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「めいすいくん」を知ってますか?

 皆さんは、明るい選挙推進協会の「めいすいくん」というキャラクターをご存じだろうか。この財団法人に支出される「明るい選挙推進費」は、すでに事業仕分けの対象となり、歴史的役割を終えたとのことで、「廃止」の結論となっている。事業仕分けでの結論は、すぐ実行されるわけではないから、今回の参議院選挙でも、ポケットティッシュの配布やコンビニのレジ広告などは行っている。
 私は今回、初めて存在を知ったが、何よりも名前がすごい。本来、「明るい選挙」なら、「めいせん(明選)」くんだろう。それを「めいすい(明推)」とするとは、どれだけ国民目線でなく、どれだけ自分たちの団体目線かが分かる。「名水」と間違えそうだし。一見、子ども目線の口調の「めいすいくん」ブログも記事が少ないし、なんでやるの?こんなバカなこと。これは、本当に分かりやすい、象徴的なものだから、私の政治学概論の教材にする。
 今朝7時からのNHK「おはよう日本」に、この「めいすいくん」が出演するそうだ。全国民で「めいすいくん」を見つめよう。冷たい視線で。
 

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あなたにもできるマニフェスト収集(3):新橋・代々木編

 今日は、他の政党と離れた場所にある2政党の選挙事務所へ。まず、新橋にある江木さおり候補(国民新党)の選挙事務所へ。昨年の総選挙では、地元選挙区に同党の候補がいなかった(日本中ほとんどそうだ)ので、党本部にもらいに行ったのだが、永田町付近で警備の人がいて、しかもビルの階上で、ガラス張りでなく中が見えないところに入っていくのは、ちょっと気が引ける。
 働くお父さんの聖地、新橋も、休日は静かで、ガード下の段ボールに住むホームレスの人たちを見ながら、改めて今の時代の厳しさを痛感しながら、少し歩くと、事務所が見つかった。候補者やスタッフの多くは当然、街に出ているから、小党の事務所は静かだ。中で話をしていた女性スタッフに一声かけて、玄関先にあるマニフェストをもらっていく。
 帰りに、オッサンの街、新橋らしい、ガード下の成人映画館の看板などを横目で見つつ、その隣には名画座もあって、見逃したイタリア映画「湖のほとりで」が次回、ここでかかるという。ただ、この街は私の通勤経路からも大きく離れ、わざわざ見にくることもないかと思って、電車に乗る。
 新橋から山手線で大回りし、日本共産党(今さら気づいたが、正式党名に「日本」が入っているのは主要政党ではこの党だけで、小党に日本創新党、新党日本があるに過ぎない)のお膝元、代々木へ。学生運動の盛んだった昔は、「代々木」といえば、共産党を指したくらい有名な場所だが、ここでも党本部には行かず、駅を出てすぐの共産党東京都委員会に行く。去年の総選挙と同様、党員か職員かボランティアか分からないが、年配の男性が受付にいるので、挨拶し、マニフェストをもらう。受付に女性を置かない、この普通っぽい感じは労働者、弱者の政党にふさわしい。
 近くのProntoでパスタの軽食をとったが、ここの喫煙率はハンパない。学生、予備校生、会社員、芸術家風、カップル、軒並み吸う。しかし、文化やビジネスの街、新宿のBook Offは、店舗は小さいのに、他店で見ない、意外にインテリな内容の古本が出ていて、2,3冊買う。
 今日は日曜で、明日に疲れをためてもいけないので、ここで終了。ボーナスが出て最初の日曜なので、夏物を新宿南口の高島屋で買い、なかの上等なカフェでお茶をした。
 本日の収穫は、国民新党(届け出パンフレット等第1号)、共産党(第1号、第2号=要約版)の2党。これで10党を収集。これで、NHKニュースや主要紙で必ず取り上げられる「新党改革」以上の9政党(現職の国会議員がいる政党)はコンプ。ただし、公明党、社会民主党は要約版のみなので、後で完全版の入手を目指す。諸派で入手したのは幸福実現党だけだが、この党よりも重要な日本創新党は、四谷に党本部がありそうなので、明日にでも行こうかと思う。ほかに、比例区には、女性党が出ているが、これはホームページ上に住所もなく、なぞの政党なので、敢えて追わないことにする。

