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グーグルにノーベル平和賞を!

 突拍子もないと思われるかもしれないのですが、無理と分かって、あえて書いています。実は、ノーベル平和賞は、日本的な何もしないという平和ではなく、自由や民主主義、人権のために戦っている人々に贈られてきました。そこには、北欧の国らしい積極的平和(単に戦争がないだけでは平和とはいえず、圧政などの構造的暴力がある国は真の意味で平和とはいえないとして現状変革を訴える)の考えもあったと思う。
 ネルソン・マンデラ、ダライ・ラマ、アウン・サン・スーチー。こういう人たちに授賞することが、必ずしもその国の時の政権を覆すことにはならない。しかし、国際社会として、こういう人たちを素晴らしいと思いますよ、少なくとも西側(民主主義)の国々ではそう思っていますよ、という意思表示だったと思う。むしろ、確信犯的に論争的人物に贈ってきたところもある。
 アメリカですら、大っぴらに中国批判は難しいこのご時世、国家が無理なら、市民社会がグーグルを支持し、真の民主主義国でなければ、21世紀も世界のリーダーにふさわしい国になりえないことを、中国政府に、不断に、しつこく、あらゆる手段を使って、しかし、洗練されたやり方で、伝えていかなければならない。そうしないと、不幸なのは、実は中国国民である。

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生きるための技術

 雑誌『at プラス』03号(太田出版)が「生きるためのアート」という特集を組んでいる。この特集では、アートという言葉の語源にある、日本語の「芸術」に留まらない「技術」「技芸」「技量」という意味も踏まえていて、冒頭に内田樹氏の「大人になるための経済活動」というエッセーを掲載している。
 内田樹氏は、専門である哲学を活かして、しかも誰もが理解できる言葉で、現代の若者や社会をわれわれに解き明かしてくれる。実際、多くの大人に読まれており、入試で使われる文の作者としてベスト10に入るはずだ。神戸の女子大で教えておられることから、私も女子大に勤めてから、よく読むようになった。
 今回の文もなにげない日常の観察から、われわれの社会の問題点を析出してくれている。生活に困窮した若者たちがネットカフェの個室に一泊1500円で泊まるが、同じ境遇の若者が集まれば、まともな部屋を1部屋借りられるお金が集まるのに、なぜそうしないのか、と内田氏は考える。若者を単純に批判せずに、この問題の背後に、子どもの頃から個性を重視せよと教えられ、なんでも自分専用のものを持たないといけないと消費社会のなかですり込まれているのではないかと推理する。
 だから、これこれの服や靴がないと、そもそも「自分」が手に入らないと思い込んでしまうから、少額のお金しか手に入らないと、「自分」が実現できないと思い込んでしまう、だから「自分探し」がずっと始まらない、というふうに考察が進められている。
 これは、若者に限ったものでなく、すでに中年に達した私たちも、かなりの程度、こうした思考にとらわれている。だからといって、昔ながらのコミュニティには戻れないわれわれは、せめて仕事以外でもできるだけ多くの人間関係を持って「リスクをヘッジ」しないといけない、とされている。内田氏は合気道や麻雀の同好会を作って実践されている。定年後にいきなり趣味を始めても、そこで初心者(こども)扱いされることに、責任ある立場にいた人が耐えられるだろうか、という指摘は鋭い。
「親密圏」や「おひとりさま」といった考え方の危うさも指摘されている。要するに、こういう生き方ができるのは、センスがよくお金がある人たちであって、社会に対してまともな対応ができない弱者がいることへの考察が足りない。
 あまり引用しすぎると、営業妨害になるので、これで止めるが、他者とのかかわりの中でしか個性も主体性も出現しないという、一見当たり前のことを、社会分析に関する衒学的な言論が多いなかで敢えて述べられていることが素晴らしいと思う。しかも、全然、筆致が陳腐ではないのだ。
 新社会人に読んでほしいなどと上から目線で勧めたりはしない(全然、他人事ではないのだ)が、たぶん参考になると思う。卒業生にもコピーでも渡せば、よかった。
 
 
 

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あなたを大人にしてくれる本


ブログ学園

ブログネタ: 【ブログ学園】『大人として読むべきオススメの本は?』参加数拍手

曾野綾子さんの一連のエッセーですね。そのものずばり、『本物の大人になるヒント』という本も書かれていますが、私は週刊誌に連載された「昼寝するお化け」シリーズが好きです。曾野綾子さんは、自ら途上国に足を運び世界の現実を見てきた体験と、聖書の知識に裏打ちされた深い人生観で、特に一見正しいように見える偽善に対して厳しい。甘ったれた社会観などを持っていると、ピシャリと渇を入れてくれます。時に曾野さんが意地悪な人に感じたりもするのですが、それは実は、痛いところを突かれているのです。

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ポポフ補遺

 恥を忍んで告白すると、私は気が短いせいか、国民的長編『坂の上の雲』を読んだことがない。全部、『週刊朝日』などからの間接的知識だ。前にここで、メドベージェフ・ロシア大統領が、イタリアのマルコーニよりも早い、真の「無線通信の父」だとしてロシアの物理学者アレクサンドル・ポポフを称えたことを書いたが、どうも当時の帝政ロシアが保守的で、ポポフの革新的な発見を利用できる形にできなかったことが、マルコーニの理論による無線を用いた日本に日露戦争で敗れる原因の一つになったようである。
 最近、メドベージェフやプーチンは、基礎研究の成果を応用、商業化できるようにするのが、ロシアの課題だとして研究拠点の予算を増やしているし、ポポフを引き合いに出すのにも、そういう問題意識があるのかもしれない。

