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湯浅誠氏を追った二つのドキュメンタリー

 先週、このブログでも感想を書いた日本テレビのドキュメンタリーに続いて、今日のNHKスペシャルも派遣村村長だった湯浅誠氏の内閣府参与としての活動を追っていた。同じテーマについて、より長く取り上げてくれたことで、より詳しく知ることができたが、両局の取材や編集の違いも比較してみることができた。
 どちらもいい番組だったが、敢えて軍配を上げれば、日本テレビのほうがシャープだった。30分という短い時間でメリハリを付けざるを得ず、それが分かりやすくなっていたのだが、公設派遣村の対応にキレて出て行く失業者の姿や、温かいお茶が飲めるポットを置く配慮もできない行政に対し、自ら電気ポットを電気店に買いに行く湯浅氏の姿など、当事者により近い目線で番組が作られていたと思う。
 もちろん、日本テレビの番組では分からなかったディテールを50分番組のNHKが教えてくれたことも多数ある。厚労省と東京都の対応は日テレの番組で明らかだったが、今回、NHKの番組は文科省の消極姿勢も明らかにした。管轄するキャパが1500人のオリンピックセンターを500人分しか貸さず(結局800人余りが来た)、職員が休暇だ、改修工事だ、と使用を渋り、貸した後も、館内放送を使わせないという極めて中途半端な対応。これくらいのことが官僚同士の話し合いでは決まらず、大臣や政務官同士の折衝まで行く、時間の無駄。
 財政難でどの自治体も、生活保護という手段を積極的にPRできない状況。できない理由を長々と述べ、当事者に情報が伝わらなくても、それを不作為だとは思わない官僚体質が明らかになったのは、二つの番組とも共通していた。
 日テレでも公設派遣村終了直前に湯浅氏自身が各室を回り再調査をしていたところが映っていたが、NHKのカメラが捕らえていたのは、このやり直しの再調査では、都や社会福祉団体などから集められた人々の前で、湯浅氏がこのようにやるのだ、と自らやってみせていたことである。まさに、NPOでの実践が行政に示された瞬間だった。しかし、これも、先に行政によって行われていた失業者への相談が、初日には館内放送もされず、生活保護などの将来使える手段が明確に示されない、ただ話を聞くだけに終わっている「相談」も多いことを、調査票そのものをチェックして明らかにした湯浅氏などの地道な作業でできたことであった。この場面をわれわれに伝えてくれたことが今回のNHKの番組の最大の貢献である。

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アムステルダムの古本屋

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 残念ながら、この春は、いろいろ仕事もあって海外には出られそうもない。ふいにアムステルダムやブリュッセルの古本屋に行きたくなった。
 児玉昌己先生といっしょにNHK文化センター青山教室で講じている「初心者のための西洋史入門 2つの大戦からEUへ」でも児玉先生の回で取り上げた、クーデンホーフ=カレルギ伯の書いた本を1冊所有しているが、これを見つけたのは、今から20年前にアムステルダムに行ったときである。「行った」と書いたが、実は、私がヨーロッパで最初に足を付けた町はアムステルダムである。以後、オランダが好き(イタリアとフランスの次に)になってしまい、KLMが安いこともあって、経由地ではアムステルダムを選ぶことが多い。
 この本は、王宮付近にある大きな古書店で見つけた。ドイツ語なのだが、オランダの古書店では英独仏蘭なんでもある。
 ああ、今すぐでも行きたい。
 

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ブロガーは現代のモラリスト?

 柄にもなく、前項で哲学書から引用してしまった。自分の身辺や自分の気に入った本の話とかを毎日ダラダラと書くブロガーって、現代のモラリストなのかな?モンテーニュ『エセー』のようなブログはあるか?