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あなたにもできるマニフェスト収集(2):青山・麻布編

 2日目に入ったマニフェスト収集。まずは、青山一丁目交差点からすぐの中川雅治候補の選挙事務所。ビルの1階にあり、受付には学生っぽい若いバイトがいて、マニフェストをもらえます。マニフェスト(届け出パンフレット等第1号)のほか、「頒布」場所が限られるマニフェストと違い、いつでもどこでも配れる(「散布」できる)政策パンフレット「いちばん。」がありました。この「政策パンフレット」というのが微妙なもので、選挙活動であることを書かなければ、政党はいつでも政策を訴えることができるので、こういうものが配布できます。自民党は、それをうまく利用し、事実上、マニフェストのエッセンスを拾った簡略版と言ってもいい政策パンフレットをこの間にも「散布」しています。
 次に青山一丁目から都営大江戸線に乗り、六本木を経て麻布十番で降りました。実は、これは失敗で、六本木で降りるべきでした。その理由は後で書きます。麻布十番の4番出口を出ると、その出口から前に歩いていくと、新党改革の選挙事務所が1階にあります。ここは入口すぐのところにはマニフェストを置いてなくて、中に入って、カウンタにあるのを一声かけて、もらってきました。
 ここから麻布台にある「みんなの党」の松田公太候補の選挙事務所に向かったのですが、この道順は失敗でした。麻布十番から行くと、ずっと上り坂になり、この季節はちょっとしんどいです。といっても、10分くらい歩けばいい話なのですが。ただ、どこから行っても、松田候補の事務所は分かりやすいです。というのは、実は外務省の飯倉公館、つまり、われわれ研究者にはお馴染みの外務省外交史料館の真向かいにあるのです。ここでは中に入らなくてもいいように、外にマニフェストが置いてありました。もっとも「みんなの党」だけは、これを「アジェンダ」と呼んでいます。私はこの呼び方には賛成できないのですが、これについては、このブログで何回も書いたので、ここではやめます。
 したがって、六本木で降りたほうがよく、六本木から東京タワーの方向に緩やかな下り坂を道なりに歩いていけば、飯倉片町の交差点の先の左側の通りに外交史料館、その向かいの右側の通りに松田候補の事務所があり、ぼーっとしていても着きます。そこから六本木方向にとって返し、飯倉片町の交差点を左に下り坂を下りていけば、麻布十番の新党改革の事務所に行け、すぐ地下鉄に乗れたわけです。
 もう時間もなかったので、どこかもう一ヶ所と思ったのですが、主要政党の事務所はどこも少し離れていたので、諸派のうち、前の総選挙で回って見つけていた、幸福実現党の銀座の事務所でマニフェストをもらってきました。もう遅い時間で誰もスタッフはおらず、前の棚にマニフェストがあったので、もらってきました。
 本日の収穫は、自由民主党、新党改革、みんなの党、幸福実現党の、すべて届け出パンフレット等の第1号でした。なお、後で気づきましたが、もう一人の自民党候補、東海由紀子氏の事務所も六本木にあるようなので、ここが選挙事務所になっていれば、そちらに行けば、六本木周辺だけで3件行けます。

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Sex and the Congress

 東京メトロポリタンテレビの「松嶋×町山 未公開映画を観るTV」については、前にもここで、偽ドキュメンタリー「C.S.A」(アメリカ連合国:史実に反して南北戦争で南軍が勝った場合、アメリカがどうなっていたかを予測したウソ・ドキュメンタリー)について書いた。この番組は、日本未公開のアメリカの驚くべき内容のドキュメンタリー映画を見せてくれる番組で、最近では、ニューヨークの名門幼稚園お受験の加熱を追った映画を見せてくれた。今回放送の「OUTRAGE」(同じ題名の北野武監督の映画とは無関係)もすごい内容である。
 アメリカの議会にいる、自分がゲイなのに、それを隠してゲイに反対する政治姿勢をとる偽善的な政治家を告発した映画である。特に保守派の共和党員が告発される。つまり、私生活はゲイであろうがなかろうが自由だが、政治家の偽善は許せないという理屈である。
 ただし、アメリカは、確かに共和党を中心にキリスト教保守派に一定の影響力がある国だが、一面やはり、とても自由な国でもあり、この番組にも、ゲイをカミングアウトしながら現在も当選し続けている議員(民主党・バーニー・フランク下院議員、マサチューセッツ第4区選出)や同性愛者団体のロビイストも登場するのが、面白い。
 ここでは、はやりの映画、Sex and the City、SATCのCをCongress(議会)ともじってみたのだが、実は男たちの野望渦巻く政治の街ワシントンだけでなく、the City、つまりニューヨークでも、長く市長(1978-89年)を務めた(1969-77年に下院議員でもあった)エド・コッチが自身ゲイ(市長就任前から知られていた)ながら、ゲイ・バーをつぶしたり、当時「同性愛者の病気」という偏見があったエイズの対策を積極的に行わなかったりした偽善が、映画のなかで明らかにされている。
 

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あなたにもできるマニフェスト収集(1):4党集中、四谷編

