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シチリア東岸の旅(8) モディカ

 ノートで宿泊したホテル・フローラは、旧市街の入口ポルタ・レアーレの少し手前にあり、各都市と結ぶバスの停留所の前にある。ちょうどホテルのレセプションが外側に開いた面でバールもやっていて、またバスの券売所も兼ねているので、ここを起点に他の街に出るのにも、この街に来るのも去るのも大変に都合がよい。モディカへのバスの往復切符もここで買って乗った。
 モディカは、日本語のガイド、例えば『地球の歩き方 南イタリアとマルタ』にも、JTB『ララチッタ シチリア・ナポリ』にも出ていない街である。私はシチリア観光では、これら日本語のガイドと、イタリア語版の『ロンリープラネット』のシチリアの巻を使っているのだが、こちらにも説明はあっても街の地図が入っていない。町のイメージなしに乗り込むのは、ちょっと勇気が要る。
 バスは、たぶんそうしないと路線が維持できないのであろう、ノート=モディカ間の最短距離はとらず、この地方のそれぞれの町をつないでいく。
 モディカで世界的に有名なのは、古いチョコレート店「アンティーカ・ドルチェリーア・ボナユート」である。これは今回の旅で参考にしている『Dolce! イタリアの地方菓子』に詳述されている店である。

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シチリア東岸の旅(7) ノート

 シチリアの交通インフラが悪いといっても、シラクーザまではなんだかんだ言っても複数の手段がある。しかし、この先は交通手段も限られ、あっても本数がえらく少ない。だからバスが都市間の主要な交通機関なのだが、シラクーザ・ノート間のバスは7時台のあと11時台と私には合わなくて、鉄道はもっと本数が少ないが、5時台のあと10時10分に1本あると知ってこれにした。
 ノートの駅には、ちょうどオトラントの駅がそうであったように何もない。しかし、街まで1キロなら歩けないこともなかろうと歩き始めたが、ずっと上り坂である。イタリアの中世起源の多くの街のように丘の上にあるのだ。
 すぐにこれは素晴らしい街だと分かった。ベージュ色のバロック時代の教会の建物がきれいである。それもそのはず、ノート、モディカなどノート渓谷のバロック都市群はユネスコの世界遺産に指定されているのだ。
 ところで、ノートに来てみようと思ったのは、実はお菓子である。ルカ・マンノーリとサルヴァトーレ・カッペッロという二人のイタリア人菓子職人が監修した『Dolce! イタリアの地方菓子』(世界文化社、2012年)という写真も多く、レシピもついている楽しい本があって、お菓子の重点地域の一つとしてノートやモディカなどシチリアの街が結構詳しく出ているのだ。
 ノートで有名なのは、「カフェ・シチリア」というカフェで、行って見るととても小さなカフェである。ショーケースのなかに本に出ていた「ビアンコマンジャーレ」と「ローゼネッロルト」があった。どちらも原料のベースはこの地方特産のアーモンドである。

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シチリア東岸の旅(6) シラクーザ2日目

 ホテルとオルティージャ島の位置関係から、オルティージャ島で昨日見逃したものと考古学公園のどちらを先にするか迷ったが、美術館、博物館等の開館時間と先に遠くに行って後で近くのほうが体力的にいいだろうと、まずは歩いてオルティージャ島に向かう。幸い、雲一つない快晴でイタリアらしい真っ青な空の下、昨日と違う海沿いの道からスタートした。
 パピルス博物館は『地球の歩き方』には出ていないが、JTBの『ララチッタ』には出ている。シラクーザでパピルスというのはどういうものかと訝っていたが、案外面白かった。他に訪問客もなく、暇そうな館員に面白いからと勧められ、パピルスについてのドキュメンタリー映画を見たが、英語だったし、面白かった。古代エジプトだけでなく、シラクーザやあちこちで使われ、紙としてだけでなく、ロープやかご、サンダルにも使われていたと知った。ここ、シラクーザでも漁師のロープに使われていたというから丈夫なものなのだろう。この博物館ももとは貴族の個人的なコレクションから始まっているが、比較的近年にアフリカまで行って、いまだにパピルスを使って編んだ小舟を使っている集落に入って、なんとその小舟をまるごと買ってきて展示している。
 ネアポリス考古学公園はまず入口近くに小さなローマ時代の円形闘技場がある。ギリシャ劇場の前座みたいに見えてしまうが、なかなかどうして立派な闘技場である。でも、やはりギリシャ劇場の大きさには驚いた。真っ白に風化した石が並ぶ劇場はシチリア最大らしく、デジカメを構えても大きすぎて入りきらない。タオルミーナのように現代化していないところもいい。

