「不毛地帯」と瀬島龍三氏について

不毛地帯」が再びドラマ化されて放送が始まった。昨日偶然テレビを点けて、最後の部分だけ見たが、協力のテロップに私の郷里の富山や高岡の団体名が出ていた。
 主人公の壹岐中佐のモデルである、伊藤忠商事の元会長で日韓関係にも関わった瀬島龍三氏(故人)が富山県小矢部市の出身だからであるが、私が高校生の頃はまさに中曽根行政管理庁長官(すぐ後に首相)のブレーンであって、私の母校である高岡高校(ただし瀬島氏は旧制の砺波中学から陸軍幼年学校・士官学校に進まれたので、ここの出身ではない:当時は士官学校のほうがエリートだった)でも講演会があった。この講演が異例だったのは、すぐ隣にある高岡工芸高校(私の父が教えていた)の学生も一緒に聞いたことだ。こういうことは、OBの藤子不二雄A氏(F氏は工芸高校の出身)が講演に来られたときでもなかった。校長以下の先生方が普通でない緊張感を示していたのをよく記憶している。
 進学校ゆえに鼻っ柱の強い学生もいて、つまらない話にはつまらないという反応があるものだが、その日は静かなものだった。瀬島氏の話には奇をてらったところは少しもなく、声も静かだったが、何かカリスマ性を感じていたたのかもしれない。
 シベリア抑留時代について歴史家の間で議論のある人だが、実際のところ、今も謎の多い人である。

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モレッティの映画DVDフェア(ローマで)

ナンニ・モレッティの初期から最近までの映画DVDのフェアやってます。ローマのヴィットーリオ・エマヌエーレ2世通りのフェルトゥリネッリ書店で。ネット通販では買えるのかな?

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マイク・ボンジョルノ死去

イタリアのテレビの大スターが去った。追悼番組放送中。どのくらいすごい人かというと、日本でいうと、大橋巨泉とタモリと久米宏を足したくらいのテレビの申し子。あるいは、宮田輝と高橋圭三を足したくらいといったほうが年代的に近いかも。この人が決まって言う言葉が「アッレグリーア!」

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ちょっと大人のイタリア語

 まじめな話ばかり続いたので、ここらでお気楽なテーマを。
 何週か前に見た深夜のバラエティー「アリケン」(テレビ東京)で、とてもきれいなイタリア語を話すグラビア・アイドルがいて、驚きました。小川瀬里奈さんといい、ネプチューンのホリケンの擬似記者会見で、記者役の彼女が、画面に訳は出ませんでしたが、「週に何回セックスしますか?」とイタリア語で聞いていたのです。その場は何を言っているのか分からないという笑いの流れでしたが、イタリア語の発音がとても自然だったのです。どうもミラノ育ちのようです。
 この小川嬢が、表題のような「ちょっと大人のイタリア語講座」というコーナーを上記番組ホームページで始めていますので、お伝えしておきます。
 

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C.S.A.(偽ドキュメンタリー)

 東京メトロポリタンテレビの番組「松嶋×町山・未公開映画を観るTV」でアメリカの偽ドキュメンタリー「C.S.A.」を流していた。これは題名の通り、南北戦争で実際の歴史とは逆に南部のConfederate States of America(アメリカ連合国)が勝利した後の歴史をまるでドキュメンタリーのように創作した映画である。これがアメリカ人のスタッフによる痛烈な自己批判になっている。司会の町山智浩氏はこれをフェイク(偽)・ドキュメンタリーと呼んでいたが、ネット情報によるとモッキュメンタリー(mockumentary、風刺ドキュメンタリー)という言葉もあるようだ。本当の資料映像のように「史実」は白黒映像、「歴史家」や「ジャーナリスト」はカラーで証言するという手の凝りようで、「敗れた北部」への郷愁から作られた(偽)映画『北風とともに去りぬ』まで引用される。
 奴隷制の論理を貫徹したまま、キューバから中南米に軍事侵攻したCSAは、奴隷制を知らないメキシコで奴隷制を施行できない困難にぶつかる。そこで取られたのが隔離政策(アパルトヘイト)。農場で働くメキシコ人とお屋敷で過ごすアメリカ人が接触しない仕組みを作り出すのだった。今回放送されなかった後半ではナチスと手を組み有色人種絶滅を目指し、日本に先制攻撃するらしい。
 司会の町山氏が話しておられたが、実際に南部で黒人への公民権が遅れた歴史への反省も込められているようだ。ただまじめに反省する言葉よりもブラックな笑いのほうが強いし、痛烈だ。戦前を間違った形で讃美する人に向けて、日本でも偽ドキュメンタリーを作ってみてはどうだろう。

