« 2010年4月 | トップページ | 2010年6月 »

政党のシンボルカラーについて

 政治を講じるようになってからずっと、調べていても確固たる答えが出ない問題に、政党のシンボルカラーの意味や起源がある。各国の議会史などを一国ずつ丹念に読めば出てくるのかもしれないが、そこまでマメにできない。
 つまり、イギリス総選挙で各党党首がネクタイにも気を使った、保守党(青)、労働党(赤)、自民党(黄)という色遣いはいつ始まり、どういう意味を持つかということである。ヨーロッパ各国で似た配色もあるし、同じような政党でも国によって微妙に違うこともある。
 イタリアのキリスト教民主党(もはや存在しない)は、カトリック政治勢力そのものが歴史的に「白」と言われているが、ドイツのキリスト教民主・社会同盟は「黒」であり、これはどちらも僧職の衣類と関わる(イタリアの場合は、ローマ教皇の色である)という説がある。保守派では、スペインの国民党も青、イタリアの「自由の人民」も青だが、後者はたぶん、イタリアのサッカー・チーム「アズーリ」をイメージしたベルルスコーニの宣伝によるもので深い歴史的意味はないと思う。イギリスの場合、保守党の青はロイヤル・ブルーとも関係ないこともなかろう。イギリスとドイツの自民党は前者がやや左寄り、後者がやや右寄りの気味があるが、同じ黄色なのはなぜか。ともかく、以上は推論でしかない。
 実は本場、ヨーロッパでも確実な情報が少ないのか、イギリスの新聞『デイリー・テレグラフ』に、なんで自民党は黄色を使うのだろう、という記事が出た。教えてもらうつもりで読んだが、この記者も確固たる裏づけがない推論だ。ただ、読者のコメントに面白いものがあった。
 それによると、19世紀では保守党は赤、自由党は青だったが、労働党が赤(社会主義だから当然)を使ってから、保守党が青にせざるをえなかったのだ、とある。赤(社会主義)に対抗するため、青(自由党)を侵食ないし連合せざるを得なかったという人もいる。これは分からないでもない。アメリカは今でも保守的な共和党が赤で、民主党が青だ(社会党や共産党がない事情もある)。どうもこの人、労働党嫌いのようだが、自由党は社会民主党(もともとは労働党右派の離党者、だから赤)と合同して、自民党となり黄色になったのだという説である。この人も確固たる証拠は示していない。ただ、イギリスの自民党は比較的最近現在の党名になったわけで、ドイツの自民党はもうあったから、あるいは真似たのかとも思う。この人は、反欧州派のUKIP(連合王国独立党)が王室や貴族(ローマの皇帝のトーガの色でもある)を意味する紫を使用していることを笑止千万としているが、同感だ。
 ここまで書いて、別の記事を見たら、ホガースの絵画では、保守、自民両党の先祖のトーリーが青、ホイッグは黄色と今日と同様だという。まだまだ分からない。そういえば、イタリアの民主党がオレンジなのは、左翼民主党(赤)と自由主義(黄)の混合なのだろうか?もっともキリスト教民主主義の左派もいるので、白も入っているのかもしれないが。

|

みんなの党に謝る

 このホームページは、私の気まぐれというか、時代に合わせてやってみているだけのもので、社会的影響はまったくないのだが、一応オープンなスペースで書いているので、間違いがあれば訂正しておきたい。
 数日前に、みんなの党が元自民党有力者の近親者を参議院選で島根選挙区に立てるという話を、自民党の実力者、青木元官房長官ががぜん有利になる、かつての共産党のように民主党支持票を食って結果的に自民党を利すると批判した。そのこと自体は必ずしも間違っていないと今でも思っていが、前提となる状況自体が大きく変わった。
 ほかならぬ青木氏が健康上の理由で出馬を断念したからである。これにより地元にそれなりの基盤があるみんなの党の桜内氏も当選の可能性が出てきた。もし、みんなの党が青木氏の不出馬を事前につかんでいたなら、情報収集が巧みといえるし、そうでなくても、その可能性を計算に入れていたなら、うまい賭けだったといえる。そういう見立てはできなかったから、詫びる。

