ブリュッセルで行った書店

 あくまで私が行った限りで、ブリュッセルで私が行った書店について書いてみよう。20年前にブリュッセルに来たときも、書店には来ている。そこで買った本が別項で書いた今回持参した2冊の不思議な内容の本だが、そのときに行ったのは、フランスが本拠のFNACと、EC本専用の「ヨーロッパ書店」(これについては別項で書いた)であり、ブリュッセル子が行く書店は知らなかったと言っていい。
 今回もまずは大きな書店で様子を見ようと思って、繁華街のギャルリー・ド・ラ・トワゾン・ドールFNACに行った。確かに一通りのものはあったが、何かベルギー色が不足しているように思われた。
 そこで、ネットで検索し、ブリュッセルで支持の多い、アール・ロワ通りにある「フィリグラン」という書店を見つけ、行くことにした。ネット情報にあったように、真ん中にカフェがあり、ケーキやコーヒーも出しているし、奥のテーブルでは何か談論している客たちの間でピアノ演奏もしている。文学や美術は充実していて、客たちが店員にいろいろな本を聞いて、店員と客がただ本の場所についてでなく、これは面白いとか、同じ作家の前作と比べたり、他の作家を挙げてこういう感じという話をしているのを小耳に挟んだので、確かに読書好きの集まる書店なのだろう。
 ただ、ベルギー論的なものを読みたい私には歴史や時事は今一つに思えたし、何よりもまあまあ広い1フロアとはいえ、カフェを真ん中に置いて、いろいろなものを詰め込んだために、どこも狭い感じがあって、ブリュッセル子にはそれが仲間同士の親密さに思えるのかもしれないが、異邦人の私には窮屈だった。
 探しているものが見つかったのは、灯台もと暗し、今回宿泊したホテルの近くにあるギャルリー・ロワイヤル・サンチュベールの中にあった「トロピスム」という書店だった。この書店も基本は文芸中心なのだが、ベルギー論を並べた一角があって、これが私の求めていたものばかり。
「ベルギーのアルバム」という論集は、昨年出たばかりだが、政治からシャンソンまで政治・社会・文化のいろいろな視点からベルギーを論じている。この本のなかの論文でイタリア系ベルギー人の文学というものも今やあることを知って、それらの作家の小説を探したが、これもフィリグランにはなく、ここで1冊だけ見つかった。

Sthubert

 今回泊まったホテルは経済的な質素なホテルなのだが、このギャルリーの入口近くにあり、今度ベルギーにくるときも、この書店に行くためにここに泊まろうとさえ思っている。もちろん、それには、このギャルリーにいい映画館もあるからなのだが、それは次の項目で書こう。次に来るときまで、オランダ語も少しは勉強してフラマン圏の書店も漁りたい。

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ベルギー行に道連れにした本

 今回のベルギー行には、20年前にブリュッセルで買いながらほとんど読んでなかった二冊の本を持ってきた。
 一つは、Ted Goldman, Brussels Confidential。アメリカ人の著者でイギリスで出版された本だ。もう一冊は、Arthur Sohier, 1900-1980, reflets belges et autres ou Memoires d'un ancien belge。著者は無名の著述家らしいが、これがベルギー論としてとてもよいので、このブログで少し紹介していきたい。

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新刊『帝国の長い影』まもなく店頭に

 木畑洋一先生(国際関係史、イギリス史)の東大駒場退官後に、先生と先生のもとで学んだ研究者たちが論集をまとめ、このたび出版しました。木畑先生と後任の後藤春美先生の編『帝国の長い影 20世紀国際秩序の変容』(ミネルヴァ書房)。ただし、これは記念論集ではなく、先生へのヨイショはなし、むしろ20世紀の「帝国」と国際関係史について、読者に広く考えて頂くことが目的です。
 イギリス帝国とその周辺の、帝国後も長く続く「帝国」そのものの問題や「帝国意識」を追った論集。対象は、中東、アフリカ、中国、日本、ニュージーランド、インド洋とイギリスの関わり、他にポルトガル、フランス、イタリアの帝国意識に関わるものやEUに及び、国際システムとしての帝国とその後について、いろいろ考える材料があります。イタリアの小稿は私が書きましたが、まずは他の論考を読んでみてください。
 最後に冗談っぽくいえば、このテーマの広がりを見れば、木畑先生がわれわれ研究者を帝国主義的に「支配」せず、世界各地に展開するのを助けてくださったことが分かるかと思います。