Teatro

 この考古学公園には、他にも見ものがいっぱいあって、「ディオニシオスの耳」という洞窟がある。これは、中で手を叩いたり、叫ぶと、えらく響く音響効果がある。

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シチリア東岸の旅(5) シラクーザ

 昨日乗せてもらった運転手の提案に応じて、タオルミーナからタクシーでシラクーザのホテルに直行することにした。鉄道は本数が少ないし、カターニャ経由で時間がかかる。正味1時間半、高速道路を快適に走ったが、この道路も完成したのは5年ほど前だという。途中、アウグスタという町にある石油精製の基地なども見えた。
 シラクーザでは考古学公園がメインと思って、それに近いグランド・ホテル・ヴィッラ・ポリーティという4つ星ホテルを宿泊先にしたが、ちょっと後悔した。到着した1月6日はまだ休暇期間で日本の元日のような静けさ、冬季ゆえ多くの店舗が閉まっている。考古学公園以外の見ものやレストランが多いオルティージャ島は、このホテルから歩いて二、三十分かかる。バスもこの日は運転が少ない日だった。タクシーの運転手がなぜオルティージャ島のホテルにしなかったのかと聞いた意味が分かった。着いたのは、午後11時くらい、考古学公園は規模が大きいから明日にしようと考え、オルティージャ島に向かったのも、後で後悔することになる。
 オルティージャ島に向かう途中でオルシ考古学博物館があるので、これは明日の予習に見ることにした。外から見るとそれほど大きな博物館には見えなかったが、陳列品はとても多く、勝利の女神ヴィットリア像など100体近くあったのではないかと思う始末。
 橋を渡ってオルティージャ島に入るとすぐに、野ざらしのアポロン神殿がある。周りを囲ってあるが、野天でいつでも見られる。向かって右側に円柱が残っているところがいちばんそれらしいが、ひどく感動するものでもない。通りを上っていくと、広場にアンドロメダの美しい泉があって、さらに進むと、ほどなくドゥオーモ広場に出た。ドゥオーモも立派だったが、広場がきれいに整備されていて、明るいベージュ色というk、日に当たって輝いていて、美しい。もっとも、昔からそうだったわけでなく、比較的近年にきれいになったのだという。この広場の奥にある教会に一枚、カラヴァッジョがあって、見たが、その絵に合わせて、同じ格好で俳優たちが撮った写真も別室に展示されていた。
 この広場の奥に、タクシーの運転手が勧めていた「ラ・フォッリア」というトラットリアをすぐに見つけた。基本的に作り置きの熱々ではないパスタを出すが、結構美味い。食後に向かったパピルス美術館は2時で閉まっていた。

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シチリア東岸の旅(4) タオルミーナ2日目

 風邪がなかなか治らなくて朝は薬局で薬を買ってから、タクシーに乗ってカステルマーニというタオルミーナから5キロというか何百メートルか上の集落に向かった。眺望がよいので、タオルミーナに来る人は決まってくるらしい。
 イゾラ・ベッラは映画「グランブルー」の舞台になったところらしいが、映画に出てきたという(私は確認していない)カーポディタオルミーナというホテル?は閉鎖していた。帰りはロープウェーに乗ってみた。
 午前の観光がはかどったので、午後はジャルディーニ・ナクソスに行こうと決めたのだが、タオルミーナの観光インフォメーションの掲示板に貼ってある時刻表はジャルディーニ・ナクソスからタオルミーナへのバスの時間しかないので、逆の時間が知りたいのだがというと、貼ってある紙を裏返し、ここにあるとしたうえで、後で張り替えるから、そのまま持って行ってという始末である。ところが後で気づくのだが、これには冬季の間引き運転が反映されていなかった。