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ワセダ・リブリ・ムンディの消息

 外国に関心のある方は、このシリーズのうちのどの巻かを必ず手にとったことがあるのではないだろうか。早稲田大学出版部の「Waseda Libri Mundi(ワセダ・リブリ・ムンディ)」、ラテン語で「早稲田の世界の本(複数形)」という意味の名前のシリーズ。主要国の米、英、仏、独、伊、西、スウェーデン、EU、中、韓は、政治、経済、社会の各3冊(EUだけは、国ではないので、系譜、制度と機能、政策と理念の3巻)で、ドイツだけはさらに企業、統一の2巻がつき、ASEAN、APECやオーストリアも各1巻で入っている。イタリアやスペインについては類書が少なく、刊行から10年以上たった今でも、現代のことを勉強するには、もっともいい参考書のはずだ。
 ところが、日本とノルウェーの修交100周年(2005年)を記念して、2004年にノルウェーの3巻本(第36〜38巻)が出て以来、刊行のニュースを聞かない。やめたのかな、と思ったのだが、未発行の第18巻「韓国の社会」、第24巻「イギリスの経済」が出るはずなのに、いっこうに出ない。まあ、研究者には、原稿を遅らせて迷惑をかける人はいるし(全然、他人事ではない)、驚くべきことではないかもしれないが、シリーズ刊行時には、当時の総長が、このシリーズは世界を網羅すると並々ならぬ決意を語っていたはずだ。
 過去の刊行を見ても、6年間も新刊が出ていないことは珍しい。刊行の多かった90年代には、次はどこを出すのだろうと期待して、21世紀に入っても、ノルウェーだけで3巻本を書けるだけの人材がこの国にいることに驚き、また、こういう本を出す早稲田に感心したものだった。ただ、何か変だなと思ったのは、このシリーズの各巻のサブタイトルはみな赤い文字で印刷されていたのに、この3巻だけメインタイトルと同じ黒い文字だったことだ。
 学術書が売れず、出版全般が苦しいという一般的な事情があるので、そのためであれば、仕方がないのだが、出版部のホームページも以前よりシンプルになった気がするし、なぜか、このシリーズの各巻の案内は残っていても、シリーズ全巻リストのような頁に、検索などいろいろ探ってもいっこうにたどりつかないのである。普通、これだけのシリーズだと、シリーズとして大々的に宣伝してもいいはずなのだが、そういう見せ方をしていない。
 このシリーズ以外の個別の文献は出続けているし、面白いモノもあるのだが、以前ここから出ていた学術雑誌も他の出版社に移ったものがある。何か事情がありそうだ。『読書新聞』などの出版業界紙をあまり読まないので、私は事情を知らない。

