イタリア&欧州100都市踏破を目指す、私的なこだわり

 海外旅行が好きである。若いときはお金がなくて、仕事に関係のない海外旅行はできなかった。ようやく40代後半になって、その余裕が少しできてきた感じである。また、それなりに責任のある仕事が増えて、これまで以上に仕事のストレス解消のため、休暇が必要になってきていることもある。
 同じ年代には100名山登頂を目指す友達がいるが、私も、イタリアが多数の個性的な都市で成り立っていることからよく言われる言葉「チェント・チッタ」(直訳すれば「100都市」だが、文字通り100に留まらない多さを含意)にならい、定年までにイタリアで100都市、イタリア以外のヨーロッパ諸国で100都市に行こうとしている。もちろん、これ以上の人もたくさんいるだろうが、老後にも備えないといけない(定年以降はあまり余裕はないだろう)ので、その中で自分で実現可能な目標としたものだ。
 もちろん、こんなことにこだわる必要はまったくない。ただ、一つ言えることは、私が職業的には国際関係論とヨーロッパ政治を教える大学の教師であることで、やはり大学風辺や本だけの知識でなく、いろいろな街を見たほうが、教師としてもいいだろうということ。もう一つ真面目な理由は、国境線が何回も変わり、人の移動も多いヨーロッパは国単位だけではとらえられず、個性ある都市をたくさん見ないとよく分からないということだ。
 街の数え方には私独自のルールを作っていて、その街の胆である何かを見て、1回以上食事したところ(ただし、孤立した遺跡など物理的に食事が難しいところを除く)を、基礎自治体(市町村)単位で1つと数え、明らかに一つの都市の延長部分に当たる街は数えず、単に通過しただけの街も含めない、というものだ。このルールを適用すると、現在イタリアが41、イタリア以外のヨーロッパが42であり、重い病気になったり、失職したり、日本経済が崩壊しなければ、14年後の定年までにちょうど達成できるだろう。
 どれだけ見ても分からないことはいっぱいある。全部知ることなどできないし、その必要もない。ただ、多く見たほうがいいことは間違いないだろうし、その方が楽しいだろう。

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「やそだ総研」HP消失の理由

 一部の方から関心を寄せていただいていた「やそだ総研」のホームページは現在ウェブ上に残っていません。プロバイダがホームページのサービスを廃業したためで、引っ越し先を探しています。何かまずいことをしたり、炎上したわけではない(そんな人気はもともとない)ので、復活したら、この頁でご案内します。

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姉妹都市の組み合わせの妙

 ドイツを旅行して、ミュンスターの教会前に有志の人が「ヒロシマ十字」なるものを花で作っていたり、ハノーファー市庁舎で「ヒロシマ展」などが開催されていて、感心したのだが、いささか勉強不足だったのは、広島がハノーファーと姉妹都市だったことを知らなかったことだ。
 姉妹都市は、必ずどの国とも組むようなものでもないし、単に街の性格の類似性だけでなく、きっかけになった出来事や仲立ちになった人などにも影響されるから、正直なところ、必ずしもベスト・マッチではないのではと思うものも、大きなお世話だが、ないわけではない。ただ、もともと、イタリアやドイツのように、一つの街にいろいろな機能が集中していない、街々にそれぞれの表情がある国の街は、日本のどこと組んでいるか、興味が湧く。
 ちなみに、ドイツと日本の組み合わせは、ベルリン=東京、ハンブルク=大阪、ケルン=京都は、文句の付けようがないし、ミュンヘン=札幌、マイセン=有田も理由はすぐ想像できる。ただ、港町では、リューベック=川崎があっても、横浜や神戸は特に相手はいないようだ。その中でハノーファー=広島はやはり目を引く。それぞれ、ニーダーザクセン州の州都、中国地方の中心都市と、国レベルでの重要都市だが、戦災で激しく破壊されたという点でも精神的な共通点を持っているのが、興味深い。
 一方、イタリアと日本だと、ローマ=東京、ミラノ=大阪、トリノ=名古屋、フィレンツェ=京都といった納得の組み合わせのほか、ナポリ=鹿児島、サンレモ=熱海、ビエラ=桐生、ファエンツァ=土岐などは理由がすぐに思い浮かび、なるほどといった感じだが、サレルノ=遠野、ソレント=熊野、マントヴァ=近江八幡、ヴェローナ=長浜は面白いと思った。でも、ジェノヴァと横浜、神戸あたりで組めなかったの、とも思ってしまう。