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麻生首相の母を演じた女優

 後期は「政治学概論」で日本の政治史についても話す(法学部ではないので、日本政治史専門の授業がなく、ここで基礎知識を与えておかないといけない)ので、自民党に関する本など読みながら、合間にもっと気楽な『小説吉田学校』の漫画版(『ゴルゴ13』のさいとう・たかを画)などを見たりする。
 森繁久弥主演の映画版には吉田茂の娘である麻生和子さん(麻生首相の母)も登場するが、演じている女優は、あの、伝説の、夏目雅子。ご本人は周囲から尊敬を集めるような立派な方だったらしく、むしろスタッフ納得の人選だったのかもしれない。ご本人の著書『父 吉田茂』も光文社知恵の森文庫で文庫本にもなっているようだ。

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昭和40年

 週末に放送されたNHK-BSのタイムトラベル昭和40年は、大変面白い企画だった。べ平連が生まれた年であることで、当時の資料映像が多数出てきたこともよかったが、当時のテレビ東京が仕掛けた徹夜の戦争と平和に関する討論会が出色で、宮沢喜一、中曽根康弘、勝間田清一、飛鳥田一雄といった与野党の政治家、長洲一二、桑原武夫らの学者に、べ平連の小田実、開高健などが参加していたのを、音声資料が残っていないので、俳優による読み上げで再現していた。この討論会が天皇の戦争責任を問う無着成恭(生活綴り方運動で教員免許取得者の習う教育史には必ず名前が出てくる人だ)の発言で明け方前に放送が止まったということも改めて知った。当時、テレビ東京にいた田原総一朗氏も、この番組の担当ではなかったが、ずっとこの放送を見ていたという。
 また、この年に献血を広める運動を早稲田大学の政経学部の学生がしていて、彼らが売血の現場に潜り込み自ら取材し、その危険性を指摘したリポートが献血の推進に大変役立ったこと(翌年には早くも献血と売血の量が逆転する)など、やはり当時の学生の意識の高さに感動した。こういう学生がいたことだけで早稲田はすばらしい大学だと言い切れる。
 すべて私が生まれる直前の話である。

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ベルルスコーニと日本アニメ

 1989年に初めてイタリアに行ったときには気づかなかったが、90年代後半から現地で日本アニメを見る機会が多くなった。「北斗の拳」「キン肉マン」「キャプテン翼」などの輸出は有名だが、私が初めて見かけた日本アニメは「プロゴルファー猿」。藤子不二雄A先生(どうでもいいことだが、私と小学校から高校まで同じ大先輩である)の名作ではあるが、特殊な設定のアニメなので意外だった。
 この1月にも、なにやら宮廷のようなところでイケメン同士がお姫様をめぐって争う?(うる覚えで不正確な要約)アニメが放送されていて、エンドロールで日本語が出てきて、ようやく日本製アニメと気づいた。映画や写真は好きだが、アニメはめったに見ない(子供の頃は初期アニメの黄金時代だったが)私には今のアニメは分からない。ただ、日本アニメが放映されていたのは、すべてベルルスコーニ首相が事実上のオーナーであるメディアセット社系列の民放3局のいずれか(これはイタリアの国営3局に対する民放主要3局であることと同義である)であった。
 今朝の日経の「交友抄」で日本アニメを世界に広げた滝山雅夫氏が現地スタッフとの交友を書いておられるが、それによれば、ディズニーが国営放送のRAIと契約済みで、コンテンツ不足のベルルスコーニ陣営が日本アニメに関心を示したのだという。こういう事情があったのね。