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小党マニア宣言

 小さな政党の情報を読むのが好きである。クソ真面目なものより変わったもののほうが面白い。政党が多いイタリア政治を追っているうちに、いつの間にかそうなったのかもしれない。
 ニューズウィーク日本語版では今週「今、読みたい本」とカバーストーリーになる特集は、国際版では既に8月9日号にWhat to Read Nowと出ていた。ブックリストはさすがの内容で、夏休みらしく現在の問題を時事情報に流されず、その本質を歴史に探ろうと、tea partyのような政府への不満爆発の大衆政治運動の多くの実例を過去のアメリカ政治史から集めた選書である。
 バリー・ゴールドウォーター(共和党保守派)、ジョージ・ウォレス(アメリカ独立党、アラバマ州知事)、ヒューイ・ロング(民主党、ポピュリスト、ルイジアナ州知事)、ノーマン・トーマス(アメリカ社会党)。小党マニアにはたまらない、関連書籍のブックリストだ。
 1年前くらいにわれわれがtea partyに気づいたときは、無名性の大衆運動だったはずだ。今はそこにGlenn BeckとSarah Palinという2人のアイコンがある。どうして、こうなっていくのか、やはり歴史にヒントを得たい。
 ところで、小党マニアというのは、私以外にいるかどうか分からないが、小国マニアは間違いなくいる。吉田一郎『国マニア 世界の珍国、奇妙な地域へ』(ちくま文庫)5年前刊の単行本が文庫になったようだ。植田健嗣『ミニ国家「リヒテンシュタイン侯国」』(郁文堂)は、マニアとお呼びしては失礼な、まじめな研究書。
 

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私が持ち出しでもやる研究

 大人になるということは、私のような平凡な人間にとっては、たぶん、自分のいちばんやりたいことが金にはならないことに気づき、それを持ち出しで、アマチュアで、ボランティアで、やれるほどに稼ぐ手段を他に得ることである。
 私がいちばんなりたいのは、子どものころから、政治や社会ネタの映画とポップスの評論家。そんな仕事は成立せず、その才能がないのは、直ぐ分かった。だからといって、一流の政治学者や歴史学者になるにも、実力、気力ともに不十分。だから、なんとか大学の一教師で食っている。いや、食わせてもらっているというのが、正しい。
 夏のボーナスを使って、ヨーロッパの映画やポップスをまじめに研究している研究者の本を幾つか発注した。写真はその一冊。
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Amazonで国際的古本漁り(1):『ヴェルサイユの宮廷料理』

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 ネットに関する関心がツイッターに向いているので、私もブログはどうしようと思うのですが、やはり字数が欲しいものはあって、更新もできるというところがブログの特性だと思うので、本の感想などは、先に本のデータだけ入れて、後で時間のあるときに書こうと思います。
 私は、できるだけ学生の好きなことを卒論で書かせたいと思っていて、そのフィージビリティー(実現可能性)だけを最初はチェックし、自分の知らない分野はいっしょに勉強して、自分の世界を学生を使って広げたいと思っています。
 前年のある卒業生がフランスの宮廷料理を取り上げるというアイディアを出したとき、グルメでもない私には無理と一瞬思ったのですが、よく考えると、外交史研究でも宮廷の知識は必要です。しかし、これは日本語の文献は少ない。そこで、Amazonのフランス語版で調べて引っかかったのが、この『ヴェルサイユとヨーロッパの宮廷料理』(展覧会カタログ)です。1993年から1994年にかけて実際にヴェルサイユで行われた展覧会ですが、大変勉強になりました。
 単に料理だけでなく、建築、装飾、美術、余興の音楽、演劇、バレエ等にも及ぶもので、各国との比較もあります。フランス宮廷料理が世界のスタンダードになるには、イギリスにこれを広めた料理人や本がいたことが大きかったことも、これで分かりました。
 私が書くつまらないものには一行も引用できない本ですが、人生を豊かにはしてくれます。
 勝間和代ファンに、勝間氏の影響から「楽天ブックス」を褒める(送料がタダとか、本をこの店で買った人しか書評できないしくみが、この人たちにはよいそうです)傾向が最近見られるのに対し、私はやはりAmazonだという意を込めて、この項を書きました。扱うのは、鹿島茂先生のような貴重な「古書」ではないです。ここで扱うのは、数千円で買える「古本」です。

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「平和の歴史」は書けるか?