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私が好きなスピノザの言葉

「すべて喜びをもたらすものは善である。」フランスかぶれだった最初の大学院修士のときに見つけた、大学でとっていたフランス語の新聞(『フィガロ』だったと思う)の全面広告で引用されていた言葉である。自動車の広告だった。
「喜び」には、フランス語でplaisirが当てられていたから、「快感」「快楽」も含むわけで、20代前半の若者には、こんないい言葉はないな、と思い、コピーして院生室の壁に貼っておいた。だから、「すべて快をもたらすものは、善である」と思っていたわけだ。実際、スピノザも、身体の各器官が持っている本来の機能を存分に活かすことを「喜び」と言っている。
 もちろん、私も必ずしも肉体的な快感のみを目指していたわけではなくて、自分が知りたいと思うことを知ることは快感だから、できれば「研究の意義」なんぞにとらわれず、自分の好きなことがやれればいいと思っていたのである。それ以後、今日に至るまで、良師に恵まれながら、どの人の正統な弟子になることもなく、その恩には報いず、オタク的なテーマだけを追い、学会の片隅に辛うじて生息している。
 しかし、良師の恩は亜流の弟子にも伝わる部分もあって、恩師がそうであったように、学生には、絶対に自分の小さなコピーのような研究はさせず、好きなテーマでどうやったら論文を書けるか、いっしょにフィージビリティーを探っている。そのときに言うのが、自分が面白いと思ったことが、いちばん脳が活性化するのだから、変な義務感で書くな、論文を書くときは、「正しい」ことより、「面白い」ことを考えよ、ということである。
 こういうことは、最近流行の脳科学者も言ってくれる。でも、おそらくは哲学ではずっと前に誰かが言っているのだろうな、哲学の歴史を探れば、すぐ古代ギリシャくらいに行ってしまうのだろうな、と思っている。
 では、スピノザは、どういう文脈で言っていたのか、さすがに大人になって、文脈無視の議論はしたくない。もちろん、ラテン原書に当たる元気はないから、岩波文庫で『エチカ』をパラパラめくっていたら、見つけた。第4部の30項にある。
 実は見つけるのが恐かったのだ。なぜかというと、いくら快をもたらすのが善も、アルコール、ドラッグ、セックスなどの中毒になっていい、とまでいうとは思えない。それはまったく正しいのだが、その留保によって、大抵の哲学とか倫理は陳腐化する。逆に、健康なことが快なのだ、というスポーツ至上主義は、不健康者を排除し、下手するとファシズムに行く。そんなつまらない考えなら知らないほうがいい。
 スピノザは、違っていた。人間は「より大いなる喜び」に刺激されて、それだけ大なる完全性に移行するというのだ。中毒の類は「大いなる喜び」ではないだろう。自分も楽しみながらすばらしい演技を見せるオリンピック選手が感じるのが、こういう喜びではないか。
 さらに気に入ったのが、なぜここまで「喜び」を重視するかである。
「喜びは、我々の利益への正当な顧慮によって統御される限り、決して悪ではあり得ない。これに反して、恐怖に導かれて悪を避けるために善をなす者は、理性に導かれていないのである。」
 恐れるな、大いなる喜びのもとに善をなせ、小心者の保身に付き合うな、と勝手な解釈で読んだ。閉塞的な日本社会に力を与えてくれる言葉だと思うけど、誤読かな?博士論文も書き上げていないから、あまり偉そうなことは言えない。

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沖縄問題の本質を教えてくれる本

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 普天間基地の移転問題の続くなかで、沖縄の問題をもう一度、広い観点から総合的に見直したい人に格好の本がある。大久保潤『幻想の島 沖縄』(日本経済新聞出版社)だ。日経の那覇支局長だった方だが、この本は沖縄問題の理解に必読だと思った。
 例えば、「日本の米軍基地の75%は沖縄にある」という一般的な記述に注意を促す。この数字は、あくまで米軍専用の基地のみであって、全国各地にある自衛隊との共用基地を入れれば、この数字はもっと低くなる。もちろん、著者は沖縄の負担が軽いと言っているのではなく、われわれがまるで他人事のように考えていることに警告しているのである。
 本当に参考になる記述が多い。「沖縄が嫌うのは米軍というより、海兵隊」、沖縄振興策自体の問題性、低い職業意識、会社というより店のような企業、力のある労組がない、沖縄人が多く手がけない観光業、などなど。しかし、著者がとりわけ気にしているのは、「自由な議論がない」こと。
 単純な基地反対論者は好まない本だが、避けて通れない様々な問題点を網羅した、いわゆる「沖縄本」にはない、客観的な事実を教えてくれる本だ。
 学生にもぜひ読ませたいが、自分の担当授業の枠には、うまくはまらない。

