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「堀田善衛展」を見る

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 帰省の合間に、高岡市美術館「スタジオジブリが描く乱世。堀田善衛展」を見る。堀田善衛は私の郷里、高岡市内の港町、伏木(ふしき)の廻船問屋の生まれである。この職種は当時は有力だったが、もはや存在しない。当時のこの地方の一部の有力家庭にあることだが、堀田氏は中学(現在の高校に相当)は高岡中学(現在の高校)でなく、文化の高い金沢で学んでいる。お母さんのくにさんは古い写真で見ても美しい方だが、港湾で働く女性のために富山初の保育所を作った人だということは今回初めて知った。
 この展覧は、一昨年に神奈川近代文学館で行われた展覧の再展示だが、少し変わっていて、堀田善衛の作家としての軌跡をゆかりの品々でたどる第1部と、堀田善衛の作品から様々のインスピレーションを受けた宮崎駿のスタジオジブリが、堀田作品をもとにアニメーション映画を作ったら、こういうものになるというイメージ画を作成し展示した第2部で構成されている。実際にこういうアニメができるというわけでなく、いわば堀田善衛へのジブリならではのオマージュ、リスペクトである。この二つの途中には、堀田氏の評伝『ゴヤ』を記念して、ゴヤの版画の展示もあるが、これは高岡展オリジナルかもしれない。。
 堀田善衛についての説明は不要だろう。ただ、私の世代(「新人類」バブル世代)ではもう評価の確立した著名作家であって、特に岩波新書になった『インドで考えたこと』などは中学・高校の先生も勧めていた。むしろ、私の世代には、堀田氏の前半生のほうが十分に知られていないと思う。
 堀田氏は『朝日ジャーナル』等に寄稿した、政治的、社会的な関心の高い作家だったと思うが、特定のイデオロギーには荷担しなかった。主義主張を問わず、人物としてホンモノかニセ者かを嗅ぎ分ける嗅覚のするどい人だったようだ。例えば、アジア・アフリカ作家会議に参加し、英語でのスピーチで日本の戦争責任をアジアの作家に詫び、ネルー首相にも評価されながら、会議そのものがCIAに支持されたインド政府の影響が強いことを見て取っている。
 それは、中国にいたときに日本の敗戦にぶつかり、日本の戦争の無謀さだけでなく、次に現れた国民党側、共産党側のそれぞれにも混乱と問題性を察知していたことに始まるようである。日中国交回復時に出された武田泰順との対談『私はもう中国を語らない』以降、中国について書いていないことに、堀田氏の考え、思いの深さを感じる。
 『ミシェル 城館の人』は、発刊時の評判だけ聞いて読んでいないかったが、モンテーニュの『エセー(随想録)』を、フランス語の原語に含意される「試み」として読み、宗教戦争時に人間性の自由を求める人として描いたという意図を知り、読みたくなった。
 自らの人生を熟成させるため、晩年にスペインに渡った(最晩年には帰国される)堀田氏、本当にかっこつけない、かっこいい人だ。

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