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マルシネル、カジエの森

 カジエの森は、この地名が知られるようになった炭鉱事故の記憶だけでなく、ワロン地区の産業史全体を振り返る複合施設(といっても、ルール炭田のように大きなものではないが)になっていて、これにはEUからの補助金が出ていて、入口にそれを示す大きな看板があった。いちばん手前の産業博物館には、重化学工業の大きな機械類が置いてあり、ワロン圏の工業化の歴史がたどれる。その奥がガラス博物館で、エミール・ガレなどのガラス作品や鍛冶屋のアトリエがあり、さらに奥にあるのが、その名も「1956年8月8日館」だ。この日に起きた炭坑事故で262人の炭坑夫が死んだ。出身国で最も多かったのがイタリア人で、死者136人である。

Italien

 この日の8時10分に事故が起きたので、それを示す大きな時計のモニュメントがある。狭い坑道を再現したところや、炭坑夫たちの日常を撮った写真のパネル、そして地下1000m以下までに下っていく作業用エレベーターの地上部分がサイレンやベルの音も付けて再現されている。私はふだん映像資料は熱心に見ることがないが、ここでは当時のニュース映像を使ったドキュメンタリーを最初から最後まで見た。

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 この事故は裁判になったが、有罪となったのは現場監督のみで罰金のみの執行猶予、企業側には刑事上の罰はなかった。そのため、「マルシネルの犠牲者は2度殺された」という表現もある。残された248家族、遺児417人の悲痛な思いが伝わってくる。この後、炭坑は操業停止となり、安全強化後に再開するも、ほどなく石炭は衰退産業となり、1967年には完全に閉山される。

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 1946年から1963年の間にマルシネルを含むベルギー各地の炭坑で死んだイタリア人は合計890人に上る。そのなかで最大の事故が起きた8月8日は、2001年にイタリア政府により、「海外イタリア人労働犠牲者追悼国家記念日」に指定された。(次の項に続く)

Ora

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