歴博で日独修好150年の展示を見た

 今週後半は天気が悪そうなので、国立歴史民俗博物館(歴博)の企画展「日本とドイツをつなぐもの 日独修好150年の歴史」を見てきた。佐倉に行くのは小旅行だったが、内容は充実していた。
 この展覧会があることを教えてくれたのは、ドイツ大使館のfacebook記事だった。それを見て、すぐ思い当たったのは、昨年、大学院でイギリスからの留学生に幕末・維新外交を講じたのだが、そのとき参考にした本のなかの一冊、福岡万里子『プロイセン東アジア遠征と幕末外交』(東京大学出版会、2013年)だった。プロイセンはヨーロッパでは後進国で日本への働きかけも英米露などより遅れたし、まだドイツが統一される前で、プロイセンの外交使節は様々な領邦国家やハンザ都市まで代表していて、交渉相手となった日本側が困惑したことなども書かれていて、ドイツでの史料研究を経た専門的な博論研究の成果なのだが、史書としても楽しく読める本だったので、よく覚えていたのだ。
 実際来てみて、ビラを見て知ったのだが、福岡万里子氏はこちらにお勤めだったようで、期間中にこちらで講演もされている。展示も幕末から始まっており、プロイセン一国相手と思ったら32か国も代表しているとわかり、交渉難航からか外国奉行の一人が切腹したり、プロイセン側からも混乱を避けるためにハンザ都市から天皇への手紙を渡さなかったなど、初期の交流が滅法面白い。
 私の教育上の知識として勉強になるものが多く、まずは外交文書。日普修好通商条約、日独防共協定、日独伊三国同盟条約には「複製」と書いてなかったが、あれは原本なんだろうか。また、大学で教える者として、明治以降のドイツ留学生に関わるもの、あるいは日本に来たお雇い外国人に関するものも面白い。
 展示は時代を追って、第1次世界大戦(当時は欧州大戦への参加でなく「日独戦争」と意識されていたらしい)によるドイツ人捕虜の国内収容関連の品々から、やがてヒトラー時代に移り、ヒトラー・ユーゲントの来日時の映像なども面白く、戦後はどちらも敗戦の瓦礫からの出発、吉田訪独、アデナウアー来日と続く。
 近現代史の勉強になり、国際関係論を教える私にも、日本と国際社会の出会いとその後の日本外交について学ばせてくれるよい展示だった。この企画展は長崎や鳴門といったドイツとの交流のある街を回ったあと、来年、横浜に戻ってくるらしい。

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「堀田善衛展」を見る

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 帰省の合間に、高岡市美術館「スタジオジブリが描く乱世。堀田善衛展」を見る。堀田善衛は私の郷里、高岡市内の港町、伏木(ふしき)の廻船問屋の生まれである。この職種は当時は有力だったが、もはや存在しない。当時のこの地方の一部の有力家庭にあることだが、堀田氏は中学(現在の高校に相当)は高岡中学(現在の高校)でなく、文化の高い金沢で学んでいる。お母さんのくにさんは古い写真で見ても美しい方だが、港湾で働く女性のために富山初の保育所を作った人だということは今回初めて知った。
 この展覧は、一昨年に神奈川近代文学館で行われた展覧の再展示だが、少し変わっていて、堀田善衛の作家としての軌跡をゆかりの品々でたどる第1部と、堀田善衛の作品から様々のインスピレーションを受けた宮崎駿のスタジオジブリが、堀田作品をもとにアニメーション映画を作ったら、こういうものになるというイメージ画を作成し展示した第2部で構成されている。実際にこういうアニメができるというわけでなく、いわば堀田善衛へのジブリならではのオマージュ、リスペクトである。この二つの途中には、堀田氏の評伝『ゴヤ』を記念して、ゴヤの版画の展示もあるが、これは高岡展オリジナルかもしれない。。
 堀田善衛についての説明は不要だろう。ただ、私の世代(「新人類」バブル世代)ではもう評価の確立した著名作家であって、特に岩波新書になった『インドで考えたこと』などは中学・高校の先生も勧めていた。むしろ、私の世代には、堀田氏の前半生のほうが十分に知られていないと思う。
 堀田氏は『朝日ジャーナル』等に寄稿した、政治的、社会的な関心の高い作家だったと思うが、特定のイデオロギーには荷担しなかった。主義主張を問わず、人物としてホンモノかニセ者かを嗅ぎ分ける嗅覚のするどい人だったようだ。例えば、アジア・アフリカ作家会議に参加し、英語でのスピーチで日本の戦争責任をアジアの作家に詫び、ネルー首相にも評価されながら、会議そのものがCIAに支持されたインド政府の影響が強いことを見て取っている。
 それは、中国にいたときに日本の敗戦にぶつかり、日本の戦争の無謀さだけでなく、次に現れた国民党側、共産党側のそれぞれにも混乱と問題性を察知していたことに始まるようである。日中国交回復時に出された武田泰順との対談『私はもう中国を語らない』以降、中国について書いていないことに、堀田氏の考え、思いの深さを感じる。
 『ミシェル 城館の人』は、発刊時の評判だけ聞いて読んでいないかったが、モンテーニュの『エセー(随想録)』を、フランス語の原語に含意される「試み」として読み、宗教戦争時に人間性の自由を求める人として描いたという意図を知り、読みたくなった。
 自らの人生を熟成させるため、晩年にスペインに渡った(最晩年には帰国される)堀田氏、本当にかっこつけない、かっこいい人だ。

