PSOEの選挙CMをコピー?メキシコの謎

 知識がなくて、メキシコという国が分からない。新型インフルエンザに対する報道規制が一つ。今どき、共産主義体制でもないのに、こんなことをするとは、どこかロシアっぽいところがあるのか?
 もう一つは、スペインの「エル・パイス」が報じた、メキシコの政党がスペイン与党の社会労働党(PSOE)の昨年総選挙のCMをほぼまんまコピーしていること。
 若い女性が目覚めて猫などを相手にしつつ、外に出るが、対立党の看板は横目に通り過ぎて、やっぱりPSOEとその看板を見つめる静かなCM。紙上の比較ヴィデオを見たが、これは盗作といわれてもしょうがないほど似ている。それにしてもスペインとメキシコなら人の往来も多いだろうし、なんでこんなばれやすいことしたのかな?

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サルコジとベルルスコーニ

 国末憲人『サルコジ』(新潮選書)を拾い読み。著者は長期にわたってサルコジを追われているだけに、本当に面白い。サルコジもフランス社会独特のコネを使って、嫌いな民放キャスターを追い込んでいたとは。ベルルスコーニと大して変わらないな。その企業を「所有」していないだけで。現在の奥さんのカーラ・ブルーニの男性遍歴もすごいが。超有名な知識人ベルナール=アンリ・レヴィの息子も相手だったというから、単なるイケメン狙いではない、すごい人物鑑定&吸引力だ。
 サルコジ、ベルルスコーニについては、日本のメディアも面白半分で伝えていることも多く、その本当の恐さというものを伝えきっていない気がする。数少ない例外は、両者ともに対してその危険性を指摘したイタリア研究の大先輩、村上信一郎氏の一文だろうか。
 私生活まで明らかにして紙面を埋め尽くすサルコジの「ストーリーテリング」の手法について書かれているが、ベルルスコーニが過去から一貫してやっているのが、これ。真実かどうかは別として一貫性のある「面白い」物語を継続的に流し続ける政治的マーケティング。それがうまく行き過ぎて、ついにイタリア国会にも欧州議会にも、イタリア人の共産主義者(共産系左派)、緑、社会主義者(社会党系)はいなくなった。社会民主主義者は民主党に残っているが。

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欧州議会選挙結果に関するメモ

 今回の欧州議会選挙の結果について気づいた点のメモ。
・イギリス:連合王国独立党(UKIP)が2位、労働党が3位に転落。ブリテン国民党(BNP)が議席獲得。
・イタリア:昨年の総選挙に続き、共産系左派、緑、旧社会党系の左派全滅。
・ギリシャ:緑が議席獲得。

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欧州議会選挙の政党CM傑作選

「やそだ」が勝手に選んだ欧州議会選挙の各政党CM傑作選。(投票を呼びかけるEUそのもののCMは数日前の項目をご参照)
 緑/90年連合(ドイツ):世界金融危機を揶揄。アメリカから日本、中国、ロシア、ヨーロッパに連鎖していくさまをコミカルに描く。日本は新幹線と富士山が登場。五重塔やビルが倒れるなか、富士山が噴火し、一万円札が炎上。ドイツではオペルが倒れ、原発が復活、廃棄物が森を襲い、失業者が増加。そうはイカンザキ(あ、これは昔の日本の選挙だった)と緑が声を上げる落ち。
 新中道(フランス):変わったアプローチ。最初の直接選挙(1979年)からの欧州統合の歴史とフランスの中道勢力の貢献をたどる。もちろん自画自賛だが、われわれ外国人には学習的な内容(当時の資料映像)も。
 リベルタス(ドゥヴィリエ&CPNT)(フランス):反EU。中国製製品なんか要らない、ブリュッセルの官僚政治を許すな、トルコをEUに入れるな、ローマ条約「本来」の域内優先こそ!(外に対しては保護主義的でいい)、ヨーロッパを我らの手に。
 緑の党(イギリス):イギリスは欧州議会選挙は国会(小選挙区制)と異なり比例代表制をとる。そのため、国会議席ゼロの緑の党も議席が獲得できる(現に前回は獲得した)チャンスがある。普段、見られない同党の主張や活動が分かる。ライバルのNBP(排外主義政党)に北西部の(緑が取れるかもしれない)議席を渡すな!と、独特の「比例代表制説明」ビデオも。

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欧州議会選挙のCM

 例によって、自宅への光導入(いまさら)によって便利になったYou Tubeネタ。
 欧州議会選挙は、投票率がさらに下がるのではないかと心配されている。ユーロ導入、東方拡大のユーフォリアはとうに去り、EUのせいとはいえないが、世界金融危機は、グローバル化のお先棒を担いでいるという見方をされ、EUにとってもマイナス。前回選挙でも顕著だった最近の加盟国での加盟後のがっかり感もある。ちょっと好転したのは、今年ユーロに入って隣国ハンガリー(EU加盟国だがユーロ未参加)で安くものを買えるようになったスロヴァキアくらいじゃないかな?
 しかし、投票率を上げようとEU内で流されているCMはやはり面白い。ドラマと同じで初見でないと面白くないかもしれないので、先にリンクだけつけて、思わせぶりの仮題を私なりに勝手につけると、
1.不思議な投票者
2.お急ぎの皆さん
3.素直な銀行強盗
4.ありえない政策実現
ということだろうか。以下は、ネタバレ。

1.は、なぜか女性が絶叫しながら投票所に入ってくる。絶叫したまま、投票して出ていく。次に入ってくるのは、ホラー映画「エルム街の悪夢」のジェーソンのような覆面に斧を持った男。これが、先の女性を追いかけていたと知れる。最後にキャプション「いつだって、投票する時間はあります。」
2.はヨーロッパに多い、自転車レース。先頭の選手が突如、道を逸れ、投票所に駆け込み、続く選手も次々に投票に入ってくる。最後にやはり「いつだって、投票する時間はあります。」
3.は銀行強盗が仕事の帰りか、急いで車で投票所に乗りつけるが、係員にIDの提示と覆面の中を見せるように言われ、素直に見せて、投票したところで表に警察がやってきて、他の出口から逃げる。最後に「いつだって、投票する時間はあります。」
4.は異なるシリーズで、各国バージョンがあるが、いろいろな普通の市民がニュース・キャスターになって、自分が希望する(現状ではあり得ない)政策が実現したというニュースを読む。「ヨーロッパ最後の原発が停止しました」「雇用を守るため、EU域外からの輸入は全面禁止されました」「父親は2年間の育児休暇をとることになりました」「幼児労働により作られた製品の販売は禁止されます」最後に「ここに出てきたものは本当のニュースではありません。あなたが何かを実現したければ、投票を」。これらは、もちろん架空でも、現実に欧州でどこかの政党が言いかねないことだ。
 いずれにしても、やはり大人というか、洗練されている。日本の衆議院選も、可愛いモデルなどにただ「投票しよう」と言わせるようなCMにはせず、工夫してほしい。

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ワーク・ライフ・バランス

 今朝のNHKニュースで「仕事と家庭生活の両立、いわゆる『ワーク・ライフ・バランス』という言葉が浸透していない」との報道。
 しかし、この言い方もまた誤解を与えるのではないだろうか。いや、間違っているというわけではないのだが、こういう言い方では、学生の「勉強と部活の両立」のように、本人の自助努力によるものと誤解されかねない。そういう側面もないことはないが、むしろ社会全体での「ワーク」と「ライフ」のバランスこそ、この概念の中核だろう。
 つまり、残業(しばしばサービス残業も)が当たり前というような社会風潮があれば、個人がどんなに家庭生活との両立を図ろうとしても難しいのであり、特にわが国には保育所不足などインフラ面の政策の努力が足りないので、むしろ政府と企業の責任こそ大きいのであり、もはや個人の問題ではない、ということが重要なのではないか。
 社会全体における「仕事」と「生活」のバランス、これこそが問題だ。

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グルカ兵の英国居住許可が感動的なもう一つの理由

 イギリスのために激戦地で命をかけて戦ってきたグルカ兵(19世紀以降ネパールからリクルートされた特別部隊の兵士)たちの引退後の英国での居住が、1997年(香港返還に伴う部隊の英国への移動)以前に退役した兵士たちにも認められることになった。
 これは画期的な判断だが、このニュースがさらに感動的だったのは、グルカのために働いたジョアナ・ラムリー(Joanna Lumley)という女性がいたからである。この女性は、金髪の完全なイギリス人だが、父がグルカ兵部隊の将校だったという。最初、このことは司法で争われ、望まれた結果が出ないと、今度は担当大臣をテレビカメラの前で待ち構えて「奇襲」し、言質をとろうとした。最後は議会の労働党議員たちに働きかけて、慎重だったゴードン首相についに決断させたのである。
 司法、メディア、議会とあらゆる権力に働きかけて自分が正義だと思うことを実現していく、政治の生きた教科書のような事例である。

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自民党に捧ぐ讃歌?「麻生さんがいてよかった」

 前項に続き、イタリアの昨年の総選挙に学ぶ?日本の選挙を楽しくする提案。今回は、自民党編。イタリアで自民党の位置にいるのが、ベルルスコーニ。ブッシュを応援した政治家でいまだに無傷なのは、主要国では彼のみ。その彼を応援した歌が、Meno male che Silvio c'e'. (シルヴィオがいてよかった)という曲。ただ、この本歌は、前項のイタリアの民主党のYMCAの替え歌と違い、日本では知られていない曲なので、日本でこれに歌詞が似た曲を探すと、小泉今日子の「あなたに会えてよかった」。では、この替え歌で、

「麻生さんがいてよかった」

 解散(さよなら)さえ、上手に言えなかった。
 ああ、あなたの読みが信じられず、
 あきれていたの。
 時が過ぎて今、心から言える。
 麻生さんがいて、よかったね。きーっと、自民。

 寂しい懐、給付金くれたね。
 連立与党の気持ち、分かってくれたね。
 財源なくて、ただ借金だけで
 積み上げた赤字に気づかない
 子孫が払う
 ずーっと

 役人たち、うまく操れなかった。
 ああ、天下りを抑えられず
 逃げてばかりで。
 時が過ぎて今、心から言える。
 麻生さんがいて、よかったね、きーっと、役人。

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民主党に捧げる歌:I am DP!(YMCAの節で)

 民主党の復活はあるか。一つお願いしたいのは、これからの選挙戦で、岡田さんが以前党首だったときの「日本を、あきらめない」のようなネガティブなコピーを使わないでほしいことだ。
 イタリアの民主党(PD:左翼民主主義者とマーガレット連合が2007年に合同した中道・左派最大政党)も、先頃ヴェルトローニ党首が辞任して以来、意気が上がらないが、そのヴェルトローニが党首時代に作られた2008年総選挙向けの歌「I am PD」というYMCA(ご存じヴィレッジ・ピープル、西城秀樹の「ヤングマン」)の替え歌がとても楽しい出来だった。ヴァルテル(Walter)というヴェルトローニのファーストネームに呼びかける歌になっているが、YMCAのサビが「みんなで歌おう(Cantiamo tutti insieme)、私は民主党(I am PD.)」になっていた。歌詞は大体、「ヴァルテルと新しい、よい社会を作るのさ、シルヴィオ(ベルルスコーニ)も、ディーニ(元首相、右派に寝返った)も、マステッラ(元法相、連立をつぶした)もいなくていい、われわれが新しい時代を作るのさ」といった感じ。もっとも、この選挙で左派は負けた。
 しかし、日本の選挙というのは、選挙民もくそ真面目なのか、どうも楽しめない。そこで、私が勝手に日本語版を作ってみました。まだ、1題目だけですが。

I AM DP(わたしは民主党)
「民主、さあ、立ち上がれよ。
 民主、さあ、戦おうぜ
 民主、政権とる日が来たのだから

 いま、未曾有の危機が
 いま、そこにあるとしても
 いま、投票しないと、変わらないさ

 みんなで歌おう
 I AM DP(民主)!
 みんなで歌おう
 I AM DP(民主)!
 頻繁に総理が代わる
 自民ではダメさ。

 みんなで歌おう
 I AM DP(民主)!
 みんなで歌おう
 I AM DP(民主)!
 利権と浪費、踏襲するな。
 クリーンな政治に。」

 麻生首相の読めなかった漢字を散りばめて見ました。これは遊びですが、言いたいのは、わかりやすいキャッチフレーズを繰り返すこと、かつ、ちょっとは楽しい、元気の出る宣伝をしてほしい。
 
  
 
 

 

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フィジーの軍事政権

 フィジーを島サミットに招待しないとの記事を読んで、またしても自分の無知からウェブ上の基礎情報を読むが、どうもはっきりと分からない。多数派のフィジー系のほかに相当数のインド系がいて、歴史上何回もクーデタがあったらしく、近年のそれは初のインド系首相誕生とそれへの反発、さらにクーデタとその後処理の失敗などなど、落ち着かず、軍事政権を違法とした裁判所に対し、憲法を停止するという暴挙に出ていることからも、途上国でも民主化の進んだ近年のなかで稀な例であることは間違いない。
 普通、観光地のイメージが強いので、経済も駄目になっているかというと、軍事政権でも人々の生活には大きな変化がないとの記事もある。これもまた不思議で、その辺の感覚もよく分からない。日本人で強盗にあう被害も増加していると渡航情報にあるから、あまり進んでいくところではないようだ。トンガやソロモンでも暴動が起こっているし、太平洋の穏やかな南洋の島というイメージは完全に違っている模様。院生時代に読んだ本には、フィジーは周囲の島国よりは大きく、地域内で覇権をとろうとしているというミクロな動きの分析があって、こんなミクロの世界にも「国際関係」ってあるんだと関心した記憶がある。
 ただ、インド系は明らかにイギリスの植民地時代に連れてこられたもので、イギリスの負の遺産もあることは間違いない。尊敬する学界の友人たちを馬鹿にするつもりはまったくないのだけど、どうも日本語にはイギリスの外交や植民地政策に対して批判的な文献が少ない気がしてならない。難点があっても、「苦闘」と描かれてしまうような。
 例えば、ギリシャの内戦にも、中東の混乱にも、各地の植民地の独立後の内戦にも、イギリスに少なくとも部分的に責任のあることは多い。バランスをとるためには、思い切って「イギリス植民地政策の負の遺産大全」とか、「大英帝国の大失敗」とか、「ジェントルマンのジャントルならざる統治」とか、そういう本が出ませんかね?

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NAFTA flu

 今朝ついに成田空港で新型インフルエンザの日本人感染者が発見された。国際空港は入国前は国際領域なので、国内感染の際の措置(学校の休校などもあり得る)は取られないようだが、連休後の1週間はやはり警戒すべきなのだろう。
 ところで、感染者が特に多いメキシコ、アメリカ、カナダは北米自由貿易協定(NAFTA)で経済的につながっている。そこで、今回のインフルエンザを"NAFTA flu"と呼ぶ向きも英語圏メディアにはあるようだ。この用語には、単に地理的な近接性以外の政治的含意がある。
 たとえば、日本でもCSで放送されている「デモクラシー・ナウ」は、今回のインフルエンザの広がりには、新自由主義による規制緩和で、本国アメリカで緩い規制しか受けない巨大アグリビジネスが新興国に市場開放を要求したことも部分的には(あくまで部分的であり、直接の因果関係が明確ではないが)関係あるという説を唱える学者へのインタビューを紹介している。
 もちろん、実際には感染は欧州やアジアに広がっているので、行政的、医学的にはこういう用語はバツだろう。しかし、一見「全世界」に見えるものの、大ざっぱな見方をすれば、メキシコと直接の接触のある国(アメリカ、カナダなど貿易相手国)と、お金があって国民がメキシコ(およびアメリカ、カナダ)に自由に行ける国だけに広がっている(途上国では医療が整っていなくて把握できない可能性もあるにしろ)という、言ってみれば「金持ち病」的な側面がないわけではない。
 むしろ、注意したいのは、今回の感染により、アメリカ国内でNAFTAへの反省が確実に起こっているだろうが、上記のような新自由主義批判で述べられるにしろ、メキシコ(ないしヒスパニック)への偏見に基づいて述べられるにせよ、ナショナリスト的な主張が、抗しがたい「衛生上の」問題の背後に隠されたまま、展開されるのではないかということだ。

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World in Union

 数年前の新潟地震で被災者の心を癒した平原綾香の「ジュピター」。この曲がホルストの「惑星」のうち「木星」の部分から取られたことはよく知られているが、昨晩、NHKの衛星テレビで流れたイギリスの男子校の合唱教師の奮闘ドキュメンタリーで、これと同じ曲が合唱曲として彼の地では定番になっていることを初めて知った。
 曲名をWorld in Unionといい、実はラグビーのワールドカップ開会式で1991年から採用されているという。その年にはオペラ歌手のキリ・テ・カナワが歌い、オーストラリア大会ではUnited Colours of Sound というグループが、フランス大会でもロベルト・アラーニャなど世界各国から選ばれた歌手たちが歌ったようだ。だから、ラグビーが好きな人はとうに知っていたかもしれない。
 ただ、今回知って少し感動したのは、チャーリー・スカーベックという人がつけた歌詞が、人種差別のない世界を期待したものであることで、i Tunes で探したら、いろいろ個性的な歌手や合唱団が歌っていることに気づいた。例えばSoweto Gospel Choir というグループは、ネルソン・マンデラ・シアターでライブした録音があるし、グルカ兵師団の演奏もあった。
 平原綾香がこれを知っていたのか、知らなかったのか分からないが、日本で個々人の心を癒した曲が、彼の地ではもう少しコスモポリタンで人類愛的な曲として歌われているということが、同じ優しく深い旋律の働き方の違いとして興味深い。

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ディズニーランドに来た外国VIP

 前項で書いたディズニーランド(L.A.)を訪問した外国VIPについて、以下の人名は分かった。
 ネルーのほか、鄧小平、昭和天皇、フセイン国王(ヨルダン)、グスタフ国王(スウェーデン)、デスモンド・ツツ司教(南アフリカ、ノーベル平和賞受賞)、シラク大統領(フランス)、ダライ・ラマ。あと、オランダの皇太子とイランのシャーも来たみたい。

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ディズニーランドのネルー

 連休に入ったが、残った仕事の合間に次週以降の教案を書いている。民族自決という大項目を前に、自分が全然知らないエンクルマやネルーのことを調べていたら、ネルーが1961年11月にロスを訪問し、娘のインディラ・ガンディー(後の首相)と並んでディズニーランドでジュースを飲んでいる写真を見つけた。ネルーに詳しい人はとうに知っていたでしょうけど。権利の問題があると思うので、ここに写真は張りませんが、wikipedia(アメリカ)にあります。当時はウォルト・ディズニーその人もまだ生きていて、ネルーと一緒に乗り物に乗っている写真も別のホームページにあった。
 連休っぽい発見。どうも私の頭では、子供のころに学習漫画などでネルーと王貞治は「真面目」の権化のようにすり込まれた感じがあって、こういう写真を見ただけで癒されてしまう。ところで、二人の持っている紙コップには、今と違って特にジュースの名前は書いてないが、コカコーラの可能性はないのか?「細かいところが気になるのが、ぼくの悪い癖」(杉下右京 in『相棒』)
 しかし、ディズニーランドを訪ねた外国政治家とか、コカコーラを飲んだ外国政治家とか、それこそアメリカのソフト・パワーの一つの証明かも。ネルーの1961年の訪米時(1956年にも訪米している)の大統領はケネディ、駐印大使は経済学者のガルブレイス。このときは、対中関係の緊迫化のなか、ケネディとの首脳会談と国連総会で演説が目的だったが、ブロードウェーにも行っている。

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初のノーベル賞受賞者100歳到達はイタリア人

 イタリアの終身上院議員(大統領任命)でもあるリータ・レーヴィ=モンタルチーニ女史(1986年ノーベル医学生理学賞受賞)が4月22日で100歳になった。ノーベル賞受賞者で100歳に達した人は初めてであるという。トリーノ文化人に少なくないユダヤ系で、ファシスト期イタリアからベルギーに逃れるが、ベルギーがドイツ侵攻を受けて帰国、研究を続けながら、ムッソリーニ失脚後の内戦期(国王&反ファシスト勢力VSファシスト&独軍)には、ドイツ軍の残党が残るフィレンツェでレジスタンスと連絡をとったり、アメリカ軍の医師をしたようだ。戦後、アメリカで神経物質に関する研究成果をあげたという、彼女自身の人生が一つの20世紀の歴史である。ノーベル財団のホームページにも現在、トップで記事が出ている。

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もう一つの「スペインの奇跡」

 知っている人は知っているが、私は知らなかった言葉シリーズその2。
 表題は、もちろん、ユーロに加入してから、住宅バブル崩壊、世界金融危機の前までユーロ圏のライジング・スターだったスペイン経済のことを言っているのではない。それは、皆さんご存じ。
『週刊朝日』の家庭医療ページを読んでいたら、スペインでは近年、移植医療が進み、日本よりも進んでいて、このような言葉が医学界でも使われている?ようだ。
 カトリック国で倫理上うるさそうなのに意外。どうしてそうなったのかな?

