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iPad はゼミを変える!かも

 駒場の院生時代に周囲の影響でMac党になった私には、Appleから新製品の広告が次々届く。正直、めったに見ない。そう次々に出ても、いちいち相手にしていられない。Apple信者から見れば、iPhone は持たず、iPod touch に留めている私は、Mac党とも言いかねるかもしれない。
 しかし、今回は無視できない感じだ。新製品の iPad は、両手で持つとちょうどいい大きさのインターネットのできる回覧板のような、薄い板だ。これは、使い甲斐があると思う。少人数のゼミで、テーマにあったサイトをすぐ出して、回覧。コンピュータ室に行かなくても、教室を暗くしてスクリーンに映さなくても、気軽にみんなで回し読みができる。友人たちの気軽な集まりで写真を回覧もいいだろう。
 私には、iPhone よりも欲しい商品。ただ、まだ発表直後で、日本発売は少し後らしい。国内販売開始の通知を予約した。

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凄すぎる本(1)

 忙しいとき、疲れたときでも、気分転換に書店に入って、さらに読み切れない本を増やして、それも悩みになるのがわれわれブックワームの宿命。特に仕事的な「狙い」がないときは、三省堂などより、東京堂のほうが落ち着く。前に堀口大學の伝記を見つけたのもここ。また、凄い本を見つけた。星野秋男『ヨーロッパ・ジャズ黄金時代』(青土社)。英仏独に留まらず、イタリア、北欧、東欧に及ぶ、書名に恥じない射程。名盤紹介もある。驚異。
Jazz

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メモ帳を捨てられるか

 学部生の頃から、ずっとメモ帳を使ってきた。ところが、iPod touch を使い始めてから、メモ帳を使わなくなり、2009年はついにメモ帳には何も書かなかった。毎年同じものでないとイヤなので、ずっと『能率手帳』を使っていたが、今年はメモ帳を買うかどうか迷った。結局、買った。
 i pod touch は、使わない人には、携帯電話の i phone と区別がつかない。携帯を片手にメールを打っている姿は、通勤途上でも見るし、私自身もするが、あまり格好のいいものではない。i pod touch で書いても、メモ帳とまったく同じことなのだが、メモ帳が醸し出す、ひたむきさ、謙虚さ、熱心さというものがそこにはない。
 社会人になったとき、相手の話を熱心に聞くためにメモをとることを指導された人が多いと思うが、正確な記録をとるだけでなく、あなたの話を注意して聞いているという重要なコミュニケーションである。これが i pod touch ではできない。年に一回ほどでも研究者以外で学外の重要な人物に会うことがないとは言えない。その1回だけのためにも、メモ帳の用意は必要だ。
 日本社会でも電子機器には寛容になってきているだろうが、現在でも形だけ民主主義国のロシアと、非民主主義国の中国では、今だにVIPの談話等を高級官僚がメモをとっているシーンがニュースに出てくる。電子機器で使う細い入力用ペンを使えば、少しは印象がよくなるかもしれないが、それでは i pod touch を使う意味が減じるし、たとえ机の上に置いても、あまりいい感じは出ない。ゲームもできる機器だから、遊んでいるようにも見える。
 さらに、i pod touch での入力で漢字等はどうしても文字の変換が必要なので、私などは、やはり直筆メモほど早くは書けないのである。重要なシーンほど、もたもたしてはいけないのである。

