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高岡と高松

 wikiには信頼性を欠く情報もあるけれど、自分が知っている項目もことさら引くと面白いことも書いてある。高岡市美術館は戦後、高松市美術館の次にできた公立美術館で、当時は、東京都、京都市、神奈川県くらいしか公立美術館がなかったという。高岡市美術館のHPでもこの事実を確認した。
 高岡市美術館は私が子どもの頃は高岡市立美術館といい、これは古城公園内にあったのが、移転した高岡高校の跡地に移ったときに改称されたわけだが、同じように戦後の公立美術館の走りである高松市美術館も同様の改称をしている。この「立」があるのとないののニュアンスの違いは何だろう。「民活」で民間の参加を期待しているのだろうか?
 高岡と高松をつなぐもの、それは工芸だ。納富(のうとみ)介次郎という人がいて、この人が現在の石川県立工業、富山県立高岡工芸、香川県立高松工芸、佐賀県立有田工業の4高校の前身である工芸学校あるいは工業学校を創立させた。とりわけ、高岡と高松に「工芸」の名前が残っているのがいい。
 高岡市美術館を古城公園から現在地に移すときに、同じ古城公園にあった図書館も近くに移し、高岡の文教街区を作る構想もあったはずだ。しかし、駅前に開発したビルに図書館を入れた。通勤客の利便性などは後付けの理屈でテナント不足の穴埋めだろう。あの一角は何をやっても振るわないデッドゾーンだ。
 図書館を駅前におけば利用者数は上がるだろう。しかし、軒並みシャッター通りになった末広町に図書館だけ置いて、何か文化的なムーブメントは起きたか?美術工芸と諸学の連携なくして、どうして文化の種を育成できるか?高岡にはもう高岡高校と高岡工芸しかない。中心街には大学はないのだ。

(最近、気持ちに余裕がないので、ちょっとした合間に140字以内で携帯入力も簡単な、ツイッターでつぶやいていたのですが、有名人でない限り、ブログのほうが多くの人に見てもらえます。で、数回にわたってつぶやく内容は、それをまとめてブログ記事にすることにしました。)

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