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下町の味のある日本語

 土日はテレビに面白い番組がなく、爆笑問題や鶴瓶のラジオを聞いたりするが、時々見るのが、東京のあちこちの街を紹介してくれるテレビ東京の「アド街ック天国」。実は、どこかいい場所はないかと引っ越しのヒントにもしている。もっともテレビで紹介されるような商店街のすぐ近くには住めまいが、高級住宅街は問題外として、下町のなかには歩いて行ける程度には近づきたい街もある。
 土曜日に放送された「砂町銀座」では、ときどき東京の下町で聞ける、味のある、いい江戸っ子表現があった。私は裏日本の田舎生まれだが、大阪人のねちっこさが苦手で、東京のきっぷのいい江戸っ子気質が好きだ。
 この街で20代の頃から毎日、長い間、継ぎ足しのダシで味付けした名物のお稲荷さんを作っている80代のおばあさんがいる。「いつまで続けますか?」とのレポーターの問いに、「もう終わりにもしたい。でも、続けられるかぎりは。」と答えていた。「終わりにしたい」ではなく、「終わりにもしたい」。深い、いい味の言葉だ。この「も」の使い方が絶妙だ。
 もう十分やってきた。今やめても誰も文句はいわないだろう。体力的には楽ではない。でも、まだ買ってくれる人がいるのよ。やめるだけが能じゃないんじゃないの。終わりは自分で決めるものではないのよ。いろんなニュアンスが想像できる。

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