|

英国総選挙の3党マニフェスト

 Amazonで発注し入手しました。全学共通教育の「政治学概論」で見せるため。やはり、必ずしも政治に関心がない学生にも、手に取れるものがあったほうが、教育的には効果があります。写真は、イデオロギー配置通り、左が労働党、真ん中が自民党、右が保守党です。
Ukmanifesto

|

ハンガリー政治思想に関する講演

現代史研究会で、下記の講演があります。会員以外の方でも聞けますが、女子大ゆえ、セキュリティーの関係から事前連絡を。「やそだ総研」のリンクから「やそだ」にメールください。
日時:2010年5月15日(土)17:00-19:00
場所:共立女子大学 本館4階415会議室(月例会と同じ)
講演者:G.Fodor, Gabor (フォードル・ガーボル)氏
 雑誌『世紀末』編集研究部長、ブダペシュト大学教授(政治学)
 青山学院大学国際政治経済学研究科招聘教授
テーマ:西欧の政治思想とポスト共産主義の中・東欧
コメンテイター:桑名映子氏(聖心女子大学)
モデレイター:羽場久美子氏(青山学院大学)

|

キャメロンの祖先と「坂の上の雲」

 英国の新首相デーヴィッド・キャメロン(David Cameron)の経歴をwikiで読んでいたら、彼の高祖父(ひいひいおじいさん)サー・ユーエン・キャメロン(Sir Ewen Cameron)が香港上海銀行のロンドンのヘッドで、高橋是清がロンドンで売り込んでいた日露戦争の戦債をロスチャイルド家などとともに引き受ける中心となった人だということが分かった。キャメロン家は、直系の祖先に王族がいて、代々、軍事、財政、金融にも関わってきた名門だ。新首相は実家ごと「歩く大英帝国」みたいな人だ。自身もオックスフォードで政治経済学を学び、若くしてラモント財務相のアドバイザーになっているということだから、経済・財務も分かる。今日まで形式的に首相に付記される歴史的名称「第一大蔵卿」(ダウンニング街10番地は本来「第一大蔵卿」のもの)にふさわしい人物だ。
 大学人やインテリは副首相のクレッグのほうに興味を持つだろう。ケンブリッジで社会人類学を学び、人権NGO「サヴァイヴァル・インターナショナル」に関わり、ミネソタ大学とブリュージュのヨーロッパ大学院大学に留学、国会議員になる前に欧州議会議員。クレッグのほうがヨーロッパ的、国際的で左派とも保守派とも知的接点ありそう。

|

英自民党のビデオ版マニフェスト

 「初のソーシャル・メディア選挙」とも表現され、facebook、ツイッター、iPhoneなどが本格的に使われる初めての総選挙といえるイギリスで、実際どのように使われているか、今更ながら日本から調べられるネット上だけでとりあえずチェックしてみる。
 まずは、各党の政権公約マニフェストである。労働党はお決まりのPDFダウンロードだが、もちろんツイッターとfacebookでの共有ボタンはある。これらはもはや、すべての党にあるが、保守党は、ダウンロードに幾つも種類があり、MP3で音声も落とせる。保守党の場合は、従来からあるプラカードやポスターのほうが面白い。あの伝説のポスター、サッチャーが勝利した1979年総選挙の"Labour isn't working."という絶妙なコピーを越えるものはなかなかできないようではあるが。
 とりわけ、新メディアに熱心なのは、第3党の自由民主党である。iPhoneとブラックベリーのスマートフォン向けのアプリケーションがダウンロードでき、iPhoneのアプリを使うとホームページ上にあるマニフェストのビデオ版を見ることができる。ビデオそのものがダウンロードされるわけでなく受信用のアプリなので、日本からは中身は見られないかもしれない。iPod touchしかない私には確認できない。
 もっとも、ホームページ上で見たマニフェストのビデオ版は長めのCMのようなもので、特にビデオならではの内容や構成にはなっていなかった。党首が一生懸命語っていたが、この程度の内容なら、他党がそれほど一生懸命に同様のものを作らないのは分かる。ないよりはいいだろうが。
 こうしたメディアのせいで、気が短くなっているのか、今回、イギリスでは初めて即日開票(従来は翌日)される。
 

