« マルシネル、カジエの森 | トップページ | 王立美術歴史博物館で目的が行方不明 »

マルシネル炭坑事故の歴史的意味

 マルシネル炭坑の事故は、欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)が稼働してから数年後、翌年には欧州経済共同体設立条約(ローマ条約)が締結されるというときに起きた。もちろん、イタリア人の労働移民はそれ以前から始まっており、いわば欧州統合初期の労働移民の典型である。

Scala

 先に述べた三つの施設は高台にあって、炭坑事故追悼の場は階段を下りたところにある。この階段とは別の、事故当時からある幅の狭い鉄の階段は、死傷者を担架で運んだ歴史的な記憶を留めるために、使わずに保存されている。下にはイタリア人炭坑夫の記念碑と追悼の鐘がある。すべてイタリア語表記だ。ここには事故の50周年だった2006年に当時のイタリア大統領チャンピも来ている。これもイタリア史の一部なのである。ここに来て本当によかった。

Casier3

 シャルルロワは炭坑によって栄えた街だ。南駅に戻ってから市内の見物に出たが、駅前を流れるサンブル川にかかる橋の両端に炭坑夫と製鉄労働者の像がある。ここから坂を上り続けると、市役所や教会のあるシャルル2世広場に着く。市役所の裏に美術館がある。

Charleloi1 Charleloi2

|

« マルシネル、カジエの森 | トップページ | 王立美術歴史博物館で目的が行方不明 »