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シチリア東岸の旅(3) タオルミーナ

 タオルミーナはシチリアの「観光の首都」と書く本もある。小山の上にある町の東西を走る目抜き通り、ウンベルト通りには、ブランドのブティックも多数。そんな町の昔の大きな修道院を改造した五つ星ホテル、サン・ドメニコ・パレス・ホテルに今回は泊まることにした。河村英和氏のすばらしい本『イタリア旅行』(中公新書)でも紹介されている歴史あるホテルである。
 ギリシャ円形劇場は座席のかなりの部分を新しくして、今も使われているそうだ。舞台の背後が山と海で、ロケーションは最高である。
 市立公園は自然を愛する英国人女性フローレス・トレヴェリアンという人の所有地だったところらしい。変わった建物と植物配置は「ヴィクトリアン・フォリー」であると案内板に書いてある。マニアックな匂いがプンプンする公園であった。

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シチリア東岸の旅(2) カターニャ

 カターニャはシチリア・バロックの街。街中を歩いた印象は、ところどころゴミが落ちていて、パレルモほどきれいではないが、ナポリほどは汚くはない。頂に雪が被ったエトナ山は、街のどこからでも見える。
 とにかくカターニャの郷土の偉人としてはベッリーニがまずあがるようだ。目抜き通りのエトネア通りから歩き初めて、すぐ立派なベッリーニ像を見つけた。生家の博物館を訪ねてみたが、借家だったらしく、こじんまりしたもので、他に訪問客もなく、係の人にカギを開けてもらって入った。
 ウルシーノ城という中世にできた城は市立博物館になっていて、ここにある古代ギリシャの壺絵は数は少ないが、昨年見た、やたら数が多い割に面白くなかったレッチェの博物館のものより、テーマ的には面白いものが多かった。花嫁がヴェールをとる瞬間とか、饗宴の場などが描かれていて、古代ギリシャ人の生活が想像できて、見ていて楽しい。他には19世紀の地元出身の画家で特設コーナーがあった、ミケーレ・リピサルディ(Michele Ripisardi)という人の描く女性の絵が妖艶でよかった。文学作品の挿絵も多く書いた人らしく、美術史に不朽の名声を残す人というよりも、当代の売れっ子画家という印象だ。活躍の場はシチリアでなく、フィレンツェで死んでいる。そういう人生だから、画集などで今ネットで入手できるものがない。地元カターニャで80年代に出たものが展示室に閲覧用に置いてあったが、入手するには地元の古書店でも漁るしかないだろう。

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シチリア東岸の旅(1) コミソ

 2年ぶりのシチリア上陸は最初からつまづいた。今回の旅行の最大の不安定要素は、空港のあるカターニャに近い活火山のエトナ山だと分かっていたが、激しく噴火しなくても降灰による閉鎖があり得ることは念頭になかった。行先は搭乗直前にコミソに変更と表示された。そもそもコミソがどこか分からないのでググると、シチリア東南部のラグーサ県の町だという。しかし、シチリアには9つ県があるが、ラグーサはカターニャの隣県とはいえ、それなりに時間がかかりそうである。もともと午後10時過ぎにカターニャ着の予定が日付を超えることがほぼ確定となった。
 コミソからのバスはろくに街灯もない狭い田舎道、中には峡谷のように道のすぐ横が崖のようなところもある、そういうところを走って行った。日本のバスのように中を明るくもしない。遠回りすることになった乗客の退屈を紛らわそうと、運転手に勧められ、たまたま乗客として乗り合わせた引退した大学教授がマイクを取って、この地方の歴史を語ってくれた。
 当然のことであるが、バスから降ろされるのは、カターニャ市内でなく、本来着くはずだったカターニャ国際空港である。ところが、着いた場所の近くにタクシーが見えなくて焦った。よく見ると、羽田や成田のように到着階と出発階の二階建て構造になっており、いったん空港の建物に入り、エスカレーターを降りて下の階に降りたら、タクシーが何台も泊まっていた。空港から市内は比較的近く、帰りも安心である。

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