« 沖縄問題の本質を教えてくれる本 | トップページ | ブロガーは現代のモラリスト? »

私が好きなスピノザの言葉

「すべて喜びをもたらすものは善である。」フランスかぶれだった最初の大学院修士のときに見つけた、大学でとっていたフランス語の新聞(『フィガロ』だったと思う)の全面広告で引用されていた言葉である。自動車の広告だった。
「喜び」には、フランス語でplaisirが当てられていたから、「快感」「快楽」も含むわけで、20代前半の若者には、こんないい言葉はないな、と思い、コピーして院生室の壁に貼っておいた。だから、「すべて快をもたらすものは、善である」と思っていたわけだ。実際、スピノザも、身体の各器官が持っている本来の機能を存分に活かすことを「喜び」と言っている。
 もちろん、私も必ずしも肉体的な快感のみを目指していたわけではなくて、自分が知りたいと思うことを知ることは快感だから、できれば「研究の意義」なんぞにとらわれず、自分の好きなことがやれればいいと思っていたのである。それ以後、今日に至るまで、良師に恵まれながら、どの人の正統な弟子になることもなく、その恩には報いず、オタク的なテーマだけを追い、学会の片隅に辛うじて生息している。
 しかし、良師の恩は亜流の弟子にも伝わる部分もあって、恩師がそうであったように、学生には、絶対に自分の小さなコピーのような研究はさせず、好きなテーマでどうやったら論文を書けるか、いっしょにフィージビリティーを探っている。そのときに言うのが、自分が面白いと思ったことが、いちばん脳が活性化するのだから、変な義務感で書くな、論文を書くときは、「正しい」ことより、「面白い」ことを考えよ、ということである。
 こういうことは、最近流行の脳科学者も言ってくれる。でも、おそらくは哲学ではずっと前に誰かが言っているのだろうな、哲学の歴史を探れば、すぐ古代ギリシャくらいに行ってしまうのだろうな、と思っている。
 では、スピノザは、どういう文脈で言っていたのか、さすがに大人になって、文脈無視の議論はしたくない。もちろん、ラテン原書に当たる元気はないから、岩波文庫で『エチカ』をパラパラめくっていたら、見つけた。第4部の30項にある。
 実は見つけるのが恐かったのだ。なぜかというと、いくら快をもたらすのが善も、アルコール、ドラッグ、セックスなどの中毒になっていい、とまでいうとは思えない。それはまったく正しいのだが、その留保によって、大抵の哲学とか倫理は陳腐化する。逆に、健康なことが快なのだ、というスポーツ至上主義は、不健康者を排除し、下手するとファシズムに行く。そんなつまらない考えなら知らないほうがいい。
 スピノザは、違っていた。人間は「より大いなる喜び」に刺激されて、それだけ大なる完全性に移行するというのだ。中毒の類は「大いなる喜び」ではないだろう。自分も楽しみながらすばらしい演技を見せるオリンピック選手が感じるのが、こういう喜びではないか。
 さらに気に入ったのが、なぜここまで「喜び」を重視するかである。
「喜びは、我々の利益への正当な顧慮によって統御される限り、決して悪ではあり得ない。これに反して、恐怖に導かれて悪を避けるために善をなす者は、理性に導かれていないのである。」
 恐れるな、大いなる喜びのもとに善をなせ、小心者の保身に付き合うな、と勝手な解釈で読んだ。閉塞的な日本社会に力を与えてくれる言葉だと思うけど、誤読かな?博士論文も書き上げていないから、あまり偉そうなことは言えない。

|

« 沖縄問題の本質を教えてくれる本 | トップページ | ブロガーは現代のモラリスト? »