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来春、児玉先生とEUを講じます

 NHK文化センター青山教室で、来年の1月から3月、「初心者のための西洋史入門 2つの大戦からEUへ」(6回のシリーズ)という講座を、久留米大学法学部の児玉昌己先生と担当します。もちろん、児玉先生が主たる講師で、私はそのお手伝いですが、6回のうち、3回目から5回目、つまり2月の2回と3月上旬の1回、計3回話します。「やそだ総研」「やそだ土産品店」をご覧の方で、「やそだ」はどういう奴か顔を見たいという(物好きな)方がいれば、チャンス?です。もちろん、有料ですが。
 児玉先生は最近も国民投票の行われたアイルランドで調査された後、『週刊エコノミスト』11月10日号の「学者が斬る」に「リスボン条約批准で近づく「欧州連邦」への道」と題した論文を執筆されています。同志社を中心とするベテランのEU研究者の方々が書かれた新刊、鷲江義勝編著『リスボン条約による欧州統合の新展開』(ミネルヴァ書房)にも執筆されていますので、ぜひご覧下さい。この本には、アムステルダム、ニース、リスボン各条約の条文対照もあり、研究者にも便利です。
 私の頭痛は相変わらずで、授業と卒論指導以外はほとんど開店休業状態ですが、このときまでは体調も戻しているでしょう。今日はなぜか左耳がよく聞こえません。宣伝しておいてなんですが、各所への不義理は今しばらくお許しを。
 

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画廊「七本杉」続報

 私の旧師・戸口拾先生が地元・富山県高岡市に作った画廊「七本杉」(しちほんすぎ)については、9日の項で書いたが、実は私が見た地元画家の展覧の後に、先生ご自身が集められた戦争中の石川県七尾市などでの中国人強制連行の史料を展示されている。
 これは先生ご自身の調査によるものだ。こういう社会史的な企画も画廊でされるとは、むしろヨーロッパ的なアヴァンギャルドだ。先日画廊を訪ねたときは、先生とお会いしたのがうれしく、次の企画をお聞きするのを忘れていた。17日まで実家にいたのに見そびれた不覚。
 七尾強制連行訴訟については詳しく知らないが、金沢市議の森かずとし氏のホームページに写真の豊富な記事があった。
 戸口先生、これを見ていたら、「七本杉」のホームページを作って頂けませんか?

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世界ポスタートリエンナーレトヤマ

「第9回世界ポスタートリエンナーレトヤマ2009」を見に、富山市の富山県立近代美術館に行った。この美術館が初期からずっと行っている3年ごとの開催行事で、こういう的をしぼった企画は面白い。
 特に私がこのトリエンナーレを楽しみにしているのは、ヨーロッパ諸国の様々なポスターが見られるからだ。それには政治的なメッセージや風刺といった意味で私の本業に役立つものも少なくない。
 帰りに富山市の中心街・総曲輪(そうがわ)通りの空き店舗を公設民営している「フォルツァ総曲輪」の映画館で自主上映(1週間限定)の「ミツバチのささやき」を見る。ミニシアター好きでは知らない者はない、スペインの名画(フランコ存命中にこういう映画が撮られたことは驚きである)だが、実は20数年前、大学生のときに一度見ているが、大分忘れていて、見ながら思い出したが、今回改めて見て、より深いディテールを理解することができた。県内で良質の映画が見られる唯一の場所である。若いアーティストっぽい人々が運営しているが、ぜひ続けてほしいし、応援したい。