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ベルルスコーニはラスムセンを助けたか?

 金融サミットに続き、NATO首脳会談の記念撮影でもベルルスコーニが欠ける事態発生。他のすべての首脳が揃って待っている間も離れた場所で携帯電話でずっと話していた。メルケルは、呆れたのか、諦めたのか、スマイルしているが微妙な表情。ベルルスコーニに「後でね」みたいな身振りをして、結局、ベルルスコーニ抜きで撮影は終わったのだった。
 これは、「32分間にわたり」ラスムセン・デンマーク首相のNATO事務総長就任に難色を示していたトルコのエルドガン首相の説得をしていたと説明された。実際に、首脳会談に来ていたトルコのギュル大統領も「ベルルスコーニ首相やいろいろな人が」合意にために働いてくれたと認めてはいる。
 しかし、実際にはムハンマド風刺画事件に発するトルコのデンマーク不信その他の懸念は、大部分はオバマ米大統領との会談で解決していたという観測がある。
 とすれば、これはアメリカの功績の上にかぶせてきたのか、目立ちたいスタンドプレーなのか。本当にこの人は分からない。

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J.サックスはマック派

 NHKーBS hiで放送されたジェフリー・サックスへのインタビューを見た。インタビュアーは明石康氏。世界中のメディアに名前が出たVIP同士の対談である。
 インタビューの合間に流れるサックス氏のオフィスでの日常。コロンビア大学地球研究所のオフィスの机上にあったのは、アルミ製のMacBook。たぶん、私の持っている最安の小さなものではなく、もっと大きいほうではないだろうか。Macの専門誌にMacを使うVIPというコーナー記事を作ってほしいなあ。インテリやアーチストにはそこそこいるはずなので。
 もう一つ、気づいたこと。映像で流れる若い頃のサックス教授(30歳にしてボリビアのインフレを10日で収束させた)は、大きな、ちょっと野暮ったい眼鏡をしていた。現在は眼鏡がない。コンタクトレンズにしたのか、もともと若々しいうえに、とてもグッド・ルッキングになっている。真似しても偉くなれないけれど、地位に応じた身だしなみは、やはり大事。

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ベルルスコーニ、G20記念撮影で大顰蹙

 前回に引き続き、何かが起こるG20記念撮影。前回は、オランダの首相が出席できず、急遽代行した政務次官が最前列の国家元首(国王&大統領)たちの列の端に加えられるというドタバタがあったが、今回もカナダのハーパー首相が記念撮影に間に合わず、2回目の記念撮影をした、というところまでは報道で読んだ。
 ところが、今朝のBSで流れたロシアのニュースに、1回目の記念撮影でベルルスコーニがオバマやメドベージェフ(大統領としては新人なので2列目になる)の近くに行きたがって顰蹙を買い、メルケルが呆れ顔をしているところが写されていた。ロシアのニュースは旧西側諸国が仲間割れしているところや混乱しているところを好んで長く流すので、いつも面白くみている。
 前回同様、外交儀礼に完全準拠で、議長国首脳を中心に、国家元首から首相へ、在任期間の長い順から前、中央寄りに並ぶ方式なので、すでに通算では数年とはいえ昨年に就任(3度目)したベルルスコーニや日本の麻生首相は後ろのほうになる。イタリアの各紙にベルルスコーニがオバマとメドベージェフに語りかけてサムアップしている写真が流れたが、CNNでも(半ば馬鹿にされて)放送された。
 メルケルが呆れるのも無理はなく、イタリア各紙のHPによれば、首脳たちの1回目の記念撮影の前に、エリザベス女王との記念撮影が別にあったが、そのときも、一緒に写真を撮ろうとしたのか、最後列からベルルスコーニが大声でオバマの名前を呼んだので、女王が「なぜそんなに大声で呼ぶのか」と聞いていたところも画像で流れている。
 さらに、2回目の記念撮影では今度はベルルスコーニが入らなかったという。一体、この人は...

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アクアライン雑感

 千葉県知事に就任する森田健作氏が値下げにこだわるアクアラインは、誰もが認める公共事業の大失敗の実例である。同じく世紀の無駄遣いである3本の本四連絡橋(淡路島を通る一本くらいならいいと思うが)と同様、このところの景気刺激を理由とした値下げで通行量が増している。甘い通行予測で建設を強行してきた結果を採算のとれぬ値下げで通行量を増やしてごまかしているように見えなくもない。
 実は、私が加入している学会の一つは、よく木更津の会議施設を利用する。会員数が多いので大きな会場が必要だが、都内では高すぎるからだと思う。もう2、3度行っている。ところが、市内からも遠い山のなかにあるので、会場併設のホテル以外の場所に飲みにいくには、バスやタクシーで市内に出ないといけない。市内は古い港町だから、探せば風情のあるところもあって、私は木更津の市街での宿泊は嫌いではない。そこのタクシーの運転手に聞いた話。
 木更津の中心街にも寂れたシャッター通りがあるが、結局アクアラインは地元を発展させなかった。百貨店のそごうは撤収した(これ自体はアクアライン建設と直接の関係はないが)。木更津で余裕のある人は地元で消費せず、横浜のデパートや高級店にどんどん行くようになった。とにかく人に来てもらうために、ゴルフ場はアクアラインを超えてバスで横浜方面に客を迎えにいくようになった。
 本四連絡橋にしても、四国に企業がやってくるというよりは、若い人がどんどん都会へ逃げていく橋になっているのではなかろうか。
 それにしても、映画になった近未来SF漫画「20世紀少年」が、アクアラインの人工島「海ほたる」を陸から途絶した海上の刑務所にしていたのは、なかなかの政治風刺だった。「800円にできないなら、アクアラインを壊してくれ」という森田氏の麻生首相への言葉。本当にそうしたら?
 

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G20+4?

 世界金融危機の発生以来、国際経済協調システムがうねりをあげて変貌しつつある。今回のG20首脳会議もまず参加国・機関から確認しないといけない。
 今回はロンドン・サミット専用のHPがあって、わかりやすい各国情報もある。
 前回、フランスが兼ねるEU(国家でないが正式メンバー)議長国枠を使う?形で招かれたスペインとオランダが、G20でないものの、サミット招待国になっている。同様の待遇が、ASEAN議長国のタイ、NEPAD(アフリカの開発のための新たなパートナーシップ)議長国のエチオピアである。EU議長国は1月からチェコ(政府が不信任になってしまっているが)になっているから、これも参加している。こういう形が定着するのだろう。
 ASEANの位置づけが高まったことが私には印象的だ。加盟国のインドネシアがこれと別に国として参加しているからなおさら。

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鹿児島県阿久根市

 鹿児島県阿久根市の竹原市長が、自身のブログ「さるさる日記:阿久根時事報」で「辞めてもらいたい議員」投票を呼びかけたなどとして市議会が不信任案を可決後、議会を解散し、その市議選で反市長派が勝利したことで、追い詰められている。市長本人は日記という意識のようだが、いずれにしても、ブログでのマナーという前に、議会との分権の意識も欠けていて、不用意すぎる、と思った。
 ところが、実際にこのブログを読むと、市長自らが市役所職員の給与を公開して、その高給ぶりを告発したり、市議候補に税金未納で当選しても市議給与を差し押さえられる者がいるなどと気になる記述もあり、これが仮に事実だとすれば(事実でも書いていいかどうかは別として)、市役所や市議にもモラルの問題がありそうだ。市議からの反発の背景には、市長による市議の削減提案もある。市長のブログには、こうした背景までは言及しないメディアや、現実の政治に関わろうとしない政治学者にも厳しい言葉がある。
 このニュースが気になったのは、この地名が頭にあったからで、最近、ビジネスニュースでひっぱりだこの「A-Zスーパー」という24時間営業の超大型スーパーがある町だったからである。不便な土地に逆転の発想で生鮮食料品から車まであらゆるもの(AからZまで)を売る巨大スーパーを作り、他県からも買い物に来るようになって大成功し、高齢者を雇用したり、送迎ザービスをやったりと好循環で次々と新規のサービスを広げた有名な事例である。
 この二つのニュースには何の関係もないが、情報網に乗ると他県では知られていない田舎の小さな町も有名になってしまう、この時代のニュースの不思議さを痛感する。そして、表面上のニュースだけではなかなか分からない、多くのことが背後にあることも。

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クイーンズランド州の女性首相が勝利

 このブログで書いたオーストラリアのクイーンズランド州の選挙が昨日行われ、任期前に選挙に打って出た労働党のAnna Bligh首相(48歳、女性)が勝利した。保守派の自由国民党と大接戦が報じられていたが、国際金融危機を前に政策遂行には長期安定政権が必要であるということで、危機がさらに深刻化する前に選挙民の判断を求めた賭けに勝ったのである。この首相は、11年間政権が続いた労働党優位の州とはいえ、前回の州選挙後に前任者から交代した経緯もあり、日本の過去3人の首相同様、就任に際して選挙の洗礼を受けていなかった。
 自らの政権を失うリスクをとりながら、選挙民の判断を仰ぎ、勝つことでより強固な政権を作る、民主主義の原則に帰ると同時に、政治家として自己利益実現も含めて重要なタイミングの意識。規模は違うが、現在の日本政治にないものが全部ある。もちろん、これで危機が克服できる保証はないが、その選択の責任を選挙民と共有しているのである。政治家はこうあるべし。

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国名の日本語表記の典拠

 いろいろ蘊蓄を書くことも多い私ですが、もちろん知らないことは山ほどあって、「国際関係論」などと間口の広い講義をするために、基本的なことも含めて日々勉強が必要です。一部のジャーナリストの無知を揶揄することもあるのですけれども、もちろん多くの熟練のジャーナリストから教えてもらうことのほうが多くて、表記の件はようやく今日クリアになりました。
 日本国内での外国の国名表記を外務省が決めているのは、よく知られたことですが、その原典が「在外公館名称・位置・外務公務員給与法」という長い名前の法律であることを今日の報道(読売新聞)で知りました。ちゃんとした本には書いてあることでしょうにね。私が知らなかっただけ。長い間、私が実際に頼ってきたのは、外務省監修の「世界の国一覧表」という小冊子だった。
 ロシアと対立を深めるグルジアがロシア語の読み方は嫌だということで、日本語表記を英語などの「ジョージア」にしてほしいと要請しているようです。もっとも、グルジア語では、国名は「サカルトベロ」というらしい。
 フィンランドの「スオミ」、ハンガリーの「マジャール」のようなものかな。そうだとすれば、郵便切手ではそっちに書いてあるはずだけれど、キリル文字読みにくいからね。と、書いた後で、念のために調べてみたら、グルジアは旧ソ連時代にもキリル文字使用とならず、独自の「グルジア文字」を使用し続けているという。ああ、コーカサスについて無知すぎる。

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PIGS or PIIGS

 二三日前にここで書いた、最近あまり新聞が読めてなかった私が今更ながら気づいた「PIGS」だが、とりあえずWebで検索をかけたところ、記事はほぼすべて2008年で、やはり昨年の世界金融危機の深刻化から特に多く使われだした表現であることがわかった。今年2月のウォールストリートジャーナルの記事でも「投資家たちは、ユーロ圏におけるPIGSの動向を心配してきている」とあるから、一般に広く浸透したのは最近だろう。ウィキペディアでも項目になっているが、引用はやはりすべて昨年のものである。
 もともと財政赤字が多いという基礎条件の悪さに、競争力不足のまま、世界金融危機に突入。当然、各国のユーロ建て債券の信用は下がる、悪影響は共通通貨ゆえにユーロ圏全体に及ぶわけだから、PIGSと呼びたくなる、投資家や他のユーロ諸国の気持ちもわからなくもない。同様の傾向はアイルランドにもあるので、PIIGSとIをダブらせて書くこともあるようだ。

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マルペンサの運命

 1ヶ月以上、イタリアの政治ニュースを追っていないが、体調もよくないうえに、目先に年度末の様々な仕事があって、手をつけられない。気になるのが、ミラノの国際空港マルペンサの運命。1月にイタリアに行ったときは、中道右派政権内で、アリタリアの延命を図るためにエールフランスとの提携を進めるベルルスコーニ首相周辺と、その案だとミラノ発の遠距離路線(東京などの大陸間の大移動の路線)がカットされるとして、ルフトハンザとの提携を推す連立与党の北部同盟が対立をしていた。首相優位で動いているようだが、まだザッと見た見出しの印象ではくすぶっているような感じ。(詳細を読んでないので不確か)
 マルペンサというのは、開港以来トラブル続きで、使い勝手もよくない(ミラノの外のヴァレーゼという町にある、成田みたいなものだ)、アメニティもダメで、全然同情の余地が沸かなかったが、たまにミラノで出入国してみようとしてみたのだ。雪で離陸するかどうか心配だったが、アルプスに近い山地なので、少なくとも離陸してからの景色はよかった。このブログは写真が少ないので、お目にかける。P1010022

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PIGS

 しばらく海外出張や帰国後の体調不良もあって、新聞、特に経済関係の記事を読んでいなかった。今になってようやく、世界金融危機下で、ユーロ圏の中でも信用不安がある南欧4ヶ国(ポルトガル、イタリア、ギリシャ、スペイン)の総称として、PIGSという言葉が使われていることを知る。
 いつ頃から使われていたのだろうか。それにしてもひどい言葉(「ブタども」)だ。つい数年前まではスペインがユーロ経済のスターで、確かに住宅バブルがはじけたのだろうけれども、本当にそんなに深刻だろうか。言葉のニュアンスもあるけど、かなり偏見もあるような。ちょっと自分なりに勉強してみないと、この表現が正しいかどうか、まだ判断できない。

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定額給付金を(勝手に)NPO支援金に

 1人あたり1万2千円(18歳以下と65歳以上は2万円)の定額給付金を受け取るか、受け取らないか。そして受け取るなら、どう使うべきか。一応、政治学「も」講じる広義の政治学者である私も自分の考えを持っておかねばなるまい。
 少なからぬ人々が述べているように、現在の政策に反対、ということで受け取らないのも一つの判断である。しかし、その場合は、反対している当の政府に使途を委ねることになる。財政的な細かい処理について調べていないが、受け取らない国民が福祉に使ってくれれば、と期待しても、今年度予算は給付金とは別にそれぞれ決まっているわけだし、将来的には道路建設に使われるかもしれない。というか、お金に色は付いていないので、単にお金として国に残るか、国の個々の予算にそれぞれに少額ずつ使われると考えるほうが合理的だろう。例えば、左派の人で給付金を受け取らない人は、結局、国の予算のそれぞれの部分を少しずつそのままで政府に任せるということになり、ほんの少しの抵抗もあきらめることになる。
 つまりは、自分の税金を少し取り戻し(財政的には出所が違うという細かい議論はやめておく)、自由に使っていいことにされたと考えてはどうだろうか。そこで考えたのが、数年前に日本でも報道された、ハンガリーの納税1%分を好きな活動(NPOなど)に寄付できるという制度(日本でも参考にしている自治体がある)を個人レベルで勝手にやってはどうか、ということである。お金に色は付いていない。何に使っても分からないのだから。私自身の納税額を計算したことはないが、税金を年間120万円払っている人は、今回の給付金がちょうど1%になる。
 生活支援とか景気刺激という給付金の趣旨には反するので、ある意味、政府に批判的な態度といってもよい。ただ、よくよく考えてみると、景気悪化でNPO等への寄付も減っているであろうから、NPOを救済するという意味もあるかもしれない。
 私としては、自分の生活がママならぬ時期にできなかったNPOの勉強を少ししてみる、という考え方で、この給付金を使ってみようと考えた。だから、はっきり、ぶれずに「受け取ります」と言おう。

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日本の技術の「ガラパゴス化」

 オーストラリア滞在中に地元の携帯会社テレストラのノキア製携帯電話を使った。滞在中のみの使用なのでいちばん安いカード式携帯電話を買ったのである。わずか79豪ドル。日本円で5千円を切る。手のひらに収まるくらいの小さな平らな電話。でもこれで写真もとれるし、メールも(当然、欧文のみだが)できる。
 日本で使っている携帯も持って行った。買って一年、まだ機能が覚えきれない。i modeなどのために画面を大きくとるためには、どうしても日本で主流の折りたたみ式しかない。でも、本当は、私は電話が鳴ってすぐ出られる平らな電話機のほうが好きだ。日本の携帯は、開くときに開くサイドをよく間違える(開かない方を開こうとしてしまう)し、つくづく機能が多すぎると思う。
 このことを考えるのに格好の論考を日本に帰ったら着いていた『学士会会報』に見つけた。三木雄信氏の講演記録「複雑系科学から考える日本企業のガラパゴス化」である。(ちなみに七帝大卒でない私が学士会に入会しているのは、大学院に在籍していたからで、就職に役立つかと考えたからでもある)
 つまり、いくら日本の技術が進んでいるからといって、日本国内のマニアックな市場の志向性に合わせて進化していくと、世界の市場に合わない孤立化した技術になってしまう、ということである。世界の人々は日本人のように細々としたことをするためにゴテゴテとした機械を使わないのではないか、そういった見極めが出来ないから、携帯でノキアやサムソンに全然敵わなくなってしまったのではないか、ということだと理解した。
 自分が世界標準だと言うつもりはないが、われわれは細かいことにこだわり過ぎて、世界の中で「一億総オタク」化しているのではないか、と思う。

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オーストラリア出張

 2月7日から3月1日まで出張でオーストラリアに行きます。メールだけは現地のPCに日本語フォントがあれば、読めるはずです。年賀状ほとんど出せなかったので、お世話になった方々に絵葉書を書くかもしれません。

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David CernyのEntropa

 チェコのEU議長国就任に際して、同国の彫刻家David Cerny氏が作ったEU本部のオブジェ「エントロパ(Entropa)」(エントロピーとヨーロッパの洒落?)が外交問題になっている。わたしはたまたまNHKのBSで流れたロシアのニュースで見た。You TubeでEntropaで検索すると動画で見られます。
 各国地図をプラモデルの部品のように配置したオブジェで、ブルガリアが「トルコ式便器」で描かれたようだ。こういうのをトルコ式便器というのか、という印象だった(フランスでも古いカフェなどには昔あったような気がする)が、作り手のブルガリア・イメージが貧弱だったのか、チェコでそういうイメージがあるのかはわからない。チョコレート・ボックスのベルギー、サッカー場のイタリア(もっとも、選手は全員ボールを股間に当てているのだが:セックス好きという意味か?)はよいとして、「ストライキ!」と書いた横断幕だけのフランス、ドラキュラのルーマニアは微妙だし、洪水に浮かぶモスクのミナレット(テオ・ファン・ゴッホ殺害事件を意識したのか)のオランダ、EU統合に熱心でないとして省かれたイギリス、鉤十字状のアウトバーンのドイツ、レゴ(ブロック玩具)でできたムハンマドの風刺画のデンマーク、硫黄島のようにゲイの旗を掲げるカトリック僧のポーランド、本当に分裂しているキプロスなど挑発的なものもあり、けっこうファンもいる模様。
 チェコがブルガリアに詫びを入れるようだが、撤去まで行くのか?

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元財務相たちの復権?

