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ドイツ北西部の旅(2) ゴスラー2日目

 ゴスラー滞在の二日目。ほとんどの観光スポットが10時以降の始まりなので、ゆっくり動き始める。シルダー通りやヤコービ通りの古い家並みを見たあと、メンヒェハウスに入る。これも近代美術館と名乗っているけれど、古い家屋を改装したもので、階上で木造の床を歩くと軋む。私の知らない現代画家の企画展が主だったけれど、ヴァザルリーが1枚あった。
 次にジーメンスの先祖の家だというジーメンスハウスを探した。シュライヴァー通りとベルク通りの交差するところにあり、なるほど大きくて立派な建物だったが、改装工事中で中に入れないし、外装も観光写真と違う気がして、どうも正しい場所に行ったかどうか自信が持てなかった。
 ここから昨日行った皇帝居城の前を大回りして、昔の城門の見張り台であるツヴィンガー博物館に向かう。ここまで1時間くらいかかるつもりが早々と来てしまって、11時の開館まで手前の池の前のベンチで待った。池の周りをジョギングしている人をたくさん見かけた。11時になったので中に入るが、入り口には誰もいなくて、階段を少し登って出た1フロアが博物館。といっても色々な時代、地域の武器や拷問器具が少々あるだけで、ナポレオン時代の武器とか、なぜか日本の陣笠や武具があった。初老のおばさんが対応係で、ややしんどそうに屋上への出口を開けに行った。屋上からの展望はよく、街も反対側の山地も見渡せるが、残念なことに皇帝居城の方向だけは林があって、少ししか見えない。
 次にゴーゼ川の近くのギャラリーでヘイケ・アドナーという彫刻家の作品を見せているという観光案内書のポスターに魅かれて見に行ったが、とても小さな画廊で、展示は入口の2間しかなく、数人のご婦人たちに白ワインを振る舞い、たぶん作品販売のプロモーションの途中だった。この人たちの間を縫って一応見せてもらい、作品ではなく、その写真集(彫刻家の彫刻と詩を掲載)を購って出る。
 ここまで来ると、広場が近いので、森貴史・藤代幸一『ビールを<読む> ドイツの文化史と都市史のはざまで』(法政大学出版局)で紹介されていた、ブラウハウス・ゴスラーで地元のビール「ゴーゼ」を小さめのグラスで飲んだ。口当たりはさっぱりしていて何杯でも飲めそうだが、例えが下手かもしれないが、醤油のようなコクがある。12時まであと少しで、よくゴスラーの観光写真になっているシューホーフという広場に行くが、それほど感心しなかった。アイスクリームを頼んだら、店員は中国人だった。
 正午前にマルクト広場に行き、広場に面した今はレストランになっている旧市倉庫の上にあるからくり時計を眺める。アナログ的で、そもそも時計自体が2、3分遅れているが、教会の鐘が時間通りになってしばらくしてから鐘の音楽が鳴って、まず真ん中のドアから白馬を挟んで皇帝と騎士が現れた。次に、右のドアから出てきた、いずれも複数からなる3組の坑夫の人形が左のドアに回っていった。
 昼食を取る前に駅前からランデスベルク鉱山博物館行きのバスに乗る。ゴスラーの町とセットで世界遺産に指定されている当地の観光の目玉で欠かせないが、大きな施設なので半日は要ると見たが、実際そうで、中のツアーに3種とも参加すれば1日かかっただろう。ここで3時開始の「レーダー坑道ツアー」込みの入場券を買い、カフェテリアで昼食。グラーシュとかあったが、普通にボローニャ風スパゲッティを食べる。
 ツアーまでの間、展示館を見る。一つは鉱山の巨大な機械がたくさん入った建物で、いろいろな種類の鉱石の常設展と鉱山に関するいろいろな写真の企画展を見た。別の鉱山の歴史と文化を展示する館は非常に面白く、古代以来の採掘の歴史だけでなく、政治・経済・社会の動きとも絡めてあり、商売上も勉強になった。まず、ゴスラーに皇帝がいた11世紀前後の皇帝の居場所を地図上にプロットしたパネルは、その時期の帝国には常設の首都という概念がなく、皇帝はしょちゅう居場所を変えていたが、ゴスラーには非常に長くいたことが表されていた。
 また、ヒトラーがゴスラーを訪問し鉱夫たちから鉱山ランプを受け取っている写真や、ナチスが占領したウクライナなどから強制的に労働者を連れてきた歴史なども回想されてきた。今、ウクライナは分裂しているが、そのどちらからも連れられてきている。ルガンスクの人もいた。それだけでなく、ムッソリーニを首にしたイタリアが対独宣戦布告すると、イタリア人も連れてきている。
 ヘルメットを着けて3時からの坑道ツアーに参加する。案内役のシャキッとしたおじいさんは、どうも若いころここで働いていたらしい。らしいというのは、ドイツ語のツアーなためで、この後はたぶんに僕の印象である。いきなり坑道に入らず、まず地下に何層にも分かれ、網の目のように広げられた坑道と水路の模型を使って説明する。やはり地下の採掘で最大の問題は水の処理らしく、多数の水車やポンプ、水路で水を逃がしながら採掘したようだ。次に山道を少し登り、湖の前に来たが、そこでは水着の人々が泳いだり日光浴をしている。どうもこの湖が鉱山の水量調整に関係していたらしい。この反対側の山側に坑道への入口があり、いよいよツアーである。
 この古い坑道はきれいなトンネルにはなっておらず、ゴツゴツした手掘りの感じがありありで、ところどころ傾いたり、低くなったりで168センチの私でも何回も体を曲げながらそれでも3回ほどしたたか頭を打った。ヘルメットは必需品だった。何基も大きな水車を見る。坑道には横に水路の走っているのもあり、多くは壁の岩も床の泥も濡れていて、水滴が落ちてきたり、雨の日のような水たまりが沢山あり、あとでホテルに帰って靴とズボンを脱いだら、あちこち泥はねの跡がついていた。おじさんが電気を付けると何キロも続く坑道が見えたりする。終わり近くの場所で、電気を消してどのくらいの明るさになるか、鉱山ランプのみの明かりを見せてくれた。ほとんど何も見えない。
 ツアーには他にもトロッコに乗って、近代的な採掘の様子を見るツアーもある。なにしろ、中世から20世紀後半まで1千年も堀ってきた鉱山なので、歴史の厚みが違う。

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