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ベルルスコーニ、最大のピンチ

 ハイティーンの少女を買春していたのではないかとの疑惑で、汚職疑惑なら嫌疑は政敵の陰謀だと言えても、少女買春となれば誰も弁護したがらず、さしものベルルスコーニもかつてないほどのピンチである。前回の信任がギリギリだったので、次に信任がかかった投票になれば過半数はとれないとの分析も出てきた。
 ただ、問題は後釜がいるかということである。与党ではフィーニ派が去ったために逆に人材不足で、ベルルスコーニに変わる候補は見つかりそうにない。もちろん、フィーニ自身も可能性はまずない。
 昔、久米宏のニュースステーションでやっていた単純な積み木計算をすると、下院では、ベルルスコーニの与党「自由の人民」233議席+ボッシの北部同盟59議席が合計で292票、対する最大野党・民主党206議席+「価値あるイタリア」22議席が合計で228議席と、もともと基礎票では圧倒的に右派が有利。この間にいる、フィーニの「未来と自由」32議席、中道連合35議席、南部自治派など21議席だが、これらはかつてはベルルスコーニと組んでいた中道から右派の間の勢力だ。
 この3グループのうち1個半くらいの支持でベルルスコーニは勝てる、与党で造反が出ても、このうち2個の支持があれば勝てるが、野党は実はこれら3つすべて乗らないと過半数にいかない。つまり、それくらい基礎票に差がある。まとめると、現状ではベルルスコーニに過半数の支持はないが、それ以外の政党がすべてまとまっても代わりの政権はできない。
 とすると、90年代の半ばの政権危機で経験済みの「大統領政権」、つまりイタリアの首相は国会議員である必要がないので、大統領がこれはという人物に組閣をさせ、両院で信任されば非議員首班内閣が成立する。その候補はいるか?かつては、イタリア銀行総裁のチャンピや同銀行専務理事のディーニを首相にしたときもある。今の総裁のドラーギは欧州中央銀行の次期総裁候補の一人なのに、それに乗るか。また、ほかに経済人などでいい人はいるか。いそうにない。
 左派系の新聞『レプッブリカ』は、教会も政治家たちのモラル低下を気にしていて、祖国の危機に際して本来距離を置くはずの大統領と教会という世俗社会と宗教界のトップがかつてない一体化をしていることに、この共和国の形の溶解の危険性を見ている。

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ブリュッセルの地下鉄の絵(2)

 前項に続けて、ブリュッセルの地下鉄ホームの絵で気になったもの。
 これらは、欧州委員会ビルのあるシューマン駅の隣の駅Maelbeekにあったものだけど、この絵を描いたBenoit van Innisという人は有名な画家だったと思う。記憶が怪しいのだが、以前、この人はフランスの何かの切手の図案も描いていたような気がする。ヘタウマというと失礼だけど、何か人間味を感じる。

Benoit_2 Benoit2_2

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ブリュッセルの地下鉄の絵(1)

 日本でも半蔵門線錦糸町駅の壁にある花火の浮世絵のように、地下鉄ホームの線路奥の壁に絵が描いてある場合がありますが、ブリュッセルの地下鉄でもなかなか面白い絵に遭遇しました。ただ、その由緒来歴を書いた記録を見つけていないので、以下はまったく私の想像ないし感想です。
 最初に見つけたのは、ベルギー名産のタピスリーの製造と関係があるのか、見事な色彩のもの。

 Metro

 次は少しファンタジー的なもの。

Metro2

 次のは、少し社会的なにおいのする絵。これは何枚かの絵の連作で、中央の女性の周りの人々がまったく見えないのから、だんだん見えてくるのに移って、最後はみんな見えるようになる。現代の人間関係の希薄さでも問うているのかな?

Metro3
 ほかにも面白いのがあったので、それは次の項目で。

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アントウェルペンと印刷術

 ベルギー旅行の最後に行ったのはアントウェルペン。アントワープ、アンヴェルスのほうが言いやすいが、やはりフラマン語圏だと痛感したことが多々あった。途中の駅の自転車置き場に整然と自転車が止めてあったのもオランダっぽかった。海に近づくにつれて、原発や風力発電用の風車も見る。
 ブリュッセルは両言語地域だが、ワロン語圏の主要都市よりフラマン語圏の諸都市のほうがよほど近い位置にあって、アントウェルペンも40分くらいで着く。駅は地下に何層も掘って巨大な構造物となっているが、地上部分のもともとの駅舎も東京駅を何倍も立派にしたようなものだ。