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輸入したいオーストラリアの面白番組

 オーストラリア滞在中に見た傑作のテレビ番組が、9チャンネルの「Aussie Ladette to Lady」(オーストラリアのお転婆娘をレディーに)という番組。ちょうど、滞在中に開始され、この後、毎週続くようだ。オーストラリアの男勝りのお行儀の悪い若い女の子たちをイギリスのレディー育成学校に入れて教育していく実録モノだ。オーストラリア各地から、男並みに働く体もたくましい女性鉱夫、不幸な過去を持つが過剰サービスぎみのストリッパー、男たちと飲み歩きゲップを大きな音を立ててするやんちゃ娘、などなど。迎え撃つは、いかめしいメガネの校長先生、相撲取りのような体格の料理の先生、ほかにマナーの先生もいた。
 とにかく、オーストラリア娘たちはすぐに脱線しようとするが、イギリス人の先生たちから厳しく指導される。毎週、1人が学校から追放される。ただ、追放者の選び方は、面白いだけでなく、教育的に参考になる。
 番組では、禁酒の誓いを再三破った学生や、パーティーの練習のために呼んだイケメン紳士について行こうと脱走を図った学生などが、先生に呼びつけられ反省させられる。ところが、実際に追放されたのは、派手な失敗をした学生ではなく、狩猟に行く紳士への飲食サービスで、まったく紳士に飲食を勧めなかった消極的な学生だった。
 つまり、何かをやって失敗したり、やりすぎて失敗した学生よりも、目立った失敗はしないが、何も自分から働きかけない学生のほうを怠惰だとして切ったのである。
 エンターテイメントとしてもよくできていたが、マナーの達人たちの、長い風雪に耐えた人間観に学ぶところもある、面白い番組であり、格好の英豪比較文化実験でもある。
 DVDが出たら、日本と規格が違っても、とりあえず入手したい、と思うほど面白かった。

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カモッラ、ゴモッラ

 ローマ滞在中に、話題の映画『ゴモッラ』を見た。ナポリのやくざはマフィアでなく、カモッラというわけですが、この内情をロベルト・サヴィアーノという青年がナポリの社会事情と合わせて告発した本の題名が『ゴモッラ』。その映画版です。エウルの国立文書館に行った以来、久しぶりに城壁の外の町の映画館まで見に行きました。

 聖書に出てくるゴモラ(イタリア語でゴモッラ)という背徳の街にかけてあるわけですが、この本がベストセラーになり、各国語に訳されていて、今や狙われて生命の危険もある彼を守れと知識人たちが署名活動したり、連帯感を示すために本の朗読会をしたりと話題の人になっていました。連日新聞に登場しただけでなく、CNNヨーロッパも彼にインタビューしていました。

 映画は、まるでドキュメンタリーかと思うくらい、ナポリの貧しい界隈から、武器の横流しや、中国人が中国人を酷使する闇工場、そしてあまりにも簡単に人の命が奪われる光景など、これでもかと乱反射のように複数のストーリーが迫ってきました。

 日本語訳が出るかわかりませんが、これだけ話題になれば、本も映画も日本にくるのじゃないかな、それだけの重みはあります。本も買ってきましたが、冒頭からナポリの港での違法な物資の流れをナポリの風景と世界的な闇物流の流れの相関で描いた、なかなか見事な叙述です。

Gomorra

 でも、続きを読むのは、少し後かな。帰国すると仕事の山が。

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The West Wing

 私はテレビでドラマはあまり見ない。現実離れした生活描写がどうも好きになれないものが多く、たとえば若いサラリーマンがありえない広さの部屋に住んでいたり(一応、わたしも上場企業の子会社に勤務したことはあるから、給与水準は想像できる)、逆に極端に貧乏な部屋に描いたり、要は、演出のメリハリか、テレビ業界の人の一般からずれた世界認識が露になっていて、落ち着かないのだ。だから、私も好きだった「のだめカンタービレ」のように、それなりに現実の人に取材した漫画を原作にして、コメディ(&ちょいペーソス)に徹し切ったものは、楽しめるが、案外そういうのは少ない。大学の「政治学概論」でたとえ話に使えるかと思って、キムタク主演の政治ドラマを最後の2、3回見てみたが、はっきり言ってダメだった。

 衛星放送を見るためにケーブルテレビと契約したが、おまけについてくる色々なチャンネルも朝日ニュースターの「Democracy Now!」のほかはほとんど見ないが、先週それでも何かないかと思って、いたずらにチャンネルをめぐっていたら、なんと以前、NHKで放送されていた「ザ・ホワイト・ハウス」(原題 The West Wing)がスーパー!ドラマTVというチャンネルで、その続きのシリーズまで進んでいた。これは、NHKで放映時は毎回録画してみていた(当時は塾講師で帰宅が未明になるので)番組である。