 23日は日本では天皇誕生日だったが、ドイツではシュミット元首相の90回目の誕生日だった。引退後もZeit誌などで論考を発表し、発言を続けていきたことは数々の邦訳でよく知られているが、金融危機のさなか、改めて武骨ながら石油危機下の国際経済やテロに断固たる決断をしたこの政治家に尊敬が集まっている。
 浮ついたことを言って人を喜ばせる人ではない。サミットでも日本の首相がつまらない演説をすると平気で新聞を読んでいた人である。そんなことをしても、彼をとがめる人はいないほど重みがあった。ボン・サミットでは各国に「宿題」を課し、実行を約束させた。財務相経験者の持つ安定感ということでは、現在のゴードン英首相と通じるところがある。
 一方、これと別に、ユーロ導入時の財務相だったヴァイゲル(安定・成長協定の産みの親である)が、元閣僚らの一種の「元老院」を作って国政を諮問し、政治への信頼を取り戻す?べきだと表明。確かに、もともと元老院をもとに上院を作った他国と異なり、ドイツの連邦参議院は各州政府の代表からなるので、まったく分からないでもないが、このニュースをどう読めばいいか、ドイツの内情の理解不足で分からない。これは、老人の思いつきと思っておけばいいのだろうか。こんなことを言わせるほど大連立に問題が生じているのか。いずれにしても大連立の事実上最後の年、欧州議会選挙の年である来年を控えて、さまざまな言挙げが行われるのだろう。

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BRIChristmas

 クリスマス直前の数日は、BRICs諸国(ブラジル、ロシア、インド、中国らの資源大国)の動きが目立ち、まさにこれらの国々の台頭が目立った今年の総括にふさわしい状況。
 サルコジ仏大統領はカーラ(ブルーニ)夫人とともにブラジル訪問。兵器購入を技術情報の一部提供とのバーターでかちとった。カーラ夫人は色鮮やかなドレスでブラジル人を魅了、シャンソンの大御所、シャルル・アズナズール(すでに高齢で2年前の日本公演は最後の来日と言われたが)のコンサートまであり。
 中国は、EU諸国に続き、ソマリア沖の海賊取り締まりに艦船の派遣を決定。対応の遅れる日本政府を尻目に「国連常任理事国として積極的役割を果たす」と決断を誇示。
 ロシアでは、ガス産出国の共同機構化(OPECのガス版)を討議、ロシア、イラン、カタールで世界のガスの過半を占めるという。
 もはやG8の時代ではないのを痛感させられる。少なくともフランスはその現実を直視し、生き残り戦略を図っているように見える。イタリア生まれの大統領夫人まで駆使して。

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なぜ占拠してはいけないのか?

 派遣労働者の雇い止めによるホームレス化の報道が続いている。特に今夜はクリスマス直前ということもあってか、各局が特集していて、時間差はあるが、このテーマだけ追ってチャンネルを渡り歩くことができるくらいだった。
 以下は、福祉の専門家でないにしても、一応研究者であることも忘れて、ものすごく非論理的なことを、空想したことである。
 自分がホームレスになったと想像する。しかし、なぜ憲法で定められた生存権があるのに、空いている空間に入ってはいけないだろう。個人宅では家宅侵入になり、公的な施設でもそれは同じだろうが、なぜ学校の体育館や公民館で寝泊まりしてはいけないのだろう。災害時にはそうしているではないか。夜だけでもいいではないか。朝には掃除させてもいい。管理が危なければ警官に巡回させてもいい。
 学生の部活や町内の集会が人間の生命より重要だろうか。生命線上の人間を排除してまでしなければいけないことだろうか。自立を促すのはいい。しかし住所や連絡先がなければ仕事にもつけないのである。自立支援センターがあるかもしれない。金があるうちはネットカフェもあるかもしれない。しかし、どれも腑に落ちない。
 ここまで雇用が厳しくなる前は、ホームレスのなかには望んで自由な生活をしたがっている人もいるという説明もあった。いわく、自立支援センターに空きがあったのに入らなかった、等々。しかし、現状はそういう段階ではもはやないだろう。
 かつて、学生運動や社会運動が盛んだったときに、空いている住宅に勝手に住む行為があった。実際に、ヨーロッパでは、住まないで空いている家に重い税金をかけたり、空き家に長く居住の実績があると住むことが認められたりする国もある。
「屋根のあるところで寝させろ」それくらい、言う権利はないのだろうか。

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静かでも強い言葉

 普段はあまり見ない、NHKの「時論・公論」という番組を見て、冷静ながら強い言葉で政府の雇用政策を論評している人を見て、しばしPCの作業の手を止めた。はっきりとした口調に、この大学の先生はきっといい授業をされている人だなと思ったら、NHKの解説委員、後藤知恵氏だった。
 NHKはあまりはっきりと政府の批判をできないのではないかと疑いの念を持ちがちなのは、私だけではあるまい。しかし、この日のこの番組は、この先入観を覆し、あるべき解説の見本のような素晴らしいものだった。話し方の見本として学生に見せようと途中から録画したくらいだ。
 曰く、過去の雇用政策がなぜ期待された効果を生み出せなかったのか十分に検証をせずに、どうして効果のある雇用政策を立案できるのか。先進国で最大の財政赤字のこの国で「ないよりはいい」というようなことで政策を打っていいのか。「全治3年」と明言しながら、3年間の道筋は何も示されていないではないか。国際競争力をつけるためと称して製造業に派遣労働を導入した企業が、国際経済の悪化を理由に手のひらを返したように派遣を切るなら、この間に何をしていたのか。(こういう悪化した環境でも耐えられるような企業になるように競争力の強化をしなかったのか。)経営者が身を切る努力をしていないではないか。
 上に書いたのは、放送の正確な再現ではなくて、私に伝わってきた内容を私の頭で理解した形で書き直したものである。もちろん、上記のようなことは他の論者も言っているかもしれないが、静かに無駄なく、しかし臆することなく明確に批判している姿に敬服した。こういう間合いで諄々と伝えている解説を他に見たことがない。
 民放にない、NHKの可能性を見た。こういう語りは民放ならさせないだろう。しかし、これが王道だ。派手さはない、感情の爆発もない、しかし、構成の整った、ぶれない言葉。よい勉強をさせて頂いた。
 セミ学生との忘年会の帰りで、ほろよい加減で見たが、いかん、自分ももっと勉強しないと、と思った。思うに、同じ「全治3年」でも石油危機の最中に福田赳夫蔵相が語ったほうは、はるかに説得力があったはずだ。

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欧州連合・艦隊?

 またしても今朝の衛星ニュース(ドイツ)から。どうも、ソマリアの海賊退治にEU各国の艦船が共同で動くらしい。まさに、欧州「連合艦隊」ならぬ、「欧州連合」艦隊?

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EUが海賊に対する

 日本の衛星放送で流れる各国ニュースで、おそらく最もEUに関して情報が多いのは、フランスと言いたいところだが、たぶんドイツである。ドイツのほうが、歴史的によりヨーロッパ主義的にならざるを得なかったところがある。

 今朝のニュースで面白かったのは、ソマリアなどでの海賊への対応でEUが前面に出てきたことだ。純粋な軍事行動でないテロ防止や緊急対応こそ、近年のEUが活動範囲を広げている分野。この方面に疎いのでおおざっぱなことしか書けないが、最近のEUの新しい法規により、この方面でのEUの活躍度が増したらしい。「らしい」では研究者失格なので、この後、調べてみます。自国の憲法上もいろいろな問題があるであろうドイツがこの問題に関心が深いのは想像に難くない。

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メドヴェージェフの隣の男

 先日、この欄で、G20首脳会議の記念写真で、メドヴェージェフ・ロシア大統領の左隣にいる男性だけが分からないと書きましたが、オランダのState Secretary of Finance(財務閣外相)のJan Kees de Jager氏であることが分かりました。バルケネンデ首相のお父さんが亡くなったため、代行したようです。前の国家元首の列の端にいるのも、準備が間に合わなかったからではなかろうか。いずれにしても、何か慌ただしい事情が推察されます。

 前項で紹介した某全国紙系のネット記事は、サパテーロ・スペイン首相だけを見て「G20、実はG21」と書いていますが、その意味でも間違いです。

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G20首脳会議記念写真の立ち位置

 サミットのたびに新聞やテレビの誰かが必ず「今回も日本は端っこにいる」と外交儀礼を知らずに解説しているのを見たり聞いたりして、がっかりした国際通の方は多いだろう。議長国首脳を中心に国家元首(国王、大統領)から首相へ、同等なら在任期間の長いほうが上位というのは、国際社会の常識である。もちろん、議長国の意向でリラックスした環境でそれにこだわらなかったり、あるいはアクシデントで崩れたりすることはある。ウィリアムズバーグ・サミットで話しながら議長レーガンの近くに行った中曽根元首相は、本人がカメラを意識した「確信犯」だった。

 今回も、全国紙系のネット掲載記事で「中国やブラジルが台頭」「麻生さんは控えめ」と書いたものがある。まだよく分かっていない新米の記者かと思ったら、ベテランの記者だった。

 ちゃんと調べたのだろうか。ちなみに、前列の国家元首(カッコ内は肩書きと就任年月)は、中央のブッシュ(主催国、アメリカ大統領)の左右に、ルーラ(ブラジル大統領、2003年1月)、胡錦涛(中国国家主席、2003年3月)、続いて、ユドヨノ(インドネシア大統領、2004年10月)、アブドゥッラー(サウジアラビア国王、2005年8月)、カルデロン(メキシコ大統領、2006年12月)、サルコジ(フランス大統領(2007年5月)、キルチネル(アルゼンチン大統領、2007年12月)、李明博(韓国大統領、2008年2月)、メドヴェージェフ(ロシア大統領、2008年5月)、モトランテ(南アフリカ大統領、2008年9月)。この通り、外交儀礼に完全準拠です。

 新聞記者がこれを知らないのは、まずいんじゃないかな。国民に誤解を与えてはいけないし、麻生さんを不当に貶めてもいけない。「中国、ブラジルの台頭」と書けば、面白いかもしれないけど、やっぱりだめでしょう。

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G20+α?

 日曜日の朝刊でG20金融サミットの記念写真を見て、あれっと思った。G20に含まれていないサパテーロ・スペイン首相が二段目中央に写っているのである。ホワイト・ハウスのプレス・リリースを見ると、オランダとスペインが「EUを代表して」と付記され記されている。つまりは、EU委員会、国連、世銀、IMF等と同じオブザーバー的な位置づけなのだろうが、それならEU議長国は、今期(2008年下半期)はフランスであるし、来期(2009年上半期)もチェコであり、スペインはスウェーデン(2009年下半期)のさらに後の2010年上半期の議長国である。
 報道を見て、スペインがG20に行けるよう外交攻勢をかけていたことが分かったが、おそらく金融上の重要性からオランダ(アムステルダムはミラノ以上に国際金融で重要)、スペイン(自国だけでなく中南米ビジネスも含めれば一つの中心)という組み合わせになったのだろう。新興国に助けを求めるEU諸国としては、正式代表を出し過ぎということにならないよう、抑制もされたか。
 さらに、ベルルスコーニ首相以外にもう一人イタリア人が。中央銀行で作る「金融安定化フォーラム」(FSF)の代表として、ドラーギ・イタリア銀行総裁も端っこに写っていた。IMFのストロスカーン専務理事(フランス)もいるので、やはりさらに二国ではヨーロッパ人多過ぎか。
 ところが、私が見た朝日新聞の写真では、私が見るところ、オランダのバルケネンデ首相が見あたらない。一方で、一人だけ、ロシア大統領の左にいる男性が誰か分からない。前列は国家元首(国王、大統領)がずらっと並んでいるが、G20首脳、国連、IMF、世銀、EU、FSFは全員確認できたのだが、この人だけ分からない。

(参考)Deutsche WelleのスペインG20出席に関する記事

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シカゴ市長デイリー

 シカゴで五輪を、と昨日書いた後に調べたら、現在の市長はリチャード・M・デイリー。映画「13days」でキューバ危機のさなかに、ケネディが会ったデイリー市長の息子だという。普段、アメリカ政治を追っていなくて、知らなかった。

 父親のリチャード・J・デイリーは、映画ではケネディの側近ケネス・オドネルも恐れる地方政治のボスとして描かれていたが、1955年から1976年まで、20年あまり市長をしている。息子のデイリーも1989年以来、現在まで市長で、シカゴ市長としては現在の任期途中の2010年まで勤め上げれば、親父さんを超えて最長不倒(2011年の任期満了で22年)に。しかも、民主党。

 間が10年空いているので「世襲」とは言えないかもしれないが、日本の2世議員もびっくりの、実に40年を超える親子支配。もはや「王朝」の域ではないか。日本の小さな村(そういうものも平成の大合併でほとんどなくなった)ならともかく、こんな大都市に固定的な支配集団がいるのだろうか。大統領にも親子がいたし、実はアメリカ人、王朝好きな一面もある。

 アメリカの地方政治ネタまとめた本ないかな?読む時間ないけど。

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東京でなく、シカゴで五輪を!

 オバマが次期アメリカ大統領に。変革しない東京でなく、変革するアメリカ、オバマのゆかりの地、シカゴで2016年のオリンピックをやろう。東京は辞退すべきだ。

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すでに外資に食われていた丸の内

 木曜日、急ぎの郵便があって東京中央局へ。すぐ東京中央へというのは、わたしのような田舎出身の人間の発想である。実際は大きな集配局からさらにまとめられて発送するので、集配局なら他でもよいのだが、自分の住む区の交通網の問題で、バスを乗り継いで区内の集配局に行くより、地下鉄に乗れば東京中央のほうが早く着く。
 ところが、どうも改装中で、付近の幾つかのビルに分散して営業していた。そこで、久しぶりに丸の内界隈を歩いてびっくり。皇居の真ん前にスタンダードチャータード銀行、近くにPCAアセット、金持ちしか相手にしない外国金融機関がずらりと並んでいる。さらに自動ドアの後ろに男の職員が立って出入りをチェックしている。付近にはティファニーとか、ここはニューヨークかと思うような、いかにもアメリカ・ビジネスマン好みのブティック、レストランが。平日の、雨の夕方、人通りも少なく、余計にシュールに見えた。
 なんだ、もう外資に食われているじゃないか、この国のど真ん中(歴史的中心)が。金融危機で今度はアメリカの国債をわれわれの税金で買わされるのかな。

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ローマ国際映画祭

 10月の学園祭シーズンになんとか短期でも日本を脱出できないかと格安航空券を探すが、10月半ばから下旬のローマ行きは空席が少なくなっている。どうも22日から31日にローマ国際映画祭が予定されているらしい。ヴェネツィアとダブって大丈夫かという記事が日本の朝日新聞にも出たことがあるが、2年前には映画評論家としても知られるヴェルトゥローニ・ローマ市長(当時。現・民主党書記長)がいたので、特に力が入っていたと想像するが、今の市長は、国民同盟(ネオ・ファシストからナショナリスト保守に変身した政党)のアレマンノに代わっている。もっとも、ローマ周辺では右派が強いし、右派寄りの企業も多いので、スポンサーには困っていないだろう。

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ベルルスコーニ人気が止まらない

 ベルルスコーニの支持率が60%に達した。彼に最も批判的な左派系の有力紙『レプッブリカ』が報じているのだから、間違いなかろう。すでにG8サミットの折りに、母国で支持率50%を超えるのは、彼ともう一人(誰か忘れた)だと報じられていたが、イタリア経済自体は結構油断できない状況なのに、意外である。

 中道・左派合同の民主党は逆に支持が伸びないどころか減っている(30%)。下手をすると選挙連合を組んだ反ベルルスコーニのポピュリスト、ディ=ピエトロ元判事の「価値あるイタリア」にも人気で負けている。

 とすれば、今回の政権発足時からの政策、固定資産税の撤廃、治安強化、(新自由主義的)教育改革などが歓迎ないしは不支持の理由になっていないことを意味するのだろうか。こういう政策がそれなりに歓迎されているとすれば、どうもわれわれはイタリア人の心情変化を見失っている感じがする。まだベルリングェルの思い出に浸って(それで足りなければ、オリーヴやネグリで景気づけをして)左派支持で固まっている日本のイタリア通の悪い癖は根底的な反省を求められるのではなかろうか。(自戒を込めての話)

 経済・予算政策は相変わらず、無理な歳出削減、減税で数字の辻褄合わせに見えるだけに、秋以降にボロがでれば、局面展開もありうるが、もしでなかったら?

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Community organizer

 アメリカの共和党大会で、大統領候補のマケインと副大統領候補のペイリンが揃って揶揄したオバマ氏の議員になる前の経歴が「コミュニティー・オーガナイザー」。確かに公務でも民間企業でもなく、苦しい表現である。州議会議員時代に多数の議決で賛否を明確にせず、単に「出席」と記録されていることもマケインに指摘された。上院議員時代にこれといった立法の経験もないことも二人に指摘された。
 主婦から市議、市長、そして同じ党の現職知事に勝ったというペイリン、単なる印象だが、怖いくらいのたたき上げの迫力だ。PBSのコメンテーターが映画になったエリン・ブロコビッチ(P&Gに巨額の和解金を支払わせる裁判を率いた法律事務所事務員のシングル・マザー)にその人生を例えていた。

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ついに出た「イタリア史」

 広告を見て、いつ店頭に並ぶかと待ち構えていた、山川の世界各国史15「イタリア史」をついにゲット。今日も三省堂では並んでなく、すずらん通りを歩いて、ひょっとしてと入った東京堂書店で購入。イタリア史はスペイン史と異なり、長らく通史が更新されていなかった。特に山川の世界各国史の場合、本来イタリアにとどまらないローマ史をまるごとイタリアの巻に入れ込んでいるために、更新は難しかったようで、実に32年ぶりの更新である。

 不幸なことに、イタリア史は、現在のイタリアを形作る近現代よりも古代ローマとルネサンスという観光の中心に一般の関心が向きがちなのだが、この本では古代から近世までは他の著者に委ね、スペイン支配期以後現在までを北原氏が一貫して書いている。

 近世の部分もイタリア史の本来の構成であるイタリア諸国家(「古い=統一前の=諸国家」antichi stati、ヴェネツィアなど、都市国家というより領域国家)の歴史から統一へという流れになっている。その意味では本来のイタリア史に日本語のイタリア史が少し近づいた。イタリアの大学では、この統一前諸国家史が一個の科目としてあり、統一以後の基本的に現在につながる歴史と並び立っているのである。

 もう一つ、小さな点でうれしいことは、地名表記。ミラノでなく、ミラーノ、トリノでなく、トリーノになっている。私は学部生時代から、指導教官に指摘されてこう書き始めていたのだが、日本の慣用に反し、やや気取っていると思われることもあった。実際、アクセントは難しく、ジェーノヴァ、ヴェネーツィアのほうはこう書くと間延びする感もあるが、これはこうせずにジェノヴァ、ヴェネツィアとしているのも同感できる。それに反し、イタリア語をまがりなりにも解する人間にはアクセントなしのミラノ、トリノは絶対に気持ち悪い。こういう基本書でしっかり指針を示して頂いたのは、何ともありがたい。

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コッシーガ、南オセチア情勢を評す

 グルジャ・南オセチアでの国際的緊張で、衛星ニュースのロシアのニュースを見落とせなくなった。といっても、早朝のは朝5時台なので、見逃すことも多い。今朝も半分寝ぼけながらみていたが、「コッシーガ」という名前を聞いて、びっくり。

 なんでも、西側諸国(NATO諸国というべきだろうが、俄然この言葉をまた使いたくなっている情勢である)の政治家で唯一、コッシーガ元イタリア大統領が、南オセチアの独立に賛成しているというのだ。

 終身上院議員で半ば楽隠居の政治家を引き合いに出さなければいけないほど、西側諸国にロシアの味方が少ないことの証左だが、イタリア政治を見ていない方々には、いささか奇妙だろう。

 実は、このコッシーガという人、「やそだ総研」では紹介済みだが、大統領職を離れて既に十数年ながら、なかなか油断できないタヌキ親爺なのだ。元キリスト教民主党のリベラル右派だが、実はイタリア共産党の人気政治家だったベルリングェルのいとこで、高齢者が多いイタリアの大統領(憲法で50歳以上と規定)としては最年少、50代で大統領に就任しながら、汚職事件で揺れるイタリア政界の政治改革を進めるために任期前に辞職、「第1共和政の壊し屋」と呼ばれ、終身上院議員になってからも、90年代末には中道小勢力を結集し新党を作り、政権参加、その後解党したほか、スペインのアスナール元首相など、外国首脳とも独自の人脈を持つ。

