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来春、児玉先生とEUを講じます

 NHK文化センター青山教室で、来年の1月から3月、「初心者のための西洋史入門 2つの大戦からEUへ」(6回のシリーズ)という講座を、久留米大学法学部の児玉昌己先生と担当します。もちろん、児玉先生が主たる講師で、私はそのお手伝いですが、6回のうち、3回目から5回目、つまり2月の2回と3月上旬の1回、計3回話します。「やそだ総研」「やそだ土産品店」をご覧の方で、「やそだ」はどういう奴か顔を見たいという(物好きな)方がいれば、チャンス?です。もちろん、有料ですが。
 児玉先生は最近も国民投票の行われたアイルランドで調査された後、『週刊エコノミスト』11月10日号の「学者が斬る」に「リスボン条約批准で近づく「欧州連邦」への道」と題した論文を執筆されています。同志社を中心とするベテランのEU研究者の方々が書かれた新刊、鷲江義勝編著『リスボン条約による欧州統合の新展開』(ミネルヴァ書房)にも執筆されていますので、ぜひご覧下さい。この本には、アムステルダム、ニース、リスボン各条約の条文対照もあり、研究者にも便利です。
 私の頭痛は相変わらずで、授業と卒論指導以外はほとんど開店休業状態ですが、このときまでは体調も戻しているでしょう。今日はなぜか左耳がよく聞こえません。宣伝しておいてなんですが、各所への不義理は今しばらくお許しを。
 

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深謀遠慮か深慮遠謀か

 このブログで以前、サンデープロジェクトで紹介された橋下大阪府知事の「大阪府の発展的解消」を「深謀遠慮」と評したが、あとで他の本で「深慮遠謀」と書いてあるものを見つけ、「あちゃー、格好悪ー!」と、日本語の「遠慮」に引きずられて漢語を間違えたと思い、密かに直した。
 ところが、今朝、通勤列車のなかで読んだ『週刊東洋経済』のダイキンの中国市場戦略に関する記事には「深謀遠慮」とある。これはどうしたことかと調べてみた。
 ネットでも質問項目が立っており、いろいろな国語辞典を調べた個人サイトの調査結果もあった。結論は、どちらもあり。むしろ、漢語の「遠慮」は日本語のそれと違い、遠くを見通す意味もあって、森鴎外などもこれを用いているという。だから、私もより漢語っぽい?「深謀遠慮」に戻しました。

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木村多江とフェリーニ

 映画「ゼロの焦点」の犬童一心監督が、女優の木村多江さんに役作りの参考資料として渡したのが、フェリーニの映画で、奥さんのジュリエッタ・マシーナが主演している映画「道」と「カビリアの夜」の映像だったようです。映画の舞台は金沢、北陸らしい曇りばかりの天気。もっともロケ地は、昭和の風景を求めて各地を回ったようです。犬童監督は大映映画も好きだったとか。とすれば、期待できます。でも、今は見る時間がない。

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大前研一とイタリア

 大前研一氏の新刊『衝撃!EUパワー』によると、イタリアの問題の多い政党、北部同盟(現在、ベルルスコーニ政権の連立与党)が地域振興のアイディアを期待してか、大前氏に講演を依頼したことがあるようです。さすがに大前氏は断ったようですが。

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射水市長選の結果

 このページで紹介した、富山県射水市のマニフェスト選挙は、新人の夏野氏が現職の分家氏に勝ちました。同じ自民党系保守層が合併前の地域別に分かれて擁立した戦いで、国政レベルとは全然性格が違いますが、それでも現職を退けた30代の新市長誕生は、新しい風という感じがあります。

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グローバリゼーションを教えるには

 国際関係論を大学で教えるものにとって、実は「グローバリゼーション」というのは、なかなか厄介である。近年特に意識されてきたことでもあるし、定義によっては、歴史的にも古くまで遡ることも可能、要は「何であるか」も「何でないのか」も説明しづらい。さらに理論的な説明からはするりと抜けることもある社会的現象でもある。例えば、コカコーラの世界的普及のような。
 90年代の後半の5年間、社会人を経て二度目の大学院生をしていた私に、おぼろげながら理解のヒントを与えてくれたのは、国際政治の先生や同窓の院生たちの「これは社会学がいちばん説明できる概念だ」とか、「社会学から概念を借りてこないとうまく説明できない」という言葉だった。
 日本の「国際化」(グローバル化とは重なるが、ちょっと違う)に関する、学生の卒論をチェックしていて、海外渡航の自由化が1964年、外国産ワインの輸入自由化が1970年ということが、グローバリゼーションの説明に欠かせない分かりやすい史実だと気づく。クラシックな理論や歴史ばかり教えてきた私は、ゴルバチョフの登場でヨーロッパ路線がソ連(ロシア)上空を飛べるようになったといった程度のことは話してきたが、こういうことは話題にしたことはなかった。でも、まさに必要なネタだ。
Yamashita

 賢い人はとっくの昔に気づいていた。現在、ワインでグローバリゼーションを説明した山下範久さんの著書『ワインで考えるグローバリゼーション』(NTT出版ライブラリーレゾナント)が話題になっています。ウェブ上のインタビューも大変面白い。ご自分の生活を豊かにするためにワイン学校で学び、専門の資格もとって、それを教育や著作で社会に還元されるとはすばらしい。大学院時代から、われわれの知らない世界システム論の深い理解を教えてくれた方ですが、さすがです。
 