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知らなかったこと(2):「~」の読み方

「~」という、日本語で「~から」などの意味でよく使う記号の読み方をご存じだろうか。「波ダッシュ」というらしい。お恥ずかしいことに、私は論文指導をする大学教師でありながら、最近まで知らなかった。「にょろ」とか読んでいた。
 言い訳をさせてもらうと、横文字の論文ではまず見たことがない、日本語でよく使う記号なのだ。もっとも、欧米でも特殊な用途に使うことがあり、まったく使わないわけでなく、wave dashのような英語名称もあるようだ(一般的ではないだろうが)。卒業論文などで、副題を挟むのにダッシュ(-)を左右につけることがあるが、その代わりに、「-」よりかわいい、ということで「~」を使おうとする学生に、横文字ではそういう使い方はしないから、やめておけ、などと指導していた。私自身は「~」がかわいい、というのはちょっと分からない。
 読み方は分かったが、いつ誰がこういう記号を作ったのかが分からない。別に個人名でなくとも、アルファベットのもとを作ったのが、フェニキア人とか、そういうざっくりした民族名、国名でもいいのだが。
 

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知らなかったこと(1):日本サッカーの創始

 好きな人たちの間では知られていることでも、一般にはそれほど知られていないことは多い。私も知らないことだらけだが、大学で教えていると何でも知っていると買いかぶられることもある。
 例えば、日本でのサッカーの起源などは、知っている人は結構多いと思うが、私は特に関心がなかった。学生のレポートを読んで、初めて知った。1870年代に3つの学校で、それぞれイギリス人が中心になって広めたらしい。私の母校とも関係がある。一つは海軍兵学校、『坂の上の雲』の世界ですな。もう一つは、工学寮(現在の東京大学工学部)。最後に、体操伝習所(現在の筑波大学体育専門学群)だという。こういうところに記念碑でもあるかと思ったが、上記の全部が当時の場所から移動しているので、多分ないのだろう。

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やそだが授業の参考にした本(1)

 新シリーズです。私が授業をするときに参考にした、自分の専門外で面白かった本を紹介します。
 勤めているのは女子大なので、ジェンダー科目は多数設定されているが、私が全学共通教育(昔の教養課程)で教えている政治学概論でも、必ず一講、ジェンダーの政治学を入れている。得意分野ではないが、学生には必要な話であるし、私も年に1回は考えないといけないと思うし、無知なので逆に調べてみると面白いものである。
 学生にとっては歴史でしかない「中ピ連」(中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合)などにも言及すべきだと思って調べたが、最初なかなかいい本が見つからなかった。しかし、東京堂書店で見つけた、ティアナ・ノーグレン『中絶と避妊の政治学 戦後日本のリプロダクション政策』(青木書店)で、この問題の複雑さがよく理解できた。
Abortion

 この問題を包括的に論じた、アメリカ人研究者の博論だが、歴史に取材した政治学のいい博論の見本のような本だった。日本でなぜ、経済的理由での中絶の合法化が1948年と世界最速といってもよい時点で可能になり、ピル解禁が1999年まで遅れるという、世界から見るとまったく逆の政策ができたかを解明した本だが、種あかしをここですることはせず、面白かった点のみ挙げる。
 まず、印象に残った「そんなことが」という事例は、別件で有名な村上正邦が宗教団体(ここでは名は秘す)の支持を受けた中絶反対の急先鋒で、参議院の委員会で「刑法第212条」と題した反中絶の歌を歌ったこともあるというエピソードだ。
 また、中絶が先行した結果、日本のフェミニストは当初、むしろ中絶の制限が厳しくなることを恐れて、あまりピル解禁を支持していなかった(だから、中ピ連はフェミニストのなかでも浮く)ことも、まさに経路依存で、日本社会が世界とは異なった思考や慣行に染まっていたことを物語る。
 歴研からもちゃんとした論集が出ているようなので、やはりよく勉強しないといけない。でも、授業が終われば、また別の仕事。この問題は、また来年に。