 それでも、なぜ今回コッシーガの名前が出たのか、分らなかった。そこで、イタリア紙を幾つか当ってみると、以下のような事情だった。

 コッシーガはイタリアの保守的新聞「イル・テンポ」で、グルジャ人の住民が少ない南オセチアやアブハジアを自国内において統治しようとするグルジャ政府を「小さな帝国主義」として批判しているいるのだ。コッシーガは、コソボの独立を認めた西側の過去の政策との矛盾を心配しているだけでなく、老練政治家らしく歴史を遡って、仮にロシアがソ連時代に南オセチアをかなりロシア化したとしても、それは、イタリアが南チロルをオーストリアから割譲させた後、ファシズム期にイタリア系を移住させイタリア化を進めた過去と比べて果たしてより悪いといえるか、というのだ。

 いつも通り、一見へそ曲がりに見える、相変わらずの天の邪鬼ぶりがさすがだが、確かに一理ある。

 

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史上最大のブラックジョーク

 花火はCG、歌唱の少女は口パク、諸民族の子供はほとんど漢民族、と中国政府による五輪開会式でのイメージ操作が話題になっている。諸民族間の平和と団結が一連の虚偽によって演出されていたとすれば、すごいブラックジョークだ。無論、こういう情報が流れてくる程度には、中国にも事実を重んじる人がいて、中国が北朝鮮のような完璧な統制社会ではないことも分かるが、ここまでの作為的なイメージ操作はあきれるというより、恐ろしい。

 われわれは中国を北朝鮮よりははるかにまともな国と認識しているし、それは間違いではないだろう。しかし、事実よりも祖国にふさわしい虚偽を事実として信じ込む(信じ込ませる)、あるいは実際には信じていなくても信じていると姿勢を示す(示させる)ことのほうが大事というのは、北朝鮮の主体思想と同じ発想である。ヨーロッパで日本人学生を拉致した「よど号」ハイジャック犯たちは、男女ペアになっての秘密工作活動で、自分たちが本当の愛情で結ばれたカップルだという「前史」まで念入りに打ち合わせ、それをあたかも真実であると自分で思うくらいに自己洗脳をしたのである。

 こういうときに、ある民放の記者が、現地の中国人に開会式の虚偽について聞いて、「特に問題ない」という回答を多数得ながら、これが政府の情報管理のもとに置かれた人々の一つの決まった答え方だと十分に認識しないで、あるいは認識しつつも視聴者に十分その点を注意しないで(こうなるともっと悪い)報道しているのは、本当に情けない。実際に、テレビカメラに向かって「問題です」と言ったら、その人がどうなるか、という危険性の意識が希薄なのだろうか。若い記者には冷戦期の記憶もないだろうが、それでも本を読んでそれなりに学べば、想像できたはずだ。

 

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北京五輪私的ボイコット宣言

 北京五輪開会式の時間(8月8日8時8分という験担ぎの「8」ずくめも、何か気に入らない)は、敢えて大学で仕事をすることとし、さらに期間中はチベットに思いをはせ、やむを得ず目に入る場合(ラーメン屋などで見てしまうかもしれない)を除き、テレビでオリンピックは見ないことにしました。外国の新聞のネット版には、水泳などの選手のタトゥーが写真で紹介されていますが、誰か「Free Tibet」と入れ墨して泳いでくれないかなと思います。入れ墨だととれません。しかし、競技前から見せていたら失格になるから、スピード社製みたいな長目の水着で勝って腕や足をまくると、入れ墨が出るとか。そうなったら、メキシコ五輪で黒人選手が表彰式で黒手袋をはめた手を挙げたくらいに世界史的場面になります。それで失格にしたら世界から五輪委員会が非難を受けるでしょう。以上、まったくの妄想。
 仕事をするのは、まじめだからでなく、単に貯まっているからです。でも、やはり見る気はしない。本当は五輪開会式の各国の民族色あるステージが好きでバルセロナ、アルベールヴィル、アテネ、トリーノは録画してあるのですが、今回は絶対にパスです。自分でやらないので卑怯ですが、誰かが「フリー・チベット」と叫ぶところは見たい。私は信心は薄いけど、やはり孔子より仏様です。お盆ですし。

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筑波方式、今になって普及?

 学部生時代、全国で自分の通っていた大学(筑波)だけが「学部」「学科」名称を使わず、学群、学類という名称を使っていたので、よく履歴書や願書の書式に予め「学部」「学科」と印刷してあるのを手書きで訂正していたものである。さらに教員組織は「学系」といわれ、特に文科系は教育組織と研究組織が必ずしも一致せず、その学際的教育の理想とは別に、日常的にはその複雑さから様々な不便があった。現在では、筑波の組織はとても分かりやすく再編されている。

 その後、桜美林大学にも「学群」「学系」という組織があることを偶然知ったが、最近、しばらく会っていない友人の所在を確かめるために検索をかけたら、国立大学の独法化、私立大学の競争激化で、全国の大学組織の名称がかなり多様化していることに気づいた。

 院生時代に東大に「情報学環」という学際的な研究組織ができたことは知っていた。筑波方式も少し広まっており、和洋女子大学は今年度から学群・学類体制になっている。驚いたのは、郷里に近い金沢大学も今年度から学域・学類制に移行を開始していること。さらに調べると、驚くのは遅かったと見えて、福島大学ではすでに2005年度から学群・学類・学系になっていたのだった。

 大学の世界から離れた一般の方々からは分かりにくいと思うのだが、こうした編制替えにはそれなりの意味がある。実は、筑波もこういうシステムをとったのは、もともと前身の東京教育大学はその名に反して、文学部、理学部、教育学部、農学部、体育学部と5学部もあったので、新設の医学と体育・芸術を専門学群にして、他を第一から第三の学群(最近、こういう「ナンバー学群」はなくなった)に再編し、それまでなかった分野も含めて、本来学科レベルの位置づけの多数の学類を作り、その学類はまるで一個の学部のようなアイデンティティーを持ちながら、大学部である「学群」に入るようにしたのである。この説明で分かりにくければ、例えば、法学部を単体で作りにくい規模の大学の場合、法学が経済学、社会学などと一緒に社会学群的なものを作り、学科レベルでミニ法学部を法学類として作ると考えればいい。国立大学の場合、全国的なバランスもあり、勝手に組織を拡大できないから、学部数はかわらずに中身を再編するという、今考えると対行政的にうまくできたアイディアだったと思う。

 ただ、全国各地でこういう再編が始まったことには、若干、心配なこともある。学類レベルの独立性が高まると、学群の意味が問われることにもなる(私自身、人文学類は自分の出身学部のような認識だが、第一学群には何の郷愁もない)し、命名によっては、これまでのように同分野の同名学部での比較が難しくなるかもしれない。使い方によっては、本来必要な改革をせず、設備、人材の不足を組織の名称変更でカムフラージュする危険性もある。

 旧七帝大では、学部名に相当のプライドがあり、絶対変えないだろうが、中小の大学、地方の大学では、独立化、自由化のために、今後もこういった名称の改編はまだまだありうるのではないかと思う。冗談交じりに想像すると、学苑、学淵、学船、学荘、学苗、学田、学畑、学場、学叢、学森、学洞、学団、学軍、学海。案外、明治期にはあった「学舎」(現・二松学舎大学)など、いい言葉なのですが。「学空」「学泉」「学源」だけはないな。神の領域だから。

 そこで、いっそ思い切ってアメリカの大学のように学部組織を一本にして、無数の専攻が並んでいる形式をとってはどうだろうか。何学部でなく、自分は何を専攻したという明確な意識を持ったほうが、旧帝大的な権威意識も、新規の名称インフレも払拭できていいのではないだろうか。

 わたしは根っからのヨーロッパ信奉者だが、ヨーロッパの学部区分は、やはりリセやギムナジウムで基礎教養ができているからこその名称ではないかと思い始めた。自分が○○学部の教員であるとか、そういう飾りを捨てて、○○学の教員、と裸で勝負したい気持ちがしている。

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韓国紙日本語版の記事

 竹島問題で日韓関係が危うい昨今、韓国の主要紙の日本語電子版を「やそだ総研」リンクから読む。
 狙いの竹島と違うが、この時期に「朝鮮日報」にいい記事が出ている。我が国の著名な経営学者(アメリカでも高い評価を得ている)野中郁次郎氏に日本的経営について聞いたインタビュー記事で、日本人の一般の読者が読んでも、とても分かりやすいし、勉強になる。
 こういう時期に、このような記事を掲載してくれた朝鮮日報には感謝したい。日韓関係は、けっして竹島だけで決まるわけではないからだ。ただ、日本側には竹島を武力で奪還しようというまでの気合いはないのだが、「独島:日本の『侵脱6段階シナリオ』」などという記事を読むと、ここまでの煽り方はよく分からない。まるで新冷戦の頃の日本での「北海道にソ連軍がやってくる」式の報道並みだ。
 ただ、この「シナリオ」も日本の実際の奪還プラン(たぶん、そんなものはない)をスパイしたわけではなく、過去の他の国々の領土紛争を研究して、日本がそうした事例を最大限利用してくるという形で想像しているのである。このシナリオを発表した博士の論法は、ギリシャ・トルコ間、チリ・アルゼンチン間でこうしたことが起こったから、抜け目のない(ずるい?)日本はこういう手でくるはずだ、というもので、こうした事例は、国際法の復習になるので、この記事は大学の授業で利用したいくらいだ。ただ、これは、逆に日本を過剰評価しているようにも思えてくる。そこまで、日本側も徹底して考えているか、どうかは分からない。おそらく、この学者は「絶対に日本に負けないぞ、だまされないぞ」という気合いで書いたのだろう。
 日本側もよくよく発信の工夫をしないと、韓国側で過剰な日本脅威論がどんどん増殖していく。
 それはそうと、日本の主要紙に韓国語版って、あったっけ?作ったほうが、こういう逆・誇大妄想的な報道への中和剤になると思うのだが。

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バルビー映画をみる

 昨夕はクラウス・バルビーの人生を追った映画『敵こそ、我が友』を銀座テアトルシネマで見た。
 前回にここでルーマニア映画を見たときと同様、他の用で銀座に来たのだが、通り過ぎることができなかった。この日は、半蔵門線の三越前で降りて、日本橋から銀座に歩いているうち、しばらく来ていなかったので、界隈の変化に驚きつつ、イッリのバールを見つけて水分補給、文具の伊東屋と本の教文館に向かった。
 文具も本も銀座でなくても買えるのだが、いまどきタイプライターのリボンは普通の文房具店にはないし、キリスト教関係の本のトレンドを追うにはやはり専門書店である。別に信仰に目覚めたわけでも、仏教から改宗しようというわけでもない。学生の関心に応じて、こちらも久しぶりに宗教改革から勉強し直したくなったのである。参考になりそうな本を二三冊買った後、映画の前に、北海道から上陸したスープカレーをブームに2年ほど遅れて初めて食べる。
 バルビーについては、もちろん以前から頭にはあったが、特に勉強する気にはなれなかった。ナチ関連は日本でも研究の層が厚く、そのうち誰かがいい本を書いてくれるだろうと他力本願でいた。しかし、映画はそれ以上にバルビー周辺の貴重な映像が見られてよかった。
 個人的には、バルビー自身が殺害に関わったらしい、フランス・レジスタンスの英雄、ジャン・ムーランのパンテオン入りの式典で、ド・ゴールらが見守るなか、当時文化相だったアンドレ・マルローがまるで朗唱するような演説でその功績を讃えているところが印象的だった。やはりその死にバルビーの関与がちらつくチェ・ゲバラの遺体も写真ではよく見ていたが、動画で見たのは初めてだ。生前から英雄視されていた(もちろん反共側からは犯罪人だが)チェらしく、遺体の上から覆い被さるようにアップで写真を撮るカメラマンの下で、まるで宗教画のキリストのような風貌のチェが動かないのが、寂しい。がっしりした体格かと思っていたが、ボリビアで健康を害したのか、もともと喘息持ちの体質のせいか、肋骨が見えるほど、意外なくらい痩せていた。
 バルビーの弁護士は、確かフセインの弁護もしていた人だが、裁く側の偽善を指摘する彼の発言にも一理あることは否定できないだろう。
 バルビーの前半生の動画は、秘密活動ゆえ、あり得ない。それを証言や周辺の歴史的映像で、かなり分かりやすく描いており、教育的にもよくできている。90分だから、DVDになれば(昨年公開のフランスではもうなっているのか?)大学の授業で見せることも可能だ。

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イタリアの女性閣僚

 このブログと親サイトでも紹介してきたイタリアの女性閣僚(Politically correctたるべく、ここでは「美人」とは書かないことにします)について、最新号のForesight(普通に書店で売るようになっていたのですね)に、毎日新聞のローマ特派員・藤原氏の記事が出ています。カバーストーリーも、イタリアの毒ワインとゴミ問題。

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「素粒子」は報道でなく、下品な風刺

 鳩山法相を「死に神」に例えた朝日新聞の「素粒子」について、弁護するつもりもないが、報道が一方的であることには警戒感を持つ。
 まず、他のメディアのいう「記事」「報道」は実はコラムであって、あくまで風刺を目的としていること。さらに、将棋の羽生永世名人に関する別の例えから、「永世死刑執行人」→「死に神」となっているシークエンスを外して報道しているのを読むと、実際よりも厳しい例えに見えること。そして、おそらく海外では、死刑廃止・停止(実はアジアでも広がりつつある)がアメリカと途上国を除けば多数派であり、辛口の批評になれていない我が国では受け入れ難いかもしれないが、こうした風刺はあり得なくはないこと。
 もっとも、風刺としても下品であり、直接的すぎて、あまりほめられる出来ではないことは事実だ。しかし、ああいう書きっぱなしの風刺コラムを、特に鳩山氏自身以外の弁護士兼評論家のような人物が、形式的な法律論議だけで、風刺の民主主義社会における意義も考察せずに、報道記事と同様に「名誉毀損」というのは、あまりに大人げない。
 いちばん不幸なことは、ただでさえ、近年の凶悪犯罪に対応した厳罰化で冷静な議論ができなくなっている死刑論議がますます一方的な展開になっていくことを許したことで、朝日が責められるのは、こうした展開を許した、安っぽい風刺をしたことである。死刑論議は言論で真正面から堂々とすればよい。

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来年のサミット議長は、あの人

 今月初、洞爺湖サミットに備えて、福田首相がイタリアを訪問。サミット議長2回経験済みのベルルスコーニ首相がサミットは「家族会議みたいなものだ」と励ましたらしい。
 イタリアの議長としての技量はともかく、過去3回首相となった(逆に言えば、過去2回、左派に負けて下野した)ベルルスコーニは、サミットに関しては巡り合わせがよく、すでに1994年と2001年の2回、ナポリとジェノヴァで議長をしている。ナポリの折りは、当時の村山首相が自社さ連立政権成立の直後の疲労のなかでオリーヴ油を使った料理(村山さんは清潔な政治家なので普段食べていないだろうと噂されたものだ)を食べて腹痛になったエピソードが懐かしい。
 イタリアの議長の順番は、日本の次なので、来年はイタリアで、今年選挙で勝利したばかりのベルルスコーニ首相が、まず間違いなく議長となる。会場はサルデーニャの海上の群島、ラ・マッダレーナ。会場は、群島のなかで最も大きなラ・マッダレーナ島になるのだろうが、隣にあるカプレーラ島は、イタリア統一運動を率いたガリバルディが余生を過ごした地でもある。風光明媚なサルデーニャはベルルスコーニがバカンスを過ごすところでもあり、軍事的にも重要な基地がある。このところのサミットの特徴である、抗議運動やテロの来にくい、人里離れたリゾート地で開催という流れにも沿っている。
 それにしても、このメディア宰相は3度の首相任期に3度とも、一周期8年のサミットに当たるとは強運である。もっとも、サミットについて、日本ほど欧州は大騒ぎしていないが。
 それに比べ、左派は過去15年間で半分は政権を握っているのに、一度も自国開催のサミットには遭遇しない。特に1996年から2001年までは5年間も政権を握りながら、あとちょっと時間が足りず、ベルルスコーニに議長を譲っている。
 このメディアの千両役者にサルデーニャの沖で遭遇する日本の首相は誰か?

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よく分からない+個別争点+不安感=否決?

 アイルランドの国民投票でEUのリスボン条約が批准否決。BBCニュースでは、まずこの法律的議論の分かりにくさへの反発を紹介、ほかに、中絶を合法化するのでは(カトリック国)、中立政策が崩されるのでは(中立国)、というEUの本質でない個別議論と、現状への漠然とした不満・不安感の合算という。
 とすれば、論点も集中していないものを国民投票(イエスかノーが明確に言えないといけない)に、憲法で定めているからと、かけてしまったことになる。NOの投票者の心理が多様で、しかもどこかつかみどころのないものとすれば、再投票などで改善できる可能性も少なくなる。
 アイルランドの国内政治も勉強し直さないと、やはり理解が難しい。今の時点では、どこの国でも国民投票ならうまくいかなくなるという感じだけはあるのだが。

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メタボ検診に関する各党見解

 たぶん、これは既にメディアのいずれかで書かれているかもしれないが、私はこのところ、新しい職場に慣れるのに必死で、新聞もしっかり読めていない。しかし、身近なことで一つチェックを忘れていることに気づいた。
 今月には私もメタボ検診を受ける。間違いなく、ボーダーラインにひっかかる。この大多数は健康な人間を病人扱いする悪法について、各党の意見はどうであったのか。
 連立与党とはいえ、「庶民の味方」のはずの公明党が賛成なのは解せない。民主党は国会の議論で、他の医療制度改革と並んで批判していた。しかし、やはりこうした個別イシューでは、社民党が専門家との会議の様子をYou Tubeにしてくれていて、分かりやすい。このページに付属している「労働環境との関連を無視して、自己責任化している」という阿部政審会長の意見も納得できる。私は9条に固執するこの党の態度にずっと抵抗感を持ってきたが、最近、国内政策について見直している。医学界でも完全な意見集約をせずにこうなったようだが、具体的に誰がこの政策を主導したのか、議員レベルの名前を知りたい。
 しかし、『下流は太る!』という本も出ていることを考えると、形勢は不利か?メタボ検診反対とデブが言っても説得力なしという時代の雰囲気も感じる。確かに、小泉さん以来の首相は太っていない(森さんがメタボ首相の最後か)ことを考えると、日本でもスタイルは決定的な要素になりつつあるのか。
「PRESIDENT」最新号の三浦展氏(『下流は太る!』の著者)の記事は、ちゃんとした食事をとることが、下流転落を防ぐ「階級闘争」の手段と説く。うーん、厳しい。

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人身保護令論争

 なにげなくNHK衛星の海外ニュースを点けたら、米公共放送PBSで人身保護令に関する論争をやっていた。国際法、憲法ともからむ、テロ関連法規で重要なテーマだったが、途中からしか見れず録画も4分ほどしかできず、残念。ウェブに関連ページがあるか、どうか。学部の授業でとりあげるには、難しいか?

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イタリア的こじつけ?

 先日の神戸でのG8環境相会議の記事を読んでいたら、ここでも何度も取り上げたプレスティジャコモ環境相が、ナポリのごみ問題を先進国でも制度が機能しなくなる時があるとして、一種の危機管理の必要性のような形で全体に問うたようだ。

 もちろん、国内問題(行政の不備、カモッラとの関係)と受け取るのが大勢だと思うが、あるいは、それを承知で国内向けにやる気をみせたパフォーマンスであったか?