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「戦争の歴史」に類する本は、古来たくさんあるし、むしろそれが歴史の始まりであり、主流である時代が長くありました。古代ギリシャの名著、トゥーキュディデースの書いた歴史は、日本語では『戦史』と訳されていますし、日本の歴史ブームでまず思いつくのは戦国大名だったりします。
 偶然、本屋で見かけたAntony Adolf, Peace: A World History (Polity, 2009)には、ですから、タイトルから気に入りました。ちゃんとした出版社から出ているのに、著者の紹介がan independent scholarと書いてあるのも気になります。歴史というより歴史哲学的なのかなと思いますが、まだ読んでません。
 最近、自分の研究に割く時間が、体調もあってなかなか確保できないので、こういう読書を楽しむのは夏休みしかないと諦めています。それができたら、これを更新しようかと。とりあえず、備忘で。

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『昭和天皇論』を読む

 数ヶ月前に出て気になっていた、小林よしのり『昭和天皇論』(幻冬舎)を読む。小林氏をくさすことをリベラル知識人の証明のように思っている人もいるが、私は小林氏の仕事は意義のあるものだと思った。たとえ、そのすべてに同感しなくても、重要な意味のある部分を見逃してはいけない。
 この本には、もっと一般にその意義が知られてよい、二人の碩学の研究も要所で活かされている。それは、参考文献にも掲げられている、豊下楢彦『安保条約の成立』(岩波新書)と、ロバート・D・エルドリッヂ『沖縄問題の起源』(名古屋大学出版会)である。この二著がなければ、安保と沖縄という今日まで続く大問題について、小林氏は説得力ある議論はできなかっただろう。もちろん、お二人が小林氏の仕事をどう思っているかは知らない。ただ、少なくとも、これら信頼のできる文献に当たっている点で、その活用の仕方が正しいかどうかは取りあえず判断を保留しても、多くの保守系文化人の読むに耐えない評論の類とは明らかにレベルが違う作品になっていると思う。
 エルドリッジ先生(阪大で働いていたとき、お目にかかっているので先生と書く)は、奄美諸島、小笠原諸島の返還についても重要な研究を著されている。『奄美返還と日米関係:戦後アメリカの奄美・沖縄占領とアジア戦略』(南方新社)、『硫黄島と小笠原をめぐる日米関係』(同)である。