|

「第三極」の「共産党」化

 みんなの党が参議院選の初の1人区候補として島根で桜内元衆院議長(自民、故人)の甥を候補に立てる。青木自民参院議員会長の選挙区だが、1人区といっても衆院と違い参院の農村を含む全県1区では自民は強いし、おそらく反自民票がみんなの党に終結するはずもなく、民主党が食われて、むしろ青木氏が有利になる、と誰もが見るだろう。反民主はみんなの党の主張だから大いに結構なのだが、自民党では改革ができないと離党した渡辺氏が結果的に自民党の旧体制の象徴である青木氏に利することになりかねない戦い方には疑問も多く持たれることになるだろう。これは、非自民・反民主のファイティング・ポーズだけはとりながら、選挙後を見越して、自民党に密かに塩を送る高等戦術にも見える。
 昨年の衆議院総選挙で民主党が大勝した一因に、過去の選挙でほぼ全選挙区で候補を立ててきた(単独政権を目指すには理論的にはそれが必要であるから、それ自体は間違っていない)共産党が、そのままでは結果的に自民党を利することになる(無論、各地方での選挙費用の負担の問題もあったと思われるが)と考えて、かなり選別して候補を立てたこともあった。
 したがって、候補の立て方によっては、「第三極」はかつての共産党のように、自民党のいちばんの反対者のはずが、自民党の最大の敵である民主党をくじくという意味で最大の支援者になってしまう可能性もある。衆議院での民主党の優位は大きく、今の民主党よりは自民党のほうがいい、という判断なのだろうが、選挙後に「統一」自民党でなく、自民党「連邦」のような政党の配置になることを国民は変化と考えるだろうか。
 もちろん、1人区という制度自体に問題があるとも言えなくもないが、直前に迫った今となっては、それは前提であるから、やはり戦い方が問題になる。

|

Routledge讃

 いささか告白めいたことを書くと、私自身は自分を外交史研究者とも政治学者とも歴史学者とも思っていない。本当は最もやりたいのは、政治文化史とでも言えばいいようなものである。ただ、そんな講座や科目は大学では成立しないから、一応それぞれのフィールドのルールになんとか合わせようとはしている。日本では、こういうのは、現代思想系の人がやるのだろうが、あのペダンティックな議論や気取った文体にはついていけない。もっと歴史的にやりたいのだ。
 しかし、欧州の学風はさすがに懐が深く、私のような関心は全然珍しくない。それを痛感するのは、そういったテーマで本を探しても、欧州の出版物には必ず何かが見つかるためである。ヨーロッパの政治や国際関係論を研究する人にはおなじみのRoutledgeなどは、私や私のゼミ生のかなり難しいのではないかというテーマでも、浮ついた評論ではなく、しっかりした研究書がある。
 例えば、先日、この欄でフランスの「レジスタンスの歌」を歌った、アンナ・マルリのことを書いたが、アンナ・マルリでAmazonに検索をかけると、Fighting Songs and Warring Words: Popular Lyrics of Two World Warsという研究書がすぐ見つかった。
 グローバリゼーションをエンターテイメントからやりたいという学生の求めに応じて探すと、これまた、Brand Hollywood: Selling Entertainment in a Global Media Ageという本が見つかる。
 こういう政治と文化の境界領域を扱うセンスを日本で持っていたのが、『朝日ジャーナル』や筑紫哲也さんだったのだが、もはやどちらも存在しない。自分らで小規模でも少しずつやるしかない。