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ドキュメンタリーの力

 以前から日曜深夜など、あまりテレビが見られない時間に、民放各局も硬派のドキュメンタリーを組んでいたが、幸か不幸か、テレビ業界もCM減で苦しくなり、高額タレントよりは経費が安いのか、むしろ実録モノは増えている。
 テレビのドキュメンタリーしかできないことはあって、昨夜の日本テレビの湯浅誠氏を追ったドキュメンタリー番組(「NNNドキュメント'10」)も、現場の空気感が伝わってきて、とてもよかった。公設派遣村がうまく機能しなかった原因が、行政が関わることで、行政だけが民間と十分に連繋せず自分たちにできることだけで処理しようとすることにあったことが、よく示されていた。
 公設派遣村を厚労省や東京都が積極的にPRせず、とにかく形だけやることを仕事とし、情報が当事者に伝わらないことに責任を感じないなかで、内閣参与である湯浅氏が書いた文を鳩山首相が読み上げ、You Tubeに載せる。公設派遣村の期間終了後の案内文に、財政難を恐れて、生活保護を積極的に説明に入れようとしない東京都に働きかける湯浅氏。オリンピックセンターに失業者を集めても、各階に温かいお茶を飲めるポットを置くという配慮もできない行政に対し、大晦日に自ら電気店に出向いて電気ポットを1ダースくらい買う湯浅氏。湯浅氏が内閣参与の辞意を示されたのも、よく理解できる番組だった。
 この番組は必ず次の学期に学生に見せる。30分番組で編集すれば25分程度になり、90分以上の授業なら、テレビに安易に委ねず、背景も十分に説明できる。

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眼鏡をかけた滝川クリステル

 トヨタの車、ヴァンガードのCMに出ている滝川クリステルのデイリー・メッセージが、ホームページで見られる。さすが大企業のコマーシャル・サイトだけに、かっこいい構成のページだが、その日々のメッセージのなかに、滝川さんが眼鏡でコメントしているものもあり。私は初見だ。私などは買えない、この高額商品のコンセプトであろう、収入が安定し責任ある立場にいる中年以上の男性の、知的な余暇を過ごすという自己イメージの形成に滝川氏がエールを送るという形である。

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ティモシェンコの三つ編み

 ウクライナ大統領選に敗れたユリア・ティモシェンコ首相の見事な三つ編みについては、ネット上でも高い関心がある。ある説によると、ウクライナ女性の伝統的な髪型だというものもある。また、この人は経済界出身の富裕層の人であることも知られている。
 私が知りたいのは、あの三つ編みは、何を表しているのかということである。伝統を守っていることか、豊かさを表しているのか、貞淑さか、近代性か?