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民主党政権だからできること

 人権や社会・労働政策で新機軸を示さなければ、民主党政権の存在意義はない。国鉄分割・民営化に反対し、JRに採用されなかった旧・国労などの組合員との和解案(損害賠償と採用)を連立3党と公明党がまとめた。民営化が1987年で、すでに20年以上も未解決だったことすら、われわれは忘れかけていた。日本の政財界のエリートは、彼ら組合員を時代遅れと批判し、救済せず無視してきた。
 メディアにも責任がある。私は日経を講読している(日経の政治面は下手な全国紙よりいいのだ)が、こういうニュースのある日に、日経を読むのは不快だ。このニュースは、もっと大きな扱いでもおかしくない。第2社会面(新聞の裏から見て3頁目)に小さく出ているが、やはりこの新聞はもともと投資経済紙(その立場をうまく利用しているともいえる)で、企業寄りのところがこういうところに出てしまう。
 日経だけでなく、各紙にとってJRは大スポンサーだ。首相の水俣病の原告以外の患者との和解受け入れ表明も、より大きい記事だが、やはりこの面だ。朝日ならこれは絶対、一面だろう、と思ったら、やはり小さな扱いで、日経より朝日のほうが地味なくらいだ。しかし、経済紙というのは、企業の新技術(今日の日経一面は光技術)を、企業の責任よりも重視するものなのだろうか。もちろん、組合の旗振りをするわけにもいかないだろうが、こういう人の命に関わる問題(国労の労働者には心労などですでに死亡した人も少なくない)を軽視するほうが、企業にとってもメディアにとっても最大のリスクだと考えるのではないだろうか。
 労務問題の専門でない私がなぜ、この問題にこだわるかといえば、ある記憶からである。1990年代の前半だったと思うが、ポーランドから自主管理労組「連帯」の指導者であるミフニクが来日したことがある。北区王子の会館を会場に、ゲストに筑紫哲也氏を招き、シンポジウムが開かれたのだが、このイベントを事実上、仕切ったのが、旧・動労だった。動労は、国鉄の労組のうちでも戦闘的な組織だったが、民営化を機に雇用を守るために労使協調路線に転換、分割・民営化反対の国労と別の路線をとった。その意味で、動労の指導者は自分の組織を守ったといえる。しかし、上記のイベントでは動労の指導者にも時間が与えられていて、自己の成功談を語ったが、共産主義と闘ったポーランド労組と動労を並べて論じるのは無理があり、やりすぎだと思った。もちろん、有名人を連れてきてくれた恩義はあるが、かつて同じ職場にいた他の労働者への思いやりを欠いているように思えた。
 筑紫氏はさすがに、ポーランドに並々ならぬ関心(「ワレサ自伝」の訳者である)を示しながら、このイベントの危うさに気づいていて、主催者に失礼はないように留意されながらも、自分は労組がよく用いる「動員」という言葉に違和感を感じる人間である、と述べた。この場に来ている人たちが動員された人ばかりでないことを願っている、といったようなことも言われた記憶がある。まるで欧米のエリートのような、洗練された、しかし油断のない言葉だ。ミフニクの話は忘れたが、筑紫氏のこの言葉は忘れていない。なぜなら、この集会が終わると、案の定、「○○支部の方、集まってください」と、動員された労組の人々に声をかけるのが、会場内で聞こえたからである。もちろん、これも、海外の著名人を呼んだとはいえ、まじめな企画に人が来ないと困るということもあったのだろう。ただ、私は、この日に民営化の持っている微妙な、イヤな面を痛感せざるを得なかった。労組の組織を越えた「連帯」が感じられなかった。
 私の世代以上の年齢で地方から上京した者は、国鉄には相当の思いがある。国労がCMで流した、井上ひさし作のコピー「切り刻むのは、やめてください」に少なからず、同情した。今のJRほど洗練されていなかったが、かなりの田舎からでも国鉄一本で来られた。それによって不採算路線を抱えたのは、自民党政治家のばらまきによるものであって、現場の労働者には責任がない。その犠牲になったのは、自民党の政治家ではなく、現場の労働者だったのである。
 だから、民営化したJRが小泉今日子のCMでイメージアップし、サービスがよくなったという「街の声」がメディアによって紹介されるたびに、私は違和感を感じてきた。民営化の成功例としてJRがよく引かれるが、国民の税金で百年かけてインフラを作り、莫大な借金を別会社に回して処理した企業が成功しないでどうする。
 私は民営化後のJRの駅で切符を買うたびに怒っていた。切符の販売機に、金額表示より先に、JRの「びゅーかーど」での支払いがどうのこうの、という表示が出た(ご丁寧に「切符を買う場合はこちらのボタンを」という表示まで出たので「そっちがメインだろう」とツッコむ)からである。公共交通機関の立場を利用して、急いでいる客に一回一回無駄な作業をさせながら、自社の宣伝を優先している、と思った。それを見るのがイヤで2年前からSuicaやPasmoを使っている。(だから、今もそういう画面になっているかは、最近チェックしていない)
 民営化の際に不採用になった人々のうち、当時働き盛りだった人はもはや定年である。国労のPRで、この間に亡くなった人々の数々の顔写真を見たことがある。労組にも問題がないというつもりはないが、直接手をくだしていなくても、これらの死の少なくとも責任の一端は国にある。この不作為は大きい。

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「CBSドキュメント」も終了

 TBSが深夜に、CBSニュースのドキュメンタリー番組「60ミニッツ」を編集して流していた「CBSドキュメント」が終了した。ドキュメントの前後にピーター・バラカンが日本人に分かりにくいニュアンスを簡潔に補足しているのも無駄がなかった。時々のアメリカの政治にも影響を与えた力のある番組で、これを日本人が日本で(アメリカの放送の何週後かであったとしても)見られることはとても重要だった。アメリカの本物のジャーナリズムのすごさ、アメリカ人のものの考え方も分かる、すばらしい番組だった。日本語版は1988年、まさに冷戦崩壊の直前に始まり、冷戦後の全期間をこの番組は追ってきた。
 また、必ずしも深刻な政治・社会問題だけでなく、世界のあちこちに取材して、面白い話題も提供してきた。例えば、イタリア関係でも、世界を特別機で飛び回り、ホテルを定宿にする型破りのイタリアの外務大臣デミケリス(90年代初め)を追ったものもあったし、大人になっても結婚せず、実家に留まり母親の世話を受ける息子たち「マンモーニ」を追ったものも面白かった。サルコジ大統領などを、その業績よりも、人柄からアプローチするなど、ニュースで見えないものも見られた。
 民放の苦境から、高価なタレントを使う番組は減るが、ドキュメンタリーや実録ものは増えるという観測もあったが、それらはやはり小さなドキュメンタリーというべきで、60ミニッツは世界的な名声のある大ドキュメンタリー、ドキュメンタリーの教科書だ。
 これは、大損失である。