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画廊「七本杉」

 郷里の高岡に戻り、用があって山町筋(御車山祭りの山車を持っている古い街区)の郵便局に行った帰りに、以前から見たかった末広町の画廊「七本杉」(しちほんすぎ)に行く。このブログのタイトル通り、私はこの通りに接した駅前商店街の今はない土産物屋の息子である。実家は別にあるが、自分の町内のような意識である。
 この画廊は、中学校時代の恩師で私の歴史・政治好きを助長?してくれた戸口拾(おさむ)先生が最近始められたものだ。戸口先生のお兄さんが有名な経済学者の篠原三代平先生。篠原先生がこの春に1ヶ月間、日経の「私の履歴書」連載で書かれたように、ご兄弟のご実家はこの通りの洋品店だった。その跡を、高岡の中心街である末広町が昔の繁栄を失っている中でもう一度文化の種を撒くべく、戸口先生が改装し画廊にされたのである。「七本杉」というのは、昔この通りにあった大きな杉のことである。
 おそらく商店2軒分ほどの間口で、地元の画家の作品を機会があるごとに展示されている。ちょうど今は、高岡四大祭シリーズポスター原画展(明日9日まで)をされていた。28年ぶりにお元気な先生にお会いできたのが嬉しかったが、それ以上に、先生が今も高岡の町の文化のために地道な、しかし意味の深い試みを続けておられることに感動した。
 行かれる方は、展示がないときは閉まっているのでご注意。水曜は定休だそうです。

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ドイツの斬新な現代美術館

 仕事でなく行きたいところを、なかなか行けない状況のなかでブログに書き留めておくシリーズ。
 ドイツのミュンヘンに画期的な現代美術館、ブランドホルスト美術館が21日に開館した。その名の通り、現代美術収集家のウード&アネット・ブランドホルスト(夫妻?)が集めた現代美術(20世紀、21世紀)のコレクションのみを、そのコンセプトを守って展示するため、一個の美術館として作ったようだ。ウォーホールのようによく知られたものも、たぶん現代美術マニアしか知らない作家もあるが、ホームページから見ても、いいコレクションと分かる。私など一般的な知識しかない者が、その作家の名前を知らなくても、確かにメディアで取り上げられた記憶のある論争的な作品もある。
 美術館の外観も斬新なので、上記のリンクで一見されたし。
 

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裏切られる思い入れ

 ゴヤの「巨人」が所蔵するプラド美術館から、研究者が弟子の作品ではないかとの判定を発表。これまで堀田善衛氏ら日本の知識人も、ナポレオン支配への抵抗の象徴である、あるいは、もっと深い人間性への観察である、などの様々な見立てをしてきた作品である。

 もちろん、そうした見立てを今更、馬鹿にするつもりはない。むしろ芸術作品によって深く考えることができたことが貴重である。弟子の作品だとしても、同時代の人間なのだから、同じような思想になっていたかもしれない。

 むしろ、考えさせられるのは、後世の人間の様々な解釈を裏切る芸術作品のおもしろさである。われわれが源頼朝の肖像と思っているものはどうも実は別の、しかも平氏の正装姿であるらしいことはよく知られているが、それでもわれわれは冷徹な頼朝像にあの透徹した顔立ちがぴったりと思い入れをしてきた。作品のほうは長い年月を経て、作者も、それを証明してくれる弟子や後継者ももうこの世にはいないのに、われわれの心をとらえてやまない。

 テレビ東京の「なんでも鑑定団」が、骨董などのお宝が主に見えて、実は、そのモノにまつわる人間のストーリー(偽物を質にお金を貸した人など)が視聴者を引きつけるように、モノに独特の生命を通わせることが人間の人間たるゆえんである。