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「堀田善衛展」を見る

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 帰省の合間に、高岡市美術館「スタジオジブリが描く乱世。堀田善衛展」を見る。堀田善衛は私の郷里、高岡市内の港町、伏木(ふしき)の廻船問屋の生まれである。この職種は当時は有力だったが、もはや存在しない。当時のこの地方の一部の有力家庭にあることだが、堀田氏は中学(現在の高校に相当)は高岡中学(現在の高校)でなく、文化の高い金沢で学んでいる。お母さんのくにさんは古い写真で見ても美しい方だが、港湾で働く女性のために富山初の保育所を作った人だということは今回初めて知った。
 この展覧は、一昨年に神奈川近代文学館で行われた展覧の再展示だが、少し変わっていて、堀田善衛の作家としての軌跡をゆかりの品々でたどる第1部と、堀田善衛の作品から様々のインスピレーションを受けた宮崎駿のスタジオジブリが、堀田作品をもとにアニメーション映画を作ったら、こういうものになるというイメージ画を作成し展示した第2部で構成されている。実際にこういうアニメができるというわけでなく、いわば堀田善衛へのジブリならではのオマージュ、リスペクトである。この二つの途中には、堀田氏の評伝『ゴヤ』を記念して、ゴヤの版画の展示もあるが、これは高岡展オリジナルかもしれない。。
 堀田善衛についての説明は不要だろう。ただ、私の世代(「新人類」バブル世代)ではもう評価の確立した著名作家であって、特に岩波新書になった『インドで考えたこと』などは中学・高校の先生も勧めていた。むしろ、私の世代には、堀田氏の前半生のほうが十分に知られていないと思う。
 堀田氏は『朝日ジャーナル』等に寄稿した、政治的、社会的な関心の高い作家だったと思うが、特定のイデオロギーには荷担しなかった。主義主張を問わず、人物としてホンモノかニセ者かを嗅ぎ分ける嗅覚のするどい人だったようだ。例えば、アジア・アフリカ作家会議に参加し、英語でのスピーチで日本の戦争責任をアジアの作家に詫び、ネルー首相にも評価されながら、会議そのものがCIAに支持されたインド政府の影響が強いことを見て取っている。
 それは、中国にいたときに日本の敗戦にぶつかり、日本の戦争の無謀さだけでなく、次に現れた国民党側、共産党側のそれぞれにも混乱と問題性を察知していたことに始まるようである。日中国交回復時に出された武田泰順との対談『私はもう中国を語らない』以降、中国について書いていないことに、堀田氏の考え、思いの深さを感じる。
 『ミシェル 城館の人』は、発刊時の評判だけ聞いて読んでいないかったが、モンテーニュの『エセー(随想録)』を、フランス語の原語に含意される「試み」として読み、宗教戦争時に人間性の自由を求める人として描いたという意図を知り、読みたくなった。
 自らの人生を熟成させるため、晩年にスペインに渡った(最晩年には帰国される)堀田氏、本当にかっこつけない、かっこいい人だ。

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富山でのマニフェスト選挙、進行

 親を見舞って富山の実家に行く日が多くなり、地元の新聞を読むことが増えた。以前、この欄に書いたように、射水市で保守系同士がマニフェスト選挙を行い、現職が敗れたことを書いたが、先週末の滑川(なめりかわ)市長選でも、まったく同じ構図で同じことが起きた。最大の争点はまさに財政であって、「子や孫に借金を残すな」という国政と同じ主張も。箱物建設と中央とのパイプを誇った昔のやり方は、この保守王国でももはや通用しない。

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i アプリでほしいもの:植物図鑑

 iPod touchに有料アプリの「色の辞典」をダウンロードする。「広辞苑」もあったが、8千円くらいなので、すぐには入れない。ほかにもほしいものがある。前回書いた仕事関係でなく、人生を豊かにするために。
 それは、「動物図鑑」「植物図鑑」の類。検索しても見つからなかった。種類が多くて画像データが重くなるなら、日本にもともとあるものや、基本的なものだけでも。旅先で、この花なんだろう、というときにつかえないか。そのためには、花の色による検索ができるといい。
 そこで思ったのだが、はたして、もともとある本のほうの植物図鑑で、白い花とか黄色い花とか、そういう括りの索引はあるだろうか。分類学的な科目でなくて、こういう索引もあってもいいと思うのだが。
 中学生のころ、生物の授業のために買った植物図鑑が手元に残っているが、受験や就職など、人生のキャリアにまったく関係なさそうな、こういう本を開くと、何か落ち着くのは私だけだろうか。