|

憲法について私が授業で話していること

 まもなく今年の憲法記念日が終わる。私個人の印象論でしかないが、今年ほど憲法論議が低調だった年もなかったのではないかと思うくらい、静かである。普天間基地の移転問題で徳之島の3町長との会談を控えた鳩山首相は、それどころではないとでもいうのか、憲法について何のメッセージも出せなかった。閣僚たちの多くは外遊し、この日を含む連休を各地域により違う時期に休日取得することがもっぱら経済的な計算から検討されている。党の綱領に自主憲法制定を掲げる自民党も50年間一度も改正できず下野している。しかし、憲法こそはこの国の民主主義の基礎、他の祝日は全部飛ばしてもいいくらいの重要性がある日だったはずだったである。
 新聞各紙も今ひとつ。護憲リベラルの雄だったはずの朝日は、ギリシャ財政危機(それ自体は重要でないとはいえないが)で紙面を埋め、憲法関連は薄っぺら。読売や産経は少なくとも政治家へのインタビューや座談会を掲載している。最も本質的な問いをしたのは、東京。一票の重みや国民投票法への取り組みの薄さ、国民投票法が想定しているはずの投票年齢の18歳への引き下げへの取り組みの薄さを指摘している。
 私は例年、ヨーロッパの比較政治を扱う授業の3回目が連休前最後のコマになるので、比較憲法をそこで必ず扱うことにして、せめて憲法記念日だけは、憲法のことを少しは考えよう、と言うのだが、いい大人たちがこの有様では若者たちに憲法のことを考えよというのも無理な話かもしれない。今年は特に自分が言った言葉の空しさを感じた。
 もちろん、私はまず学生たちに、改憲でも護憲でも皆さんの考えは自由だし、特定の考えを押しつけるつもりはまったくない、ただ、このテーマを語る私自身もこの問題では中立的ではあり得ないので、その点を注意して聞いてほしい、と断ってから話すが、根本的に聞かれれば、私自身の考えは公明党(支持者ではない)の「加憲」に近い。つまり、環境やプライバシーなど新しい権利を追加するが、根本的な改憲はしないということである。
 ただ、問題となる憲法第9条については、戦争放棄はともかく、「戦力不保持」という、現実と完全に乖離した文言自体は変えたほうがいいと思っている。「自衛のための戦力のみ」保持と改正しても、自衛戦争の可能性を排除できないという人もいるが、憲法の条文が現実性を失うと、生存権など人権規定の実現の要請も緩んでしまう。書いてあっても難しいことはやらなくてもいいじゃん、すぐできなくてもいいじゃん、ということでは、憲法の憲法たる基礎が緩んでしまう。だから、ドイツはPKOに関して憲法判例まで作って派兵を可能にしたのだが、これすらも、だから9条を変えてはいけないというふうに解される傾きがこの国にはある。だから、私はあまりにも頑なな護憲派は、人権重視とは思えない。今日のPKOがまさに人道のために介入すら想定している世界的な流れとも反する。
 日本国憲法にはない「庇護権」(asylum)については、必ず言及する。イタリアやドイツなどに規定のあるもので、政治的迫害を受けて逃れてきた外国人をその迫害を受けた国に帰国させてはいけない、という民主主義や人権の根幹に関わる原則である。たとえ、今日では、この条文があるがゆえに、もはや表玄関から入れない経済移民も難民審査を受けるためにまずは政治的迫害を受けたと言ってしまうという、ややこしい事態を起こしているとしても。
 憲法前文には、翻訳調だという批判もあるが、ヨーロッパの主要国の前文や条文とシンクロするところもあるし、たぶん日本独自では書けなかった普遍性を持つ、ある意味で希有なチャンスが活かされた文である。私は、安倍内閣が改正した教育基本法も、もとの文言のほうが教育のよい意味で理想主義的な内容が表れていてよかったと思っている。旧法の第1条のなかにあった「真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた」をなぜ削除したか、旧前文のなかにあった「普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造」という文言をなぜ「伝統を継承し、新しい文化の創造」という陳腐な内容にしたのか、いまだに納得がいかない。
 つまり、憲法には、中曽根元首相などの言うような、日本の風土の美しさや愛国心などの情緒的なものを入れるべきではなく、普遍的な理念を示すべきなのであり、憲法は日本国の基本設計図であると同時に、世界に対してこの国はこういう考えでできていますよ、というメッセージでもあるはずである。
 だから、法学部でなくても、文化的なことをテーマに勉強する学生にも、自分のこだわる国の憲法くらいは読んでおいてほしい、と「世界憲法集」(現在、日本語で入手可能なもので3種あり)なども文献案内に入れ、図書館にも入れている。EU統合などの影響で、欧州各国では憲法改正が多く、この種の本も改訂が頻繁にある。三省堂の『新解説世界憲法集』も第2版が出た。

|

« 2010年4月 | トップページ | 2010年6月 »