Station

 ここで美術館に入ってしまえば、また美術観光に終わってしまいそうなので、ルーベンスの大作が幾つもある有名な美術館はあえて次回に回し、まずはルーベンスの家を見る。つまり、絵より制作現場のほうが歴史っぽい。ただ、ここはそんなに心に残ることがなかった。ふーんという感じ。

Rubens

Antwerp1

 その後、広場に出ると、新年の飲み会なのか、人でいっぱいだった。通りのはずれに飲み物を渡しているテントがあって、そこに行列があり、そこから出た人が広場ではしゃいでいるようだ。
 海に出ると、ずっと先に港湾らしきものがあり、ステーン城というかっこいい城が残っている。ここから街に戻り、プランタン=モレトゥス博物館という活版印刷の博物館を見る。これは見た後で世界遺産と知ったが、確かに植字から印刷、版下まで全工程の作業場と機械、器具が残っていて、帳場や学者が滞在した部屋や多くの初期活版印刷本のコレクションもある。もちろん活版印刷の創始はグーテンベルグだが、これだけのものが揃っているところはあまりないらしく、ここも活版印刷の新聞は世界で初めて印刷したらしい。

Moretus_2

 ここを訪れる意味は、ジャック・アタリが『21世紀の歴史』でプランタン(名前の通りフランス人でモレトゥスはその娘婿である)について書いていたように、印刷術は資本主義の発展と密接な関係があり、アントウェルペンが一時、世界経済の中心であったからである。ここは知識人のサロンにもなっていて、その中心がリプシウスという人文主義者なのだが、これが大学以外では知る人の少ない人であり、その意味ではこの博物館は地味な存在である。しかし、だからこそ、逆に歴史を考えさせてくれる、いい博物館だと思った。活字の最も小さなものは、今の技術でもこれ以上小さいのは無理だろうと思わせ、実際、今の文庫本のように小さな紙型にぎっしり文字を積めた本が初期からある。

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オーステンデまでデルボーを見に行く

 ベルギーは本当にブリュッセル起点でほとんどが日帰りで見られる街ばかりだが、さすがに今回は行くのに多少時間がかかった。9日(土曜日)お昼前に慌ててオーステンデに出かけたのは、その翌々日の11日からデルボー美術館が冬期の閉館期間に入るとネットで読んだからであった。
 オーステンデに来るのは初めてではない。21年前の1990年の冬、1ヶ月かけてヨーロッパ10ヶ国を回ったときにオランダのロッテルダムからフェリーでイギリスに渡り、同じ航路だと面白くないので大陸への帰りは別のフェリーでオーステンデに渡ったのだ。ただ、そのときは港からすぐの駅で電車に乗り、ブリュッセルに向かったので、冬の日の曇った天気しか覚えていない。

Oostende

 デルボー美術館はオーステンデの郊外にあり、海岸を走るトラムに乗りかえる。ここまで来ると、すべての表記がオランダ語でフランス語は並記されていない。やむなく英語で切符を買う。幸い、オランダ語だけだがトラムの路線図があって、細かい駅の並びが分かったので、やや安心して乗る。

Nord

 ジント・イデルスバルトという停留所までは十数ヶ所の停留所があり、これは地元民の足なのだが、海岸リゾート地らしく、カジノが停留所前に幾つかある。また、この季節なのにホテルやレストランに結構人がいて、海岸を散歩している人もいる。途中、日本でいうベッドタウンでもあるのか、大きな集合住宅が幾つもあった。オーステンデを出てからはしばらく、冬の厳しい北海の寂しい海に旅情をかき立てられる。
 ジント・イデルスバルトの停留所にも、降りてすぐの場所にはデルボー美術館に案内する看板などはついていない。少し先に行くと、ここには漁業博物館などもあるらしく、そこへの方向だけを示す看板があり、向かいの普通の商店街の角地にデルボー美術館への矢印があった。その方向に数分歩くと、また右方向に矢印。今度は商店街から離れ、庭の広い家が間をおいて並ぶ、寂しい通りをまた数分歩く。そして今度は左に少し折れたところにようやく美術館を見つけた。