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やそだの授業(1):COP15の教室における再現

 女子大に着任して2年、授業もまさに試行錯誤の連続だった。担当科目は非常勤時代に教えた科目ばかりで、本当に信じられない偶然で枠にはぴったりはまったが、教え方は、法学や政治学の科目がたくさんある大学とは全然異なる環境なので、まったく異なるものを考えないといけない。
 国際交渉に関する説明なども、過程の説明やビデオ以外に何か工夫がないかと思ってきた。特に、COP15(国連気候変動枠組条約締約国会議)のように、最近行われたばかりで、総括したドキュメンタリーもまだないが、触れずにおけない交渉を、少しでもリアルに認識できるような方法がないかと考えた。
 もちろん、頭にあったのは、すでに幾つかの大学で擬似国際交渉体験に使われているシミュレーションである。つまり、学生に各国の外交官や政策決定者の役割を割り振り、各国のポジションや本省からの訓令を伝え、架空の事件(現実に起こっていることとは異なるが、類推は働く事例)を起こし、それに対する各国や国際機関の対応を各自が役割を果たす中でどのように展開していくかという実験授業である。
 ただし、これは事前の準備が相当必要で、各プレーヤーが国際法の基礎と、各国の基礎条件などを十分に把握したうえでないと、できない。法学部や政治経済学部のなかでもかなりレベルの高いところでないと難しい。以前勤めていた大阪大学でもこれを行っていたのは、大学院だった。
 こうしたことは無理でも、ただ教師が口頭で説明やビデオでは、学生には所詮、他人事になりがちである。また、私の担当科目では、これだけに特化するだけの時間的余裕がない。そこで、私が2週間の交渉で目立った発言などをもとに、テレビの再現ドラマのようにシナリオを書き、各学生に役割を与えて、演劇のように演じてもらうことにした。
 少しでも雰囲気を出すように、国際会議用の机上国旗を業者から自費で買った。ちょうど、東京製旗という会社が、机上国旗のバーゲン(ただし、在庫のある国のみ、期間限定)をしていて、1本千円で買えたのである。COP15の本会議場での発言やスピーチ、別会場での講演(ゴア氏やシュワルツェネガー知事)、場外でのグリーンピースの記者会見のまねごとをすることにした。
 参加者が23人という、ちょうどいい大きさの授業が一つあったので、下記の役割を学生に割り振る。デブア国連気候変動枠組条約事務局長、デンマークのラスムセン首相とヘデゴー気候変動相(各1名、議長が途中で交代したので)、アメリカはオバマ大統領とクリントン国務長官ほか(高級官僚など交渉者も演じる)、ほかは各国1人で首脳から外交官、交渉者まで演じる。国としては、イギリス、ドイツ、EU、スウェーデン(EU議長国=当時)、日本、オーストラリア、中国、インド、ブラジル、スーダン(G77途上国代表)、ツバル(島嶼国代表)、ベネズエラ(反米?途上国)。
 フランスが入っていないのは、サルコジの演説を授業時間までに私がうまくまとめられなかったためで、国旗も用意していて、本当は入れたかった。森林寄与分を強調するロシアのポジションも面白かったが、ロシア語が読めないので、やはり再現が十分にできず、間に合わなかった。モルディブの大統領も目立っていたが、ややスタンドプレー気味だったので、同じ島嶼国で交渉の現場でがんばっていたツバルの政府代表にした。他に、講演に来ていたVIPとしてゴア元米副大統領と、地方レベルで国際的な環境政策連合を作っているシュワルツェネガー・カリフォルニア州知事を入れた。あと、ソロスのような経済人も、間に合えば入れたかった。
 このほか、主催側のIPCC(気候変動に関する政府間パネル)のパチャウリ議長と、NGOとして人名を特定せずグリーンピースの代表(複数の発言を一人の人物に合成)と、これらのすべてにインタビューする記者(名前なし)も入れた。話が途切れないように、ドラマではナレーションに当たる部分を、私がTVニュースのアンカーマンとして、ニュースとして読むという体裁をとった。つまり、「交渉○日目の12月△日には、かくかくしかじかでした。」と言った後で、学生の再現ドラマが始まるという形で、2週間を大まかに流していく。
 教室を本会議場、ゴアとシュワ知事のときには講演会場に見立て、教壇を首脳などのスピーチ用の演壇とし、その横に長テーブルの議長席を起き、教室の端を場外に見立て、そこにグリーンピースと記者を置いた。会議の2週間が1コマの授業時間に収まるように、それぞれの発言は、主要部分を編集し、1分から2分くらいにしてある。
 結論や本筋を変えない程度のアドリブはあり、としたら、学生の側から、私がシナリオに書かなかった部分の発言も調べてきて付け加えた学生や、チャベス・ベネズエラ大統領のような悪キャラをそれらしく演じようとした学生もいて、結構見ていて面白かった。
 本格的なシミュレーションでないので、シナリオを書き、学生を駒に使った自己満足かもしれないが、ただ私が一方的に説明するよりは、交渉の複雑さは分かったのではないかと思う。難点も幾つか分かったので、新学期にもう一度、別のクラスでやってみて、よければ、シナリオや教室内の配置図をこのブログの親サイト「やそだ総研」で公開したい。ただ、当日撮った写真は、学生の顔がはっきり映っているものが多く、悪用防止や個人情報の観点から、ここではお見せできないのが残念である。
 