 参議院選挙の各政党の選挙公約を書いた、いわゆる「マニフェスト」(公職選挙法上は「書籍またはパンフレット」)は、ネット上で見ることも可能ですが、紙の冊子が欲しいという方も多いと思います。しかし、現行の公職選挙法では、マニフェストの「散布」(どこでも自由に配布)を認めておらず、選挙事務所、個人演説会、街頭演説でのみ「頒布」ができると定めているために、個人の住宅ポストに投函はできず、自分で取りに行くか、偶然、街中で街頭演説にぶつからないと入手できません。
 でも、実はちょっと工夫すれば、短時間で収集できます。週末に散歩がてらマニフェストを収集して歩き、選挙事務所の雰囲気などもちょっと感じながら、社会勉強してみてはどうでしょう。
 私自身は、大学での1年生向けの政治学の入門講義で実物を見せるために、前回の総選挙から全政党のマニフェストの収集を始めました。このブログで今回の私の収集作業を紹介します。
 初回の今日は、夕刻から始めました。向かったのは、四谷三丁目・四谷間の国道20号線(新宿通り)。ここに東京選挙区の4人の候補者の選挙事務所が集中しています。詳しい地番は一種の「個人」情報ですので、ここに明記はしませんが、各候補者のホームページをリンクしておきますので、そこで確認してください。もっとも、私が書く順で回れば、ぼーっと散歩していても、分かります。
 四谷三丁目から四谷の方向に左側の道をしばらく歩いていくと、民主党の小川敏夫候補の選挙事務所があります。ビルの2階ですが、入口にマニフェストが置いてあり、中のスタッフに一声かけて、もらいます。このまま四谷方向に少し歩いた先に、「たちあがれ日本」の小倉麻子候補の選挙事務所がやはりビルの2階にあります。同じビルに事務所がある与謝野馨代議士の応援もあるのか、自民党仕込みのたくさんのスタッフがいる事務所で、マニフェストをもらいに行くと、まわりの人々がみな挨拶をしてくれて、かえって恐縮します。
 ここを出て反対側の通りに目をこらすと、なんと、公明党の竹谷とし子候補の選挙事務所があるのが見えるではありませんか。少し先にある横断歩道で向こう側の通りに渡り、今度は四谷三丁目に戻る方向に歩くと、オレンジ色の目立つ看板のある竹谷候補の事務所の前には、こちらは選挙熱心な公明党らしく、門前にスタッフが立っておられるので、マニフェストが欲しい旨伝えて取ってきてもらいます。ここから少し歩くと、今度は社会民主党の森原秀樹候補の選挙事務所があります。小党らしく2人のスタッフが電話を一生懸命かけていましたが、一声かけてもらってきました。ここから少し歩くと、四谷三丁目の地下鉄駅に戻れます。
 このように、小一時間で4党集められるので、四谷はマニフェスト収集の着手場所としてはいい場所です。ただ、マニフェストは、政党によっては、完全版と要約版の2種(各1種作れるということで、別に要約版を作らず、1種でも構わない)がある場合もあります。末端の選挙事務所には、要約版しかない場合もあります。これは費用的な限界もあり、やむを得ません。普通の関心の方には、要約版で十分なのですが、完全版が欲しい場合は、さらに他を回る必要も出てきます。そういうこともここで書いていきます。ちなみに、今日集められたのは、民主党(第1号)、公明党(第2号=要約版)、社民党(第2号=要約版)、たちあがれ日本(第1号)です。カッコ内の番号は届け出パンフレット等(マニフェスト)につけられる各党ごとの番号で第1号だけの場合もありますが、あっても第2号までです。
 明日は、青山から六本木にかけて、自民党とみんなの党をゲットするつもりです。

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参議院選挙・東京選挙区候補者HPリンク

選挙期間は更新されないのだけれど、過去の実績や経験も大事なので、勉強用に。
蓮舫(民主党)
小川敏夫(民主党)
中川雅治(自由民主党)
東海由紀子(自由民主党)
竹谷とし子(公明党)
小池晃(日本共産党)
森原秀樹(社会民主党)
江木さおり(国民新党)
松田公太(みんなの党)
小倉麻子(たちあがれ日本)
海治広太郎(新党改革)
山田宏(日本創新党)
矢内筆勝(幸福実現党)