Delveax

 来ていた客は私以外には老夫婦が一組。決して大きな美術館ではないが、デルボーの作品数十点を時間をかけてじっくり見られた。老夫婦と重なる瞬間もなく、私と絵の間に何も障害がないどころか、その部屋や一角にすら誰もいない。それでも一通り見た後、デルボーの生涯を描いた記録映画を見て、そこに出てくる絵をもう一度見たくなって、さらに一回りした。特に、「ポンペイ」という絵が好きだ。デルボー流のポンペイなのだが。

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ブリュッセルで行った書店

 あくまで私が行った限りで、ブリュッセルで私が行った書店について書いてみよう。20年前にブリュッセルに来たときも、書店には来ている。そこで買った本が別項で書いた今回持参した2冊の不思議な内容の本だが、そのときに行ったのは、フランスが本拠のFNACと、EC本専用の「ヨーロッパ書店」(これについては別項で書いた)であり、ブリュッセル子が行く書店は知らなかったと言っていい。
 今回もまずは大きな書店で様子を見ようと思って、繁華街のギャルリー・ド・ラ・トワゾン・ドールFNACに行った。確かに一通りのものはあったが、何かベルギー色が不足しているように思われた。
 そこで、ネットで検索し、ブリュッセルで支持の多い、アール・ロワ通りにある「フィリグラン」という書店を見つけ、行くことにした。ネット情報にあったように、真ん中にカフェがあり、ケーキやコーヒーも出しているし、奥のテーブルでは何か談論している客たちの間でピアノ演奏もしている。文学や美術は充実していて、客たちが店員にいろいろな本を聞いて、店員と客がただ本の場所についてでなく、これは面白いとか、同じ作家の前作と比べたり、他の作家を挙げてこういう感じという話をしているのを小耳に挟んだので、確かに読書好きの集まる書店なのだろう。
 ただ、ベルギー論的なものを読みたい私には歴史や時事は今一つに思えたし、何よりもまあまあ広い1フロアとはいえ、カフェを真ん中に置いて、いろいろなものを詰め込んだために、どこも狭い感じがあって、ブリュッセル子にはそれが仲間同士の親密さに思えるのかもしれないが、異邦人の私には窮屈だった。
 探しているものが見つかったのは、灯台もと暗し、今回宿泊したホテルの近くにあるギャルリー・ロワイヤル・サンチュベールの中にあった「トロピスム」という書店だった。この書店も基本は文芸中心なのだが、ベルギー論を並べた一角があって、これが私の求めていたものばかり。
「ベルギーのアルバム」という論集は、昨年出たばかりだが、政治からシャンソンまで政治・社会・文化のいろいろな視点からベルギーを論じている。この本のなかの論文でイタリア系ベルギー人の文学というものも今やあることを知って、それらの作家の小説を探したが、これもフィリグランにはなく、ここで1冊だけ見つかった。

Sthubert

 今回泊まったホテルは経済的な質素なホテルなのだが、このギャルリーの入口近くにあり、今度ベルギーにくるときも、この書店に行くためにここに泊まろうとさえ思っている。もちろん、それには、このギャルリーにいい映画館もあるからなのだが、それは次の項目で書こう。次に来るときまで、オランダ語も少しは勉強してフラマン圏の書店も漁りたい。

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私が最も好きな画家デルボーとマグリット(陳腐な感想)

 私が好きな画家の一番(デルボー)と二番(マグリット)は、10代の頃からずっと、イタリア人でもフランス人でもない、ベルギー人のこの二人である。ベルギーが好きな日本人のかなりの部分はこの二人が好きなはずだが、イタリア好きやフランス好きは普通、それぞれの好みの国の画家を挙げるはずだ。
 ところが、私はおそらく国で言えばベルギー好きには入らず、イタリア好きであることは間違いないが、それを知っている人(たいていその人もイタリア好き)に「好きな画家は?」と聞かれると、いつも困る。イタリアについては、ルネサンス時代から現代まで色々な絵を見てきたが、本当に好きなのはキリコだけ、最近ファッツィーニの彫刻が好きになりつつあるが、これもまだまだ駆け出しだ。そのくせ、日本では有名でないガエターノ・プレヴィアーティという19世紀末から20世紀初頭に活躍した画家は好きで、画集も持っていたりする。しょせん美術はどれだけ好きでもアマチュアなので、世評に関係なく自分の好き嫌いを正直にしている。
 なぜ、デルボーが好きかというと、私がまだ10代で高校から大学に行くぐらいの頃、1983年だったか、東京、大阪のほか富山と姫路でデルボー展が行われ、私の郷里が国内4ヶ所の会場の一つになって、それまで知らなかったこの画家から強い衝撃を受けたからである。カタログは富山で編まれ、これは富山県立近代美術館が初期に手がけた、いい仕事だ。この美術館自身が1点「夜の汽車」という素晴らしいデルボー作品を所有している。
 デルボーの魅力は、古代の都市や現代の電車や不思議な人物などと一緒におかれた、体温が冷たい感じの上品な裸婦なのだけれど、それでいてどこか人間味のある表情が好きだ。北陸生まれの私には、北海に臨むオオステンデの冬の波が日本海のそれにダブったのかもしれない。
 やはり富山県立近代美術館に小さな作品がある(あったはずだが、ホームページのリストに見つからない)マグリットも好きで、今日はマグリットの家(正式名は、有名なマグリット美術館と区別するため、フルネームでルネ・マグリット博物館という)から見た。地下鉄でベルジカという駅から降りてさらに15分ほど歩く。目立たない通りに並ぶ他の家と同様の間口の狭い普通の家なのだが、ヨーロッパの都市中間層の住宅によくある長細い3階建てである。

