伴侶動物

 自分が知らない世界で、言葉が大きく変わっている。私はペットを飼わないので、本屋で「伴侶動物」という言葉がタイトルに入った本を見て、少し驚いた。
 私のイメージの「伴侶」という語は、サルトルにとってのボーボワール、いや、今風(男女の順にしない)に書くと、ボーボワールにとってのサルトルか、あるいは(順を元に戻すけど)トリアッティ(かつてのイタリア共産党書記長)にとってのヨッティで、正式の夫婦でない男女のペアのイメージがあった。もちろん、正式の夫婦でも伴侶といっていいわけだが、その場合は単なる夫婦でない、何か精神的な強めを感じる。
 実際、「愛玩動物」たるペットに代わって用いられてきている「伴侶動物」(コンパニオン・アニマル)も、飼っているというより共に生きることで精神的な豊かさにつながることを評価したものだと思う。こういう語を使うことは動物にもいいといえる。
 ただし、やはり一抹の不安を感じないわけでもないのだ。まさに家族同然となることで、特に独居者にとってリアルな家族の代替となって、結果、ほかの人間よりも大事ということになりはしないか。動物が潜在的に持つ野獣性を発揮してかみついてきても、他人が殴ってはいけないだろうか。その結果、動物が負傷した場合、器物損壊でなく、過剰防衛になるのだろうか。
 栄養バランスまで配慮された特別食を食べ(「食い」と書いたら怒られそうだ)、美容院にも行く「伴侶動物」。その金があれば、何人の飢えた人が救えるか、というのは、余り正しくない想像かもしれない。なぜなら、お金を飢餓に回しても容易に付加価値(元気になった人が何か生産的なことをしてくれる状況)は生じないだろうし、逆にペット産業から失業が出る。
 頭では分かっている。でも腑に落ちない。

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月極収納コンテナ

 非常勤時代に耐乏生活に備えて住み始めた4畳半の1Kにこれまで住んできたが、さすがに収納が限界なのと、隣人にややこしい人がいるので、転居先を探している。
 今朝、朝マックしに行ったときに、近所に間口の狭い自動洗車場のような設備を見たので、何かと近づいてみると、「月極収納コンテナ」だった。1ヶ月8千円弱で1コンテナ借りれるようだ。
 その場所はアパートやマンションにするには、奥行きが足りず、かといって横幅も部屋数がたくさんとれるほどでもない。高さはそこそこあって、3列のコンテナの間に通路がある。
 この種のサービスがあることは知っていた。ただ、それは港湾などで空いた大きな倉庫に、もっと多くの顧客から家庭で収納しきれないものを預かるものだった。他に似たものとして、貸しガレージがあるが、たぶん日本ではアメリカほど一般的には使われていないのではないか。
 つまりは、こういうサービスが街中にあると、大倉庫のサービスと違い、自分で開けにいけるわけだが、費用は車1台持っているより少し安い(月極駐車場なら最低1万円はかかるだろう)くらいはやはりかかるということで、今後も一戸建てなど建てられそうにないが、都心から余り離れたくない人間にとっては、車を諦めても利用は考えておかねばいけない代物である。
 私は極度の悲観主義者で、墨東地区に住んでいるのは、家賃の安さのほかに、笑われるだろうが、将来年金が少なくなって電車賃にすら困っても、土地の高さが低いので、老体でも半日かければ自転車ででも都心の学術・文化イベントに達することができる位置にある住まいなのである。昔、塾講師として千葉ニュータウンの近くの町で教えていたとき、人々の住居がきれいなのに、開発が中途半端で終わり、商店が少なく、電車も初乗りで300円という信じられない新線(もちろん交通費が出ていたが)に頼り、しかも都心には乗り換えが必要(乗換駅までで千円近く、かつ都心までは結構な時間がかかる)という町を見て、こういう郊外には、老人になってからは住めないなと思ったのである。

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