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全国植樹祭とナショナリズム

 これは、たぶん日本史の専門家などはとっくにご存じのテーマである。
 花粉症の季節で、なんでわれわれはこんなに杉花粉に苦しまなければいけないのか、という声がよくツイッターに上がる。それに対する答えは、日本の森林政策に問題がある、全国植樹祭を毎年やって、やたら杉を植えてきた歴史がある。生態系の保存を考えれば広葉樹林でもよかったものを、戦後の復興期には木材としての用途を考えざるを得なかった、などなど。
 私は、もともとマニアックなところからしか、ものごとに関心を持てない。そういえば、毎年の記念切手に国土緑化運動、全国植樹祭があるな、と。天皇陛下が植樹をすることも有名だ。
 ところが、この植樹祭と皇室との関係は、自明のことではない。神々の国、日本で自然に関する祭祀を司る最高位に位置するのは古来、天皇である。ところが、この植樹祭のもとになったのは、アメリカの影響を受けた「愛林日」なのだ。
 全国植樹祭を行う緑化運動推進機構のホームページには戦後の植樹祭の歴史しか書いていない。しかし、現在の植樹祭の初回が行われた1950年の前に、占領下で戦前の「愛林日」が復活し、そこに昭和天皇が出席していることが書いてあるのだ。
 そこで、戦前の「愛林日」について検索すると、関東森林管理局のホームページに、戦前の第1回の愛林日の行事が筑波山で行われたことが書かれ、4月3日の神武天皇祭をはさむ三日間にこの行事が行われていたことが分かる。筑波山といい、神武天皇といい、相当に神様、天皇制との関係が深そうだ。というか、アメリカや外国で行われていた「愛林日」が、戦争に向かっていく時代のなかで、ソフトな日本的ナショナリズムの装置に換骨奪胎されたのだろう。
 終戦時に途絶えていた愛林日を占領下で復活させようとした人々の気持ちは分かるし、そこにはピュアな自然礼讃や戦後の国土安定を願う気持ちがあったと思うけれど、エコとナショナリズムの整理のつかない関係もうかがえて、どうも落ち着かないものも感じるのである。

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