Magritte1

 入館も民家のブザーを押して開けてもらう式で、係の人がざっと中の概略を説明してくれる。1階にはよく記録映画で見た台所とアトリエがつながった場所、寝室にはモンドリアンの影響を受けて彩色されたタンスなどがあり、2階から3階に彼の生涯を写真と幾つかの小品でたどることができる。
 特に今回面白かったのは、積極的でないにせよ、共産党などとかすかな接点があり、少しだけだが政治的なテーマの作品もあること、キリコやモンドリアンの影響などが分かったことだ。あの有名な鳥の形をした大空の絵は、サベナ航空の宣伝に使われたこともあったらしく、これだけの作家が国内にいたら、それは絶対そうするだろうなと納得した。彼が映画や写真など当時の新しいメディアが大好きだったことも、堅物でない感じがよく、好感が持てる。
 この近くを通るトラム94番に乗ると、街を北から南に下って繁華街のルイーズ通りに出る。この方向にデルボー展をやっている現代美術中心のイクセル美術館(「地球の歩き方」10〜11年版には出ていない)がある。雨が降ってきてルイーズ通りでイタリアンに入ると、これが正解で美味しい魚料理を食べて機嫌良く出たが、傘を置いてきたので歩くのがやがてしんどくなる。

Ixelles

 イクセル美術館は最寄りのバス停、トラム停留所のどれからも10分は歩かないといけない、これまた分かりにくいところにある。日本なら、こういう場合、最寄り駅に地図や案内板などあるはずだが、それもない。近くまで歩いたらようやく道中に案内板を幾つか見た。
 デルボーの作品で「夢」という、日本で言うと幽体離脱のような二人の裸婦(一人は宙に浮き、地上にいるほうは夢見て寝ている)を描いた暖かみのある絵は、1999年にフィレンツェで見たデルボー展の目玉で、カタログの表紙にもなったもので、ここで再会した。他にも、これまで思っていたデルボーのイメージと違う、初期の作品や荒々しい感じの作品もよかった。
 と、ここまで書いて、この日も完全に美術館めぐりになったことに気づく。どうも、今回、ベルギー行きを選んだ本当の理由はここにあるようだ。このために仕事に関係のあるような他の理由を付け足したに過ぎない。まあ、費用は私費だから、誰にも文句は言われまい。この文も陳腐だ。理屈抜きで好きなものについて書くときは読者は気にしていない。ただ、親戚宛に自分の遺言を残しておこう。私の棺桶にはデルボーとマグリットの画集を入れてほしい。

