消しゴム、使ってもいいの。「なん、つかえん。」全然、構わないよ。
「〜したら」と勧める場合は、「〜られ」。「富山に来られ。」富山に来てね!(来たら?)。「〜せんまいけ」は、英語のLet's do it. (〜しよう)
「ねぐさい(根臭い?)」汗をかいた後、放っておいた服のように、なんともきつい臭さを表す。
 以下は、特徴的な単語。
「おつくわえかく」正座で座る:柴田理恵の生まれた県東部では「おちんちんかく」と言う(テレビでも紹介)が、県西部ではこう言う。
「きときと」新鮮な
「ごんぎはん」お坊さん:「〜はん」は敬語。
「じゃまない」構わない
「ずらかして」「ずらかいて」どけて
「つんだって」連れだって、付いていって
「はしかい」賢い、ずる賢い場合にも使える。機転が利く、判断が速い感じ。
「ぼんぼする」おぶる
「わかはん」長男
 こういう高岡(富山県西部の中心都市、東京と同時に市制施行した30数都市の一つ)の情報は、同じニフティで「姫」さん(私の恩師を「〜ちゃん」と呼んでます)が書いているブログ「折おりの記」に詳しいです。先週は、開町400周年を祝うイベントが行われ、勝野洋、浅野ゆう子が前田利長夫婦を演じたようです。カラー写真で出てます。
 ところで、何でこんなこと書いたのかな。疲れているのかなぁ。
 

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モレッティの映画DVDフェア(ローマで)

ナンニ・モレッティの初期から最近までの映画DVDのフェアやってます。ローマのヴィットーリオ・エマヌエーレ2世通りのフェルトゥリネッリ書店で。ネット通販では買えるのかな?

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アーヴィング、イタリアに

ホロコースト否定派(本人は否定でなく相対化という)の歴史家デーヴィッド・ジョン・アーヴィングがイタリア北東部の町ウーディネに来ている。地元の修正主義的サークルの招きによるという。まだこういう団体があったのか。

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ベルルスコーニ時代の終わりの始まり?

今朝のレプッブリカの論説で創刊者のスカルファリが表題のような趣旨で書いている。モンテツェーモロ・フィアット会長に、中道右派から離れたUDC、中道左派・民主党のハグレ鳥ルテッリ元ローマ市長による「大中道」成るか?

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ドコモ大丈夫?

学生と那須で合宿したとき、ソフトバンクもauもつながったのに、私のドコモはアウト。どうして。

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マイク・ボンジョルノ死去

イタリアのテレビの大スターが去った。追悼番組放送中。どのくらいすごい人かというと、日本でいうと、大橋巨泉とタモリと久米宏を足したくらいのテレビの申し子。あるいは、宮田輝と高橋圭三を足したくらいといったほうが年代的に近いかも。この人が決まって言う言葉が「アッレグリーア!」

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自民党的コミュニケーション

 細田幹事長(自民)と岡田幹事長(民主)の鳩山論文に関するテレビでのやりとりを見て感じたこと。
 細田氏のそれは、相変わらずの自民党的コミュニケーションだった。それはどういうことかと言うと、
 1.長く政権にあって官僚からの情報を独占し、それを使って自分の智恵のように語り、情報不足の野党や批判者に「不勉強」のレッテルを貼る。(しかし、情報公開への取り組みは甘い)
 2.知的なものを馬鹿にする。かつて、ハマコー氏などが知識のある学者(よく「勉強」している人)に、ことさら非論理的な言挙げで、やはり「不勉強」のレッテルを貼っていたのと同じ。
 細田氏はこれまで海外の有力メディアに引用されるような論文を書いたことがあるのか?
 民主党の外交政策に納得しているわけではないのだけれども。

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黒磯

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 那須湯本に行く途中の鉄道最寄り駅のある町、黒磯。昔の黒磯銀行の建物が文化財に指定されていて、中が「カフェ・ド・グランボワ」というおしゃれなカフェテリアになっている。ランチも紅茶も手をかけたおいしさ。日本の近代建築の特徴のある高い天井、落ち着いた色のシャンデリア、ランプ、精工舎(セイコーの製造部門の前身)の大きな時計(今も動いている)。
 しかし、近くにある和菓子屋「明治屋」の店頭に、「黒磯再生」を訴える記事の切り抜きが。その向かいの商店街は、この町も、シャッター。和食も洋食もおいしいお店があるのに、町はとても静か。惜しい。

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千体地蔵、殺生石、生きる

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 ゼミの学生を連れて、那須湯本近くに来ていた。湯本に「鹿の湯」という古い温泉があるのだが、そこで硫黄泉に浸かったあと、山のほうを見ると、広々とした丘陵に多数の石が置かれている風景が目に飛び込んでくる。
 あの世に行ったかのような、不思議な風景が広がっていた。普通の地蔵と違って、合わせた手を高く掲げて祈る千体地蔵。
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 賽の河原での石積みのように、大きい石に小さい石を縦に積んだ石群のいちばん先にある殺生石。親不孝な坊さんが熱泉で罰が当たったといういわれがあるようだ。
 芭蕉も句を詠んでいるようだ。
 最後に近くの神社に笑うくらいみごとなミズナラの樹を発見。その名前「生きる」。両手を挙げてヤッターと言ってるような元気な樹。面白い木なので、私と学生たちの健康を祈って、お賽銭を入れておいた。
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 この地は生死の象徴のような面白いコントラストを用意している。その中で湯浴みするわれわれ、生きている人間。

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犬税

 久しぶりに買ったせいか、AERAの記事が面白い。日本とはかなり違うドイツの犬事情を紹介(内容は営業妨害になるので詳述しない)しているが、そのなかでドイツの地方自治体に犬税があることを紹介している。日本でペットショップの営業が野放しで捨て犬や行政処分が多いなか、安易なペット購入の抑止にもなるとして犬税導入の検討を提案している。これは妙案だ。
 私は、貧困に苦しんでいる人が少なくないのに、街中で犬が多く飼われていることになにか違和感を持ってきた。いろいろな犬をこれだけ世界中から買ってきて養いながら、人間を養えないというのは、どんな国なのかと。犬を飼う余裕のある家には課税してもいいのではないかと。
 また、ヨーロッパについても逆の偏見を持ってきた。オランダで動物愛護党が議席を獲得したとき、彼の地はついに人権から動物の権利にまで行き過ぎた脱線をしているのではないかと。
 誤解だった。ヨーロッパはそれだけ動物には深い配慮をしている。適切な飼育ができず相応しい住居を持っていない人には犬を飼わせない、売らないということもあるようだ。

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総選挙報道から

 総選挙終了後、週刊誌のなかでいち早く出たAERAを読んでいたら、二つほど気になる記事があった。
 片山さつき氏に関する記事で、彼女が学生時代、母校(東大?)に視察にきたサッチャー英元首相の随行者が小泉純一郎だったこと。政界通には有名な話なのかもしれないが、象徴的な話だ。
 武部勤元幹事長のお膝元、北海道北見市で「小泉・武部時代の終焉」という佐藤優、香山リカ両氏などによるシンポジウムが開かれていたこと。面白い企画をする人もいるものだと思って、ネットで検索をかけると、主催したのは、「フォーラム神保町」というメディア関係者の勉強会だった。いろいろなシンポジウムや講座を開いていて、会員優先だが会員以外にも開かれているものもあるようだ。佐藤優氏の神学講座だけでなく、佐藤優氏とハーバーマスを読むという企画も過去にはあったようだ。この界隈で働いているが、こんな面白いことを近くでやっているとは知らなかった。
 

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