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有名無実のマニフェスト散布禁止

 選挙について詳しい人には既知のことだと思いますが、現行選挙法の馬鹿馬鹿しさを改めて確認するために、数あるブログやネット情報にダブっても、ここで書いておきます。
 いわゆるマニフェスト、選挙公約集の文書は、公職選挙法では、第142条の2に「国政に関する重要政策及びこれを実現するための基本的な方策等を記載したもの」または「これらの要旨等を記載した」「書籍又はパンフレット」それぞれ1種類を、候補者届出政党または(比例区)名簿届出政党が、選挙活動のために「頒布」できる、としています。つまり、各政党は、完全版と要約版それぞれ1種類の合わせて2種類までは作っていいわけです。街頭では、もっぱら要約版だけを配っている政党もあります。「マニフェスト」は公職選挙法上の言葉ではないので、ある政党がそれを「アジェンダ」と呼んでも、何の問題もありません。
 また、どこでも配れるという意味の「散布」はできず、選挙事務所、個人演説会、街頭演説のいずれかの場所でしか「頒布」できないのです。これが不自由な話で、個人の住宅や会社のポストにマニフェストは投函できず、たまたま街頭演説に出くわさない限りは、個人演説会や選挙事務所に自ら行かないと、もらえないわけです。党本部や支部などは選挙事務所を兼ねている場合が多いですが、選挙事務所になっていないところでもらうことはできませんし、無理を言えば、こちらが選挙違反を誘うことになってしまいます。ミニ政党などで選挙事務所ではない本部をマンションの一室などに持っている場合は、取りにいってはいけません。
 一方、ネットは、有名になった文言「選挙運動のために使用する文書図画の掲示」が認められる場所や形式として書かれていませんので、マニフェストの掲載はダメということになります。選挙公約、つまりマニフェストは、上記のように頒布が限定されていますから、ネット上で散布つまりダウンロードできません。でも、実際には、各政党のマニフェストはホームページで見ることができるし、ダウンロードもできるように見えます。
 実はそれは、各政党のホームページをよく見ると分かるように、ネット上にある文書が実際ほとんどマニフェストと同じでも、選挙公約でなく、政策文書などという言い方で公示前に掲示しているはずです。民主党はわざわざネット上の(事実上の)マニフェストを「政権政策」としています。
 これは前回の選挙で、民主党がマニフェストをいったん公示前に掲載して、自民党に選挙法違反だと指摘されて、マニフェストではないように表記を変えた経緯があります。自民党は「政策バンク」と書いて、マニフェストと書きませんでした。
 選挙活動に関係ない「政策パンフレット」は通常の政治活動として散布もできます。この点が微妙でもっとも馬鹿らしいわけです。選挙らしいことを書かなければ、通常の政治活動を禁止するものはないので散布も許される。でも、実際の内容は、ほとんどマニフェストとかぶっているものもあるわけです。
 極論を言えば、「選挙公約」であるということをはっきり書かない配慮ができれば、「マニフェスト」という名の「政策パンフレット」を作ることも不可能ではないのです。公職選挙法に「マニフェスト」という言葉はないのですから。

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公示前、一有権者の宣言

 公示前日、政治家たちのブログ、ツイートが追い込みである。国会閉会で、今回もネット選挙解禁は成らなかった。明日からは、有権者であるわれわれ一般市民も「文書図画」で例えば他の人に「この人に入れよう」などと書くことはできない。ただ、おそらく自分が誰に入れるという一方的な話なら大丈夫ではないかと思うが、ちょっとした思い違いで選挙法違反をしては冗談では済まないので、慎重な言い方で、公示前日のこの日に、自分の考えをまとめてみた。繰り返すが、これは自分の勝手な考えで、誰にも勧めるものではない。
1.自民党は評価できない。野党になって、せっかくの機会に自らの過去の反省から、新しい政策を作って反転攻勢すべきところを、民主党の揚げ足取りに終始した。超党派の税制、福祉の議論に民主党の公約の破棄を前提とするのは、不作為以外の何物でもない。国民の生活よりも党のメンツを優先するのか、むしろ超党派の議論のなかで自党で優れた政策を作って浸透させるくらいのしぶとさ、したたかさはないのか?
2.みんなの党は評価できない。民主党だけでなく、国民的にいろいろな試行が蓄積されてきた「マニフェスト」という言葉を安易に捨てて、「アジェンダ」と銘打つ言葉の軽さに危うさを感じる。
3.どの党で荒れ、議員定数削減の公約は支持できない。むしろ議員はもっと多くていい。報酬は減らしてもいいが、人数が少なくなれば、住民との距離は広がるだけ。
4.民主党は期待に十分に応えているとは思えない。国民としてその若干の不満の意思表示として、東京選挙区では民主党の当選確実候補に投票し、2人目の当選には協力しない。
5.民主党の比例区には支持したい人物がいない。労組など団体候補の印象しか持てない。みんなの党には、NGOで活躍した(われわれ国際関係研究者も読んだ著書もある)吉田鈴香氏、『独身手当』などお役人の無駄遣いをわれわれに教えてくれた若林亜紀氏、伊勢丹の名バイヤーだった藤巻幸夫氏など、それぞれの世界からわれわれ国民に何らかの発信をしてきた人がいる(すべての候補者がそういう訳でもない)ので、これらの人のいずれかの名前で入れる。
6.したがって、選挙区=民主党有力候補、比例区=みんなの党に候補者名で入れる、のが私の結論。

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小党は「アジェンダ」って言うな

 以前書いたのでくどいが、ちょうど今日、みんなの党の選挙公約のプレゼンがあるので、繰り返し書いておく。民主党と差別化を図るために、「マニフェスト」という、それ自体は中立的な言葉を、まるで汚い語扱いして、自党の選挙公約を「アジェンダ」と呼ぶ、みんなの党の安易な言語感覚だけは支持できない。自ら首班をとる可能性がない小党がこの語を使うことが、かえって滑稽なことに気づかないのだろうか。
 別に民主党の肩を持つわけではない。マニフェストは民主党だけのものではなく、すべての政治勢力のための言葉である。ローカル・マニフェストの盛行や早稲田大学のマニフェスト研究所など、日本政治にとって、選挙公約を具体化していくために、この言葉は力を持ってきたはずだ。ここ数年のこういう積極的な意義をみんなの党はどう考えているのか。
 アメリカの民主党や共和党も確かにアジェンダという語で選挙公約を語ることはある。つまり、実現性が高い、わが党が勝利すれば、すぐ政府のアジェンダ(政策日程)にも入りますよという気合いが入っていて、それは二大政党なら理解できる。
 これから伸びていかないといけないし、今のところ自ら首班をとる可能性がない小党は、やはり、ひたすら国民への訴えに徹し、マニフェストと呼ぶべきではないか。現状で「アジェンダ」と呼ぶのは、滑稽でかつ悲しい、傲慢ですらある。

