« 2011年2月 | トップページ | 2011年4月 »

首都圏の都市計画に変えようはないのか?

 私は江戸川区に住んでいる。都心に近く、たぶん送電線の関係か、幾つかのライフラインに関わる施設のおかげで、計画停電の対象から外されている。そういえば、足立区は今回ほとんどが対象地域だが、以前住んでいた足立区中川は下水処理場があるせいか、やはり対象外だ。足立区中川の住民の最寄り駅は歩いて10〜15分ほどの亀有であるが、漫画で有名な葛飾区亀有は対象地域である。
 もちろん、計画停電の対象外ではあっても、可能な限り節電に努め、午後6時から8時の間は、部屋のエアコンを点けず、キッチンに立ち、電灯1つ点けてガス台で料理をしている。ふだん作らない料理を作ったりして、なんとか自分なりに、この期間を楽しもうとしている。寝るときは、電気は用心のための小さな電灯のみで、暖房は切っている。
 地震の起きた11日は仕事で都心の職場にいたが、すぐ地下鉄も止まったので、テレビで津波の映像を見た後、4時半の段階で「これは動かない」と判断して、徒歩で3時間かけて自宅に帰った。偶然だが、神保町の交差点から靖国通りを東に道なりに行くと、京葉道につながる。つまり、職場近くの交差点からただ東に向かっていけばいいという、ものすごく分かりやすいルートなのである。初めはそうと知らず、途中のコンビニで道路地図を買ったが、すぐ不要と気づいた。ただ、道路地図は、もし渡れない橋があったときは、迂回路を探すのに必要だ。それにしても、歩道が渋滞というのは、初めての経験だった。
 今回ほど、都心に近いところに住んでよかったと思うことはない。もっとも、これは地震を見越して選んだのではない。長く非常勤の貧乏生活を過ごした後、ようやく安定的な生活に入った数年前に考えた生活防衛の戦略だ。
 日本の先行きに悲観的な私は、生活防衛のために、住居はぜいたくできないと思った。江戸川区は足立区と並んで家賃が安いところだ。江戸川区は本格的な大地震が来たら、液状化現象が起きると言われているから、金持ちは絶対に住まない。しかし、物事にはリスクの正しい計算が必要で、ここでひどい液状化が起きるほどなら、東京という街自体、危ないだろう。そのときはどっちみちダメだ。
 それなら、高い買い物をして、家を地震につぶされた挙げ句に、もう存在しない家のためにローンを払い続ける(こういう無茶なローンになっているところがアメリカの銀行と違い、日本という国は銀行に甘く、国民に冷たいのである)というバカらしいことはしないほうがいい。一般に家賃の上限は収入の3分の1といわれるが、そのさらに半分くらいの水準を目指した。今住んでいるところの家賃月5万1千円(管理費込み)は、都内で生活保護で認められている家賃の上限よりも低い。
 もう一つは、運賃が安いところだ。家から最寄り駅には15分歩くが、歩くのにちょうどいい位だし、職場は神保町の出口の一つから目の前に出る。乗車時間25分も、立って辛くない。何よりも遅刻が少なくて済む。
 都心からの距離が決定的に重要だと思っているのは、何年か前に、職場から引退したら交通費は出ないという当たり前のことに気づいたからである。千葉ニュータウンで学習塾の講師をしていたとき、会社から交通費は出たが、都内の亀有のアパートから片道700円以上(今より北総線が高かった)かかっていた。亀有から都心に出るにも最低でも二、三百円はかかる。老後になったら、都心まで片道千円以上も自分では払えないな、こんなところには住めないな、と思ったものである。老人向けの割引や無料切符があっても、そういうものの対象はせいぜい区内だろう。収入も少ない中で、都心に出られないとなれば、文化から遠ざかる。幸い、江東地区なら、もともと海だったのを埋め立てたところだし、途中に高い山はない。気力、体力があれば、時間をかければ、いざというときは自転車でもいける。引退したら、時間だけはあるだろう。
 自分のこうした変なこだわりを他の人に勧めはしない。しかし、大量のエネルギーを使いまくって、関東平野のどこからでも都心に通勤、通学できるという今のシステムは、やはり日本の経済が常に絶好調で、自然の脅威からフリーであるという、無茶な前提に立ってはいなかったか。確かに拡張的な経済のほうが、派生的なビジネスを発生させ、それが余剰の文化として面白いものを生むのだが、野放図な経済の拡大は、やはり持続不可能ではなかったのか。
 今さら、広がるにまかせた首都圏をコンパクトにまとめるのは無理だが、無理な長距離、多方向、多中心のベクトルがぐちゃぐちゃに集まったこの地域を、少しは整理しなくていいのだろうか。
 とりあえず、日照権の廃止による、都心への集住のすすめは政府に考えてほしい。山手線内にある低層家屋には増税していい。昔から住んでいる人にとってはもちろん故郷ではあるが、東京を支えている多数のサラリーマンに長時間の通勤を強いることと、どちらが重要だろうか?