 NHKでは、主人公のバートレット大統領(思想的にはクリントンに似て民主党、ケネディと同様カトリック、奥さんは弁護士のヒラリーと違うが医師、年齢的にはブッシュ父くらいの設定)が持病を公開して再選に臨むというシーズン2で終わったが、その後のシーズン4では、再選後に、中東の同盟国「クマー」の国防相が対米テロを企画、これをバートレットが密かに暗殺させるという苦渋の選択をし、その報復か、娘のゾーイ(チェルシー・クリントンに似た年齢設定)が誘拐され、動揺し判断力に不安を感じた大統領が、一時的に共和党の下院議長に大統領職を代行させる(副大統領がスキャンダルで辞職中)という、現実を超える大転回で、久しぶりに見て、びっくり。

 いよいよ今月から第5シーズンに突入したらしい。というのは、まだよく見ていないからだが、残念なことに、これは大学の授業ではたとえ話に使えない。下手に言うと、学生が親にケーブル契約をねだって、そう言っていないのに、結果的に先生が勧めたということになると、不本意だからだ。アメリカ政治のいい教材なのだが。

 なお、このドラマに出てくる秘書のドナの声の声優さんは、八十川真由野(やそかわ・まゆの)さんという方で、有名なアニメでも声を担当されているようです。NHKの「サラリーマンNEO」(番組が国際エミー賞最終候補となった評判は聞いたのですが、見ていません)の男優・八十田勇一さん(たぶん、全国の「八十田」でいちばん有名)と同様、「八十」がらみの有名人ということで注目したのですが、検索すると、お二人とも私と同世代の方々でした。ただ、それだけのことですが、お二人がさらに有名になれば、わたしの名前の誤読が減るので、がんばってほしいのです。

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フォルツァ総曲輪・讃

 以前、この欄で書いた、富山市の中心街にできた「フォルツァ総曲輪(そうがわ)」ミニシアターで映画を帰省中に見てきた。ジャーナリストの広河隆一氏が長年にわたってパレスチナを追ったドキュメンタリー「NAKBA」だが、東京でかかっていたときは、忙しさにかまけて見ていなかったので、たまたま通りかかって看板を見て入ったのである。その息の長い取材による重厚な内容に感動した。

 この他にはもはやシネコンしかなくなった県内の映画館事情に対し、若い人たちが立ち上がってこういうよい映画を観る場所を作ってくれたのである。私が見た日は土曜日だったが、この種のまじめな映画としては、20人以上もわりと年齢層の高い人を中心に来ていた。富山の若者も、もっと見るべし。

 ところで、他の都市と同様、富山市も中心街の人口が減って、父の母校である総曲輪小学校はなくなり、他に吸収されたと聞いた。同じ県の高岡市の中心街、末広町の文苑堂書店に至っては、もはや中核店舗ですらなく、地下にあった専門書のコーナーはなくなった。これは、同郷の先人、藤子不二雄氏も通った、高岡市の歴史ある書店である。

 この二つの町の中心街こそ、私と先祖たちのルーツ。毎年、帰りがいがなくなっていく。何とも、さびしい。

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アナロ

 タイトルはミスタイプではない。私のテレビには今(見ているのはNHK、なぜか他局では見えない)、この3文字が画面右上に出ているのだ。地デジ普及推進のため、地上波のアナログ受信機に「あなたが今、見ているのはアナログですよ」とわざわざ教えてくれるようになったのだ。私のは10年ほど前に買った古い安いテレビであるため、横長のハイビジョンやデジタルの画像には対応していないので、「アナログ」の「グ」の字が欠けるのだ。
 私は地デジ導入=アナログ停止という考え方には反対で、自分は誤った電波行政と放送業界と電機業界の陰謀の被害者だと思いこんでいる。それは別としても、このような表示をずっと見続けさせられるのは、感性への暴力といわずして、何であろう。
 この際、電波利権を見直し、これまでの放送免許をいったん取り消し、地デジのコストを吸収できるくらいの免許料で再交付することで、国民負担をなくして欲しい。今の民放の番組内容なら、1局、2局脱落しても困らない。

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意外な良心的批評家

 熱心に見ていないが、たまたま見るたびに感心するのが、テレビ朝日「スマステ」の「ツキイチ・ゴロー」の映画ランキング。SMAPの稲垣さんが自分の好みで公開中の映画をランキングしている。
 批評と宣伝の分離が進んでおらず、テレビに出る評論家(活字メディアの評論家は本来の批評をされている方も多い)には映画会社の推薦作をそのまま推す人が多いなかで、あのコーナーは出色だと思う。実力あるタレントゆえに許された自由なのかもしれないが、しばしば的を射た表現に感心する。