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キャメロンの祖先と『坂の上の雲』(続)

 以前、このブログで書いた「キャメロンと『坂の上の雲』」という記事で、高橋是清が日露戦争の戦債引き受け先を探して、香港上海銀行のロンドンのヘッドだったキャメロン首相の高祖父(ひいひいおじいさん)サー・ユーエン・キャメロン(Sir Ewen Cameron)と会っていたことを書いたが、先日、『高橋是清自伝(下)』(中公文庫)でそれを確認したので、メモしておきたい。
 明治37年、高橋は元老・井上馨からロンドン行きを求められる。自らが副総裁を務める横浜正金銀行(外国為替を中心業務とする東京銀行の前身)の拠点を通じて公債引き受け手を探していく。
「私はロンドンにつくと、前記のようにパース銀行の総支配人ダン氏ならびにロンドン支店長シャンド氏、香上銀行(香港上海銀行)の取締役支配人サー・ユウエン・カメロン氏、(中略)と懇意を結び、たびたび会見しては英貨公債一千万ポンドを募集せんとする日本政府の希望を告げかつ諮った。」
 前に書いたように、wiki(英語版)のキャメロン首相の項の家族の歴史を書いている部分で、ロスチャイルド家が中心となる日本の日露戦争戦債引き受けで、サー・キャメロン(キャメロン現首相と区別するため、以下ではこう書くことにする)が中心的な役割を果たしたことが書いてあった。もっとも、ロスチャイルド家自体への最初の顔つなぎは、サー・キャメロンでなく、高橋の回想録には「パンミュール・ゴールドン商会のレビタ氏」の紹介で「かの有名なるロスチャイルド家をも訪問」した、とある。
 もちろん、サー・キャメロンが重要でないわけではなく、最初から公債を引き受けようと好意を示していたのは、パース銀行と香港上海銀行のみであったというから、高橋はいろいろな人物に働きかけていて、またイギリス側もいろいろな人間が動いていて、サー・キャメロンが唯一無二というわけではないにしても、重要な話し相手であったことは間違いない。
 それどころか、サー・キャメロンはイギリス政府の主要な人物にも働きかけている。アメリカでも日本の公債引き受け手が現れると、「外務大臣ランズダウン侯のごときも、香上銀行のサー・ユウエン・カメロン氏から、この米国参加の話を聞かされた時には、一方ならず喜んだということであった。」
 もちろん、サー・キャメロンはビジネスとして自分の銀行の融資が活かされるべく努力しているわけであるが、それにしても先立つものがなければ戦争もできなかったはずで、このことは記憶されていい。キャメロン首相がもし訪日する機会があれば、日本政府は必ず通常の首脳訪日以上に厚く歓迎するはずである。官僚批判が激しい昨今だが、ここに書いたことくらいは当然、優秀な官僚たちは調べているはずだ。

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『昭和天皇論』を読む

 数ヶ月前に出て気になっていた、小林よしのり『昭和天皇論』(幻冬舎)を読む。小林氏をくさすことをリベラル知識人の証明のように思っている人もいるが、私は小林氏の仕事は意義のあるものだと思った。たとえ、そのすべてに同感しなくても、重要な意味のある部分を見逃してはいけない。
 この本には、もっと一般にその意義が知られてよい、二人の碩学の研究も要所で活かされている。それは、参考文献にも掲げられている、豊下楢彦『安保条約の成立』(岩波新書)と、ロバート・D・エルドリッヂ『沖縄問題の起源』(名古屋大学出版会)である。この二著がなければ、安保と沖縄という今日まで続く大問題について、小林氏は説得力ある議論はできなかっただろう。もちろん、お二人が小林氏の仕事をどう思っているかは知らない。ただ、少なくとも、これら信頼のできる文献に当たっている点で、その活用の仕方が正しいかどうかは取りあえず判断を保留しても、多くの保守系文化人の読むに耐えない評論の類とは明らかにレベルが違う作品になっていると思う。
 エルドリッジ先生(阪大で働いていたとき、お目にかかっているので先生と書く)は、奄美諸島、小笠原諸島の返還についても重要な研究を著されている。『奄美返還と日米関係:戦後アメリカの奄美・沖縄占領とアジア戦略』(南方新社)、『硫黄島と小笠原をめぐる日米関係』(同)である。