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tea party

 アメリカでオバマ政権を「大きな政府」だとして批判し、増税にも、連邦予算の増額にも、特定企業への緊急支援にも反対する、その名も tea party (Taxed Enough Already=すでに十分課税されている=現状でも税金は高すぎる)が広がっている。この植民地時代にイギリスに科された税金に反対し、アメリカ独立のきっかけとなった「ボストン茶会事件」にちなむ政治運動は、明確な指導者もなく、一元的な組織もない(だからニュースでの表記は複数形のtea partiesだ)、デモやネットで各地に広がった草の根の運動だ。欧州で初期の「緑」の運動が各地域で同時多発的に広がったのに似ている。必ずしも右派や保守でなく、減税を推進しない穏健な共和党員にも噛みつく。
 これをニュースで見た、私の反応は二つ。
 まず、高校の同級生、蔵研也氏のリバータリアニズムに関する著作を再読したくなった。
 第二に、しばらく追うのをやめていたイタリアの大衆扇動家のベッペ・グリッロと比較したくなった。既存の政治家を左右問わずこき下ろすことで人気を得た人である。この戦後イタリアに一時あった「凡人主義」(クワルンキスモ)の再来ともいうべき人物と、今のアメリカのムードは何か似ている気がする。

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『青山栄次郎伝』の写真

「パン・ヨーロッパ」構想で知られるヨーロッパ統合運動の先駆者の一人、オーストリア貴族のリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギ伯爵の母が日本人の青山光子であることはよく知られている。
Kalergi

 林信吾氏の新著『青山栄次郎伝 EUの基礎を築いた男』は、クーデンホーフ=カレルギ伯のミドルネームの一つに日本名の「栄次郎」が入っていることから決めた表題だろうが、これほど現実から遠い表題はない。帯の惹句にある「鳩山由紀夫に『友愛』を伝えた男」という、おそらくは著者というより出版社側の販売戦略によって、かなりの無理が生じていると思う。この問題点については、すでに児玉昌己教授(久留米大学法学部)がブログで指摘している。
 実際には、クーデンホーフ=カレルギ伯が「友愛」を伝えたのは、鳩山一郎(首相、自民党初代総裁)であり、現首相は祖父からその理念を受け継いだのである。この点については、林氏も参照している、戸澤英典氏(東北大学法学研究科)によるクーデンホーフ=カレルギ研究のホームページ「RCK通信」の記事が参考になる。
 内容については、別の機会に検討したいが、私個人にとってうれしいこともある。それは、この本の中身の扉、グラビア、および帯と3回も用いられている写真は、鳩山一郎の妻(現首相の祖母)鳩山薫女史(共立女子学園第7代学園長でもある)とクーデンホーフ=カレルギが共立女子大学前で撮影したものであることである。現在、共立でEUを教える私が学外で話すときに小ネタとして使える材料を提供してくれた。この点だけは、まず著者に感謝しておきたい。
Coudenhove

 ところで、児玉先生(メイン)と私(サブ)が、NHK文化センター青山教室でEUの歴史に関する連続講義をします。「初心者のための西洋史入門 2つの大戦からEUへ」という科目です。児玉先生により初回は終了しましたが、まだ5回あり、うち3回(第3回から第5回)を私が担当します。途中からでも、申し込めます。以上、CMでした。

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通信教育はEUと同い年?

 地下鉄の車内広告で、日本女子大学の家政学部に通信教育課程があることを知った。法政、慶應、中央、日本の各大学と5大学合同の通信教育説明会の案内だったが、当然、文学、法学、経済学の通常、通信教育としてイメージできる文系学部のほかに、家政学部の通信教育があったのは意外だった。もっとも、私の勤め先でもそうだが、今日の家政学部は、昔と違い、洋裁や食物に留まらず、生活デザインなども含む。
 大学での通信教育というものも、これらの大学では60年の歴史があるという。日本女子大学には、大正期に既にあったし、戦後すぐ慶應や法政でも始まっていたようだが、通常の課程と同様に正規の大学課程として認定されたのが、1950年だったようだ。復興途上にあった占領下の日本では、まだ大学進学者は少数派で、苦学していた人も多かっただろう。
 同じ年にEUのもととなるシューマン・プランが発表されている。つまり、変な言い方だが、EUの歴史と日本の通信教育の歴史はほぼ同じ長さ、ということ。