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アイドルの表紙で売る文庫

 書店で既刊の文庫を探しているうちに、これまで一冊も買ったことのない「ぶんか社文庫」(この文庫の存在に気づいたのも今回が初めてだ)で夏目漱石『坊っちゃん』などに、えらく可愛らしい少女たちが表紙モデルに起用されていることに気づいて、手に取った。表紙裏には、著者と並んで、この少女たちの紹介もあり、今メンバーの「総選挙」をしている話題のアイドルユニット、AKB48の面々と分かった。
 私にとってのアイドルは永遠に聖子ちゃんであるが、中原中也『汚れつちまつた悲しみに...』のモデル(篠田麻里子)はとてもきれいだったので、ジャケ買いしてしまった。本の中にも数ページ冒頭にグラビアがある。
 もちろん、中也の詩集は、すでに各社から出ていて、新潮、角川、岩波、集英社、講談社学術などの文庫に収められている。表紙解説によれば、中也が死んだのは1937年、とうに著作権は切れている。とすれば、他の文庫との差別化を図るのは理解できる。
 解説には、岩波など老舗が相当の人物を起用している。一時期は、各社が解説の著名人で文庫を売っていた。それでも本が売れない現状では、民主党内閣ではないが、表紙を変えるのも一つの手だ。上記のぶんか社文庫の中也は、幾つかの詩集から詩を選んだいわば選集だが、解説はついていない。読書というのは気まぐれで、逆に解説など欲しくない、本文だけほしいという気分のときもあるし、まったく意味のないものとは言えないだろう。
 映画化されるときに、その俳優たちを表紙にしたり、読書キャンペーンに人気モデルが使われたことはあるけれど、こういうことは珍しいのではないか、と思っていたら、そうでもなかった。今回、ぶんか社文庫の名作シリーズに入った作品を試みに検索にかけてみたら、SDP文庫というものが別にあり、これはスターダストプロモーションという芸能プロが所属タレントを表紙モデルに起用した文庫を出していた。これも著作権の心配のない名作ばかりで、伊藤左千夫『野菊の墓』(山口百恵や松田聖子などアイドル映画の定番だった)の表紙は本仮屋ユイカ、宮沢賢治『注文の多い料理店』は夏帆。
 著作権の切れたもので、かつ余り大部でなく重すぎない作品、そしてやや刹那系の作品ということは両方の文庫で共通だ。宮沢賢治、堀辰雄、太宰治、中原中也、夏目漱石はどちらにも入っているし、ほかに梶井基次郎、有島武郎、伊藤左千夫など、いかにもという作品が並んでいる。
 たぶん、これらが出たころに既に話題になっていて、今になって私が気づいただけなのだろう。これをどう考えたらいいかは分からない。別に、オタクに文学を読ませるいい機会だというつもりもない(オタクはむしろ知的である)し、文学の過度の商品化と憤るつもりもない。ただ、本文のエディションがちゃんとしてあるかどうかは気になる。それも必ずしも悪くなかった。むしろ、今の時代に合わせた配慮がしてある。私の買った上記の『汚れつちまつた悲しみに...』は、原著にあった読み仮名は歴史的仮名遣いのまま、他に文庫の編集者が振った読み仮名は括弧書きで現代の仮名遣いにしてある。
 これがまた、私には驚きだった。ほとんど辞書を使わなくていいようになっている。今の若い人が漢字の読みができていないのは、日々大学で教えていて痛感している。いや、われわれも読めない字はあったが、調べたのだ。その調べる労も省いている。歌にも出てきて読めそうな「彼方」「櫂」「顎」「炬燵」等にも振ってある。「火消壺」などは見たことがなくても、読めそうなものだが、振ってある。
 その意味で、ジャケ買いの言い訳ではないが、大人にもある意味、今の言葉をめぐる状況を考えさせてくれるものである。
 なお、ご関心の向きに、表紙のモデルを紹介しておくと、上記の中原中也のほかに、夏目漱石『坊っちゃん』(大島優子)、太宰治の4作品『斜陽』(板野友美)『ヴィヨンの妻』(河西智美)『人間失格』(前田敦子)『パンドラの匣』(宮崎美穂)、堀辰雄『風立ちぬ』(小野恵令奈)、宮沢賢治『銀河鉄道の夜』(北原里英)だそうです。神保町の交差点に写真集の大きな広告が出ている前田敦子以外は知らない。モデルについて詳しくは、ネット上に数多あるであろうAKB48情報をご覧あれ。
 
 

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出版「舎」「館」「工房」

 以前もなかったわけではないけれど、最近、自分が関心を持った本の出版社に、「有志舎」「悠書館」「書籍工房早山」など、出版「社」と名のらない出版社が幾つかある。
 『週刊朝日』の書評は、ときどき信じられないくらいいい人選や面白さがある。以前、タイトルは忘れたが、オーストラリアの哲学教授だったかが書いたゴルフの哲学本をトマス・アクィナスの研究で知られる稲垣良典氏が書かれていたように記憶するし、書評家の斉藤美奈子氏による動物図鑑の書評が意外な観点から書かれていて、それだけで十分面白かった記憶がある。
 今週の書評に、ふるまいよしこ『中国新声代』という中国の各界の新世代を追った本が出ているが、著者と親交のある写真評論家、飯沢耕太郎氏の書評を読むだけで、この本が欲しくなった。この出版社が、「集広舎」なのである。
 出版界というのは、まったく縁遠い世界でもないのだが、私にとって永遠の謎であって、出版不況が言われながら、多品種少量生産は止まらず、しかも新興の出版社に良い本が少なくない。政党が「党」を名のらないということがイタリアで見られた時期があり(民主党が3年前にできたのは例外として)、あるいは出版にもそういう堅いエスタブリッシュメント化を嫌う傾向があるのかと想像もするが、確たることは言えない。あるいは、自然な謙虚さの現れだろうか。

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