 

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富山は「保守王国」呼び名の返上を

 参議院選挙の富山選挙区の民主党候補に、さきの衆議院選挙の富山3区の候補者(落選)だった元民放アナの相本芳彦氏が決まったことがYahoo Newsに流れた。その関連記事を読んでいたら、前回の衆議院総選挙で、自民党の得票率が民主党のそれを上回った県は富山と島根だけだと改めて知った。その富山県でも県都、富山市の旧市域である富山1区は民主党が勝ったのである。
 富山は極めて保守的な県であり、非自民勢力でも、社民党がまだ少なからず勢力を残し、さらに国民新党の前代表、綿貫民輔(元自民党幹事長、現在は議席なし)がいる(自らは長く議席を確保してきた富山3区で立たず、比例区に回り、自民党の同区の議席獲得を可能にしたことで、自民党と全面対決に至っていない)ことから、民主党が十分に伸びていない。
 しかし、自民党の1区の長瀬甚遠(労働省OB、小選挙区落選、比例当選)が当選後に提出した質問趣意書は、民主党の政治主導を質した(そのこと自体は野党として間違っていない)が、その内容は、むしろ官僚の関与が少なくなることを批判するものだった。3区の橘慶一郎は世襲3世(さらに貴族院議員の祖先もいる)である。
 世襲が悪いとは言わない。しかし、この半世紀間に3区の中核都市、高岡は衰退の一途をたどっている。旧田中派の幹部だった同じ選挙区の綿貫民輔(この人の基盤は高岡より山地の砺波地方だ)の力もあって、選挙区内の道路は県境の山奥まで届いたし、高速道路もできた。新幹線もいずれは来るかもしれない(欲しくないけど)。しかし、いずれも高岡の中心から大きく外れている。
 私の自民党嫌いは、全国レベルで民主党を支持する理性的な部分と、地元高岡を衰退させた自民党及び保守勢力の無策への怒りという感情的な部分から成っている。以前にも書いたが、高岡は東京と同時に市制施行した30数都市の一つである。しかし、同じ条件だった町のなかで、今日、全国的には最も知られていない町だろう。
 現に地元に帰ってみると、ほとんどすべてが保守支持の親戚縁者たちがこぞって褒めるのが、県都富山市の森市長である。森市長は保守系だが、コンパクトシティ推進やライトレールなどで全国ニュースで取り上げられることも少なくない、アイディア豊富な人である。冗談交じりに「森市長に高岡市長を兼務してもらえないだろうか」という声もあった。地元の人も現状には満足していないのである。
 舛添要一ら自民党の改革派が「新自民党」を作るならともかく、そうでないなら、全国屈指の大学進学率を誇る、勉強はできる県、富山は、少なくとも旧自民党にはそろそろ引導を渡すべきではないだろうか。