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オープンコースウェアの衝撃

 4月から京都大学がiPodやiPhoneで一部の授業を視聴できるようにするというニュースが最近、各メディアに流れた。すでに東大、京大、早稲田、慶應などがタッグを組んで、先行するアメリカのMITからも学びながら進めている計画で、当初は学内の学生向けに始めても、ゆくゆくは広く学外にも利用されるものになるようだ。そういえば、ネットではすでに慶應の授業の幾つかを見ることができた。
 こういうサービスは、授業料を払っている学生の利益を害しないかという恐れもあろうが、iPodやiPhoneに流れるのは、多くは基礎・教養的な講義科目であって、専門のゼミや実験はむしろ大画面のネットで中継でもしないと無理だし、それを狙ってはいないだろう。それだけに社会人向け講座などには、逆に適している。
 iPhoneやiPodにはすでにiTunes Uというサービスがあって、映像もあるが、音声だけのものなどは案外無料でダウンロードできるものもあったりする。こういうもので面白いのは、「哲学入門」「政治学入門」などの基礎教養科目であって、たとえば、そもそも「哲学」「政治」とは何か、と定義するのは案外難しく、名門大学の教師ならどうアプローチするか、聞いてみるのは、教師にも参考になる。
 試みに英米の名門大学の講義(やはり多くは教養・基礎科目のようだ)を幾つか聞いてみた。大学の教員として、とても参考になる。オックスフォード大学の「初心者のための哲学」を聞くと、入門といっても、先生がメリハリのある声で一節語るたびに学生から鋭い質問が入る。先生が語り終わらないうちから、学生が何か言い出す、あの海外の大学の独特の雰囲気が伝わってくる。いい質問も悪い質問もあるのだが、どれも自分の頭で考えているという感じがあって、予想不可能な質問を快刀乱麻を断つように裁いていくプロの先生の仕事だ。時間は日本と同じ90分だったが、時間の半分は学生の質問、さすがとしか言いようがない。これが教養科目なのだ。
 一方、日本でも上記のような名門大学以外でも、すでに授業内容をネットでは公開しているところがある。ある無名の大学(さすがに大学名は書けない)が公開していて、その内容を見てみたが、ただ録画したという感じで、精彩のない老教授が学生への配慮も映像化することへの配慮もなく、淡々と授業をしているのを見たことがあり、これは逆効果になると思った。つまり、このような公開によって、「こんな授業の大学には行きたくない」と思われる可能性もあるのである。相当の自信と準備がないとできないし、やってはいけない。
 しかし、教師たるもの、自分の勤め先でやれる環境になったら、自ら率先して手を挙げるべきだろう。それくらいの気持ちがなければ、こうした公開が進んだとき、学生は他大学の優れた授業を見て、自分の大学の先生にがっかりするかもしれない。しかし、その逆もあるかもしれないのである。名門大学のなかにも自分の研究ばかりで教育に不熱心な人もいる。選りすぐりの講義を並べて、こんなにいい講義をしていますよ、という打ち方もあるし、そうすれば実際に授業がよくなる。オープンなFDのようなものである。
 もし、保守的で怠惰な教員が、そういうものは、すごい装置がある理系大学しかできないと高をくくっていたら、全然分かっていない。iPodやiPhoneのアプリや対応するデータの送信は、中小でもやれる規模だ。それだけ、コンピュータや周辺技術が向上しているのである。うかうかしていたら、名門はおろか、下に見ていた大学にも先を越されるだろう。
 

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マルコーニでなくポポフ?

「無線通信を発明したのは(イタリアの)マルコーニなどではなく、(ロシアの)ポポフだということを知らしめないといけません。」と、メドベージェフ大統領がロシア全国の知事とのテレビ会議のなかで、情報大臣とのやりとりで語った。これが本当に正しいかどうかは分からないが、西欧のど真ん中にいたイタリアよりもロシアの成果が軽視された可能性は十分あり得る。
 これは、どういう流れだったかというと、この前の場面で、メドベージェフ(何しろ若い、44歳だ)は、ロシア伝統の官僚主義を批判し、部下から都合の良い情報だけ集めた報告を聞いて納得してするな、「今日では、責任ある立場の人間はインターネットを使えないといけません。私も使っています。」と、国民から直接インターネットで生の声を拾え、と発破を掛けていたのだ。つまり、インターネットの前に通信をリードした無線通信を発明したのは、この国の人間なんだぞ、と注意を喚起したわけだ。
 NHK衛星で流れる各国ニュースのうち、もっとも面白いのは、私の専門外のロシアだということはここでも書いてきた。EU寄りの立場をとる隣国のウクライナ(新大統領がややロシア寄りに転換)、グルジャ(休止しているが、ロシアと紛争を抱える)の混乱を執拗に描いたり、EUの煮えきれない対応を揶揄したり、その報道はロシア政府の意図・解釈を濃厚に表していて、人間くさいのである。民主化したとはいえ、ほとんど対抗勢力のいない圧倒的な政権与党「統一ロシア」の影響はまちがいないあって、そこで示されるロシア政府の対応自体はどうかと思うものはあるが、反対派や国外のウオッチャーもそれを見て、批判や分析はできる。もっともこわいのは、中国のように都合の悪いニュースは、ないことにしてしまうことだ。反政府運動家が拷問に遭い、行方不明になっている。

