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キャメロンの祖先と『坂の上の雲』(続)

 以前、このブログで書いた「キャメロンと『坂の上の雲』」という記事で、高橋是清が日露戦争の戦債引き受け先を探して、香港上海銀行のロンドンのヘッドだったキャメロン首相の高祖父(ひいひいおじいさん)サー・ユーエン・キャメロン(Sir Ewen Cameron)と会っていたことを書いたが、先日、『高橋是清自伝(下)』(中公文庫)でそれを確認したので、メモしておきたい。
 明治37年、高橋は元老・井上馨からロンドン行きを求められる。自らが副総裁を務める横浜正金銀行(外国為替を中心業務とする東京銀行の前身)の拠点を通じて公債引き受け手を探していく。
「私はロンドンにつくと、前記のようにパース銀行の総支配人ダン氏ならびにロンドン支店長シャンド氏、香上銀行(香港上海銀行)の取締役支配人サー・ユウエン・カメロン氏、(中略)と懇意を結び、たびたび会見しては英貨公債一千万ポンドを募集せんとする日本政府の希望を告げかつ諮った。」
 前に書いたように、wiki(英語版)のキャメロン首相の項の家族の歴史を書いている部分で、ロスチャイルド家が中心となる日本の日露戦争戦債引き受けで、サー・キャメロン(キャメロン現首相と区別するため、以下ではこう書くことにする)が中心的な役割を果たしたことが書いてあった。もっとも、ロスチャイルド家自体への最初の顔つなぎは、サー・キャメロンでなく、高橋の回想録には「パンミュール・ゴールドン商会のレビタ氏」の紹介で「かの有名なるロスチャイルド家をも訪問」した、とある。
 もちろん、サー・キャメロンが重要でないわけではなく、最初から公債を引き受けようと好意を示していたのは、パース銀行と香港上海銀行のみであったというから、高橋はいろいろな人物に働きかけていて、またイギリス側もいろいろな人間が動いていて、サー・キャメロンが唯一無二というわけではないにしても、重要な話し相手であったことは間違いない。
 それどころか、サー・キャメロンはイギリス政府の主要な人物にも働きかけている。アメリカでも日本の公債引き受け手が現れると、「外務大臣ランズダウン侯のごときも、香上銀行のサー・ユウエン・カメロン氏から、この米国参加の話を聞かされた時には、一方ならず喜んだということであった。」
 もちろん、サー・キャメロンはビジネスとして自分の銀行の融資が活かされるべく努力しているわけであるが、それにしても先立つものがなければ戦争もできなかったはずで、このことは記憶されていい。キャメロン首相がもし訪日する機会があれば、日本政府は必ず通常の首脳訪日以上に厚く歓迎するはずである。官僚批判が激しい昨今だが、ここに書いたことくらいは当然、優秀な官僚たちは調べているはずだ。

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