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明確で強いコメント

 NHKの関東エリア番組「特報首都圏」で、副作用のある薬を大量に処方する一部の精神科医の不正を告発していたが、ゲストとして解説されていた神戸親和女子大学の精神科医の先生のコメントが秀逸。不正な医師の例には「言語道断」「医師免許を持ったヤクの売人」とバッサリ言い切って、解説は見ている素人にも明快だった。自信がないとこうはっきりは言えないはずだし、メディアでの発言の仕方も知悉されている。勉強させていただきました。

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選択的空襲?

 テレビ東京の「アド街ック天国」で、ある古い料亭が、聖路加国際病院に近いため、空襲を免れたとのコメント。はて、そこまで当時の航空技術で区別できたのか?エリア全体を大きく排除したのか?はたまた、この辺の基礎知識もない。
 とりあえず、ネットで調べてみたが、どうもまだまだ仮説の段階でしかないようだ。京都の原爆投下を避けた米高官の貢献説についても反論もあり、確定的なものではないらしい。これは、下記の南アの首都と違い、答えは簡単に見つからない問題だったようで、はっきり言えなくても恥ではなさそうだ。聖路加病院については、アメリカ聖公会による設立であるということから、この周辺、築地一帯が避けられたというが、果たして。

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ルーマニア映画

 4月に学生を学外研修に連れて行く企画があり、美術館や映画館を下見。その流れで京橋あたりに着く。昔、このあたりで働いていたので思い出も多い。人数が多いので映画館はあきらめるが、ふと見たポスターでカンヌでパルム・ドールをとったルーマニア映画「4ヶ月、3週と2日」を見てしまう。
 この映画については、何も知らなかったが、チャウシェスク体制末期の人々の生活のディテールも詰まった傑作だ。しかし、声高な体制批判ではなくて、中心には人間の業や、単に友情や思いやりで済まない不思議な連帯感も描かれている。監督が来日して、NHKの英語番組でタレントにインタビューさせていたけれど、これはやはりまじめにインタビューしてほしかった。
 実は、それよりもブログパーツというものを試してみたかったのです。下記参照。

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「大日本人」大人気(ネタばらさず)

話題の「大日本人」を日曜朝一で見てきました。私はプロフィールでも書いているように、吉本のコテコテギャグは好きではないのですが、「小日本人」の一人として「大日本人」松本人志をリスペクトしています。

大阪梅田近くのピカデリーで朝から行列でした。さすがに朝一でしたので見れましたが、15分前でもう前のほうの2列と後列が1個単位(カップル、家族連れの余り)でぽつぽつ残っている程度で、松竹系にしかかかっていないこともあり、お客が集中したようです。

場内で販売しているパンフにも映画を見る前には見ないように封がしてあり、あとでパンフを見たのですが、例えパンフを見ても中身の全貌は分からないように工夫してあります。

松本ファンとしてストーリーは明かしませんが、お金だけの価値は十分ある、不思議な作品です。ナンセンス、パロディ、ギャグなどいろいろな笑いの要素が入っているのですが、松本人志一流の微妙な間や言葉の使い方があふれていて、言い方は悪いのですが、海外輸出は難しい、きわめて「超日本人」的な内容です。この機微は、大味なアメリカ映画人はもちろん、言葉の多すぎるフランス映画人にも分からないでしょう。

ユニバーサルな笑いというのは、底の浅いものだと思います。個別の深みに入らないと観客の心の底には響かないし、それゆえに笑いは文化なわけですから、この映画が仮に海外でも受けなくても、作品として全然恥じる必要はないと思います。北野武監督にしてもビートたけしの笑いのエッセンスは使いつつも、それを前面に出した映画で評価されているわけではなく、それはどの国の笑いでも同じではないかと。

社会性を感じる部分もないわけではないのですが、社会に入って議論するのを恐れない爆笑問題の太田光と違って、松本人志の場合は、社会批評として語られることを避けて笑いの職人に徹しようとしているように見えます。社会との関係は当然ある、しかし笑いを一時も捨てないことが第一義という職人の美学です。その結果、かえって彼自身が表現者として戦っている表現の制限と世間の反応が、ヒーローとしての大日本人の戦いにかぶって見えます。