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アジェンダよりマニフェストのほうが適切

 みんなの党が選挙公約を「アジェンダ」と呼んでいる。しかし、これはやはり、「マニフェスト」のほうが正しい表現だろう。おそらく、「マニフェスト」が民主党のせいで新鮮な語感がなくなったことから、具体的な行動計画を表す「アジェンダ」を用いて、より責任を持って実現するという語感を込めたいのだろうが、これはいささか誤解に基づく使用である。なぜなら、現在のみんなの党のポジションを考えれば、みんなの党の「アジェンダ」(=マニフェスト?)が新政権の「アジェンダ」(政策日程)とならないことはほぼ確実だからだ。「アジェンダ」は、それを果たし得る人が使う言葉だろう。第三者がそう呼ぶならまだしも、現在のみんなの党が自ら使うのは、むしろ滑稽な感じすらする。
 選挙公約にこの語を使っていけないということはない。例えば先のアメリカ大統領選挙で敗れた、McCain-Palin Agendaという表現を見ても違和感は感じない。それは、オバマでなければマケインというくらいには、実現性は相当ある有力候補だったからだ。
 みんなの党は今回、躍進するだろうが、今のところ、民主党との連立は考えていない以上、政権には入らない、ないし、入れない可能性が大である。政権につく前の小党がひたすら国民に「呼びかけ」る表現としては、やはり「マニフェスト」のほうが謙虚で正確な表現だ。選挙に入れば、政権与党も一政党、だから与党も「マニフェスト」と書く。みんなの党に「アジェンダ」などと言われると、もう与党気分なのか、と思ってしまう。
 イギリスの保守党は、今回の総選挙で自党のマニフェストを新政権への招待(invitation)と書いていた。そのことも影響してるのだろうか。

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歴史教育を大胆に再編できないか

 本の街、神田神保町で働きながら、それらしいイベントになかなか参加できずにいたが、昨夕、東京堂書店で、佐高信氏の新著『平民宰相 原敬伝説』(角川学芸出版)のプレゼンとして、佐高氏と加藤陽子氏の対談があった。最初から最後まで両氏のお話はとても面白く、含蓄があった。原敬と犬養毅の比較、小沢や菅など現代のリーダーへの連想、100年経った大逆事件での秋水と大杉栄など、どの話も一瞬も退屈することがなかった。
 そこで考えさせられたのは、加藤教授が『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社)を書かれた理由だ。この本が書かれたきっかけに、加藤教授が高校生に行った授業がある。東大文学部で教鞭を執っておられる加藤教授は、いつからかご自分が教授する3年生以上の学生より若い学生に近現代史を教える必要を痛感されたという。
 ここからは私の個人的な考えで、加藤教授の提起されている問題とは少し違うが、私も学生には早い時期に歴史をもっと選択的に徹底的に学ばせる必要があると思っている。
 高校にあれだけ世界史などの科目が設定されているのに、授業をしていて、歴史が分からないから国際政治の話も何も分からないというリアクションを何回も見て痛感したのは、学生に不足しているのは、必ずしも知識量ではなく、加藤教授の本が与えてくれるような、歴史事象を徹底的に考える機会が少ないのではないかと思った。
 高校世界史の内容構成は、実は今日から見て本当に必要な知識というよりは、かなりの部分、歴史学の業界の勢力分布の反映である。だから、古代も中世も近現代も中国に、イスラムに、ヨーロッパにと、まだグローバルに世界史が連動しないうちから、いろいろ舞台が変わり、かつ必要以上に名辞を覚えさせられるから、それが主になってしまう。しかし、明以前の中国の王朝、イスラムの王朝の知識はどれだけ今日の世界を理解するのに必要だろうか?それ自体の重要性は疑わないが、それは大学で好きな人が学問としてやればいいだけのことだろう。
 民主主義の概念を作った古代ギリシャと中国の古代文明が教育上(学術上でなく)等価だとは私には思えない。それは西欧崇拝ではなく、冷静に現代の世界を動かしている主軸の国々を見極める、いわば、わが国生存のための現実的なニーズである。グローバルな世界史の連動が起きる前の時代は、ヨーロッパをメインに、近代以前の中国やイスラムは文明の特徴でもざっと見て、近現代史を徹底的に学べばいいのではないだろうか。こうした地域や時代の専門である大学教師と高校教員が、あれもこれもと知識を入れ込まないことを望む。
 