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プレスティジャコモ環境相来日

 G8環境相会議で、イタリア新政権のプレスティジャコモ環境相(元・機会均等相)が来日。NHKのニュースにも少し映りました。もちろん、本人の政策に第一に注目すべきですが、イタリアの女性史の本にも彼女の成功にはその美貌は無関係ではないだろう、と写真つきで記してあるものがあります。もちろん、ベルルスコーニ首相のフォルツァ・イタリア所属。その点は、話題になった元テレビ・リポーターのカルファーニャ新機会均等相と同じ。ご関心の向きに環境省のHPをリンクしておきます。まだ就任したばかりで写真などはほとんどありません。

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狐と狸と狼(イタリア新政権入門)

 安易な類推は学問の最大の敵である、ともいえるが、誤解を含んでいても、大きなイメージを伝えないといけないこともある。サルマン・ラシュディの『悪魔の詩』の訳者、故・五十嵐一氏はイスラムの美学にも通じた大変な学者だったが、一方で日本でのアラブ理解を進めるために『中東ハンパが国を滅ぼす』という新書で、中東の政治地図を日本の55年体制の各政党に例えて紹介した。ぬるま湯的な大国サウジアラビアは自民党、強烈なイデオロギーを持つイスラエルは共産党、中間的なトルコは民社党というような感じだったかと思う。
 私は、現地体験のある日本人などが書くいわゆるイタリアもののエッセーが、実体験部分はともかく、しばしば政治や歴史への理解が乏しく、好まないのだが、素人でも言い得て妙な表現をする人がいて、立ち読みしたので本の題名や著者名は忘れたが、ベルルスコーニとフィーニをキツネとタヌキに例え、両者が化かし合いをしながら、互いを切れずにいる関係を解説していたのは、巧いと思った。この例えを私なりに拡張し、ボッシをオオカミとして、3者の関係で初心者向けの解説をしてみよう。
 人里(イタリア)には、北と南の二つの村があった。
 キツネ(ベルルスコーニ=フォルツァ・イタリア党首、首相)は、3匹のなかで最もルックスがよく、人なつっこく、お金持ちで、どちらの村でも村人に好かれている。「変身自由動物連合」(右派陣営)の表看板は常に彼であり、過去5回の「村人だまし合い合戦」(総選挙)で「共同変身動物連合」(左派陣営)に3回勝利した後は、いずれも彼が動物頭(首相)になった。自身はよく変身(財界から政界に転身、首相在任中に整形手術)するだけでなく、葉っぱのお金のおまじない(減税政策)で人間をたぶらかす。
 タヌキ(フィーニ=国民同盟党首、下院議長)は、もともとは暗い山里(ネオ・ファシスト)の出身である。しかし、変身(穏健保守化)して、ルックスがよく、知性的で、人里に出ても恥ずかしくない姿になった。キツネに比べると派手な言動ではなく、オオカミほどは危険でないので、特に古い保守的な南の村(南部)では人気がある。今回、仲間のタヌキ(アレマンノ元農相)を「羅馬」という大きな集落の長(ローマ市長)にした。
 オオカミ(ボッシ=北部同盟党首、改革相)は、何でも噛みつく危険な動物である。もともとは、北の村で生まれ、北の村(北部)と南の村(南部)をケンカさせ(分離主義)ようと、南の村人に噛みついたり、南の畑を荒らしたり(補助金カットを要求)していたが、今ひとつだったので、噛みつく相手を変えた。今では、北の村人の中に、よそ者(移民)に噛みつくのが小気味いいとオオカミを可愛がるものも多い。
 キツネはタヌキもオオカミも必要としているが、両者を使い分けている。北の村でオオカミ、南の村ではタヌキの力を借り、合戦での副大将(副首相、外相、下院議長)などは落ち着いたタヌキにさせ、攻撃的なオオカミには好きなエサ(連邦主義、移民制限)を与えている。そうすると、タヌキが文句をいいそうだが、そのときは、お前には暗い過去(ネオ・ファシスト)があるではないか、お前がそこまで人里に出てくる(穏健保守化に成功する)には、俺の助けもあったからだろう、と説き伏せる。オオカミはやたらめたら噛みつくので、本当に危ないと思ったら、キツネがなだめる。
 共同変身動物連合(左派連合)では、2度キツネに勝った、ぽっちゃりとしたブタさん(プローディ前首相=「モルタデッラ」=ハムの一種=のニックネームあり、いくらなんでも「ブタ」では蔑称なので、「さん」づけする)が村人に節約術(財政再建)を教えていたが、ブタさんの仲間たち(中道派)といっしょに変身しようというロバ(ヴェルトゥローニ・民主党書記長、旧左翼民主主義者、前ローマ市長)と、猪突猛進で変身しようとしないイノシシたち(左翼・虹連合、旧共産系4党)の対立に苦しんで、辞めてしまった。イノシシたちは、自分たちだけで合戦に突入して全滅した。ロバは仲間たちと変身に成功したが、合戦で仲間の数が減ってしまった。ロバは自分がやっていた羅馬集落の長の仕事もブタさんの仲間(ルテッリ前・副首相、元ローマ市長)に譲ろうとしたが、タヌキの仲間に負けたので、その点でも責められている。
 村人は、タヌキの腹黒さやオオカミの危険性などは薄々感づいているのだが、キツネがなんとかまとめてくれるだろう、ブタさんはマジメだけれど小遣いもくれなかったし、と思って、また、キツネを動物頭に選んでしまった。
 はて、これで分かりやすくなっているかな?

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(学術書として)大ヒット発売中!

私も参加していた「原典・ヨーロッパ統合史研究会」の成果である『ヨーロッパ統合史』(遠藤乾編、名古屋大学出版会)が刊行されました。定価は3,200円+税で、今月中に書店に並びます。このテーマでこれだけの内容の本が出るのは、関係者として言うのは何ですが、まさに空前絶後でしょう。
 専門家にぜひ使って頂きたいのはもちろんなのですが、例えば大学で専門でないのに国際政治、ヨーロッパの歴史や政治も教えなければいけないという方もぜひ、これを頼って講義をしてください。
 なお、私はこの通史には執筆していません。年内に姉妹編の史料集が出て、そこに少し執筆しています。お楽しみに。(当分の間、この記事を常にトップにおきます。実質的な最新記事はこの下です。)
Thebook

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ディベートの視覚的表現

 NHKのBS-1の「BSディベート」で子供とインターネットの問題を討議している番組(再放送)を昼食をとりながら見る。内容はここで書かないが、大変よい内容で、ネットの様々な問題を概観できた。
 一つ印象的だったのは、国内の専門家4人がそれぞれの役割に応じた服装で、視覚的にもそれぞれの立場が分かりやすかったこと。シンプルなスーツの教育評論家、ダークスーツの弁護士、ノーネクタイのインターネット業界団体代表、蝶ネクタイの大学教授。特に、大学教授が一般的に蝶ネクタイ、ということはないわけだが、海外の大学では結構いて、むしろこうしたテーマの専門家としては、こういうこだわりのある人のほうが信用できる。業界団体だけに一方的な批判をしないようにする議論の全体のバランスからも、この先生の存在は重要だった。海外から中継で番組に参加していた英米の専門家も日本側の議論を理解しやすかったと思う。
 こうした無言の部分の表現は過去10年間に我が国でも進んだ気がする。

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ここ数年の出版トレンドを再確認する

 学部教育用の購入図書リストを作成、チェックしながら、狭い関心以外のここ数年の国内の出版トレンドを遅まきながら確認する。
 まず、驚いたのが、中国、ロシアの外交政策についての本がそれぞれ数点ずつ出ていたこと。やはり、ビジネスからの関心もあるのが、これらの国々。しかも、書店でざっと見て、内容は予想以上に深かった。EUは点数は多いようでいて、本質的なものはまだまだ少ない。
 日本の古い時代の外交や国際政治についても、重要な文献を見逃していた。酒井哲哉『近代日本の国際秩序論』(岩波書店、2007)、岡本真希子『植民地官僚の政治史―朝鮮・台湾総督府と帝国日本』(三元社、2008)、千葉功『旧外交の形成―日本外交一九〇〇~一九一九』(勁草書房、2008)など。(著者の敬称略)
 インドに至っては、図解のインド経済入門まである。十数年前には、EUについてこういう本が流行っていたものである。時代は変わった。ボーっとしていると、見失う。

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イタリア新内閣閣僚名簿を読む

 第4次ベルルスコーニ内閣(首相就任は3度目だが、前回は任期途中で一度内閣を総辞職して、再組閣している)の閣僚名簿を読む。人や任所は変わっても主要な人物は変わっていない。同性愛者への差別発言で欧州議会からEU委員就任を拒否されたカトリック右派のブッティリョーネの代わりに現職外相からEU副委員長に転出していたフラッティーニ(イラク派兵時の外相)が外相に返り咲き、財政政策の失敗でEUと齟齬が多かったトレモンティがまたしても経済・財務省に戻り、前回社会政策相だった北部同盟の幹部マローニが内相に移り、病気から回復した北部同盟のリーダー、ボッシももとの改革相に戻った。トレモンティを使い続けるのは、対EUには何も反省を示さない、超KY人事。こういうところは、我が国の小泉元首相に似ている。
 メディア宰相の面目躍如で、美人女性閣僚も目立つところに。このブログの親サイト「やそだ総研」でも以前紹介したプレスティジャコモ元機会均等相は環境相に。洞爺湖サミット関連の環境相会議等で日本でもメディアに出るでしょう。機会均等相には、元テレビ・リポーター(ベルルスコーニ支配下の民放で日曜の人気番組を担当、各地をロケで回る)のマーラ・カルファーニャを抜擢。閣僚以外でも、ベルルスコーニの周辺の女性政治家は顔で選んでいるのかと思うほど、みな美人。その意味では、女性閣僚の数では上回っていた左派の前内閣の6人も、メディアや一般の関心を誘う点では右派の現政権に勝ち目がない。
 外面はきれいに出来ているけれど、内容は乏しく、新自由主義的な政策だけがイメージ先行で進行していく、なんとも研究しがたく、好感ももてない政権がまた誕生した。

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連休は中国とロシア?

 経済誌「週刊ダイヤモンド」が中国とロシア、「週刊東洋経済」が中国の特集を組んで、ビジネスマンの連休の頭の体操は中国とロシアで決まり、のようだ。確かに生半可な理論では解けない国である。
 しかし、やはり連休はビジネスから離れて思想や文学、美術や音楽を語りたいものである。それに格好の本が連休直前に出た。「カラマーゾフの兄弟」の話題の新訳(光文社古典新訳文庫)の訳者、東京外大の亀山郁夫学長と佐藤優氏の対談本『ロシア 闇と魂の国家』(文春新書)である。帯の惹句からしてシビれる。「独裁者なきロシアなどあろうか?」
 ジャンルなどという狭い了見は、両氏にはない。政治から文学、音楽、美術、映画、宗教に自由に行き来し、ロシア人の心性に深く切り込む、すごい本だ。スターリンやプーチンなどのロシアの指導者の心理面の分析には、ドストエフスキーはもちろんのこと、ヴィソツキーの歌も出てくれば、タルコフスキーの映画の話も出てくる。
 この二人の教養はロシアに留まらない。いつも感心させられるが、佐藤氏がプーチンのイデオロギーをムッソリーニのイタリア・ファシズムと比較しているくだりは、特に素晴らしかった。
 

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大阪の市町村長が批判されるべき本当の理由

 大阪府知事と市町村長の会合で、知事が「泣いた」ということだけを強調する番組が多いなかで、前後をより長く流したニュース番組があった。それを見て、分かったことは、あの「泣き」の前に知事のマイクが不調だったにも関わらず、新しいマイクを与えず「地声で聞こえるでしょう」と地声で話させていることだ。
 もちろん、これは意図的にそうしたのでなく、単に時間を節約しただけかもしれない。しかし、感情が高ぶったのを抑えようとしても、大声を出すと、体の他の部分の動きも制止しにくいことは誰でも知っていることである。
 府民の代表である府知事に向かって「○○しなさい」と命令調で語る某市長は問題外(元府議会議長の府政のボス的意識がそうさせたと評されても仕方ないだろう)としても、他の市長も散々責めておいて、相手にちゃんとしたマイクを与えないのも大人げない。フェアでもない。あの会合の司会が市長側だっただけになおさらである。相手が興奮しているようなら、マイク交換の間くらい待ってやるのも、人生の先輩としてすべきことだろう。
 司会の市長はそれを知っていて「こちらが泣きたい」と後で記者にコメントしたのだろうか。

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プレスティジャコモ欧州政策相?!

 イタリアの各メディアが第4次ベルルスコーニ内閣(首相は3度目の就任だが、一度任期途中で総辞職後、続投しているので、内閣の数では4次になる)の新閣僚を観測中。欧州政策相にプレスティジャコモ元機会均等相の名が。以前、HP「やそだ総研」の「イタリア美人議員ベスト5」でトップに掲げたのですが、筆者が女子大に就職したために、リンクを削除した、あのシチーリアの経営者出身の地中海美人です。フランスにもかつてギグー欧州政策相がいましたし、欧州で評判の悪いベルルスコーニのイメージ・アップになるか?いっそ、フラッティーニの外相就任で入れ替えにEU委員にしても、いいかも。

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スペインのほうが面白い?

 スペインで再選されたサパテーロ首相の新閣僚が就任。17人の閣僚(首相を除く)のうち9人が女性。女性の国防相就任はフランスに先例があるものの、いまだにマッチョな男性主義(最近もDVが社会問題になった)が残るスペインが、この数年ですっかり様相を変えた気がする。閲兵式での服装も都会のお嬢さんのような若さだ。(これを書いた後で知ったのですが、どうもオシャレなマタニティだったようです。)9人(副首相を含む)という数はイタリアの総辞職した中道・左派政権(6人だが、4人は特命相)をはるかに上回り、イタリアの中道・右派の新政権は前政権と比べても女性閣僚が増えるかどうかは極めて微妙である。プレスティジャコモ元男女機会均等相が入閣するのは確実だが。

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フラッティーニ外相?

 イタリア新外相に、イラク派兵時の外相フラッティーニの名前が挙がっている。確かに、ベルルスコーニの子飼いだし、EU委員への転出も、カトリック右派のブッティリョーネ(その後、トリノ市長選で負けるなど、散々な運命にある)が同性愛者差別発言で委員就任が認められなかったことを受けての緊急避難であったわけで、イラク派兵への評価に関するものではない。しかし、これはいろいろ欧州内で問題があったベルルスコーニが、自分は何一つ間違っていないと主張している印象を他国に与えないか?
 やはり右派政権で外相だった国民同盟のフィーニには下院議長を回すようだ。これでフィーニの側はいいのだろうか。確かに日本よりは下院議長の存在感はある。思うに、本当は、フラッティーニに代えてこの旧ネオ・ファシスト転じての欧州保守主義者をEU委員に出せば面白いが、やはり欧州議会が許容しないだろう。
 とすれば、EU委員は誰にするのだろう?

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ベルルスコーニ圧勝の意味するもの

 イタリア総選挙でベルルスコーニ率いる「自由の人民」(中道・右派)連合が圧勝。上下両院で十分な多数をとることが確実な情勢である。またしても、問題の多いベルルスコーニが政権をとるということだけでなく、北部同盟がベルルスコーニ率い得る選挙連合の中でこの勝利に決定的な役割を果たしたことで、このポピュリスト政党の影響力が増したことも懸念される。
 しかし、民主党は二つの宿願の一つは果たした。ベルルスコーニに勝利はできなかったが、左派の切り捨てには成功したのである。後者は表向き言えない(支持者として吸収しなければいけない)が、この旧・中道・左派内の「純化」路線は成功したのである。民主党の支持が統合前の2党(「左翼民主主義者」と「マーガレット」)の支持率合計を大きく上回ったことは、ヴェルトゥローニが敗北にも関わらず、党内と支持者には評価され得る結果を残したといえる。
 最左派4党の「左翼・虹」連合と、再建された社会党は惨敗で、上下両院ともゼロ議席となった。かつて新左翼系の「議会外左翼」という勢力がいたが、いまや左翼が議会外になったという感じである。
 日本でイタリアに関心を持つ人には、左派支持も多く、このことを悲しむ人も多いと思うが、私は残念とは思わない。「左派・虹」連合は、小党乱立の現状を本質的に解決しようとはしなかった(むしろ「左派党」を作るべきだった)し、確かにベルルスコーニの連合にも雑多な政党が入っているが、少なくとも軸になる3党は大きく、その意味で左派よりも統治可能性は大きい。選挙民はそこを見限ったのではないか。
 逆説的な言い方になるが、今回は望ましくない選挙法で、イタリアの将来には必ずしもマイナスでない結果をもたらしたといえなくもないのである。ただ、そう評価するには、新しい与野党の間で、再び小党が乱立しないような新しい選挙法改正を行わなければならない。

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イタリア総選挙投票日に

 まさにイタリア総選挙で投票中。今回は、私自身が身分の異動があり、ずっとウオッチできなかったのですが、若干、今回はそれでもいいや、と思えてしまうほど、選挙戦自体が魅力に乏しい。
 前にここで書いたように、左右両雄の直接対決(テレビ討論)はなく、最終盤も、金曜日に5チャンネル(ベルルスコーニ影響下の民放3局の一つ)の討論番組「マトリックス」で、一人ずつ時間差で、司会のレルネルのインタビューを受けたのみ。
 ベルルスコーニは、相変わらずの向こう見ずな減税路線で、固定資産税についで、今度は自動車関連の税金をなくす、と言っている。最左派と組まずに純化路線を行く民主党のヴェルトゥローニは、どうしてもやせ我慢をしているように見えてしまう。やはり、直接対決なく、左派側の内紛後に負けた2001年の総選挙の繰り返しに見える。今となっては、2006年のほうが例外的だったのか?
 今回の選挙も、まさにイタリア語で言う「パスティッチョ」、本質的でないつまらない争点をめぐる受けねらいのドタバタだった。過去の有名な政党と紛らわしい小党の「キリスト教民主党」の政党資格でもめて、後から投票用紙を印刷しなおせ、などといった馬鹿らしい争点もあったし、NHKがゴミ戦争をテーマに報道したのも、それは最大の争点では決してないが、ほかの争点があまりに他国には分かりにくいものばかりだし、小粒だったから、理解できる。
 でも、一応、HP「やそだ総研」には、前回苦労して作った、イタリア総選挙分析ツールもあるので、火曜の夜からは、マニアックなデータ作りをするつもりです。

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元気(大丈夫?)ですかー

 民主党の姫井参議院議員が大阪府立体育館でリングに上がり、アントニオ猪木にビンタをお願いし、猪木もそれに応じたようです。私は姫井議員に対する週刊誌の報道姿勢(プライベートがダメだから政治家としてもダメと匂わす)には反対で、プライベートがどうであれ、公務のほうをしっかりやってくれればいいと思います。
 ただ、今回のはひどい悪のりでしょう。週刊誌の「○○姫」という報道に立ち向かったつもりかもしれませんが、暫定税率と年金で与野党がガチンコで戦っている、このタイミングに、何をしているのだろう。前回選挙で民主党に投票した身にもなってほしい。お笑いが好きな私も、受けるどころか、大いに脱力し、引きます。
 民主党、大丈夫ですかー。元気があれば、何でもできますが、何でもやってよいというわけではありません。

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大政党のweb軽視

 久しぶりに日本の各政党のホームページにアクセスしてみた。現実に政権をとっている、あるいはとる可能性のある2大政党のホームページのトップページがぬるい、緩い。政権は絶対とれない小政党のほうがホームページはよくできている。
 共産党は、今、まさに問題になっている後期高齢者医療制度批判を冒頭に大きく掲げ(フラッシュでニュース一覧と機関誌「赤旗」の広告に切り替わるが)ているし、社民党もYou Tubeのように、自分たちの活動を動画で見ることができるようにトップページに分かりやすく並べている。
 ところが、自民党のトップページはフラッシュで「中小企業の声を聞きます」と「それでも暫定税率廃止を望みますか」だ。これらも重要でないとは言わないが、国民の生活に直結した喫緊の問題にストレートに答えていない。民主党に至っては、前回の総選挙で勝ったときの小沢代表の写真と「生活第一」のスローガンのままだ。どちらも総花的で重点が分かりにくい。
 ただ情報量が多ければいいのではない。メリハリをつけなければ。2大政党にはあえて「webを軽視していますよ」と言いたい。
 といっても、こんなブログだけで言っても自己満足でしかないから、両党にメール送ってみようかな。どうせ、読まないと思うけど。送っても、アリバイみたいなものか。でも、新聞の論説はお呼びでないとしても、投書欄に応募するにも、ネタが弱すぎるし。ここでゴチておきます。

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私的物価指標

 先週、近くのスーパーで日清カップ焼きそばUFOが1コ158円になったと書きましたが、昨晩行ってみたら138円でした。前回はスーパーの自社ブランド78円を2コ買いましたが、今日はこれを1コ買いました。この値下げは、必ずしもガソリン税の影響ではないでしょう。

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「新聞はどれも同じでは...」

『週刊東洋経済』で日経を中心とした新聞メディアの最近の動向を特集しているのを読む。日経のビジネス・モデルがよく分かった。
 新入生にアカデミック・スキルをつけるゼミナールで新聞の読み方についても説明しなければいけないが、どの新聞がよいかと聞かれたら、本当は日経を勧めたいが、先入観を与えないためには、各紙の強みを紹介して選ばせるしかないか?
 というのは、自宅通学の場合、外で働いている親は日経を家でとっていれば通勤に持って行くだろう。その家の学生が朝読めるチャンスはまずない。はたして、親は持って帰ってくるだろうか?もっとも、帰りにも読み返すかもしれず、また、会社のゴミ箱に新聞を入れるというのも、ちょっと考えにくい。子供の勉強のために読み終わった日経を回してくれるだろうか?
 急ぐこともないかもしれない。私も大学2年までは朝日をとっていた。ただ、当時と違い、3年生が就職活動のピークになっている分、われわれの時代よりも早い導入があってしかるべきだが。

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スーツと政治

 少し身だしなみも整えないと、と考えて、片瀬平太『スーツの適齢期』(集英社新書)を電車のなかで読む。40代、50代の大人の着こなしについて書いた本だが、9.11直後の我が国の政界トップと、(東スポに「埼玉県出身」と面白半分で書かれた)有名な米国人タレントの着こなしを比較して、後者の緊張感あふれる服装に軍配を上げているのが面白い。それぞれどういう着こなしであったかは、本を読んで頂くこととして、テレビ時代のメッセージに服装も重要だと改めて認識できた。
 それにしても、今になって「ナポリ仕立て」の手作り感が世界中のスーツに影響を与えているという記述には驚いた。ナポリの文化的ピークは20世紀初頭じゃないかと一般的な理解では、いけないようだ。

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奇跡の一冊!