キャストは公開されている6人以外は秘密なので書きませんが、公式HPのストーリーの断片で存在が明かされている主人公の妻役の女優さん(名前は秘します)は、ミニシアター系の映画で前からファンだったのですが、適役だと思います。ちょっと気の強い女性(美人)を演じたら最高の人です。「名古屋で立ち寄る店」(HPで公開のストーリー断片より)のキャストも良かったです。

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キムタクがEU教育に貢献

キムタクこと木村拓哉氏は、日本におけるEU教育に貢献しました。EUの元祖である欧州石炭鉄鋼共同体の時代の製鉄業の説明に欠かせない「高炉」(こうろ)という言葉が、先頃終了したドラマ「華麗なる一族」によって、お茶の間で市民権を得ました。キムタク演じる万俵鉄平専務の務める阪神特殊製鋼(モデルは山陽特殊製鋼といわれる)の高炉建設がまさに中心テーマだったからです。これから大学でEUの歴史や欧州経済史を講義する研究者は「ほら、あの、キムタクが作っていたやつ」とでも言えば、ドラマ好きの学生にはイメージが浮かぶのです。

大規模な投資を必要とする高炉は大国でも数基あるかないかという大設備です。これがヨーロッパに何基必要であるかは当時の大問題でした。イタリアはフランスなどからやめておけと言われたのですが、国家の威信をかけて、大戦中にドイツに解体されたコルニリャーノの高炉を復活させ、ここからイタリアの戦後の大規模製鉄が始まります。(それは4基目の高炉を作ろうとするときにもろくも瓦解するのですが)

これは作者の山崎豊子氏のおかげではないか。なるほど。でも、キムタクなくしてこういう大きい設備のいるドラマは作らなかったでしょう。キムタクはEU教育に貢献したのです。

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初めて見た政治的映画

朝起きたら、夢うつつでなぜか自分が子供の頃、初めて見た映画を思い出していました。親と行った「東映漫画祭り」を過ぎて、初めて小学生の子供同士で見に行ったのは宇宙SFの「未知との遭遇」だったような。最後に出てくる宇宙人がいかにもで、子供たちでも「これかよ」という感じで突っ込んでいましたが、次が巨大なシャチと戦う男の「オルカ」と「カプリコン・ワン」の二本立てだったと思う。

「カプリコン・ワン」とは火星着陸船なのですが、実はこれがアメリカ政府の陰謀で、嘘のプロジェクト。火星に着陸したシーンはテレビセットで、そこで大統領の祝福メッセージが読み上げられる。ところが、嘘の発覚を恐れた政府に乗組員は地球への帰還中の事故を装って殺されそうになるという物語なのですが、この嘘を見破った記者か何かが、捜査官が持ち込んだ麻薬によって不法所持で逮捕されてしまいます。

子供心に、初めて、権力(当時はこの言葉は知らなかったので、何となく「えらい大人たち」くらいの意識)って恐いな、いざとなったら何でもしてくるのだな、そうなったら世間は権力のほうを信じて、誰も信じてくれないだろうな、と思いました。こんなことをオッサンになった今、思い出すのは軽いトラウマなのかもしれませんが、政治について書くこともある人間には、権力とメディアに関する警戒心の素で、これはとてもいいトラウマ?です。

以上、早朝のキーボード体操、終わり。

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ベニーニが好きになれない私

昨日、一日ずっと海遊館にいて、大阪ヨーロッパ映画祭で3本の映画を見たのですが、イタリアのベニーニの新作『人生は、奇跡の詩』は、彼の妻でもある主演女優のニコレッタ・ブラスキが来日と伝えられたので超満員(立ち見あり)でした。実際は本人の都合で来日はキャンセルされました。午前のオランダ映画『シモン』などは社会性のあるテーマで面白かったのに結構余裕があったのですが、やはり『ライフ・イズ・ビューティフル』でアメリカのアカデミー賞(主演男優賞)まで取ってしまうというメジャーな夫婦の知名度は凄いなと思いました。

実は私はイタリア好きには珍しくベニーニは好きではないのです。ウディ・アレンのイタリア版のような口数の多さ(内容は卑近な冗談ばかりで、そこはアレンと違いますが)にも閉口しますが、非常に大きな問題であるアウシュビッツ(『ライフ~』)やイラク(『人生は~』)を冗談まじりで軽々しく扱うところにどうしても好感が持てません。もちろん一種の寓話であることはわかっているのですが、エンターテイメントにしてはいけないテーマというものもあるような気がします。スタンダップの漫談でやるのとは違うと思うのです。