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アイドルの表紙で売る文庫

 書店で既刊の文庫を探しているうちに、これまで一冊も買ったことのない「ぶんか社文庫」(この文庫の存在に気づいたのも今回が初めてだ)で夏目漱石『坊っちゃん』などに、えらく可愛らしい少女たちが表紙モデルに起用されていることに気づいて、手に取った。表紙裏には、著者と並んで、この少女たちの紹介もあり、今メンバーの「総選挙」をしている話題のアイドルユニット、AKB48の面々と分かった。
 私にとってのアイドルは永遠に聖子ちゃんであるが、中原中也『汚れつちまつた悲しみに...』のモデル(篠田麻里子)はとてもきれいだったので、ジャケ買いしてしまった。本の中にも数ページ冒頭にグラビアがある。
 もちろん、中也の詩集は、すでに各社から出ていて、新潮、角川、岩波、集英社、講談社学術などの文庫に収められている。表紙解説によれば、中也が死んだのは1937年、とうに著作権は切れている。とすれば、他の文庫との差別化を図るのは理解できる。
 解説には、岩波など老舗が相当の人物を起用している。一時期は、各社が解説の著名人で文庫を売っていた。それでも本が売れない現状では、民主党内閣ではないが、表紙を変えるのも一つの手だ。上記のぶんか社文庫の中也は、幾つかの詩集から詩を選んだいわば選集だが、解説はついていない。読書というのは気まぐれで、逆に解説など欲しくない、本文だけほしいという気分のときもあるし、まったく意味のないものとは言えないだろう。
 映画化されるときに、その俳優たちを表紙にしたり、読書キャンペーンに人気モデルが使われたことはあるけれど、こういうことは珍しいのではないか、と思っていたら、そうでもなかった。今回、ぶんか社文庫の名作シリーズに入った作品を試みに検索にかけてみたら、SDP文庫というものが別にあり、これはスターダストプロモーションという芸能プロが所属タレントを表紙モデルに起用した文庫を出していた。これも著作権の心配のない名作ばかりで、伊藤左千夫『野菊の墓』(山口百恵や松田聖子などアイドル映画の定番だった)の表紙は本仮屋ユイカ、宮沢賢治『注文の多い料理店』は夏帆。
 著作権の切れたもので、かつ余り大部でなく重すぎない作品、そしてやや刹那系の作品ということは両方の文庫で共通だ。宮沢賢治、堀辰雄、太宰治、中原中也、夏目漱石はどちらにも入っているし、ほかに梶井基次郎、有島武郎、伊藤左千夫など、いかにもという作品が並んでいる。
 たぶん、これらが出たころに既に話題になっていて、今になって私が気づいただけなのだろう。これをどう考えたらいいかは分からない。別に、オタクに文学を読ませるいい機会だというつもりもない(オタクはむしろ知的である)し、文学の過度の商品化と憤るつもりもない。ただ、本文のエディションがちゃんとしてあるかどうかは気になる。それも必ずしも悪くなかった。むしろ、今の時代に合わせた配慮がしてある。私の買った上記の『汚れつちまつた悲しみに...』は、原著にあった読み仮名は歴史的仮名遣いのまま、他に文庫の編集者が振った読み仮名は括弧書きで現代の仮名遣いにしてある。
 これがまた、私には驚きだった。ほとんど辞書を使わなくていいようになっている。今の若い人が漢字の読みができていないのは、日々大学で教えていて痛感している。いや、われわれも読めない字はあったが、調べたのだ。その調べる労も省いている。歌にも出てきて読めそうな「彼方」「櫂」「顎」「炬燵」等にも振ってある。「火消壺」などは見たことがなくても、読めそうなものだが、振ってある。
 その意味で、ジャケ買いの言い訳ではないが、大人にもある意味、今の言葉をめぐる状況を考えさせてくれるものである。
 なお、ご関心の向きに、表紙のモデルを紹介しておくと、上記の中原中也のほかに、夏目漱石『坊っちゃん』(大島優子)、太宰治の4作品『斜陽』(板野友美)『ヴィヨンの妻』(河西智美)『人間失格』(前田敦子)『パンドラの匣』(宮崎美穂)、堀辰雄『風立ちぬ』(小野恵令奈)、宮沢賢治『銀河鉄道の夜』(北原里英)だそうです。神保町の交差点に写真集の大きな広告が出ている前田敦子以外は知らない。モデルについて詳しくは、ネット上に数多あるであろうAKB48情報をご覧あれ。
 
 

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鳩山首相、講演でクーデンホーフ=カレルギに言及

 私は最近、ツイッターにはまっている。政治家やジャーナリストが多数参入し、政治学を講じる者として仕事上も無視できないものになってしまった。もちろん、使い方をよく分かっていない人や下手な人もいるし、著名人だから必ず面白いということでもなく、逆に著名人でなくても、フランスやイタリアの大学で教えたり、学んだりしている人のツイートは、メディアでは分からない現地の肌感覚が伝わってきて面白い。
 ジャーナリストのなかでも特に使い方がうまく、ライブな感じでつぶやいてくれる人が『週刊朝日』など多数のメディアに登場するジャーナリスト、上杉隆氏で、岡田外務大臣の会見場から、外交文書問題に関する問答の勘どころをライブで伝えているのを、私もリアルタイムで追った。会見を中継するニコニコ動画が見られるPCが手元にないときなど、携帯で見るツイッターが頼りになる。
 昨日の上杉氏のつぶやきは、東京工業大学(菅新首相の母校)での鳩山首相の講演会場からだった。それを見て、鳩山首相が祖父でやはり首相だった一郎氏にならって、友愛精神のヒントとなったヨーロッパ統合運動家でオーストリア人貴族のリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギに言及していることを知った。しかも、産経の詳報を見る限り、講演のシメの部分でかなり長く言及したようである。
 大学でEUの歴史などを習うチャンスがある人は聞く名前である。1920年代に早くも、著書『パン・オイローパ(ヨーロッパ)』とそれにちなんだパン・ヨーロッパ運動を起こし、欧州統合運動を率いた人物。ただし、彼を現在のEUに直結するようにとらえるのは無理があり、フランスのブリアンやジャン・モネと同等に評価していいかどうかは疑問である。ただ、早い時期に具体的な運動を在野で始めたということから先駆者としては当然評価されていい。日本では、母親が青山光子という日本人女性であったために、やや過大評価されている気味がある。
 鳩山首相の祖父、鳩山一郎氏は占領軍による公職追放で要職につけなかった不遇の時期に、クーデンホーフ・カレルギの著作の一つを翻訳している。その後、公職追放が解けて政界復帰、自民党初代総裁、首相となるわけだが、この過程でクーデンホーフ・カレルギの影響もあって創始されたのが、「友愛」運動である。
 こうした日本との関係については、クーデンホーフ=カレルギを研究している戸澤英典氏の「RCK通信」がネット上の日本語情報では最も信頼できるものだ。
 あるジャーナリストによる『青山栄次郎伝』という最近出た評伝が、とりわけ、その題名や惹句にいささか問題があることは、ここで前に記したので、もう書かない。