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ブログ再開の弁

 父の介護とその死から、ほぼ2年くらい、ほとんど更新していなかった、このブログを再開しようと思います。この間はツイッターやフェイスブック(友人限定)で個人の感想めいたことは書いていたのですが、もう少し長めのもので、関心のある人なら誰でも読んでもらえるようなものもよいなと思い返しました。この間、ソーシャルメディアも実際に使ってみて、ラインは近親者のみ、フェイスブックは友人のみがよいと自分のなかでも区別がついてきたところがあり、逆にブログに適した分野もあると思い直した次第です。ブログ記事による様々なトラブルも報道されているので、十分気をつけて、でも、できるだけ自由に書きたいと思います。

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介護元年

 今年は、私にとって介護元年となりそうである。父はまだ要介護1になったばかりで、歩くのは容易でないが、まだ自分でトイレには行けるし、風呂にも入れる。しかし、いろいろなところが衰えていく父と接していると、気持ち的に辛くなることがある。正直、そういうときには、何か叫びたくなる。実際に何度か叫んだし、私が理解できない父の言動に思わず怒声を上げたこともある。
 そこで考え直した。たとえ、無名無力といえども、社会科学者のはしくれ、この経験を自分の社会理解に活かそうと思った。叫びたくなる衝動を抑え、気持ちを静めるのには、特に研究者にとって最適なのは、書くことである。そこで、ツイッターを初めて以来、忙しいなかで更新ができなくなっていた、この休眠中のブログを、父の世話をしながら考えたことを書くのに使っていこうと思う。
 ただし、お医者さんやヘルパーさんなど、父のためにいろいろなお世話をしてくださる人々のことを書くのは、いろいろ迷惑がかかる。だから、周囲の固有名詞などは極力書かずに、むしろ、私自身が考えたこと、したことなどを中心に、あくまで私と父の間で起きたことを書いてみたいと思う。

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私と祖母の神保町

 私の祖母は、私の現在の勤め先である女子大の前身の職業学校の卒業生です。その思い出を大学のホームページにエッセーとして書きました。

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しばらく更新できません

 しばらく更新できません。中古人間、今度は眼が故障でパソコン作業難です。ご無礼お許しを。

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グッとくるほめ言葉

 篠原涼子がキャリアウーマンを演じるCMで上司がグッとくる意外性のある言葉で、篠原をねぎらうものがある。テンパっている篠原に上司が「篠原君、コーヒーを...」「すいません、今ちょっと(手が離せないんです)...」「...入れました。」上司が自分で汲んできたコーヒーを篠原の傍らに置く。「やばい。グッときた。」と篠原。
 話は変わるが、なぜ、私が納豆以外のほとんどのものを残さず食べるようになったかというと、それは上京したときの体験による。
 大学に進学し、上京したとき、列車内で私は、そぼろ弁当を食べていたのだ。対面のシートで、食べている途中に私はむせて、細かい卵の粉を向かいに座っている紳士のズボンの裾に少し吹きかけてしまった。もちろん、すぐに謝ったが、その紳士は私を叱るどころか、私が単に食いしん坊なために一粒残さず食べ終わるのを見届け、下車するときに「あなた、とてもきれいにご飯を食べるね。大物になるよ。」と言い残した。
 彼の予言は外れたし、大物になろうという野心は当時も今もないが、この大人な態度は忘れない。わたしはグッとくる言葉をしょっちゅう言えるほど大人ではないが、時々はまねしたくなる。
 

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新年度の目標

 新年度はQOLを向上させたい。すべての前提として、痩せる。エイプリルフールではない。

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幼児学級

 私は幼稚園や保育園に行かなかった。小学生高学年になってから、そのことに気づいて、なぜそうなったのか、と親に聞いたが、「行くかどうか聞いたが、お前が行きたくない、と言ったから」という。判断力のない就学前の子どもの言うことを本気でとったのか、と思ったが、それで特に損したわけでもないので、こちらもあまり気にしなかった。あるいは、当時は必ずしも幼稚園に行くということが当たり前でなかったのかもしれない。他人と一緒なことをするのが嫌いな性格は、子どもの頃からあったから、私自身が上記のようなことを言った可能性はある。ただ、こういうことが当時、一般的なことだったかどうか分からない。田舎では、その程度のことは気にしないし、今のように就学前から詰め込み教育をすることもなく、大らかな時代だった。
 正確には、小学校に入る前に「幼児学級」という小学校のおまけのようなところに就学前の一年だけ通った。今日の日経夕刊に、少子化で小学校に空き教室があっても、保育園にはなかなか転用されないとの記事。私には不思議でならない。

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