 私も参加していた「原典・ヨーロッパ統合史研究会」の成果である『ヨーロッパ統合史』(遠藤乾編、名古屋大学出版会)が刊行されました。定価は3,200円+税で、今月中に書店に並びます。このテーマでこれだけの内容の本が出るのは、関係者として言うのは何ですが、まさに空前絶後でしょう。
 専門家にぜひ使って頂きたいのはもちろんなのですが、例えば大学で専門でないのに国際政治、ヨーロッパの歴史や政治も教えなければいけないという方もぜひ、これを頼って講義をしてください。
 なお、私はこの通史には執筆していません。年内に姉妹編の史料集が出て、そこに少し執筆しています。お楽しみに。(当分の間、この記事を常にトップにおきます。実質的な最新記事はこの下です。)
Thebook

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左右直接対決なき選挙戦

 自分の生活に大変化が起きたために、久しぶりに、投票が間近(13,14日)に迫ったイタリア総選挙の動向をチェックしています。
 しかし、どうも今回の選挙戦は前回と違い、まだ左右両雄の対決討論もなく、HP「やそだ総研」に何か書こうにも小ネタの類が多く、困っています。昨日発表されたある調査によれば、65%の人が左右両雄の直接対決を見たいと言っているのですが、まだ実現する感じはなく、展開は前々回の2001年の総選挙に似てきました。先に行われたスペインの総選挙では直接対決があっただけに、地球の裏側からの観察者にとっても残念な現状です。
 2001年(中道・右派勝利)の場合は、中道・左派がユーロ加入後の課題喪失感と連立内紛のせいで1年前から負けそうだといわれており、当時ローマ市長だったハンサムなルテッリをリーダーとしたものの、ベルルスコーニは直接対決を避け、両者はそれぞれ個別にRAIや民放のトークショーに出演し、インタビューを受けたり、市民との対話をするだけでした。これは、ベルルスコーニが自分よりハンサムなルテッリと直接対決を避けたとか、右派優勢のなかで失点を恐れたとか、いろいろ喧伝されました。
 2006年(中道・左派勝利)は、中道・左派のプローディは、出身地(おいしい食べ物が多いエミーリア=ロマーニャ州)とぽっちゃりした体型からつけられた愛称がモルタデッラ(脂身の多いハム)で、テレビ写りではベルルスコーニより有利とはいえない(筆者は落ち着いたいい顔だと思いますが)ということもあり、両者は2回の対決に臨んだわけですが、プローディは少なくとも1回目の討論ではベルルスコーニに勝っていて、1996年に行われた直接対決と同様、なかなか「教授」の底力が現れていたのでした。
 今回の中道・左派の代表ヴェルトゥローニ(民主党書記長)は、プローディよりもインテリ(映画評論家でもある)くさく、ある風刺漫画家には青虫に描かれ、ハンサムかどうかは微妙(決して不細工ではないが)なのですが、言葉はプローディよりも勢いがありますし、世論調査では中道・右派がやや有利ですので、ベルルスコーニ側にはあえて危険を冒す理由はないかもしれません。
 それにしても1994年から右派のリーダーはずっとベルルスコーニで、4回の総選挙で2勝2敗ながら、この間の3回の欧州議会選挙(いまや事実上の中間選挙に近い)で優勢勝ちしたのを含めて、基本的にプローディ以外の中道・左派には誰にも負けていない強さには、好き嫌いは別にして、そのイメージ操作の巧みさに驚かざるを得ません。
 最後の最後のどん詰まりでテレビ討論に応じて、売れそうな公約で言い逃げを図るかも?今のところ、なさそうですが。

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東京という街の志

 東京で上映が断念された映画「靖国」を大阪の「第七藝術劇場」に続き、京都の「京都シネマ」と広島の「サロンシネマ」が上映するという。東京に一つも勇気ある映画館がないのは、どうしたものか。
 もっとも、現実に右翼などの妨害があれば、映画館だけを責められない。石原都知事、こういうときに「映画の内容はともかく、表現の自由は守る」とか言って警視庁に支援を要請すれば、男を上げますよ。もし、こう言ってくれれば、仮に新銀行東京で400億円を無駄にしても、あなたを支持します。

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「靖国」を見に、大阪に行こう

 話題の映画「靖国」が東京、大阪の複数の映画館で上映を断念し、大阪の「第七藝術劇場」だけで5月に上映されるという。ニュースで流れた部分だけで十分、面白い映画であることが分かる。8月15日にはいろいろなことが神社で起こっていると噂には聞いていたが、軍服で抜刀する人、靖国参拝に理解を示すアメリカ人とそれにも文句を言う国粋主義者、このような不思議な空間を10年にもわたって追ったというから、これは十分見る価値がありそうだ。
 大阪にいたとき、何度も十三にあるこの映画館に行った。日本のインディペンデント系、ヨーロッパ系ミニ・シアター向けの映画も多くかかる、通好みの映画館だった。5月には、大阪、いや十三へ行こう。
(注)学会出張で旅の多い研究者のみなさんには説明不要ですが、大阪に馴染みのない方に。「十三」は「じゅうそう」と読みます。私鉄優位の関西の交通の枢要、阪急の大阪梅田から出る、神戸、宝塚、京都行きの三路線がここまでは並行して進み、ここから各方向に分かれていきます。そのためか、古い商店街と風俗街があります。

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日本版ピッグ・ブックは可能か?

 衛星ニュースのCNNで、アメリカの議員による「お手盛り予算」つまり連邦予算を自分の周囲のために濫用した例を市民団体「政府の無駄遣いに反対する市民」CAGW(Citizens Against Government Waste)が2008年版のピッグ・ブック(Pig Book)で公表した。こういう予算案件をアメリカでは「ポーク」プロジェクトというらしい。
 アメリカの市民団体がやはりすごいと思うのは、単にデータを揃えるだけでなく、それをメディアで面白く伝えてもらえるように、議員自らの名前を冠したセンターへの予算支出には「ナルシスト賞」、パリ(南仏ではない!)でのオリーヴの航空調査には「フレンチ・キス・オフ賞」(French Kiss Off Award)、宇宙線観測計画には「未確認財務物体賞」(Unidentified Fiscal Object Award:未確認飛行物体=UFOにかけたギャグ)、シカゴのグリーン・ストリート植樹計画に「木にお金はならないで賞」(Money Doesn't Grow on Trees Award)など面白い賞で個々の議員を「顕彰」していること。
 日本でも個々の無駄な案件の報道はあるが、このような総合的なデータで、議員一人一人を名指しをしている例はなく、道路財源の論議の激しい今、こうしたデータの必要性が感じられる。
 これは、個人の研究者のレベルではやれない。メディアや市民団体を総動員した組織が必要だ。できれば、田中角栄氏の提案による暫定税率成立直後からの無駄を全部歴史的に積み上げ調査した、Historical Pig Bookとでもいうべきものも必要だ。

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南アフリカの三つの首都

 こんなことを書くと、大学の教師はそんな無知でいいのか、と思われるかもしれないのですが、南アフリカ共和国の三つの「首都」の事情を知らなかった。さすがにプレトリアは頭にあったが、これは政府の所在地であって、国会はケープタウン、最高裁判所はブルームフォンテンにあるという。
 テレビ朝日の長寿番組「世界の車窓から」で、このブルームフォンテンが数日前に放映され、これがオレンジ自由国の旧都であることを教えてくれた。今はその名もフリーステート州に属しているという。南アフリカは単にアフリカというだけでなく、ヨーロッパの裏面史でもあり、専門外とはいえ、ちょっと勉強しておかないと、やばい。

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ネグリ来日中止を残念に思うなら

 アントニオ・ネグリ氏の来日中止を残念に思うなら、入国を認めなかった法務省や、それを監視する国会の法務委員会の委員に手紙やメールを書こう。他の人が書いている、などと思わないで、自らペンをとり、キーを打とう。他の人と同じような内容でも、量の多さも国民の意思表示です。アメリカのいろいろな市民運動は、必ず「皆さんの議員に手紙を書いてください」と呼びかけ、それに応じて市民が手紙を書けば、多くのアメリカの議員は形式的であれ、印刷やコピーであれ、あなたのご意見を読みました、と返事します。
 たとえ、効果がなくとも、残念に思いながら、何もしないのは、市民でも知識人でもない。私はメールを送り始めました。

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ネグリ来日中止について

 大学から離れていて、人から聞くこともなかったので、知るのが遅れたのですが、アントニオ・ネグリが入国を認められず、来日を断念したようだ。(こちらを参照)29日に予定されていた東大安田講堂でのシンポジウムは、ネグリ氏不在のまま、討論者のカン尚中氏らによって開催されるという。
 止めたのは、法務省の入国管理局のようですが、よく分からないのが政治犯罪であったことの証明があれば入国は認められたということで、それ自身はアサイラムの原則に合っていていいのですが、問題はそもそもこういう証明書などあるのだろうか、という点です。
 確かにネグリの場合、イタリアでは今は自由の身とはいえ、かつての拘禁理由が治安上の嫌疑(明確な嫌疑というよりも、そういう名目で急進的左派知識人の彼を拘束したという側面が強い)なので、証明は不可能に近いでしょう。
 ただ、こういう場合には、それこそ法務大臣とか政治家が、この知識人の価値さえ分かっていれば、いい意味で政治的判断で例外扱いも不可能ではないはずだ。過去5年間に22ヶ国を訪問できたと本人が言っていることも悲しい。多くはEU諸国で自由移動できることは大きいだろうが、少なくとも他の国々が彼を危険分子扱いしていないことは分かる。
 これを官僚主義と言わずして、何と言おう。

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ベルリンの新空港名

 旧聞だが、ネット上でクリップした記事で見つけたのが表題に関するもの。旧東ベルリン地区の空港を拡張して新しい国際空港にする工事が進んでいて、その空港にニューヨークのジョン・F・ケネディ、パリのシャルル・ドゥ=ゴールのように記念名をつけたいが、誰の名前にするかで議論されているというもの。去年の10月の記事なので、その後決まったかどうか確認していないが、ドイツの首都、やはり過去の問題が投影される。
 社民党側の挙げるのは、もちろんヴィリー・ブラント。かつて西ベルリン市長を務め、首相になっては東方政策を推進、ワルシャワのユダヤ人ゲットー犠牲者記念碑前で跪いた世界史的な写真で有名、過去の反省も入り、国際的に開かれた空港にはバッチリだ。
 しかし、キリスト教民主・社会同盟にしてみれば、首都での出入りのたびに対立政党の政治家に出会うのはたまらんということだろう。また、大戦中にブラントがノルウェーに亡命していたことも、それが反ナチの政治亡命であると分かっていても、国内に残って苦しんだ人々には複雑な気持ちにさせることもある。
 もちろん、他の名前も挙がっている。アルベルト(アルバート)・アインシュタイン、マレーネ・ディートリッヒ。しかし、国際的に有名なこの二人はずっとベルリンにいたわけでなく、逆にドイツの顔としての像が希薄だ。ユダヤ系であったアインシュタインは途中でスイス国籍を得て、最後はアメリカに亡命してしまうし、ディートリッヒはハリウッドに進出し、アメリカの市民権を得ている。昨年日本でも上映された映画「エディット・ピアフ 愛の讃歌」で訪米中のシャンソンの女王ピアフがその歌にパリを懐かしむディートリッヒに声をかけられるシーンは感動的であった。
 上記の三人がいずれも亡命ないし、外国に移住した(この中で唯一ベルリン生まれのディートリッヒはパリで死去したが、ベルリンに墓がある)経験を持つということもドイツ現代史の複雑さをよく表しているが、これらより、ずっと知られていないが、失敗したヒトラー暗殺計画の首謀者クラウス・シェンク・フォン・シュタウフェンベルク伯という名前も挙がっている。参照した記事は、果たして「当機は間もなくクラウス・シェンク・フォン・シュタウフェンベルク伯ベルリン国際空港に着陸いたします」と世界中のキャビン・アテンダントに放送させられるか、という落ちで終わっている。
 このニュースは注目していよう。個人的には、ブラントに3000点。

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初?の政治学者出身知事

 熊本県知事に蒲島郁夫・東京大学教授が当選。蒲島氏はワイドショーなどに出るマスコミ教授などではなく、その研究で高く評価されている方なので、その出馬表明には学界も少し驚いていたのではなかろうか。
 これまでも学者出身の知事はいたが、おそらく政治学者という例は初めてではなかろうか。過去の知事(以下、歴史的人物なので敬称略)では、東京都の美濃部亮吉、京都府の蜷川虎三は経済学、大阪府の黒田了一は憲法、福岡県の奥田八二は社会思想史専攻でかなり分野としては近いが、政治学者とはいえないだろう。
 政治学者出身の現職(舛添要一厚生労働大臣)、前職(猪口邦子前少子化担当相)の閣僚がいるので、驚くべきことではないかと思われるが、この方々は実は細かい専門で言うと、国際政治や比較政治であり、日本政治そのものでは必ずしもないのである。
 蒲島新知事は、日本政治そのものを研究していただけに、理論と実践の関係がどうなるか、注目されるのである。対立候補のなかには、地元の村長もいて、この村長の後継選挙では、ダム中立派の候補がダム停止派、ダム継続派の候補を破っている。

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ハーグ会議60周年

 欧州議会の議員有志100人が台湾の国連加盟を支持する声明文に署名したとの記事を日本における台湾の事実上の大使館である台北駐日経済文化代表処のHPで見つけ、そのニュースソースが、ブリュッセルでEU議会関係の報道をしている「パーラメント・マガジン」であると知る。
 そこで発見したのが、今年は1948年に欧州主義者が超国家的に集まったハーグ会議の60周年であり、会議の中心であったEuropean Movement(現代表はコックス元欧州議会議長)がそれを記念する会議を5月23、24の両日、再びハーグで計画していることである。EEC(ローマ条約発効)や欧州議会の50周年ですっかり忘れていました。

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世界の歴史、文庫版

 有名人でもないので、普段は聞かれることはないが、学生や学内メディアなど身近な人たちから聞かれかねない質問で恐れているのは、「愛読書は何ですか?」という質問だ。
「学生に勧めたい本」なら挙げることはできる。「一度は読んでおくべき」という本でもいいからだ。ところが、生涯通じて何度でも読む「座右の書」や、「無人島に持って行きたい一冊」というのは、全然浮かばない。年に一回も開かない本を挙げたり、これ見よがしに凝った選択をするのも好きではない。おそらく「聖書」や「資本論」を挙げる人のように確固たる信念を持っていないからだろうが、自分の読書は底が浅いのだろうか。
 特に愛着は持っていないが、実際にしょっちょう開く本ならある。世界史や各国史の通史シリーズである。職業柄ということもあるし、細かい固有名詞や年号などは覚えていないこと、など幾らでも開く理由はある。特に文庫版の世界史の類は、何回開いたか知らない。何をする気にもなれない無気力なときですら、開くと安心して読み進められる。文庫版だと寝ながらでも読める。何遍読んでも飽きない。
 中学・高校のときから大学までずっとお世話になってきたのは、1970年代に中公文庫に入った全16巻の「世界の歴史」であった。われわれの世代の世界史教科書の執筆者であった村川堅太郎大先生(われわれの先生の先生の世代である)などが書かれていたわけだが、その後は山川の世界各国史(これは文庫本にはならない類)は買って読んでいたが、90年代の中公の新しい「世界の歴史」はハードカバーで出たときには買わなかった。大学院以降は自分の研究とこうした本は無関係だったこともある。
 今年、ようやくこの新しい「世界の歴史」が文庫として刊行が始まった。さすがに旧版は内容が古くなっていたし、大学で1年生の講義を担当すると、やはり高校世界史との連続を意識しないといけないため、専門外の時代・地域についても基本的な知識の確認が必要になる。現在では堅い専門書が売れないために、こういう概説書にかえって新しい解釈がさりげなく叙述されるケースもあり、その辺もチェックしておかないと、ひどく古い解釈で基本事項を語ってしまうかもしれない。
 学生にものの考え方を鍛える良書を勧めることも大事だが、基礎知識の宝庫として、こういう文庫版全集は学生も自室に置く基本レファレンスとして買っておくべきではないかなあ。言っても聞かないと思うけれども。

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北京五輪ボイコット論

 チベットのデモを中国政府が軍事的に鎮圧したことで、日本以外の先進各国で中国政府への抗議が続いている。欧米メディアには北京五輪のボイコット論も出だした。もちろん、ボイコットがよいと簡単に言えないが、この議論は実現不可能と甘く見ないほうがいい。欧米各国にとってはそれほど人権は重要なイシューなのである。
 こうした人権やマイノリティーへの日本国内の関心の低さには、逆に驚いている。世論調査すれば、ボイコットへの反対が多数を占めるのではないか。もちろん、その日のために長年練習してきた選手のことを思えば、簡単にボイコットはできない、ということは正しい。現にモスクワ五輪に日米は不参加だったが、欧州諸国は参加した。しかし、新冷戦の対抗関係で起こったモスクワ五輪よりも、長年われわれがそれと知りつつ、手を出せなかった問題ということで、今回のほうが効果も大義も大きい。国家が選手の運命を左右してよいか、政治とスポーツは別だ、という論も根強い。しかし、残念ながら今の五輪は完全に国家と多国籍企業による支援事業だ。より慎重な議論は、対中関係のため、我慢しようというもので、これは国内で相当強い意見だろう。
 しかし、中国のような大国にはいかなる制裁も効果はないし、実際に打てない。経済制裁などすれば、日本のように中国依存の国は返り血を浴びる。その中国の国威発揚に五輪が利用されてることは間違いなく、ここを叩くべきだという議論は、ある意味で、あの大国に何かをさせるには他に手段がないという絶望感にも立っているのである。チベットに限らず、あの国の唯我独尊はどこかで抑制しなければならないだろう。
 スポーツ選手からメダルをとるチャンスを奪うのはあまりに過酷だ。しかし、それだからといって、チベット人が捕らえられ、傷つくのを無視してもいいのか、というのが国際世論なのである。それは、いささか大げさに言えば、かつてユダヤ民族の虐殺を阻止できず、今も多くの少数民族が苦しんでいるのに何もできない、という倫理的な反省なのである。ジャーナリストすら入れないなか、本当に「見殺し」になっている。われわれは五輪をテレビで楽しむためにチベットを無視していいのか、ということは真剣に問われていい。こういう場合、「平和的な解決を」というのは、事実上の無視である。イラクのような軍事的解決が無意味だと分かった今、現地の人を傷つけず、非暴力で抵抗できる手段はボイコットしかない。
 五輪自体も、選手たちのすばらしい努力の影で、理事に高級ホテルを要求するような巨大ビジネス(使途を明らかにできないためか、長野五輪では帳簿が「紛失」した)になっている弊害が指摘されて久しい。しかし、それさえ諦めれば、中国開催を中止し、世界中に会場を分散しても、中国が逆にボイコットしても、真の世界的な五輪を行えばよいではないか。その参加、不参加で人権に対するその国の態度が炙り出される。
 とここまで空想を膨らませてみたが、現実はもっと悲観的にならざるを得ない。むしろボイコットをしても、なお中国はチベットの弾圧をやめないだろうということも十分考えられる。しかし、ものごとは効果がないからと諦めていいものと、効果がなくても意志を表すために「負け」てもいい覚悟でやるべきことがある。
 いくら対中関係が重要でも、人権イシューにコミットできない先進国は、この先も尊敬されることはないだろう。少なくとも、言葉のうえで今回の件で明確に否定的な評価をしなければ、五輪で幾つメダルをとっても、我が国の国家としての評価は上がるまい。
 現在、チベットにいちばん多い観光客は日本人だそうである。今回も、日本人を保護する中国軍・警察という画像が中国側の宣伝に用いられた。一国民に出来ることは、単に危険を避ける意味でなく、あえてチベットには観光に行かないことだろうか。

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ライブツィヒも「68年」

 以前ここにも書いたように、今年は「68年」の40周年。今朝の衛星ニュース(昨秋にケーブルテレビ導入したので最近こればっかり)のZDFでライプツィヒの歴史ある本の見本市「68年」を今年の重点テーマの一つにしているのが流れたが、寝ぼけながら見たので、空テープが見つからず録画しそこなう。とりあえず、著者名や本の題名を寝床の横にある段ボール箱の側面に書き取る。ドイツ語はあまり読めないので、たぶん、買わないが、トレンドは知りたい。
 それにしてもNHKの「きょうの世界」、今夜イタリア総選挙の特集のはずが、イラン総選挙に差し替えになったのはびっくりしましたが、ちょうどメールに気をとられてテレビを忘れていたので、ある意味ラッキーでした。残念ながら、私は今、現地に行けないので、番組を楽しみにしています。

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地中海も独仏枢軸?

