« ドイツ北西部の旅(4) オスナブリュック | トップページ | ドイツ北西部の旅(6) ブレーメン »

ドイツ北西部の旅(5) ミュンスター

 ミュンスターはオスナブリュックからローカル電車で36分。今回の旅で最短の乗車で済む。ところが、ミュンスターの駅が改装工事中で本来の町向きの出口が使えず、普段の裏口が唯一の出口になっていた。着いてすぐは工事であることも気づかず、売店もプレハブで変だなと思ったら、人々が駅の外にあるトンネルをくぐって、反対側に行く。向うに路線バスが通っているのが見えて、ようやく事情を理解した。
 ミュンスターの観光の中心は駅から歩いていける距離にある。まずは、ウェストファリア条約のうち、ミュンスター条約の批准の舞台である市庁舎の「平和の間」に。市庁舎は目抜き通りのど真ん中にあり、騒がしく落ち着かず、ありがたみがない。この地域は戦災がひどかったので、当然再建である。市庁舎の地階の奥の部屋がそうだった。
 次に目に入ったランベルティ教会に行った。尖がった塔がすっくと上に伸びる立派なお堂だが、これは街の大聖堂ではない。この教会の外に「ヒロシマ十字」なるものが作られていた。ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ、チェルノブイリで犠牲になったり、被災した人たちへの思いが込められていた。
 驚いたのは、州立美術館で、ケルンのシュニットゲンとヴァルラーフを足したようなコレクションの厚みだった。ヨーロッパ最古の一つであるステンドグラスというステンドグラスを初めとして、11世紀や12世紀といった中世盛期のものが多数あるのだ。さすがカトリックの牙城となっただけのことはあると思った。
 宗教改革期も面白く、この街は再洗礼派によって市議会が牛耳られたあと、カトリックの司教側が街を包囲し、屈服させたのだが、それに関する絵などがある。どうもカトリック側の勝利に貢献したのはイエズス会のようだが、その結果、この街はドイツ北部における数少ないカトリックの拠点となり、ウェストファリア条約の交渉地になるのである。
 三十年戦争の時期もこの美術館でよく勉強できる。ここには、本物やコピーが他の町でも見られるとはいえ、世界史の教科書に出てくるプラハ城からの投げ出しの絵や、戦争の悲惨を描いたカロの絵、テル・ボルフの「ミュンスター条約の批准」の他の画家による白黒の模写などもあるので、全体的な背景も分かる。もちろん、ウェストファリア条約の交渉担当者であったスウェーデンのオクセンティルナや教皇庁のキージ(現在、イタリアの首相官邸になっているキージ宮殿は、この一族のもの)の肖像や、ウェストファリア条約の和平の寓意画も当時の解釈を知るのに欠かせない。2枚あるうち、片方は女神が2人抱き合っているし、もう片方はキリストと聖パウロだという2人の赤ん坊が抱き合っている。
 ここまでの中近世が見ごたえがあって相当疲れたので、正直なところ、バロック以降はもういいやとかなりおざなりに見たが、この地方は、昨年見たケルンあたりもそうだったが、芸術においても発信地というより、他国の影響を多く受けた受信地だったようで、絵画にも近世にはオランダ、近代にはイタリアやフランスの影響が見られる。現在の「ドイツ」という大国がまだなかった時代なので、むしろ文化的には後進地として見ないといけないだろう。
 パブロ・ピカソ美術館には全然期待していなかった。ガイドブックにはエッチングだけだと書いてあったからだ。実際、小さな美術館で、裏口はショッピング・モールに連結している。しかし一応、旅の思い出に行っておこうと入ったら、意外によかった。こういう芸術家同士の親交をテーマにするとは面白い。しかも、ジャン・コクトーは私のフランス好きと切手収集という趣味に適った人である。フランスで一時期使われた普通の郵便切手に「ジャン・コクトーのマリアンヌ」というのがあるが、その原画もあったのだ。
 ピカソのお気に入りの詩人は一時期エリュアールに変わったらしいが、戦後またコクトーとの親交を取り戻したらしく、一緒にいろいろ楽しんでいる写真があるし、シェークスピアとバルザックの肖像を競作している絵もあった。コクトーの絵は本の表紙にも使えそうな絵だが、さすがにピカソのは独特で、画家としてのすごさはやはりピカソが上だ。本当に親しかったのだなと思ったのは、例えば一部屋をそのテーマに充てていたエロティックな絵でも交流が感じられたためだ。この日は別の小企画でフェルナン・レジェの絵も見られた。企画展のカタログは欲しかったが、ぶ厚いのしかなかったので、とても担ぐ勇気がなく、買わなかった。
 この日は土曜日だったので、夕方になると昼間は混雑していた目抜き通りも店じまい、閑散としていて、食事をとる場所を探すにも苦労した。ドイツは労働時間に厳格なのでこうなるのか、25年前にニュルンベルクでも同じ経験をした。ホテルの食堂は朝食のような作り置きのビュッフェ、公園近くのピザ・レストランもいっぱいで待ちだったので、やめて、駅前のアジア・インビスという、中華系かタイ系か分からない店に入る。空いたテーブルでこの家の子どもが本を読んでいる。肉野菜炒め飯みたいなものを食べた。作って出しで、火が取っているので、私には十分おいしく、普段の食事のように寛いで食べられた。

|

« ドイツ北西部の旅(4) オスナブリュック | トップページ | ドイツ北西部の旅(6) ブレーメン »