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いっそ、大連立したら?

 以下は、無責任な妄想である。もはや、政界全体の信頼が失われているのだから、もし参議院で自民党が第1党になったら(現状ではそれも怪しいが)大連立したら、どうか。人材がいないのは、どちらも同じ。それなら、せめて責任は負ったら、どうだろう。閣内でどちらに統治能力があるか競争すればいい。その後で総選挙(次の衆議院総選挙は任期満了なら参議院選挙と同年になる)で決着すればいい。今すぐダブル選挙とするのは、安保と金融のダブル危機のこの時期には問題だろう。
 例えば、民主が総理、外務、総務、法務、文部、厚労、国土交通、自民が財務、農林、経産、環境、防衛、沖縄担当を取る。沖縄担当は自民に変え、仕切り直し、外務をとる民主も関与する。法務と厚労(年金記録回復)、国土交通(公共事業の精査)は民主が継続する。文部、厚労も民主にキープし、労組の影響力も残しつつ、農林、経産を自民にして口蹄疫の仕切り直しと財界の意見も入れる。財政と気候変動は現実的な数字に戻す。与党になることで、利益集団を丸抱えするゲームは止めて、いっそすべての集団の協議に持って行く。その場合は、二つの政党のそれぞれの支持団体が決定過程にいたほうが、1党でうやむやにするよりは、論争点が国民にはっきりする。
 大連立は日本では人気がないが、もう救国内閣を組んでもいいくらいの情勢だ。福田内閣の際の小沢氏との大連立は、選挙から時間が経ってから行ったから、その意図をいぶかられた。イギリスのように、選挙の直後に「国民はどの政党にも多数を与えなかった」と、国民にも選挙結果の責任の自覚を求めて、堂々とすぐ連立協議をすればいいのである。多数を得られなかった政党は、どれも威張れる筋合いになく、統治を早急に確保するために努力すればよいのである。

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CBSドキュメント、CATVで放送していた

 3月末に、TBSで水曜深夜に放送していたCBSドキュメント(CBSの60ミニッツを編集して放映)がなくなるのは、日本の外国知識にとって損失だというようなことを書きましたが、ケーブルテレビの「TBSニュースバード」で隔週ながら、水曜午後11時から、TBSのときと同じピーター・バラカン司会で放送されているようです。まだ見ていないのですが、よかった。これで少しは見られる。

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出版「舎」「館」「工房」

 以前もなかったわけではないけれど、最近、自分が関心を持った本の出版社に、「有志舎」「悠書館」「書籍工房早山」など、出版「社」と名のらない出版社が幾つかある。
 『週刊朝日』の書評は、ときどき信じられないくらいいい人選や面白さがある。以前、タイトルは忘れたが、オーストラリアの哲学教授だったかが書いたゴルフの哲学本をトマス・アクィナスの研究で知られる稲垣良典氏が書かれていたように記憶するし、書評家の斉藤美奈子氏による動物図鑑の書評が意外な観点から書かれていて、それだけで十分面白かった記憶がある。
 今週の書評に、ふるまいよしこ『中国新声代』という中国の各界の新世代を追った本が出ているが、著者と親交のある写真評論家、飯沢耕太郎氏の書評を読むだけで、この本が欲しくなった。この出版社が、「集広舎」なのである。
 出版界というのは、まったく縁遠い世界でもないのだが、私にとって永遠の謎であって、出版不況が言われながら、多品種少量生産は止まらず、しかも新興の出版社に良い本が少なくない。政党が「党」を名のらないということがイタリアで見られた時期があり(民主党が3年前にできたのは例外として)、あるいは出版にもそういう堅いエスタブリッシュメント化を嫌う傾向があるのかと想像もするが、確たることは言えない。あるいは、自然な謙虚さの現れだろうか。

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