『ル・モンド』のニュースメールによると、仏独両国が今夕の欧州理事会で、以前からサルコジ仏大統領が主張してきた「地中海のための連合」計画を発表するという。共同閣議までやっている両国が共同提案をすることは不思議ではないが、歴史的・地理的にこの問題でドイツに優位に立てるはずのイタリアは、仮にフランスが声をかけたとしても、ただいま議会解散中で総選挙に没頭、すでに辞職した政権が選挙後の新政権成立まで暫定的に統治しているため、もとよりリーダーシップはとれない。おそらく唯一存在感を出せるであろうこの問題で主役になれないとは悲しい。
 ここまで未明に書いて、今朝NHKのニュースを見たら、どうも様子が違う。むしろメルケルがサルコジにEU一体で参加する計画にせよと迫り、サルコジが妥協したようだ。それにしてもメルケルがここまで強いのは、内外で絶妙のバランス感覚を見せる本人の力と、やはりEUの重心が東に映ったせいだろうか?

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欧州議会50周年

 NHK衛星で流れるドイツのニュースを見て、欧州議会50周年の記念式典が行われたと知る。ローマ条約の発効から今年で50年なので当然なのだが、「あれ、そうだっけ?」と思ったのは、ローマ条約で定めたAssemblyの前にECSCにもAssembly (Common Assembly) があり、かつEECのAssembly (European Parliamentary Assembly) も、自らを「欧州議会」(European Parliament)と呼び始めるのは、もっと後(1962年3月、イタリアのマルティーノを議長に選出した直後に決定)だったからである。
 欧州統合史年表で確認すると、ECSC議会の最終セッションが1958年2月24日から28日。EEC議会の最初のセッションが3月19日から20日となっている。6ヶ国の142人の議員(当時は直接選挙はなく、各国国会議員のなかから)が集まり、ロベール・シューマンを議長に選出している。
 ところで、記念式典のほうですが、欧州議会の議場の真ん中にアンサンブルを置いて、EUの歌である第九の歓喜の歌を演奏したのですが、ベートーベンのきれいな音楽で眠気を誘われた議員が続出、イタリアの『レプッブリカ』紙電子版でも、名前入りで写真が出ています。

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ヴェルトゥローニ・ガール

 イタリア総選挙の各選挙区・各党の名簿を見て気づいたこと。比例代表制のため、有力候補はみな当選が見えていて新味が少ないなかで、目を引いたのが、ラツィオ1区(ローマなど)にマリアンナ・マディーア、カンパーニャ2区にピーナ・ピチェルノという二人の無名の20代女性が民主党のリスト筆頭にいたこと。しかも、どちらの選挙区でも2位がヴェルトゥローニになっている。右派の「自由の人民」がほぼすべての選挙区で1位ベルルスコーニ、2位フィーニと上位二人を統一している(重複立候補が可能)のに対し、ヴェルトゥローニはわずか数ヶ所の選挙区で2位になっているに過ぎない。ちなみに、民主党はこの二つの選挙区で、それぞれ二桁の議席をとるのは確実で、上の二人自身はもう当選確実である。
 イタリアの報道も二人は誰か調べている。それによれば、マディーアは俳優の父(故人)ステーファノが、映画評論家としても知られるヴェルトゥローニが市長を務めたローマの市議会議員であったらしく、自らも首相府官房で働いていたらしい。ピチェルノは父親が地元の市長、自らはマーガレット(中道派)の青年部の役員であったようだ。確かに政治活動は経験しているが、リスト筆頭というのはやはり意外である。どうも、こうなったのは、南部で根強い人気があるデ=ミータ元首相(旧キリスト教民主党左派)を直前に高齢のためイタリア版「排除の論理」で外したために空いていたという事情もあるようだ。
 これだけ若い女性を候補に挙げたことが、少し心配になる(日本から心配するのはお節介でしかないが)のは、1999年(この年は私はイタリアにいた)のボローニャ市長選の記憶のためである。左翼の牙城のこの街で、当時、左翼民主主義者全国書記長、すなわち統一地方選挙の総責任者であったヴェルトゥローニは、市のスポーツ・青年担当理事の若い女性候補を立てて、中道・右派の候補に敗れた。対立候補は肉屋からたたき上げた、いかにも熟練の業界団体長、もともと商人の街でもあるボローニャでは、その点も強みになったのである。この後、ヴェルトゥローニはローマ市長となり、次のファッスィーノ書記長のもとで左派労組の全国委員長を立ててボローニャの市政権を奪還したが、1999年の選挙戦はどこか浮ついたイメージ戦略が多かったように思う。
 上述の女性候補の場合、選挙事務所をブティックのような作りにしていたのが新しいと報道されたが、さてイタリア人はこういうものを喜ぶのか、やはり選挙はもっと泥臭いものではないか、と思ってみていた。それに比べると、同じ旧左翼民主主義者の政治家でも、南部の伝統的左派支持層に人気の高いダレーマ元首相(現外相)などは、地道でとても安定感がある。
 もっとも、1996年総選挙では、「オリーヴの木」結成に力のあったメランドリ(現スポーツ・青年担当相)のような若い女性の台頭もあった。どちらに近い結果が出るか分からないが、わたしはやはりヴェルトゥローニのインテリ臭さに不安を覚える。オバマ・ブームに乗って、Yes, we can.をSi puo' fare.と言い換えても、新しい風は吹かないのではないか。

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イタリア選挙名簿締め切り

 昨日、イタリア総選挙の各選挙区・各党の候補者名簿(比例代表制)が締め切られました。ようやく、今回の選挙の各党の共闘関係が明らかになりました。選挙連合の形成状況と、各選挙区の有力・注目候補を表にまとめたのを「やそだ総研」で公開しています。まだ、完璧な情報ではないのですがこれで大勢は分かります。こんなものを作っても、私の研究業績にはまったくつながらないのですが、こういうものを一度作っておかないと、その後のニュースがさっぱり訳が分からなくなるくらい政党が多いのです。

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TVA

 世界史の「ニューディール政策」の項で高校生にも知られているTVA(テネシー川流域開発公社)は、まだあるのですね。しかも、今年はTVA法制定(1933年)から75周年にあたるようです。NHKの「きょうの世界」で映った、ブッシュ大統領が原発政策転換のスピーチをした場所がTVAでした。

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1年前の今頃

 介護や老後の問題が自分の問題になってきた。NHK「クローズアップ現代」にゲスト樋口恵子氏のほか、ベストセラー『おひとりさまの老後』の上野千鶴子教授の講演会の模様が流れる。
 この二人で検索をかけたら、wikipediaのリンク先に前回の都知事選での浅野元宮城県知事を応援する集会で、若桑みどり氏、上野氏がスピーチをしている画像にたどり着く。私が大学生だった頃、このお二人の本の大学での人気といったらなかった。中山千夏氏も話しておられ、有名な集会だったのかもしれないが、当時わたしは全然チェックしていなかった。
 人間は歴史的過去より近過去を忘れやすい。この都知事選は去年の今頃行われていたのだった。石原都政への評価が分かれる今、あるいは改めて興味を惹くものかと思い、上にリンクしておきます。
 当時、私は東京都民でなかったので投票はできなかったのですが、たとえ今聞かれてもどちらに入れるとは決めにくい。

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影響力世界第9位のブログ

このブログでも名前を紹介してきた、ベッペ・グリッロのブログが英紙『オブザーバー』の「世界で最も影響力のあるブログ」ランキングで9番目に。ある意味、確かに今のイタリア政治の現状をよく表しているかも。

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コソボのURL

 国家主権とは、などと偉そうなことを学生に講じる身であるのに、知らないことは多くて、例えば、ふと気づいたのは、新しい独立国にどのようにURLのドメイン名(カントリー・コード)が与えられるかを知らない。ミクロに小さくても昔からある国にはURLがある。アンドーラは.ad、サン・マリーノは.sm、ヴァティカン市国は.vaだ。URLを管理するのは民間団体のはずだが、いったいどの段階から、独立のURLで新しい国は表記できるのだろう?コソボはまだ未承認の国も多いので無理だとしても、コソボより早く独立したモンテネグロも(まあ、私には調べることもないけど)まだ見ていないが、もうURLはあるのだろうか。

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イタリア各党の選挙シンボル

 イタリア内務省に総選挙のための各党(正確には単数あるいは複数の政党で作る「選挙候補者リスト」ですが)のシンボルが登録されました。177(ただし、現在有効なのは147、要改善が21、不許可が9)もあります。イタリアは長く比例代表制をとってきましたので、必ず決まった大きさの円の中に政党のシンボルマークを納めなければなりません。これが実際に投票用紙にリスト名とともに印刷されるわけです。
 すでに国会議員のいるまともな政党以外に、特定地方限定(上院は州ごとに議席配分)でもたくさんのリストがあるほか、実は既存政党でも地方により共闘形式が違うものが、それぞれ別のシンボルマークを作る(円のなかにさらに幾つかの円があり、そのなかにもともとの個々の政党のマークがあったりもします)ために、必然的に多くなります。
 もちろん、イタリア政治研究者には、必須アイテムですが、これだけ色々カラフルなマークがあると、これは一種のキッチュなアートだと思えてきます。イタリアらしい意匠でもあり、お金があったら、全シンボルマークを1枚のTシャツにしたいと思っています。
 関心を持たれた方のために、シンボルマークのPDFをリンクしておきます。ただし、3.8MBですので、光や速いLANをお持ちでない方にはダウンロードはお勧めしません。
 シンボル・マークの登録番号1番と2番(あと、5番と25番と122番も)が偶然とはいえ、自らのブログですべての政党に反発する運動を起こしている「反=政治」的ポピュリスト芸能人のベッペ・グリッロ関連のリストだというのもなんとも戯画的です。

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昭和40年生まれの大統領

 以前、イタリア大統領は大正14年(1925年)生まれと書きましたが、ロシア大統領に当選したメドベージェフ氏はなんと、1965年生まれです。42歳であの大国を率いるとは。もっともこれを「若い」と考えるのは日本的感覚で、世界のエリートの間では、案外普通なのかもしれません。
 私と同年の生まれです。他国の国家元首と比較するのもおこがましいが、あまりにもスケールが違って眼がクラクラする。

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イタリア選挙連合形成状況

 わたし自身、本当に今回のイタリア総選挙の陣営割りがどうなるか分からなくなってきているので、とりあえず、表題のように「2008年イタリア総選挙 選挙連合形成状況早見表」というのを、作ってみました。やそだ総研のトップページ冒頭にリンクがあります。
 プロの方(イタリア政治研究者)は間違い見つけられたら、ご教示乞う。

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ネグリ来日

 多くのイタリア関連ブログで書かれていることでしょうが、邦訳書に予告があったように、アントニオ・ネグリが来日するようです。なんと、東大安田講堂で講演と徹底討論。討論者がカン尚中氏(名字がワープロで引き出せず、すみません)と上野千鶴子氏という東大本郷の最強タッグ。これは聞かずにおけません。
 グローバル化に伴う帝国論の日本での受容(需要?)はすさまじいのですが(『現代思想』でも少なくても3回は特集しているはず)、彼の本国イタリアではそれほど大騒ぎされる存在ではないので、これはなんなのだろう、と思っています。斜陽の日本マルクス主義業界に久しぶりに大スター登場ということなのでしょうか。

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「反・政治」芸能人の政治参加

 イタリアで既存の政党、政治家のほとんどを揶揄するブログを書いている反・政治的芸能人のベッペ・グリッロが、自らの名前を掲げた選挙名簿で地方選に参加する模様。どうも必ずしも本人が立候補するものではなさそうだが、いよいよ実際の政治に関わるのだろうか。
 戦後初期に既成の全政党に反対する虚無的な反動政党「凡人」党(同名の新聞でその思想を流布)というのが、イタリアで数年続いたことがあり、その再現ではないかと警戒する人々に対し、本人は否定するものの、こうした政治の意図的な卑小化も、政界全体のモラルを少なからず減退させている。
 日本にはこうした人はいない。ただ、ワイドショーで自分の主観でVの後に捨て台詞をつける司会者などは若干それに似ている。そういう人には政治参加してほしくない。

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知識人の政治参加

「週刊朝日」最新号に東大法学部の蒲島郁夫教授が熊本県知事選に出馬の記事。びっくり。
 私は先生が教鞭を執られた筑波にも東大(駒場)にも在籍していたのですが、先生所属の学部にはいなかったこともあり、残念ながらお会いしたことはありません。もちろん、私も先生の書かれた教科書で勉強しましたし、先生は朝日新聞と組んで、ゼミ生を活用し、日本政治に関する多くの調査・研究成果を出されてきたなど、われわれ政治学徒の誰もが尊敬している先生です。
 ヨーロッパでは結構多いのですが、まだまだ日本では本当の知識人が政治参加する例はまれです。以前、私が来日行事を裏方で手伝ったヴェネツィア市長で哲学者のカッチャーリは、講演で「政治は実践だ。実際に政治に関わらずして政治を論じても、セックスせずに愛を語るに等しい。」と語り、聞いている私たちは耳が痛いというよりも、もっと内臓的に、痛いところを突かれた思いがしました。
 イタリアでは大学教授が出馬しても失職しない(公職にある間も講座を保持し続ける)という条件の違いもあるのですが、困難であれば困難であるだけ、今回のご決断には、政治学者は皆、襟を正される思いがするでしょう。

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ローマ市長の返り咲き?

 ローマ市長選(市長候補を筆頭に掲げる政党リストで戦う市議選と連動する=したがって落選市長候補も市議になる可能性が高い=が、候補者名で投票できる。市長選は過半数取れなければ上位二人で決戦投票)の中道・左派候補にルテッリ副首相。その後援委員会も結成された。もともとローマ市長(1993〜2001)での成功を糧に2001年総選挙で統一首相候補となった(ベルルスコーニに敗北した)人物である。当選すれば、返り咲きということになる。
 現市長のヴェルトゥローニが次の左派の統一首相候補となるためだが、このヴェルトゥローニは第1次プローディ内閣の副首相で、左翼民主党(PDS)のダレーマが首相となるのに従って、再編された左翼民主主義者(DS)の書記長になった後、その職をファッスィーノに譲り、ルテッリの後任のローマ市長になったのである。民主党に合同した穏健左派と中道の主要ポスト棲み分けにも見える。
 まるで副首相、首相候補と首都市長の職を二人で交代するような形になり、日本から見ると不思議だが、おそらくは日本と似た事情とそうでない事情が相まっている。
 一つは、人材不足。1993年時点では新興の改革勢力だった二人ももうベテランである。左派の固定客である国民の3分の1くらいには彼ら現代的な穏健改革派の評判はいい。しかし、彼らにとって代わる玉が左派になく、新味がない。実は、この1993年から市長の公選が始まったわけで、こうしたことが起こるのは、逆に市長職がそれだけ国内政治全体で重要なものになったことも意味する。アメリカ好きでニューヨークの市長名を何人か言えない人(私でもブルームバーク、ジュリアー二の他に、ラ=ガーディアやコッチとか出てくる)はいるまい。しかし、イタリア好きでもかつてこの町に住んだ人を除けば、1993年より前の市長名を思い出せる人はほとんどいないだろう。
 私は1999年の欧州議会選・地方選でヴェルトゥローニの演説をフィレンツェで聞いたことがある。インテリらしい風貌に反して声量はあって堂々とした演説であり、知性も感じられたが、何かが足りないという印象を持った。簡単にいえば、大衆性ということだと思うが、その土俵ではベルルスコーニには誰も勝てない。中道小政党や最左派を失った新生(新星?)民主党がイタリア版「純化路線」で突き進みつつある現状は、実は危機的であるのだが、オバマ・ブームにあやかって勝利への期待感を煽ろうとしている。
 この類推は成り立たないのではないか。オバマは中央政界ではまだ数年のキャリアしかない。しかし、1993年からはもう15年も経ってしまっているのだ。日本ですら、1993年や1996年の時点での主要な政治家はもう表舞台にはいない。わたしがイタリア左派と類推するのは、ヒラリー・クリントンだ。

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イタリア外交はどこへ

 あるニーズのために、イタリア外交に関する論文を執筆中。ところが、これが当初の予定が狂い、イタリア議会が解散し、次の政権も不透明で苦戦中。もともと書きやすい分野ではないのに、どうなることか。
 しかし、過去2年を振り返ると、中道・左派政権は少なくとも外交ではよいことをした。発足直後にインド、中国に政財界の大ミッションをプローディ首相自ら先頭に立って行っただけでなく、首相、外相それぞれが訪日している。右派のベルルスコーニは演説で「アメリカも日本も中道・右派政権(共和党、自民党)ではないか」とか言ったわりにはアジアにあまり来なかったが、その点で差別化を図ったのだと思う。それが議会解散で中断した。
 ベルルスコーニ政権(第2次)では首相による一時的兼任も含めて4人の外相がいたわけで、右派勝利の場合、またフィーニ(国民同盟党首)が副首相・外相となるのだろうか。もっとも、ネオ・ファシスト政党を親欧州の保守政党に変えた彼は、外相としては目立った業績もないが、官僚層との齟齬も少なく、手堅いとの評もある。
 イラク派兵のように、緊迫した場面で仏独と異なる路線をとることは、イタリアの存在を浮かび上がらせてくれる。しかし、平時に立場を異にしても欧州外交の中核を形成する英仏独の外交パワーに入り込むのには常に苦労している。ましてトラブルメーカーが率いる右派政権となれば、どうなることか。

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18年前、ジュネーヴで

 コソボ独立で、18年前にジュネーヴで遭遇したデモを思い出した。「コソボ、レピュビュリック(共和国=自治州でなく、独立国に、ということだろう)!」とフランス語で連呼していた。当時は私も学生で、興味本位でデモをカメラで写そうとしたが、若者が寄ってきて、公安にフィルムを取られると自分たちは逮捕されるかもしれないから撮らないでくれ、と言われて、確かにそうだ、すまない、といって撮るのをやめた。国籍や市民権がない人の場合は、デモをした国から強制送還(民主主義国はめったにしないが)される可能性もあるのだ。
 あの頃からずっと独立運動をしていたのか、と思うと、冷静な分析はともかく、コソボにある種の同情を禁じ得ない。

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ソルジェニーツィンの今

 マイ・ブームは衛星放送のロシアのニュース。ロシア台頭のせいで早朝のフランスのニュースが短くなってしまったけれど、やはり不思議な「民主主義国」であることが、報道からも分かる。
 まず、驚いたことが、閣僚が大統領に報告することがまるで儀式のように格式ばって行われ、ニュースになるということ。クレムリンの豪華な調度のなかで閣僚が緊張して大統領にサシで担当事項の進捗を報告するさまは、旧共産主義体制や、あるいは王宮時代を思わせる。
 今朝の放送分によると、コソボ独立に際し、ソルジェニーツィンがセルビア人に寄せるメッセージを出したようだ。学生時代に反共の闘士としての彼の論文を読んで、すごいと思いながらも、どうもそのしつこい筆致が好きになれなかった。冷戦後にそのナショナリストとしての側面がクローズアップされたが、彼がこのような形で体制メディアに利用されるのを見るのは悲しい。もちろん、コソボ側が正義というわけでもないが、同じスラブ系のセルビア人への同情は分かるとしても、コソボの自治権を奪ったセルビアの過去の行為は彼のなかでどう整理されているのだろうか。作家に自らの出自を超える世界的な想像力を期待する私は甘いのだろうか。