|

二元代表制を愛する人たち

 さっぱり分からないのが、名古屋市議選で河村市長が率いる「減税日本」が第一党となったことなどを指して、ファシズムとか大政翼賛会とバカの一つ覚えのように言う人々である。たぶん、こういう表現を使う人は、ファシズムや大政翼賛会そのものをご存じないのだろう。「ポピュリスト(大衆迎合者)」というのは、まだ分からないでもない。
 実際にはアメリカの大統領制と違って、予算の編成権が役所にある以上、伝統的な地方議会は、市役所に対し、公共事業などの果実を求める建設業界などの利益を代表する議員が予算をねだる、むしろ談合的な非民主的地方政治を行ってきた。
 河村氏の試みが成功するかどうかはともかく、中央政界で埒が明かない「仕分け」よりも、総額を削って、本当に必要な物だけ残せと言って、官僚や議員たちにムダを削らせるというのは、一つの手法である。
 イタリアでは州議会選挙の比例名簿トップが市長(市議会議長)候補であり、その意味で一元的である。ヨーロッパではこういう自治体は珍しくない。

|

全国植樹祭とナショナリズム

 これは、たぶん日本史の専門家などはとっくにご存じのテーマである。
 花粉症の季節で、なんでわれわれはこんなに杉花粉に苦しまなければいけないのか、という声がよくツイッターに上がる。それに対する答えは、日本の森林政策に問題がある、全国植樹祭を毎年やって、やたら杉を植えてきた歴史がある。生態系の保存を考えれば広葉樹林でもよかったものを、戦後の復興期には木材としての用途を考えざるを得なかった、などなど。
 私は、もともとマニアックなところからしか、ものごとに関心を持てない。そういえば、毎年の記念切手に国土緑化運動、全国植樹祭があるな、と。天皇陛下が植樹をすることも有名だ。
 ところが、この植樹祭と皇室との関係は、自明のことではない。神々の国、日本で自然に関する祭祀を司る最高位に位置するのは古来、天皇である。ところが、この植樹祭のもとになったのは、アメリカの影響を受けた「愛林日」なのだ。
 全国植樹祭を行う緑化運動推進機構のホームページには戦後の植樹祭の歴史しか書いていない。しかし、現在の植樹祭の初回が行われた1950年の前に、占領下で戦前の「愛林日」が復活し、そこに昭和天皇が出席していることが書いてあるのだ。
 そこで、戦前の「愛林日」について検索すると、関東森林管理局のホームページに、戦前の第1回の愛林日の行事が筑波山で行われたことが書かれ、4月3日の神武天皇祭をはさむ三日間にこの行事が行われていたことが分かる。筑波山といい、神武天皇といい、相当に神様、天皇制との関係が深そうだ。というか、アメリカや外国で行われていた「愛林日」が、戦争に向かっていく時代のなかで、ソフトな日本的ナショナリズムの装置に換骨奪胎されたのだろう。
 終戦時に途絶えていた愛林日を占領下で復活させようとした人々の気持ちは分かるし、そこにはピュアな自然礼讃や戦後の国土安定を願う気持ちがあったと思うけれど、エコとナショナリズムの整理のつかない関係もうかがえて、どうも落ち着かないものも感じるのである。

|

« 2011年2月 | トップページ | 2011年4月 »