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「不肖・宮嶋」は正しい用法?

 前々から違和感を感じていた表現に、表題のものがある。私の勝手な思い込みかもしれない。もちろん、「不肖」が謙った表現だということは知っているが、正しい用法を調べようと思っても、普通の国語事典でははっきりしない。ネットのさまざまな実例では、辞書にも意味が出ている「わたくし」という意味で広く使われている。
 私の記憶では、私が子供のころ見た、江藤淳がシナリオを書いたNHKの歴史ドラマ『明治の群像』では、伊藤博文が(もちろん江藤が脚本でそう語らせているわけだが)「不肖博文」と自称していたのだ。つまりは、総理大臣・伯爵(後に公爵)になったとはいえ、もともと下級武士、明治維新のさまざまな諸先輩の前では、苗字を偉そうに語るような、そういう大層な者ではございません、という意味合いで使っていたのだ。ただ、そうとも言い切れないニュアンスもあって、博文の名にかけて、というニュアンスや、あるいは歌人や俳人の号(「芭蕉」とか「一茶」)のように、下の名前にプライドのようなものを持っていたような気もする。誤解かもしれないが、明治維新までは武士以外に苗字がなかったことも、そういう意識に影響しているのかと思っていた。ただ、第三者に使う「某」とも違うし、単純に「わたし」でもない気がする。
 これは、まったく専門ではないので、自信が持てないのだ。正直、専門の方に教わりたい。もちろん、体当たり取材で、世界の紛争地に行くカメラマン、宮嶋茂樹氏の本や記事は私も大好きだ。手元にも何冊かあるので、愛読者と言ってもいいだろう。
 国語辞典の用例で、「不肖の弟子」というのがあるが、これを師匠が言うのでなく、弟子のほうが自称に誤用している例もよくあるようだ。どうも、この言葉、しっかり調べないと恥をかきそうだ。だから、結論はここでは、ペンディングにしておく。もし、私のほうが間違っていたら、ここで謝ります。

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