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王立美術歴史博物館で目的が行方不明

 ベルギー滞在4日目は朝から雨、風も吹く。この天気では本屋や博物館しかないでしょうということで、この日はブリュッセルに留まり、昨年下半期のベルギーがEU議長国のときに作られた「ブリュッセルのなかのヨーロッパ」という観光リーフレットに従って、散歩コースをたどっていこうとする。
 このリーフレットにはないが、20年前に来たときは欧州委員会のビルの近くにEU本ばかりある書店があったなと思って検索すると簡単に見つかった。この「ヨーロッパ書店」は、実は1966年からあったらしく、20年前は欧州委員会ビルの手前にあったのが、今はサンカントネールの博物館群の裏のオルム通りにある。ここを散歩の起点にするとよいと思われた。小さな店舗だが、EUものだけなので、さすがに職業柄じっくり書架を見る。ハンガリー人の書いたリスボン条約の分析本と、ブリュッセルの新興のユーロ研究機関「ブリューゲル」の本、ユーロスケプティズムに関する本、地中海連合の前史的研究本を買う。オックスフォードの色々な新刊も気になったが、買うと荷物になるので書名を覚え、帰国しても入手できるか不安なものだけ買った。ネイホフやアシャーなど法律学術書専門出版の本は高いので、研究費で買う予定にして、今回はパス。サンカントネールに向かう通りには、ヨーロッパ各地の地方政府のオフィスがある。見かけたのは、エミーリア=ロマーニャ、ヘッセン、カタルーニャ、アキテーヌ。
 この後、サンカントネールの軍事史博物館でベルギー近現代史の復習をするはずであった。ところが、隣の王立美術歴史博物館に入ったが最後、半日出てこられなかったのである。
 企画展は「中世の死」葬式風景や中世の墓(骨入り)から死に関するさまざまな思想や美術表現まで、「死」のオンパレード、もう一つのエトルスキ人のバーチャル3D展示は本物のエトルスキ遺物をイタリアで腐るほど見てきた私には、子どもだまし。あんまり面白くない、食事をしたら本来の目的である軍事史美術館に行こうと、館内のレストランで美味しいランチを食べたら気分がよくなって、待てよ常設展示も見ていこうと思ったら、これがアリクイの巣にアリが落ちていくように引き込まれてしまった。私のそれなりに仕事に関係があったはずの「目的」は、大きな館内で行方不明になる。
 古代エジプトだけで百貨店のほどの1フロアを占領。ミイラの棺桶だけで20くらいもある。オリエントの粘土板、ギリシャの壺絵や彫刻、ローマの大きなモザイク画、中世の宗教画・彫刻、近世のタピスリー、科学史上の様々な道具、先史遺物と、ヨーロッパだけで早くも物量で疲労感。
 ところが、ヨーロッパ以外の世界中の文明の遺物がある。古代から近世までの中国は銅剣から唐三彩まで、ガンダーラなどインド周辺の仏像、チベットの仏教画、東南アジアの物品も多数。太平洋諸国の展示物にはバカでかいモアイ像があるかと思えば、アステカだけでなく数々の古代中南米文明、アメリカインディアン、エスキモーの民俗、イスラムの宗教画と陶器、一体これだけのものをどこから集めてきたんだと圧倒される。この館だけで16世紀くらいまでの世界史を全部教えられるわ。大英博物館やルーブルと比較してはいけないかもしれないが、それらに次ぐくらいのすごい博物館だ。
 観光ガイドは、ルーベンスやブリューゲルなど名画のある王立美術館は詳述し、この王立美術歴史博物館(原語は「美術史」でなく、「美術&歴史」である)についての説明は少ないが、この2館を合わせて、いわばベルギーにおけるルーブルのような存在なのだろう。つまらないと自分が思うものはさっさと通り過ぎたのに、出てきたのは午後の3時、もう軍事史美術館に行く元気はなく、欧州委員会のビルの見えるシューマンという地下鉄駅で戻る。欧州委員会ビルには元日のエストニアのユーロ参加を祝う垂れ幕が掛かっている。17ヶ国目だ。

Estonia

 夕食時に地元の人に好かれる書店で、アール(美術)通りにあるフィリグランに行くが、教養人のサロンのような作りでカフェが真ん中にあるが、通好みの選書はしてあるものの、決して大きな書店ではない。フランス外交官の本とリスボン条約のミニ本を買う。私はあまり好きになれなかったな。
 雨の中、さすがにもういいや戻ろうと思って、レストランの多いブシェール通りの店に入ったけど、パエリヤ(観光客目当てか、旧スペイン領だからか、やたら看板に掲げられていることが多い)で結構値段がかかってしまった。滞在中はもうパエリヤは注文しない。

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マルシネル炭坑事故の歴史的意味

 マルシネル炭坑の事故は、欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)が稼働してから数年後、翌年には欧州経済共同体設立条約(ローマ条約)が締結されるというときに起きた。もちろん、イタリア人の労働移民はそれ以前から始まっており、いわば欧州統合初期の労働移民の典型である。