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頭の痛みを癒す心の痛み

 学会があって、神戸まで来ているが、頭痛が止まない。仰向けになっていると、動脈の血流が重力に逆らわなくてよくなるからか、少しは楽なので、夜は出歩かず寝ている。出張費で来ているので遊びに行く必要はないが、人の話を聞くことによる情報収集が不足とはいえるかも知れない。
 横になって読んだのは、学術書でなく、村山由佳『ダブル・ファンタジー』。これは帯の惹句にあるような恋愛小説ではなく、書く人、創造する人の、身を切るような苦しみを綴った本だ。著者の苦しみと闘いは読む人に力を与えてくれる。

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カウントダウン

 いろいろな仕事を年越しさせないために、紅白のブログパーツを貼りました。特に学生の卒論だけは絶対に年越しできないので、このカウントダウンから何日か引くと、残り日数が分かるという訳です。もっとも、自分のブログも見なくなるほど、忙しくなる可能性が大。
 時計の音は、NHKの権利のマークの横にあるスピーカーのマークを押すと、オフが選択できます。

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19番目の政令指定都市

 先日、閣議で神奈川県相模原市が19番目の政令指定都市になることが決定された。私が子どもの頃と要件が変わっているので、どの町が政令指定都市か覚え切れていない。
 平成になってから指定されたのが、仙台、新潟、千葉、さいたま、静岡、浜松、堺、岡山なのだが、これらの都市には失礼ながら、仙台と新潟以外はどうも腑に落ちないのである。それまでの都市が人口百万都市ないしは圧倒的な地域の中心で、誰が見ても文句が言えない感じの町々だったせいか、どうもかさ上げの感がある。もちろん、これは一定以上の都市に自治権を強化する地方分権の流れといえるかもしれないが、静岡や岡山クラスの県で政令指定都市があると、逆に県などは要らないのではないかと思えてくる。相模原に至っては、周辺部にも圧倒的な存在感はない。町田と厚木の間の町ということ以外に何か知られているだろうか。せいぜい首都圏最大級のベッドタウンという話ではないか。三つも政令市があるなら、それらを強化すれば、神奈川県など要らないだろう。
 サンデープロジェクトが明らかにした、橋下大阪府知事の(イメージと異なり、実は)深謀遠慮、大阪府の発展的解消こそ、まともな考えに思えてくる。

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富山でもマニフェスト選挙

 超保守県である富山県の地方首長選でもマニフェスト選挙が始まった。県都・富山市と第2の都市・高岡市にはさまれた射水市(いみずし)であるが、これはもともと富山新港のある旧・新湊市と旧・射水郡(大門町、大島町、小杉町、下村)が合併してできた新市(合併後、市長選は2回目)だ。現職の旧・新湊市長大門地区から立った新人候補(県議)が挑む地域間の競争が、この静かなる保守県で異例の動きになったようである。
 新湊(しんみなと)は港町なので、地域的なまとまりが強く、時に県内の他では見られないような気合いが入る。港湾関係で旧・社会党系などもそこそこいて、県内平均よりはリベラルな町だ。地元の新湊高校が甲子園に行ったときなど、人口の5分の1?くらいが応援に行ったのか、町が閑散として「新湊がやってきた」と中央の新聞に書かれたくらいだ。このときは勢いでベスト8まで行ってしまった。普通、富山県勢は1回戦か2回戦で負けるのである。
 大門(だいもん)は全国に知られたものはないけれど、一人著名人を出している。読売新聞の中興の祖にして日本プロ野球の基礎を築いた正力松太郎である。

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北日本新聞が夕刊休刊へ

 富山県の最有力地方紙『北日本新聞』が夕刊を休刊する。夕刊の創刊は1940年、戦争中に中断した後、戦後夕刊が復活したのは、奇しくも自由民主党が結党した1955年だという。全く関係はないが、自民党政権と同じ寿命だったわけだ。富山は自民党が負けない(今回は1区は負けた)超保守王国である。
 もともと人口100万人程度の小さな県だし、メディア環境の変化からやむを得ないだろう。ただでさえ小さい市場に、ほかに石川県の『北国新聞』の姉妹紙『富山新聞』もあるし。持ち家率は全国一、生活保護受給率は全国最低なので、決して貧しい県ではないのだが。

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ヨーロッパハウスの移転

 三番町にあるヨーロッパハウス(EUの大使館にあたる駐日欧州委員会代表部がある)が港区に移転する。ただし、まだ建設が始まったばかりで、実際に移るのは少し先、2011年の話だが、今後のEUの業務の拡大には、今あるところは手狭になるらしい。EU(というより当時はEC)を勉強し始めたときは、ここに公開のライブラリーがあって、よく通ったが、それがなくなってもう10数年経っている。
 80年代後半から90年代初めにかけて、私の学生時代から会社時代は、九段下のイタリア文化会館とここで資料収集するのが、私のお決まりコースだった。両方が閉まる夕方からは語学教室や映画に行くという流れである。昔は蔦の絡まる古風な建物だったイタリア文化会館が数年前に高層ビルに変わり(会館の機能は内部に残っている)、それに続いて、大げさな言い方をすれば、わが青春の名残りが消える。
 新ビルは、EU研究の盛んな慶應にますます近くなる。

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