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民主党政権だからできること

 人権や社会・労働政策で新機軸を示さなければ、民主党政権の存在意義はない。国鉄分割・民営化に反対し、JRに採用されなかった旧・国労などの組合員との和解案(損害賠償と採用)を連立3党と公明党がまとめた。民営化が1987年で、すでに20年以上も未解決だったことすら、われわれは忘れかけていた。日本の政財界のエリートは、彼ら組合員を時代遅れと批判し、救済せず無視してきた。
 メディアにも責任がある。私は日経を講読している(日経の政治面は下手な全国紙よりいいのだ)が、こういうニュースのある日に、日経を読むのは不快だ。このニュースは、もっと大きな扱いでもおかしくない。第2社会面(新聞の裏から見て3頁目)に小さく出ているが、やはりこの新聞はもともと投資経済紙(その立場をうまく利用しているともいえる)で、企業寄りのところがこういうところに出てしまう。
 日経だけでなく、各紙にとってJRは大スポンサーだ。首相の水俣病の原告以外の患者との和解受け入れ表明も、より大きい記事だが、やはりこの面だ。朝日ならこれは絶対、一面だろう、と思ったら、やはり小さな扱いで、日経より朝日のほうが地味なくらいだ。しかし、経済紙というのは、企業の新技術(今日の日経一面は光技術)を、企業の責任よりも重視するものなのだろうか。もちろん、組合の旗振りをするわけにもいかないだろうが、こういう人の命に関わる問題(国労の労働者には心労などですでに死亡した人も少なくない)を軽視するほうが、企業にとってもメディアにとっても最大のリスクだと考えるのではないだろうか。
 労務問題の専門でない私がなぜ、この問題にこだわるかといえば、ある記憶からである。1990年代の前半だったと思うが、ポーランドから自主管理労組「連帯」の指導者であるミフニクが来日したことがある。北区王子の会館を会場に、ゲストに筑紫哲也氏を招き、シンポジウムが開かれたのだが、このイベントを事実上、仕切ったのが、旧・動労だった。動労は、国鉄の労組のうちでも戦闘的な組織だったが、民営化を機に雇用を守るために労使協調路線に転換、分割・民営化反対の国労と別の路線をとった。その意味で、動労の指導者は自分の組織を守ったといえる。しかし、上記のイベントでは動労の指導者にも時間が与えられていて、自己の成功談を語ったが、共産主義と闘ったポーランド労組と動労を並べて論じるのは無理があり、やりすぎだと思った。もちろん、有名人を連れてきてくれた恩義はあるが、かつて同じ職場にいた他の労働者への思いやりを欠いているように思えた。
 筑紫氏はさすがに、ポーランドに並々ならぬ関心(「ワレサ自伝」の訳者である)を示しながら、このイベントの危うさに気づいていて、主催者に失礼はないように留意されながらも、自分は労組がよく用いる「動員」という言葉に違和感を感じる人間である、と述べた。この場に来ている人たちが動員された人ばかりでないことを願っている、といったようなことも言われた記憶がある。まるで欧米のエリートのような、洗練された、しかし油断のない言葉だ。ミフニクの話は忘れたが、筑紫氏のこの言葉は忘れていない。なぜなら、この集会が終わると、案の定、「○○支部の方、集まってください」と、動員された労組の人々に声をかけるのが、会場内で聞こえたからである。もちろん、これも、海外の著名人を呼んだとはいえ、まじめな企画に人が来ないと困るということもあったのだろう。ただ、私は、この日に民営化の持っている微妙な、イヤな面を痛感せざるを得なかった。労組の組織を越えた「連帯」が感じられなかった。
 私の世代以上の年齢で地方から上京した者は、国鉄には相当の思いがある。国労がCMで流した、井上ひさし作のコピー「切り刻むのは、やめてください」に少なからず、同情した。今のJRほど洗練されていなかったが、かなりの田舎からでも国鉄一本で来られた。それによって不採算路線を抱えたのは、自民党政治家のばらまきによるものであって、現場の労働者には責任がない。その犠牲になったのは、自民党の政治家ではなく、現場の労働者だったのである。
 だから、民営化したJRが小泉今日子のCMでイメージアップし、サービスがよくなったという「街の声」がメディアによって紹介されるたびに、私は違和感を感じてきた。民営化の成功例としてJRがよく引かれるが、国民の税金で百年かけてインフラを作り、莫大な借金を別会社に回して処理した企業が成功しないでどうする。
 私は民営化後のJRの駅で切符を買うたびに怒っていた。切符の販売機に、金額表示より先に、JRの「びゅーかーど」での支払いがどうのこうの、という表示が出た(ご丁寧に「切符を買う場合はこちらのボタンを」という表示まで出たので「そっちがメインだろう」とツッコむ)からである。公共交通機関の立場を利用して、急いでいる客に一回一回無駄な作業をさせながら、自社の宣伝を優先している、と思った。それを見るのがイヤで2年前からSuicaやPasmoを使っている。(だから、今もそういう画面になっているかは、最近チェックしていない)
 民営化の際に不採用になった人々のうち、当時働き盛りだった人はもはや定年である。国労のPRで、この間に亡くなった人々の数々の顔写真を見たことがある。労組にも問題がないというつもりはないが、直接手をくだしていなくても、これらの死の少なくとも責任の一端は国にある。この不作為は大きい。

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