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希望は義務である

 初めて自分が卒業論文を指導した学生を卒業式で送り出した。当然、こういうときには、私のような者でも「先生からのひとこと」を求められる。最初の卒業生ということで、しゃべりすぎてしまった。しかし、この日のいいところだが、それをとがめる人はいない。
 贈る言葉として引用したのが、イタリア人最後のローマ教皇、ヨハネ・パウロ1世の言葉とされる「希望は義務である」という言葉である。私にこの言葉を教えてくれたのは、私の卒論主査教官であった西澤龍生先生(西洋史)である。卒業式の折りではなく、冷戦崩壊時のカトリック教会のことを話していたときに、ふと教えてくださった。先生は、このシンプルな言葉にキリスト教やヨーロッパ史の独特のニュアンスがあって、その革新性を深く理解されていたに違いないが、私はその理解もなく、誤解も覚悟で、勝手な解釈も入れて、密かに座右の銘にしてきた。
 そもそも、speranzaは確かに辞書的にも「希望」と訳されているが、それぞれの言語での守備範囲は異なる。言語学的な知識を持たない私の印象では、speranzaにはときに、日本語の「希望」以上の、「現状を変革する」というニュアンスすら感じる。(間違っているかもしれないが。)
 現在は希望を持ちにくい時代で、大人が若者に「希望を持て」というには、あまりに若者に優しくない社会構造を作ってしまっている。事実上、多くの人には生涯に一度、新卒にしか完全にオープンな労働市場は用意されていないことなどにそれは明らかである。だから、「希望を持て」というには、「(厳しい時代状況のなかでも)敢えて」という言葉を前に添えないといけないだろう。
 残念ながら、大人は完全に絶望できない。本当に辛いと「絶望した」という言葉すら口に出せなくなるかもしれないが、それでも本当に絶望して、家族などを見捨てて、自死はできない。それは無責任だ。とすれば、どんな状況でも、どんな小さなものでも希望をそこに見いだすのは、われわれの義務なのではないだろうか。
 昨年だったと思うが、東京大学の社会科学研究所が、かつて製鉄業で栄え、その後の産業の構造転換で衰退した街、釜石を学際的に研究した「希望学」という4巻本を出したことが話題になった。釜石に東大のチームが聞き取り調査をしていくうちに、そもそも話を聞いてもらうことで、取材相手が元気になることもあったようだ。しかも、希望を持って動く人はやはり周囲を動かすということが、単に印象論でなく、調査で裏づけられたようである。
 そもそも、ここに引用した言葉も、私の誤解も含んでいるかもしれないが、翻訳は完璧な訳などないにしても、何も重要なメッセージが伝わらないほど、ダメなものでもないのである。
 ところで、実際には、ヨハネ・パウロ1世の言った言葉はこの通りではないらしい。日本語訳も見つからないので、大ざっぱに原文を訳してみる。
「ダンテは(『神曲』の)『天国編』で、自身がキリスト教信仰の試問を受ける場に立たされることを想像している。そこには、複数の試問委員がいて、聖ペテロが『あなたは信仰(fede)を持っているか?』と聞く。聖ヤコブは『あなたは希望(speranza)を持っているか?』と聞く。聖ヨハネは『あなたは愛(carita')を持っているか?』と聞く。『はい。私は信仰も、希望も、愛も持っています。』とダンテは答え、それが実証され、満点で合格となります。私は、これ(希望)は義務であると言ってきました。義務と言っても、それは希望が不快なもの、辛いものだというわけではありません。」
 この後にさらに、この言葉についてキリスト教的な説明がなされる。わたしはキリスト教徒ではないので、その内容は完璧には理解できないが、おそらく、実際の人生にはまるで神が自分を苦境に追い込むかのような、神も信じられなくなるような事態に至ることもあるが、それでも神を信じて(神は全能だから)希望を持つことが、その人の魂の救済につながる、というようなことが書いてある気がする。だから、ヨハネ・パウロ1世の言葉には、やはり神の存在が裏打ちされているから、私の勝手な解釈は、誤解と言えば誤解で、簡単にその証明もできる。
 ところが、おもしろいことに、この教皇は、キリスト教が生の充溢を奪い希望を失わせたとしたニーチェをちゃんと読んで、それに応答していることである。つまり、ニーチェがキリスト教にないと言っているものは、実はあるんだ、と。
 だから、あえて誤解して、私が上記のようなことを述べても、許されると信じている。そもそもこの言葉をキリスト教信者だけのものにしておくのは、惜しい。

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エラスムスって天神様?

 NHK文化センターでの社会人向け講座の担当回3回分を終えた。主たる講師の児玉昌己先生へのお手伝いで話していたが、EUの域内留学支援計画の名前になっているエラスムスを説明する際に、エラスムスはヨーロッパの人文主義者の矜恃を表すアイコンで、その肖像があちこちで持たれ、船の舳先に像が彫られることもあったのですよ(これはカッチャーリなどからの受け売りである)などと語って、思わず、日本の天神様(菅原道真)と少し似ていないこともないですね、などと続けた。
 が、話しているうちに気づいたが、確かに太宰府天満宮で学問の神として全国的に知られていても、これは私が北陸の生まれであるという特殊な条件にあることからの発想だと気づき、慌てて補足した。
 私の郷里では、男の子が生まれると、母方の祖父が地元の絵師や画家(必ずしもプロでない、絵がうまい人)に描かせた天神様を描いた屏風を贈り(同じように鯉のぼりも贈るのだが、私の場合、父方より母方の家が有力で、鯉のぼりが家に比べ大きすぎて飾れなかった)、正月にはそれを毎年、床の間に飾るのである。私の家の場合、仏間に床の間があるから、仏壇の横に、父の天神様と私の天神様の屏風が二本並んだ。昔の人物によくあることだが、絵師によって描き方が全然違い、父のふっくらした天神様と私の怜悧な天神様は果たして同一人物かと子ども心に思った。
 私も父も年を取ってぐうたらになり、飾らなくなってしまった。でも、思い出すと、いい習慣だったと思う。こういうのを聞いて、なんで女子にはないんだ、などとフェミニズム的発想で斬らないでね。