 世界中にある遺骨を集めると何人分にもなるお釈迦さんやコロンブスの骨(「これはコロンブスの子供の頃の骨です」という古典的ジョークがある)も許せるかもしれない。

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富山県立近代美術館への私的こだわり

 1日の朝、例によって安い切符狙いで早朝の始発で空路、富山に帰省。実家には直行せず、富山市にある富山県立近代美術館で日展100年展と常設展を見る。
 この美術館は私が高校生のとき(1981年)に出来たもので、今では珍しくなくなったが、20世紀の現代美術に絞ってコレクションを作った、当時としては画期的な美術館で、朝日の名記者、百目鬼恭三郎氏も文化面のコラムで取り上げていたのを記憶している。率直な批評で知られる氏の記事は、現代美術の持ついかがわしさに幾らかの疑義も呈されていたと思うが、タバコを吸う唇だけを大きく描いた展示品(トム・ウェッセルマン「スモーカー#26」)を風刺したイラストもついていたことを考えると、むしろあの記事は今となっては美術館にとっては勲章ものだったと思う。(物議を醸さない現代美術などつまらない)
 その後、美術館は、昭和天皇をコラージュした作品に対する処遇(右翼や保守派県議による圧力に当時の県知事が屈し、展示をやめた)で批判を受けて、これ以降、美術専門メディア以外で記事を見ることはなくなったと思う。この事件を契機に美術館への評価を変えた知識人もいるはずで、つくづく保守王国の政治家たちの文化度の低さが悔やまれる。
 しかし、これは富山県の政治家のレベルの低さであって、美術館のせいではない。むしろ、こうした作品にも対象を広げていたキュレーターたちの質はよいと考えるべきで、国際ポスタートリエンナーレのように意義のある活動を地道に続けている美術館の努力は評価したい。
 常設展も何回も来ていると、おなじみの作品に、少しずつ新顔が加えられていて、うれしい。この美術館の後に東京都の現代美術館などが出来たが、東京は一点一点の価格ではすごいものを持っているが、1フロアに20世紀美術を要約した啓蒙的・統合的なコンセプトとしては、富山のほうがいいと思う。それぞれの作家の代表作とはいえないものの、その作風が分かるよい作品を収集していて、ロートレック、ピカソ、シャガール、ルオーからミロ、ダリ、フェルナン・レジェ、パウル・クレー、マン・レイ、マグリット、マックス・エルンストらを経て、フォンタナ、ジャコメッティ、マリーニ、アンディ・ウォーホル、ジョージ・シーガルらに至る。
 現在の企画展「日展100年展」(東京に始まり全国4ヶ所で展覧)は、今や美術館の客層の最有力勢力となった高齢者にも受けのいい鉄板企画だが、できれば、近代美術館には、若い人にも刺激となるような、議論を呼ぶような、冒険的な企画をしてほしい。接客がえらく丁寧なことなど、今後のスケジュールを見ても、初期に比べ、やや保守化した印象を受けた。
 古い政治家の頭には、ルノアールやセザンヌ、モネなどのような「長い19世紀」的なものしかないと思われるだけに、美術館のポリシーに影響を与えていないか心配だ。そういう評価の定まったものではない、現代美術について、自分なりの言葉で語ることこそ、真の知者の証なのだが。

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ジーロトンド

 夕刻から恵比寿の東京都写真美術館に行く。なぜ平日の夕刻に行くかといえば、来月、学生を連れて同時間に研修のためにここを訪れるためで、その導線を確認に行くのである。
 現在の企画展は、「シュルレアリズムと写真 痙攣する美」と、「知られざる奇才 マリオ・ジャコメッリ」展だ。写真にはずっと関心を持ってきたが、もちろんイタリアの写真家といわれてもこの人は知らない。しかし、意外にも、ホスピスで死を待つ人々やロマ(いわゆるジプシー)の人々、雪のなかで戯れる僧たちなど、なかなか面白い題材も多い。
 そのなかで目を引いたのが、イタリア版「かごめかごめ」である遊戯「ジートトンド」をする僧たちの写真で、白い雪に黒い僧服が映えるよい写真で、この企画展のチラシの表紙にも使われている。
「ジーロトンド」といえば、数年前、映画監督のモレッティら左派文化人がベルルスコーニから不当な介入を受けた司法省やRAIを人間の鎖で取り囲んだデモがまさに「ジーロトンド」であった。改めて原型を見て、なるほど「かごめかごめ」だと納得。
 研修の後には、懇親会も行わないといけない。少し歩いたところにあるエスニック料理店を下見に入り、実際に二三品注文してみる。どれもおいしかったが、やはり、ものによりえらく辛かったり、油濃かったりするところはあり、苦手な人は苦手かもしれず、その点注意しないといけない。しかし、いわゆる居酒屋でなく、かつ大人数で安く抑えなくてはならず、かつ何らかの学習効果(普段食べない外国料理を食べる)ということからすれば、エスニック以外の選択肢はないのである。
 なんとか企画通りできそうだと思い、帰宅。教育テレビで珍しい編成のバッハを聴く。

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