左派支持の文化人だということで彼を支持する日本人も多いと思いますが、私は、日本にアウシュビッツやイラクの悲劇の直接的な第一義の責任はないししても無関係だとは思えず、こういう扱いに興じることはできません。

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「のだめ」と古賀政男は同郷

家に帰ってテレビをつけたら、NHKでは古賀メロディーの懐メロ特集。一生懸命聞きはしませんが、日本人のDNAに入った旋律、不快感はありません。「影を慕いて」などは美しい日本語ですし。その経歴の紹介で出身地は福岡県大川市と。これは話題のドラマ「のだめカンタービレ」の主人公「野田恵」と同じですね。どうでもいいことですけど。

表題で古賀政男先生と書かなかったこと、演歌ファンにお詫びします。しかし欧米では歴史的人物は呼び捨てなのです。マルクス、キリスト。敬意がないわけではないのです。地上の敬称などいらないのです。

古賀メロディーでも「柔」はぼくも好きです。外国に出て外人に負けそうになると頭の中で鳴らします。

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小さな偶然:トリーノを描く映画で

昨日、比較政治学会という学会でイタリアの政権交代について話したのですが、今日その学会が終わったあと、久しぶりで渋谷で映画を見ました。すばらしいことに渋谷のBunkamuraの映画館、日曜夜に千円で見せてくれるという素敵なことをしてくれていました。大阪の映画館もこういう洒落たことをしてほしいものです。また、東京至上主義の本音が出てしまった。

「トリノ 24時からの恋人たち」という映画で、もうずいぶん前から上映されていたはずです。まわりはリアル恋人たちでいっぱいでしたが、でなければ女性の仲良しコンビで、こういう映画はおっさん一人はなんとなく恥ずかしいです。

甘いラブ・ストーリーではないです。しかし、名作というものではないにしろ、見て納得のいく佳作でした。「佳作」というのは、なにか残念賞のようですが、言葉の原義に戻ると、「佳」の字は「よい」とか「よろしい」という意味があったはずで、ほめすぎにならないようにこの字を使いたいのですが、でないと、よくある「佳子」さん(いい名前です。私の小学校時代には同名の学級委員がいました)は「残念子」さんになってしまうはずです。

ひとつにはトリノのシンボルである塔(オリンピック中継でよく見ましたね)と、その中にある映画博物館がうまく使ってあったこと。イタリアでも日本以上に多い不安定な仕事に生きる若者たちの焦りや幻滅もよく現れていたこと。トリノ郊外のベッドタウンがよく描かれていたことです。

映画「トリノ24時からの恋人たち」日本語サイト http://www.crest-inter.co.jp/torino24/

モーレ・アントネッリアーナ塔を写すウェブキャム http://www.regione.piemonte.it/webcam/mole.htm

国立映画博物館(トリノ) http://www.museonazionaledelcinema.org/index.htm

観光的なイタリア紹介では、まるでイタリア人が中世の町並みが残る歴史的中心にたくさん住んでいるような印象を与えかねないものが少なくないのですが、イタリアでも労働者、庶民階級は大都市の周辺の殺風景な団地に住んでいるのです。ヒロインがその町の川辺を歩くと対岸に同じような形をした多数の団地が整然とたくさん並んでいて、都心からの路線の終点のバス停でさびしくバスを待つ光景なども、実は日本とよく似たところはたくさんあるのです。同じような町に住んだ経験からいえば、イタリアの間取りのほうが確かに日本より少し広いし、日本ほど家賃は高くはないです。ですが、日本人ほど電化製品その他を多数置かないので、別の意味で寂寞感があるものです。

実は、これは学会が終わったあとのまったくの遊びで見たのですが、神様は小さな偶然を用意してくれました。この映画のある決定的な場面でベルルスコーニの画像が効果的に出てきます。ベルルスコーニがどんな人か知っている人は笑えます。特に政治学研究者は絶対に。映画館の中では今ひとつ意味が伝わっていない感じでした。映画ですので、どういう場面かはネタばれになるので書きませんが、個人的には、昨日ベルルスコーニで自分の話を終えた一研究者には最大の週末の「落ち」になりました。

今日はよく眠れそうです。(社長@渋谷のネットカフェ)

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