Scala

 先に述べた三つの施設は高台にあって、炭坑事故追悼の場は階段を下りたところにある。この階段とは別の、事故当時からある幅の狭い鉄の階段は、死傷者を担架で運んだ歴史的な記憶を留めるために、使わずに保存されている。下にはイタリア人炭坑夫の記念碑と追悼の鐘がある。すべてイタリア語表記だ。ここには事故の50周年だった2006年に当時のイタリア大統領チャンピも来ている。これもイタリア史の一部なのである。ここに来て本当によかった。

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 シャルルロワは炭坑によって栄えた街だ。南駅に戻ってから市内の見物に出たが、駅前を流れるサンブル川にかかる橋の両端に炭坑夫と製鉄労働者の像がある。ここから坂を上り続けると、市役所や教会のあるシャルル2世広場に着く。市役所の裏に美術館がある。

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マルシネル、カジエの森

 カジエの森は、この地名が知られるようになった炭鉱事故の記憶だけでなく、ワロン地区の産業史全体を振り返る複合施設(といっても、ルール炭田のように大きなものではないが)になっていて、これにはEUからの補助金が出ていて、入口にそれを示す大きな看板があった。いちばん手前の産業博物館には、重化学工業の大きな機械類が置いてあり、ワロン圏の工業化の歴史がたどれる。その奥がガラス博物館で、エミール・ガレなどのガラス作品や鍛冶屋のアトリエがあり、さらに奥にあるのが、その名も「1956年8月8日館」だ。この日に起きた炭坑事故で262人の炭坑夫が死んだ。出身国で最も多かったのがイタリア人で、死者136人である。

Italien

 この日の8時10分に事故が起きたので、それを示す大きな時計のモニュメントがある。狭い坑道を再現したところや、炭坑夫たちの日常を撮った写真のパネル、そして地下1000m以下までに下っていく作業用エレベーターの地上部分がサイレンやベルの音も付けて再現されている。私はふだん映像資料は熱心に見ることがないが、ここでは当時のニュース映像を使ったドキュメンタリーを最初から最後まで見た。

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 この事故は裁判になったが、有罪となったのは現場監督のみで罰金のみの執行猶予、企業側には刑事上の罰はなかった。そのため、「マルシネルの犠牲者は2度殺された」という表現もある。残された248家族、遺児417人の悲痛な思いが伝わってくる。この後、炭坑は操業停止となり、安全強化後に再開するも、ほどなく石炭は衰退産業となり、1967年には完全に閉山される。

Casier4

 1946年から1963年の間にマルシネルを含むベルギー各地の炭坑で死んだイタリア人は合計890人に上る。そのなかで最大の事故が起きた8月8日は、2001年にイタリア政府により、「海外イタリア人労働犠牲者追悼国家記念日」に指定された。(次の項に続く)

Ora

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シャルルロワ、マルシネルへ

 今回ベルギーに来た第一の理由であるマルシネルの炭坑跡、「カジエの森」の博物館群を訪ねるため、ブリュッセルからシャルルロワに向かった。
 ブリュッセルから南西方向に1時間ほど列車に乗ると、ワロン語(フランス語)圏最大の都市で、ブリュッセル、アントウェルペン(アンヴェルス、アントワープ)に次ぐベルギー第3の都市でもあるシャルルロワに着く。駅前が改装中で落ち着かないが、バス停に捨てられた吸い殻の多さに、ああ、ラテン圏に来たな、と思う。
 シャルルロワの交通の中心である南駅からバスに乗って20分ほどで「カジエの森」の最寄りのバス停に着くのだが、郊外にある炭坑跡なので、運転手に「プロフェッサー、ここで降りなさい」と言われないと気づかなかった。マルシネルという小さな町の中心ですらないようだ。ちなみに、フランス語でいう「プロフェッサー」は大学教授だけでなく、リセの先生なども含む。もちろん私は職業を名乗っていないが、地味目の紳士ものコートを着てきたことや産業遺跡などを訪れる物好きな奴はそうに違いないという予想、あるいは、そう呼んでおけば違っていても失礼ではないということだろう。
 実際、バスを降りても、何の表示もない。目の前にあるのは、よく衰退産業地域にある低所得者向けの高層集合住宅が数棟のみ。やむなく散歩中のお年寄りに聞くと、ここから遠くない、バス停から見て斜め後ろに戻る道を行って右に曲がるとよいからと言うのでその通り行くと、すぐに丘のように高くなっているところに炭坑特有の鉄塔が見えてきて安心した。