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夜行急行「能登」の終わりに

 寝台特急「北陸」と夜行急行「能登」がまもなく定期運転を終えるとのニュースが流れた。「能登」は、私の青春の列車である。上野・金沢間を結んで半世紀、私と同じ感懐を持つ人も多いだろう。
 寝台料金のかかる「北陸」にはそれほど乗っていない。一方、「能登」は何回乗ったか分からない。何がよいと言って、夜行の「急行」だから、特急料金がかからず、お金のない学生にはよかった。乗車券のお金(7~8千円)さえあれば、郷里に、あるいは東京に着ける。特急に乗れるお金があっても、こちらに乗れば飯代、酒代が浮く。座席は寝台車ではないから、普通の座席、しかも特急じゃないから、快適なリクライニングじゃなく、昔のローカル列車のような対面座席もあったかと思う。
 今では珍しい夜行の急行「能登」は、上野を11時くらいに出て、翌朝6時くらいに金沢に着く。あるいはその逆だ。金沢発は10時過ぎで少し早かったはずだ。体力のある若いころは、夜を移動に有効に使い、翌朝すぐ着いたところで動いた。もう一つ、例えば家族親類に不幸があって、飛行機の終わった直後に聞いても、11時ころに上野に行けば、翌朝の飛行機の始発より早く実家に着くし、自分で自動車を運転しても同じくらいかかる(また気持ちに余裕がないと危ない)から、交通手段の発達した現在でも比較優位があったのである。この点では、今でも失われていない。北陸人は進学率が高く働き者で、東京に出て行く、あるいは商売で往復する人も多いから、他の路線よりは乗車率がよく、長く続いたのではないだろうか。
 金沢や私の郷里の高岡はその点で、ちょうどよい位置にあった。途中の町では本当に夜中に乗り降りしないといけないが、金沢や高岡は、寝酒を飲んでも冷めたころに着く。アメリカでも同じことを言う人がいて、経済学者のガルブレイスもたしか『不確実性の時代』で、彼が若い頃は政策提言のためにボストンからワシントンへの夜行列車に乗ると、ニューヨークから乗るより、一杯飲んで寝られるから有利だったとか書いていた記憶がある。
 列車だから、辛いことを抱えた旅でも、考えに考え、思いに思い、一通り気持ちが整理できて、一眠りしたころにちょうど着く。向かうべきところには着実に向かっているが、こちらの気持ちが整理がつかないうちは着かない。そういう人間的なスピードの交通手段だった。
 体力的に徹夜がきつくなって、少し余裕もできて、今はもっぱら安い始発の飛行機を使っているが、このような時間の使い方が選択できなくなるのは、たとえ、もう無理でも、寂しい。

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マン島補遺

 マン島に関する蛇足。『21世紀イギリス文化を知る事典』(東京書籍)では、マン島を「自治領」と書いている。ちょっと大ざっぱな記述だ。昔のカナダなどに使われた「自治領」(Dominion)と区別する意識はないのだろうか。英文学の人たちを中心にまとめ、巻頭に皇太子のエッセーも掲載し、800頁超、定価9,500円のこの本、情報量から価格に文句はないが、法律・政治面にもうちょっと細かい配慮がほしい。

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「ナチュン」最終回に

 『月刊アフタヌーン』連載の「ナチュン」(最新号が最終回)は、文化人類学者が描いた異色の漫画だが、別の漫画家の「20世紀少年」と同様に、回を追うごとにスケールが大きくなって世界支配まで行ったので、話を広げすぎてどうするのだろうと思ったら、そういう終わり?という幕切れは、やむを得ないか。舞台となった沖縄(出てくる地名は架空のものだが、明らかに沖縄をイメージ)は、怪しげな人間たちが入り乱れる猥雑な環境設定には適していたが、最後の着地点のための保険にもなっていた感は否めない。やはり、世界支配はそこに向かっていくプロセスが面白いのであって、本当に支配したら、つまらないし、壊すしかないものね。
(既出の「スウェーデン製武器」の項から、「ナチュン」に関する記述を分けました。)

