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ドイツ・オランダの旅(4) ケルン

 前項で書いたように、本当はケルンに泊まりたかったのだが、いいホテルがなくて、デュッセルドルフから行った。ケルンはすでに24年前に来て、大聖堂とローマ=ゲルマン博物館は見ている。今回も、さすがにあの大聖堂は素通りできず、一通り中を見たあと、ケルン市の観光案内で目を引いた二つの展示を見ることにした。
 一つはケルン市博物館の三十年戦争時代のケルンに関する企画展である。ケルン市博物館は小さな建物で、常設展示は、中世から現代までの街の歴史をたどれる。この街の市長だったアデナウアーの肖像もあった。
 企画展の題名は「不信心なる時代のケルン」(Koeln in unheiligen Zeiten)。ケルンについてよく言われる「敬虔なるケルン」(heilige Koeln)のもじりである。三十年戦争では、ケルンは中立をとったという。ところが、それでも戦争から完全に逃れられたわけでなく、スペイン軍から攻撃も受けていることが絵画から分かった。日本でも国立西洋美術館で展覧会があったジャック・カロの有名な三十年戦争時の絵もあった。
 次に行ったのは、ケーテ・コルヴィッツ美術館である。美術館といっても大きなものではなく、繁華街のノイマルクトのショッピングモールの最上階にある。館名になっている女性画家については、何も知らなかったが、労働者の世界を描いた歴史写真展があると聞いて、ここに向かったのであるが、後で見た常設展示のこの画家の作品から、強い印象を受けた。
 この画家の絵は、労働者の悲哀をとても力強く描いているのだ。そこに描かれているのは、若々しく美しい男女の絵ではない。描かれた裸体も、庶民のやせて疲れた体、労働者の働き混んだ無骨な体、はかない死に瀕した人間の苦悩がにじんだ肉体だ。
 この美術館の入っているショッピングモールのなかのカフェでケーキを食べたあと、午後はケルン観光定番の二つの美術館を回った。まず、中世教会美術のシュニットゲン美術館である。中世美術はイタリアで散々見ているから、驚くことはないだろうと高をくくっていたが、そうでもなかった、特にこれだけの質と量の彫刻を見るのはそうなくて、下手をすると、ルネッサンス前の時代の彫刻はドイツ近辺のほうが上かなとさえ、思った。この美術館は同じ入口で世界の美術を展示するラウテンスクラウフ=ユスト美術館と分かれるのだが、この中世の流れからすぐ行きたい美術館があって、こちらはパスした。
Wallraf
 それは、ヴァルラーフ=リヒャルツ美術館である。いきなり、中世の展示から始まり、最初の部屋は中世イタリアの総復習のような部屋である。私の留学地だったシエナ、フィレンツェ、ルッカなどトスカーナ地方の絵画がある。近世になると、この地の絵画はオランダの影響が強く、途中から、ここはオランダかと思うほど、オランダ絵画が多い。また、18世紀末から19世紀初にはまたイタリアに学べと、この地から多くの画家がイタリアに行ったというから、この地は昔からヨーロッパ的な地方なのかもしれない。残念ながら、現代美術の階は改装中で見られなかったが、十分満足できた。
 ヴァルラーフの展示で面白かったのは、絵の横に掲げられている説明書きが古い絵画でも現代的な関心、視点で面白く書いてあることだ。その解説自体にもタイトルがあって、ビザンツの影響を受けつつも新しい形式を生み出した中世イタリアの聖母子画には「スター誕生」と書かれているし、「聖ウルスラの伝説」は「中世のベストセラー」だった、近世オランダの男女が鳥籠を見ている絵には「甘い誘惑」と題して「一見、二人で鳥を見ている無害な絵に見えますけれど...」といった感じの口調で書かれている。
 この美術館の玄関前の土地が大規模に発掘されていた。何かと思うと、ユダヤ文化の遺構だという。周りに貼られた計画図などからして、並々ならぬ精力を傾けて調査していると思われる。エッセンに続いて、ここでも、この地方のユダヤ人の存在と、それに対する現代ドイツの配慮を感じざるを得なかった。
Jewculture
 (この項は書きかけです)

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