Casier

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ベルギー行に道連れにした本

 今回のベルギー行には、20年前にブリュッセルで買いながらほとんど読んでなかった二冊の本を持ってきた。
 一つは、Ted Goldman, Brussels Confidential。アメリカ人の著者でイギリスで出版された本だ。もう一冊は、Arthur Sohier, 1900-1980, reflets belges et autres ou Memoires d'un ancien belge。著者は無名の著述家らしいが、これがベルギー論としてとてもよいので、このブログで少し紹介していきたい。

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遅ればせのベルギー入門

 ブリュッセルには、20年前に一度来ているのだが、ほとんど何も覚えていない。グラン・プラス周辺しか見ていなかったようだ。今回は、ベルギー史を一から勉強しなおそうと思った。
 ホテルはグラン・プラスの裏、ギャルリー・サンチュベールのすぐ横にある。ここから、中央駅方向にコングレ宮とアルバート1世王立図書館の間を抜けて王立美術館に。実は、私はマグリットの大ファンなのだが、王立美術館の離れのようなマグリット美術館はちょうど改装中でマグリットは見られず、そこで行われている「ドラクロワからカンディンスキーまで:ヨーロッパのオリエンタリズム」という企画展を見る。
 西洋は東洋に(東洋は西洋に)暴力やエロスなど自分の社会で建前上は御法度になっているものを思い切り描いていたのかもしれない。スルタンのハーレムや中東での戦ものが多いのはそういうことなのではないかとずっと思ってきた。
 常設展示では、やはりルーベンスが圧倒的な存在で、他はそのおまけに見える。もう一つの目玉、ブリューゲル父子が素晴らしいのは言うまでもないが、ヨルダーンスの宗教画は今回見て意外に気に入った。小企画のベルギー人の未来派画家の展示は色が鮮やかでよし。冬期で観客は混雑するほど多くなく、よく見ることができた。十分な展示があるが、ルーブルほど大きくないのも、ちょうどいい感じ。
 ここから最高裁判所方向に歩くと、その前のプラール広場に無名戦士の墓があって写真を撮る。ここからルイーズ広場に出ると、ショッピングの一大中心ギャルリー・ルイーズとギャルリー・ド・ラ・トワゾン・ドール。フードコートが発達していて食事の出費を抑えられる。レバノン風オムレツというのを食べる。ギャルリーのなかにあるFNAC(小さい)のなかで、ベルギー政治史、ベルギー知識人史などの本を買う。
 次に王宮の横になるベルヴュ博物館でベルギー史の勉強。国王の治世ごとに区切った簡単な展示だが、フランス革命の影響や政治風刺漫画、参政権運動や社会主義運動の基礎知識が得られた。すぐ前のパレ・デ・ボザールは特に予定もなく企画展のクラナッハ展を見たが、これが想像以上によかった。デューラーやイタリアとの影響などとの比較を意識している。
 夕方からギャルリー・サンチュベールのなかにある映画館で、ルーマニア映画の「クリスマス後の、火曜日」を見る。妻子ある中年男が若い女性歯科医の愛人と離れられず離婚を決意する瞬間にクリスマスが訪れ、娘や実家の両親の手前、クリスマス後に離婚手続きを始めることにして、夫婦はちょっとの間、両親としての役割を演じ続けるという、劇的なことは何も起きない映画だが、感情の微妙な動きを追うヨーロッパらしい(フランスっぽい?)映画。
 ベルギー入門と言いながら、今日は完全にお上りさんコース。明日は、ややシリアスな自分の研究上の関心からシャルルロワに行くつもり。

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ブリュッセルに来た理由

 年末、実家に帰り、少し雪かきと掃除、食事作りを数日した後、東京に戻り、すぐブリュッセルに飛んだ。実はほとんど予定を組んでいない。冬に安いフィンランド航空の切符を利用してヨーロッパに来ているが、今年はイタリアにしなかった。実際、どこでもいいから、日本と雑事から距離を置きたかったのが、本当のところ。学生の卒論指導にかかり切りの12月になかなか予定が決められず、HISの年内営業日にようやく間に合うという発注。EU研究者を名乗るには、来たからにはインタビューくらいすべきだが、その用意もできていない。
 ただ、ベルギーを選んだ理由はまったくないわけではなく、個人的な理由なら幾つかある。ツイッターだけを使ってきた昨年から少し変えて、今年はブログも自分の考えをめぐらすのに使ってみるつもりだ。

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