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マン島とEU法

「かわいいにもほどがある」と評されているネット・アイドルが来日した。このベッキー・クルーエルという少女は、マン島在住であるという。このマン島というのが、ヨーロッパ・マニアでもなかなか説明が難しい場所なのだ。私も、この点の勉強をサボっていたので、ここで勉強しよう。
 教科書的には、イギリス(連合王国)の一部ではなく、自治権を持つ属国(Crown dependency)で、旧植民地・自治領諸国などが入るイギリス連邦(Commonwealth)には入らない。属国であるから、外交・軍事はイギリスに頼り、国連などに自分で入る完全な主権を持った国ではない。外国人の入国には、イギリスとチャネル諸島(これもややこしいところである)と同じ入管法が適用される「コモン・トラベル・エリア」に属し、英国に入国できる人はマン島に入国でき、その逆も同様であるという。とすれば、このたびのクルーエル嬢もイギリス人と同様の条件で日本に入ってきたのだろう。もっとも報道にあるのは、「在住」であって、本人の国籍がどうなっているかはよく分からない。
 そこで気になるのが、EUとの関係である。マン島は、EU加盟国ではなく、EUが域外周辺国と結ぶ連合協定も結んでいないが、EUと「特別な関係」にある。いうまでもなく、イギリスはEU加盟国であるが、イギリス自体、ユーロは導入せず、社会政策にはEU法の適用除外がある。マン島は外交・軍事はイギリスに依存するが、他には自治権がある。しかし、EUが非加盟の周辺国とEEA(欧州経済領域:スイス以外のEFTA3ヶ国と経済面でほぼ一体化)や連合協定で、特に経済面でその規制が域外にも相当の影響力があることを考えると、何か影響はありそうである。
 もちろん、教科書的には、EU法の世界では有名な、イギリスのEC加盟法の「附属第3議定書」(チャネル諸島とマン島に関する規定)というのがあり、EU法は限られた分野のみしか直接適用されないことになっている。しかし、多くの分野でイギリス法を準用しているのだから、そのイギリス法がEU法の影響を受ければ、マン島にも影響が出ようし、何よりも「限られた分野」とはいえ、直接適用がされる分野もあるのである。この機会に、この議定書を読んでみた。大体、以下のようなことのようだ。
・マン島はEUの関税法規が適用される領域(関税同盟に含まれる、とは当然明言されないが、ほぼ同様の適用を受ける)に含まれ、対EU貿易で農工業品は自由移動。(EEA諸国ともほぼ同様)
・マン島財政の自主性を保つために、EUから補助金は受け取らない。
・イギリスからマン島に認められた権利がイギリスのEU加盟により失われることはないが、マン島民にはEU法にある人とサービスの自由移動は保証されない。
・この議定書の改正には、イギリスを含むEU加盟国すべての承認が必要。
・マン島は、EUの自然人、法人すべてに同等の対応をしなければいけない。
 まあ、知らないことだらけだ。マン島の住民のことをManxmanということも、マン島(Isle of Man)のURL国コード(im.)があることも、調べるまで知らなかった。

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スウェーデン製の武器

 スウェーデンの福祉については、専門家でないにしても、年に何回か授業で触れるが、当然、物事にも国家にも裏表があるということで、この国が輸出可能な優れた武器技術を持っていることにも触れざるを得ない。このことは、問題国には売らないガイドラインを作っていることも含めてよく知られているが、どこが問題国であり、どこがそうでないかというのは、その時の国際情勢次第という危うさは当然ある。
 国際関係論を教える者としては、武器についてそれなりに知っておくべきなのだが、私はあまり詳しくない。私はあらゆる趣味(オタク?)に寛容だし、「憲法第9条を守れ!」という人でもないが、ミリタリーものだけは、なぜか好きになれない。しかし、ミリタリーマニアというのは、男性にはそれなりにいるものであって、あちらこちらでその蘊蓄を聞く。
 私が唯一講読している漫画雑誌『月刊アフタヌーン』(アレクサンダー大王の書記官が主人公の「ヒストリエ」、ローマ法王庁も出てくる沖縄系?SF「ナチュン」がおすすめ)に長く連載されている「ああっ女神さまっ」という、かわいい魔女姉妹の漫画(これはオタク系というより、ほとんどお笑い系の漫画である)があるが、その末っ子の魔女が作る武器に、「塩水充填方式」という言葉があり、欄外の注釈に「スウェーデン製AT-4CS携行型対戦車弾に用いられるシステム」で、塩水を用いるのは、後方への爆風を軽減して「閉所でも射手の安全を確保」する、という説明がある。
 スウェーデンは武器も使う人のことに配慮した「人間思い」、などと安易に言ったら、身も蓋もない(相手は殺すのだから)が、よく考えられているなとは思う。実際、検索して調べて見ると、スウェーデンは「無反動砲」という分野でも有名らしく、自衛隊で使用している「84mm無反動砲」は、スウェーデンの「カールグスタフ」という名の銃をライセンス生産したものらしい。こちらは射手の後方に強い爆風が生じるらしい。
 ミリタリーマニアの自衛隊公開行事見学記をたどると、アメリカ、ドイツなどの主要国の製品(直輸入でなくライセンス生産が多い)のほかに、イラクにも派兵しなかったベルギーの技術による軽機関銃もあるし、こういうものを世界に売っているのもヨーロッパの一面であることを改めて痛感する。

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レーガンが新50ドル札に?