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21世紀の大学の条件

 先日、顧問をしている学生サークルの会合で早稲田界隈に行った。地下鉄駅の地図で、駅近くに「国境なき医師団」の日本事務局があることを知る。ということは、この著名な国際NGOが早稲田大学の近くにあるということになる。
 もちろん、これは、たまたまそこに物件があっただけかも知れず、早稲田大学と関係はないのかもしれない(早稲田に医学部はないし)。しかし、物件を選ぶときには、付近に大学があるということは、他の物件よりは魅力的だったのではないか、と勝手に想像した。
 そう思ったのは、以前、ここで書いたように、明治大学に「ヒューマン・ライツ・ウオッチ」の東京オフィスがあることを知ってからだが、校舎の内外を問わず、NGOやNPOと連絡がとれることはこれからの大学に重要である。本来、じっくり考える学識と現場の知恵や経験は相互補完的なはずだ。都心にある大学は各種機関へのアクセスもよく、情報源や行事の開催場所としても重要なはずだ。
 女子大も、ジェンダーを授業だけで教えるのではなく、女性に関する諸問題に取り組むNGOやNPOが間借りしていてもいいのではないか。
 

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NHKがいちばん、セクシー

 冗談交じりだが、時にアメリカ人の視点から、本質的なモノの見方を教えてくれるデーブ・スペクターも以前語っていたが、NHKの番組が日本では最もかっこいい(セクシー=ブレア英前首相の語法で)ことをしている。
 SPEEDの上原多香子がトルコにベリーダンスを習いに行った1月3日放送の番組は、最後に彼女にベリーダンスを踊らせることでエンターテインメントとしてもよくできていたし、教養番組(指南役のベリーダンスの名手から軍事政権によって一時禁止されたことがあるなどの歴史も引き出している)としても面白い。
 民放でやっていたウルルンごときでは、足下にも及ばないわ。

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幼児学級

 私は幼稚園や保育園に行かなかった。小学生高学年になってから、そのことに気づいて、なぜそうなったのか、と親に聞いたが、「行くかどうか聞いたが、お前が行きたくない、と言ったから」という。判断力のない就学前の子どもの言うことを本気でとったのか、と思ったが、それで特に損したわけでもないので、こちらもあまり気にしなかった。あるいは、当時は必ずしも幼稚園に行くということが当たり前でなかったのかもしれない。他人と一緒なことをするのが嫌いな性格は、子どもの頃からあったから、私自身が上記のようなことを言った可能性はある。ただ、こういうことが当時、一般的なことだったかどうか分からない。田舎では、その程度のことは気にしないし、今のように就学前から詰め込み教育をすることもなく、大らかな時代だった。
 正確には、小学校に入る前に「幼児学級」という小学校のおまけのようなところに就学前の一年だけ通った。今日の日経夕刊に、少子化で小学校に空き教室があっても、保育園にはなかなか転用されないとの記事。私には不思議でならない。

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いま、なぜ、「絆」?

 今日、同じ日に何回もぶつかった言葉。
『週刊朝日』に宮台真司氏の提言。伝統的なコミュニティの崩壊した社会では、近隣と関わらないと生活できない下町に住むなど、意識的にでも人と関わる「絆コスト」を払うことが自分を救うとの見解、まったく同感。以前は宮台氏の書くものに違和感を感じていた私だが、今回はまったく同意できるのは、宮台氏が変わったのか、読者である私が変わったのか。
 NHKの9時のニュースも「絆」を連続して特集。借金のために偽装養子や偽装結婚で安易に改名する人が増加しているとの話。
 しかし、「絆」という、どこか保守的で演歌的なニュアンスを感じる言葉で、社会問題を論じざるを得ないことに、社会の苦境を感じます。だからといって、馴染みのない外来語でこういう問題を語ると上滑りしてしまうし、誰の共感も呼ばず、難しいところです。

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