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ロングセラー

 先頃、長く待たれていたハルバースタムのベトナム戦争に関する名著『ベスト&ブライテスト』が新装で再刊された(できれば、朝日文庫のほうで再刊してほしかった)が、もはや国際経済や環境に関する古典といってもいい、ローマ・クラブのレポート『成長の限界』をしっかり読みたくなって、Amazonでオーダーしたら、今でももともとの版の新本で入手できた。奥付を見ると、1972年5月発行の第1刷から2009年1月の第69刷まで、ずっと刷られている。文庫などのシリーズでもなく、硬い社会科学の本でこれだけ印刷が続いていることに、やはり歴史に残る本なのだなと再認識。私が小学1年生のときに出た本だ。もう37年経っている。

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大学教授とは何者かを教えてくれる本

 世の中で、大学教授ほど誤解されている仕事はないのではないだろうか。テレビドラマに出てくる大学教授の類がまずほとんど、こんな奴どこにもいないという感じなのだ。
 誤解1「大学教授はヒマである。」時間設定に比較的自由があるので、そう誤解されやすい。いわゆる「裁量労働」であり、確かに毎日、定時出勤ということはない。しかし、これは逆にどこまでも際限なく労働する(させられる)可能性もある。自分の研究だけなら本望だろうが、研究以外の雑務も多く、平日の昼はほとんどそれで埋まるし、家まで仕事は持ち込む。
 誤解2「大学教授は高校までの教員と違い、学生の生活指導はいなくていい。」半分当たっているが、半分外れ。確かに服装や持ち物の検査などはしないし、頭からどうしろということはない。しかし、今日では、大学生といえども、学業以外の様々なアドバイスを必要としており、悩みを持つ学生は多い。もはやそういうことを無視しては大学は成立しない。カウンセラーがいても、それだけでは十分に対応できない。結構、金八先生みたいなこともしている。
 こういう誤解を解いてくれる本が出た。杉原厚吉『大学教授という仕事』(水曜社)。大学教授の仕事を、この場合は著者のような国際的活動をしている優れた学者の仕事だが、社会一般に分かりやすく百科的に教えてくれる。なかなか息子の仕事が理解しにくそうな、似て非なる仕事、高校教員を引退してすでに10年経つ父に読ませたい。

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iPod touch 増強中

 iPod touch に各種レファレンスをダウンロード中。前項で書いた『小学館伊和・和伊中辞典』に続き、『プチ・ロワイヤル仏和・和仏中辞典』、『デジタル大辞泉』(小学館)、『山川世界史小辞典』、Subway Mapなど有料アプリをiTunesで買ってダウンロードした。海外製のアプリで、ドイツ基本法とイタリア憲法も原文で入った。これからアプリを作ってほしいのは、『国際政治経済辞典』(東京書籍)、『政治学事典』(弘文堂)、『新・解説 世界憲法集』(三省堂)。こういうのが入れば、特によく使う辞典・事典を、オフィスと家に1冊ずつ置くなどしなくてもよくなる。『国際政治経済辞典』だけでも実現すれば、ものすごく助かるのだが。

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そして、電子辞書も不要になった

 iPod touch のアプリに「小学館伊和・和伊中辞典」が登場した。物書堂という会社が販売しているもので、4800円で、冊子版(2冊で1万4千円強)よりも安い。もちろん、同じ辞書の入っている電子辞書よりは、さらに安い。数年前に電子辞書を買ったばかりで、イタリア旅行の荷物が一つ減ったことを喜んでいたが、これだけ小型になるなら、もっと待てばよかった。これで、外国の図書館に入るときも、文献持ち込みもコンピュータ持ち込みの申請も不要になる。いっそiPhone も買ってしまえば、この時代、さすがに携帯を窓口に預けろというところはないだろう(電話自体は館内で使わないで、とは言われるだろうが)から、たぶん、どこでも大丈夫。

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