 共和党議員が新50ドル札(現在は南北戦争の英雄グラント将軍が描かれている)に間もなく生誕100周年を迎えるレーガン元大統領の肖像を使用することを提案している。民主党がどうでるかだが、共和党内にも異論があるという。実際、提案したのは保守的なノース・カロライナ選出の議員だ。党派を問わず人気があった「グレート・コミュニケーター」であり、新自由主義の旗手でもあった彼がドル札に使用されたら、反グローバル主義者たちはどう思うだろう。もっとも、50ドル札なら、もったいなくて、破ることもできない。
 アメリカの報道をチェックすると、以下のような経緯があるらしい。共和党は2004年のレーガン死去に際して、大きな記念となることができなかった。まず、アンドリュー・ジャクソン大統領が描かれている20ドル札の新図案にしようとしたが、ジャクソンの生地テネシー州選出議員に阻まれた。20世紀の政治家では、10セント硬貨にフランクリン・ルーズベルト、50セント硬貨にケネディが描かれているが、いずれも民主党の大統領である。その辺も気になっているのだろう。

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フルチの黄金律

 神余隆博駐独大使の新刊『多極的世界の日本外交戦略』(朝日新書)に、日本同様に国連安全保障理事会の非常任理事国の椅子を(日本ほど頻繁でないにしろ)取りに行かねばならぬイタリアの大使の国連選挙必勝法が紹介されている。
 パオロ・フルチは90年代に、日本がドイツなどとともに常任理事国の椅子を得るべく国連改革を主張していたときに、そうはいかないと抵抗したイタリアの国連大使だった人である。一国一票ゆえの小国重視で、様々な方策が示されるが、「スマイル、スマイル」とか、「イタリア的ホスピタリティー」など、やっぱりそれかい、とツッコミを入れたくなるものも上がっている。
 いずれにしても、日本人がよくやる大英帝国と日本を比較するなどおこがましいこと。イタリアくらいと比較するのが相応では。PKO実績では日本よりはるかに上ですぞ。

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英語だと、言っちゃう。

 日本外国特派員協会は、話題の人を呼んでランチョンをするので有名だが、日本人相手じゃないので、ついポロッと普段言わないことを言ってしまう人も多くて、それがニュースになってしまうことも多い。
 今回の舛添要一氏の発言も、変にハイになったような不思議な高揚感で語られていた。正直な話、いくら反自民でも、「鳩山対舛添」なら舛添に入れたいという人も少なくないだろう。そういう人が見たら、がっかりするのではないかというくらい、ひどかった。
 われわれ凡人も、英語を使うと、普段の日本語に付随している遠慮や奥ゆかしさから自由になった感じがして、普段言わないほど思い切ったことを言ってしまった経験のある人が多いと思う。もちろん、舛添氏は、元学者で海外での研究経験もある人だが、今回の講演は見て(テレビで、一部だけだが)、いい印象は持てなかった。
 谷垣総裁などの現執行部批判はともかく、民主党で組めそうだと思っている相手の名前を言ってしまうことに、危うさを感じた。案の定、民主党サイドからは、けんもほろろに否定された。首相になろうとする人が、これではいかんですたい。(舛添氏は北九州出身なので、九州風に)
 言葉が軽く見えてしまうのは、首相候補としてまずいでしょう。

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軍事用騾馬(ラバ)

 会社勤めをしていた時、海外の雑誌を読むのに銀座ほど適したところは他になかった。歌舞伎座近くのマガジンハウスの1階には世界の雑誌を一般の人も読めるギャラリーがあった。無料で、カバーしている国も分野も広く、ファッション雑誌だけでなく、イタリアのニュース・マガジン『パノラマ』などまで置いていたから、本当に便利なところだった。過去形で書いたように、これもなくなって、もう何年も経った。
 入手しやすい英語圏の雑誌は、銀座の書店「イエナ」で自分で買うこともあった。この書店も数年前になくなった。筑紫哲也氏も愛読していたという評論誌The Atlanticや、デミ・ムーアの妊婦ヌードがカバーになったVanity Fairなどをここで買ったと思う。最近、日本でもhitomiが写真集とFRIDAYなどで同じことをしていたが、実は彼の地の10数年遅れである。90年代前半のVanity Fairは、本当に勢いがあった。
 今の編集長は別の人らしいが、当時Vanity Fairの敏腕女性編集長だったティナ・ブラウンが、New Yorkerに移ったという話を聞いたことがある。これは格上の伝統ある雑誌に移ったことを意味する。もう何年もこういう雑誌を読んでいないなと、渋谷の書店で、思わず手に取ったNew Yorkerが創刊85周年とあったので、買った。
 さすがに、今も知的なエッセーばかりで売っている雑誌である。思いがけず、読んで面白かったのは、テネシー州で生産している軍事用騾馬(ラバ)に関する記事。雄ロバと雌ウマの交配の一代雑種で繁殖力はない、この動物は、過去にも戦争で使われた。馬のような体格とロバのような頑強さを持つだけでなく、馬のようにたくさんの食糧は要らないのに、かなりの重量の荷物を運ぶ。
 20世紀中葉にはアメリカで進んだ軍の機械化(軍事用ジープ、ヘリコプター)でいったん利用が減るが、山地にあり悪路が多いアフガニスタンで、この時代にまた利用が増えているようだ。
 このように、歴史と現代をつなぎ、しかも文学的味もある記事を読ませる雑誌がまだまだ続くことに、アメリカの知力を侮ってはいけないことを痛感させられる。

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