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このブログが紹介されました

 EU研究の大先輩である児玉昌己先生(久留米大学法学部)がこのブログを見てくださり、先生のブログで紹介して頂きました。先生は日本EU学会の理事としてご活躍なのですが、同じラテン系?(「軽い」という意味ではありません)ということで、学会の折りなどに私にも声をかけて下さり、感謝しています。このブログの読者の方々にも、ぜひ先生のブログを訪ねて頂きたいと思います。
 先生にも見て頂いているならば、イタリア総選挙のことなどももっと書きたいのですが、総辞職した中道・左派政権や解散したイタリア議会ではないのですが、私の生活も過渡期にあり、少しずつご期待に添えればと思います。
 一つだけ、現在のイタリア政治の状況を過去のブログ記事に補足しますと、これまでの中道・右派の4大政党のうち、旧DC系のUDCがベルルスコーニとの共闘を廃しました。
 したがって、現況は、旧中道・左派が①民主党(再結成される社会党をせめて選挙連合に引き込めるかどうか不明)と②旧共産系左派諸党の「左派=虹」連合に分かれ、旧中道・右派はベルルスコーニ率いる③「自由の人民」(フォルツァ・イタリア+国民同盟)およびそれと合体しないが選挙協力する北部同盟と、上記の④UDCのように別路線にいくものに別れ、すでに国民同盟を離れた⑤「右派」(政党名)が極右と連合、⑥UDCから先に分裂した「白いバラ」と中道・左派から「逆ギレ」離脱(法相だったマステッラ党首の夫人=カンパーニャ州議会議長=の汚職捜査を契機に離反)したUDEURはUDCと中道政党どうしのグループを組むか、組まないかという状況にあり、今回の総選挙は、事実上4つか5つの選挙連合の間で戦うことになりそうだということです。「やそだ総研」の政党解説ももっと分かりやすくしたのですが、なにせ状況が流動的で、なかなか分類が落ち着かないのが、現状です。
 

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旺文社文庫とルビ

 文部科学省の新しい学習指導要領案で、習っていない漢字にルビを打つことを認める方向に方針転換するらしい。私にはまったく分からないのが、これまではルビの代わりに「ちょう戦」のような交ぜ書きをしていたことで、文化庁の文化審議会がその廃止を提言しても、ルビは使用しなかったという。こどもの自習能力をなめていたのか、それとも知識を低い方で平等化しようとしたのか。
 漢字には同音異義語が多く、日本ではそもそも漢字の母国にはない訓読みまで開発し、漢字を意味でいろいろな音に読む(人名に用いたときの自由さを考えれば分かる)のだから、すべての読みを学校で教えることは不可能で、どうしても各自の読書に頼ることになる。しかし、漢和辞典でも多様な読みが出ているから、自分では絞れない。教養ある親がいれば聞く、NHKなどで教養ある人が読むのを聞くなどすればよいが、即効性のあるのがルビである。
 子供のころの私(両親とも働きに出ていて「鍵っ子」だった)を助けてくれたものとして、もはや刊行されていない「旺文社文庫」に今も感謝している。ちょうどまともな文学作品を読むべき年齢(と私が思う)中学に入って初めての夏休み前に、もともと教育現場にセールスが浸透していた旺文社文庫の希望者申し込みの紙が学校で配られて、何冊か注文して読んだ後、自分でも書店で買い始めたと思う。たぶん、一冊目は夏目漱石の『我が輩は猫である』で、当時はそのインテリ的蘊蓄に分からないものも多いままで読んでいたと思うが、意外に楽しく読めた。それは、ルビのおかげである。そもそも明治・大正期の新聞にもルビは打ってあったのだから、当然なのだが。
 実は、ルビは出版社にとってもうれしくない。ないほうが印刷しやすいからだ。旺文社文庫は、もともと教育書の出版社が始めたものだから、ルビの配慮はすごくできていた。解説や資料も丁寧だった。それに従って、たくさんの漢字も覚えられたと思う。
 しかし、同時期に始まった角川の文庫と映画を合体化させた大セールスで、文庫というものの存在は大きく変わった。岩波に代表される教養文庫的なものより、誰でも読めるエンターテイメントが文庫市場の中心になってしまったのだ。
 旺文社文庫も他の文庫にはない、ドーデの『タルタラン・ド・タラスコンの冒険』、マーク・トゥエインの面白話など、有名作家の有名ではない(しかし、その作家の一面をよく表す)作品や、内田百閒ものなど大人の読書通も唸らす独自の路線を図ったのだが、その後いつの間にか発行されなくなってしまっていた。
 私も一通りの読書入門を旺文社文庫でした後、30冊ほどの旺文社文庫は従弟に譲ってしまった。しかし、後にも先にも文庫本の漱石では旺文社文庫の解説がいちばん良かった。商業的な文庫はスター性のある解説者の勝手な思い(それ自体は面白かったりするが)はあるが頼れず、岩波文庫はすごく解説が充実したものもあるが、古典の初心者向きの丁寧な情報は足りない。
 将来お金に余裕ができたら、古本市場とネットで旺文社文庫を全部買いたいくらいである。それを全部読み返す時間はないだろうが、年金生活に入り、頭が弱ってきたら、最後は古典をルビつきで読み直し、正しい読みで読み直してからあの世に行きたいと思う。
 学校には「生きる力」の育成など期待しないでほしい。そんなことまでさせるから、学校の先生が授業を充実できないのだ。せめて、子供が自分でどんどん読書を進める邪魔はしないほうがいい。

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イタリア版「エレクション・デー」

 4月13、14日投票が有力なイタリア総選挙ですが、毎年春から初夏にかけて統一地方選も行われるため、それと同時にすべきかどうか議論があります。アメリカのようにたくさんの選挙を重ねる「エレクション・デー」とするかどうかなのですが、イタリアの場合、投票所で混乱がないか心配があります。
 もう一つの心配ですが、中道・左派の再編がうまくいかず、着々と布陣を固めつつあるベルルスコーニに中央・地方両方で大敗する可能性があります。そうなると、またEU各国と軋轢が出てきそうな。イタリアは本当に大丈夫なのだろうか?

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アメリカの州のニックネーム

 大統領候補予備選挙の報道で、各州に関する記事のなかにその州のニックネーム(その多くは公式のもの)がよく出てきます。これはアメリカ通の方には周知のことですが、やはりこういうところにはアメリカ人のセンスがよく出ています。
 ニューヨークが「エンパイア・ステート」、カリフォルニアが「ゴールデン・ステート」であることは結構知られていますが、デラウェアが「ファースト・ステート(最初の州=合衆国憲法を最初に批准)」、コネティカットが「コンスティトゥーション・ステート(憲法州=合衆国憲法より古い「憲法」がある)」という風に建国の歴史に関わるものや、カンザスの「サンフラワー・ステート(ひまわり州)」のように植物や農産物、オレゴンの「ビーバー・ステート」のような動物、アリゾナの「グランド・キャニオン・ステート」のように地名や地形に関するもの、さらにはその地の人々の性格を表すものなどさまざまです。
 こうした命名でおそらく大事なのは、他の州から異論がないほどの存在感と認知、そしてキャラクターが立ち、誇りや親しみを持てることでしょう。
 わが国で同じことをするのが意味があるか分かりませんが、すべての県がタレントを知事にするわけにもいきませんので、こうした愛称でキャラ立ちをねらうのも一興ではないでしょうか。大事なことはなんでもかんでもでなく、イメージを一点に絞ること。
 私の私案は、山形=「さくらんぼ」県、千葉=「落花生」県は普通ですが、神奈川=「ハイカラ」県(「文明開化」県より分かりやすい、もともと横浜毎日新聞の記者による造語)、静岡=「富士山」県(お茶もあるが、日本人の精神性に関わるので)、山梨=「ワイン」県(葡萄より国際的に分かりやすいイメージ)、奈良=「聖徳太子」県(第2候補「憲法」県)、広島=「平和」県、長崎=「貿易」県(第2候補「カステラ」県)、沖縄=「サトウキビ」県(「ざわわ」の反戦イメージも入れる)などはどうでしょうか。

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「予告された殺人」のような解散

 イタリア議会が解散された。
 またしても「中道・左派の自滅」といえる面もあるが、現政権がイデオロギー距離の大きい政党の寄り合い所帯であると同時に、そもそも上院があれだけ伯仲となっていたのは、2006年総選挙の直前に中道・右派が恣意的に改正した選挙法によるものである。
 この選挙法は、比較政治の大家サルトーリも怒っていたが、財政政策の失敗で当時ジリ貧だった中道・右派が何の合理性もなく、ただ自陣営の議席減を可能な限り少なくさせるように仕組んだものである。これによって、予め状況は限りなく不確実なものにされていた。しかも、この選挙法を早期に改正しなければ同じことの繰り返し。しかし、中道・左派の小政党もむしろ比例代表制への復帰によって議席増となったために、簡単にもとの小選挙区優位・比例並用制への復帰が難しいことを見越してのものだった。結局、間に合わず大統領は解散をせざるを得なかった。
 プローディと中道・左派連合はあらかじめ殺害を予告されていたようなものである。左翼民主主義者とマーガレット連合の統合で昨年できた民主党も単独では、また、ヴェルトローニのような線の細いインテリではベルルスコーニには勝てまい。ベルルスコーニが最初に勝った1994年のように右派と中道と左派の三つどもえで右派が勝つのではないだろうか。そうすれば、イタリアの国際的信頼はまた失墜する。

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規制改革と消費者保護

 岸田特命相(沖縄・北方・国民生活・科学技術政策・規制改革担当)に消費者行政一元化の担当が追加された。消費者保護行政の強化が必要なことは明白だが、規制改革と兼任させてよいものだろうか。今回の追加は一元化担当であって、消費者保護そのものは国民生活にすでに含まれているとも言えるし、政権発足以来、食品安全は泉特命相(国家公安委員長、防災)の担当になっているので、さらにややこしい。規制改革は必ずしも消費者保護と矛盾するわけではないとしても、対立する可能性は考えておいていいだろう。行政改革の視点から大臣の数を増やさないというのも理解できるが、どうも整理ができていない感じがする。

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無料新聞『メトロ』

 90年代末から何回かのヨーロッパ滞在(といっても、ほとんどがイタリアだが)で、イタリアでも、オランダでも地下鉄や市電の駅に置いてある『メトロ』という無料新聞を手にとったことがある。無料(広告のみが新聞社の収入源)といっても、結構ちゃんとした新聞で、タブロイド版で論説などはなかったにしても、日々のニュースは十分入っている感じだった。あのゴッホの末裔でイスラム教徒に暗殺された映画監督のテオ・ファン・ゴッホ氏もオランダ語版にエッセーを連載していたようだ。
 不思議なメディアだなと思っていたが、今回それを教えてくれる本が出た。稲垣太郎『フリーペーパーの衝撃』(集英社新書)である。それによれば、『メトロ』紙の発祥の地はスウェーデンであるという。創業者は学生時代に「新聞経済学」の授業を受けてアイディアを思いつき、既存の新聞社に勤めた後で、投資会社から資金を得て起業したという。こうして見ると、アメリカだけでなく、ヨーロッパにも、起業に役立つ大学の授業があり、また実際に経験を積んでから起業というしっかりとした起業マインドを持つ若者や、その才能をうまく見極める投資会社があることが分かる。
 その後ヨーロッパだけで15ヶ国、世界22ヶ国に広がったというから、私が手にしたのは、その数ある版の幾つかということになる。既存の有料紙との対抗関係にも面白いエピソードがたくさんあるが、それはこの本を買って読んで頂くとして、一点納得できたのは、著者がスペインにも取材して、無料紙台頭の理由の一つに有料購読者数の少なさを挙げているのは、まさにイタリアでも同様なので納得がいった。
 時間やお金のない人に向けてこういう新聞を考えたという創業者のアイディアは、格差社会で余裕のない貧困家庭や、練られた長い文を読めない若者の増加などの日本の現状にも合っているのだが、とても悲しい側面も多い。こういった新聞に載るのは、短く読みやすい記事、つまりは純粋な情報のみで、論説や長いルポなどの余地がない。有料紙を甘やかしてはいけないにしても、テレビやネットなど瞬発的、感覚的なメディアの発達のなかで活字の孤塁を守っているかに見える新聞の基礎がこれ以上危うくなることは心配だ。
 そんな認識は古い、すでにネットで新聞を読む人が多いではないか、といわれそうだが、日本で無料新聞が今ひとつ浸透しないのは、今後のこの国のメディア全体にとって、吉と出るか、凶とでるか?
 

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「68年」の40周年

 今年は、欧米や日本で学生運動、社会運動が爆発した1968年の40周年である。私は30周年の1998年にフィレンツェで行われた、地元を基盤とする知識人雑誌「テスティモニャンツァ(証言)」の公開シンポジウムでイタリアの運動家だったロッサーナ・ロッサンダなどの講演を聴いたことがある。なかなか面白くて、それ以来、1968年はどこか気に掛かっていて、少しずつ本も読み、講義でも必ず各期1回はとりあげる。
 こうした新左翼の動きは日本でもあったのだが、当時まだ幼稚園にも行っていなかった私の世代にとっては、自分が単なる同時代人としてもまったく関わりえなかったという意味での「歴史」である。しかし、一世代上の1950年代生まれの人たちは、当時の学生の主力の「団塊の世代」ほどコミットしていなくても、この時代を10代の記憶として皮膚感覚で理解している人が多い。だからこそ、私の世代は、大学に入ると「新人類」呼ばわりされた。「脳天気なアホ」という感じで、血気盛んな当時は「しょうがないだろ。生まれ年は選べないのだから」と反発したことも多い。
 私がその時代の学生でも運動をしたかどうかは分からない。しかし、この時代の人々の考えや思いを理解したいという気持ちはある。今朝の日経の出版広告に、ブント元代表の荒岱介氏の著書『新左翼とは何だったのか』が出ている。私には未知の世界だが、読んでみたい。
 

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風刺やパロディを楽しめない国、日本

 お笑いのくりぃむしちゅーのコンビが酒を酌み交わしながら知事選出馬を相談するというお酒のCMが地元の知事選が近く、不謹慎だと放送中止になった。もちろん現実のコンビにその気がまったくないことを前提で楽しむCMである。おそらく声を上げたのは、お笑いのこともよく知らないどの候補者かの支持者だろう。まったくユーモアのセンスがない、それ自体、政治家や支持者としての資質を疑われる無粋な話だ。隣県の東国原知事の誕生で神経過敏になっていないか?
 この国では風刺やパロディも楽しめない。このような形式的な「マジメ主義者」は、実は国際的にはレベルが低い。日本では避けるべきという政治や宗教を風刺するのは、欧米では当たり前のことであり、芸能人がそれをするのは格好いいのである。もちろん、今回のCMはコンビ自身立案のネタではないだろうとしても。
 こういうのは、大きく構えて、有田が出ないことを分かった上でユーモアに乗って「私はくりぃむの有田が出馬しても勝つ!私はプロの政治家だ。」という風に堂々としていたほうがよほど好感を持たれるし、メディアも取り上げてくれてかえって有利だと思うのだが。

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サラザールの愛読書

 本を整理していたら、アコス&レンシュニック『現代史を支配する病人たち』(ちくま文庫)を久しぶりに見つける。ふと、ページをめくってサラザールとフランコの章を読んだら、ポルトガルの独裁者サラザールの愛読書はプラトンの『共和国』(邦訳では『国家』のタイトルで有名)であったと。聖書のように寝るとき読んだらしい。人嫌いのこの人は、自分の頭のなかに理想の国を作っていたのだろうか。
 もちろん、高校世界史レベルでもプラトンの理想が哲人王であって、民主政をいいものと思っていないことはよく知られているし、サラザールの独裁というのも、フランコのような軍人でもムッソリーニやヒトラーのような政治運動家でもない、僧職から転身した財政学者なのに他に有無を言わせず独特の影響力を持ったという、とても不思議なものであるのだけれども。
 しかし、古典とはこういう風に読めてしまうところもあるのが恐ろしくもあり、文学部出として古典の有り難みは十分知っているつもりだが、作家や哲学者はともかく、現代を扱っている政治学者や経済学者が古典をベタ褒めするのを見たりすると、どうも違和感を感じるのである。

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プローディ首相辞職について

しばらく、ブログどころではなかったのですが、これははずせません。
プローディ首相が信任投票に敗れました。もともと中道・左派のなかでも独自の行動をとりがちで、さらにもともとはベルルスコーニの第1次政権で労相を務めながら中道・左派に移ってきた政界の寝業師マステッラ法相の汚職疑惑もさることながら、左翼民主主義者とマーガレットによる民主党合同に反対したディーニ元首相の反発もあって、政権はいわば内側から崩壊したわけです。
プローディにとって悲劇的なことは、この信任否決が今回が初めてではないこと。1996年の総選挙で勝ったときはユーロ参加決定後の1998年に信任投票が再建共産党の離反で1票差で否決、今回も2006年の総選挙で勝利し、2年目に入る直前の現在、前の中道・右派政権の財政混乱を整理中に2008年で数票差で不信任。イタリア共和国史上で信任の否決はこの2回のみなのです。しかも、疑惑まみれのベルルスコーニに中道・左派が選挙で勝ったのも2回のみでどちらもプローディ。
明らかに責任はプローディでなく、レプブリカ紙の編集長マウロ氏が、今回の結果は、政治家プローディの死、中道・左派という政治文化そのものの死につながりかねないとしているのが、印象的です。

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「富山」が動いた

保守王国の富山で自民が敗れた。

もともと県内自民党の最有力政治家だった綿貫氏が国民新党代表になったという事実がなければ、絶対この結果はなかったはずだが、どんなときにも自民党を選んできた富山が自民を不信任したのは、ここに生まれた私には衝撃である。

やはり保守が強い佐賀でも自民が敗れている。歴史的な選挙である。

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セカンド・ライフでの政治闘争

セカンド・ライフ上にイタリアの公共事業相ディ=ピエトロ(汚職捜査の判事から政界に転じた大衆的な人気のある政治家)の政党が作った島に、環境団体レーガンビエンテの島からプラカードを持ったアバター達がやってきてデモを敢行したらしい。環境団体のほうも島を持っているから、対抗デモも今後あるかもしれない。

セカンド・ライフでは何でも可能なのか?まず、実社会で起こりうることは当然起こる。実社会で起こりえないことも起こりうる。

週刊誌情報では、セカンド・ライフ上で他のアバターと性交に及んだ人もいるようですが、そんなの楽しいのかな?おままごとのようなものでは?

日産の車の自動販売機は一度使ってみたいのですが、そんなところで遊ぶほど、今、余裕がないし、やり始めるとはまるかもしれないと思い、当分セカンド・ライフには近づく気はしない。

いつか余裕ができたら、セカンド・ライフ上に自分の個人研究所を作り、仮想著書でも売ろうかな?誰も買いません。

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携帯世代への誤解が一つ解けた

例によって、コインランドリーで新書を読む。浅枝大志「ウェブ仮想社会『セカンド・ライフ』」(アスキー新書)を読む。最近話題のウェブ上のヴァーチャル世界について、ようやくおぼろげにイメージを得る。

この話題について知っている人はみな知っているだろうが、日産自動車の自動車の自動販売機の話は私はこの本で初めて知った。最近、業績がイマイチのこの会社もヴァーチャル空間の利用は革新的だ。遊びが効いている。(あまり詳しく書くと、本の著者に悪いので、何のことだと思った人は本を読んでください。)

要するに、このヴァーチャル世界では、ヴァーチャル世界での自分の分身であるアバターの持ち物であるヴァーチャルな品物も買えるし、ネット・ショッピングの立体版のように本モノも買えるらしい。実世界でクルマを買えない私もヴァーチャル版のクルマのオーナーになれるわけだ。

実は、この本で案外、私にとって眼から鱗だったのは、なぜ著者のような20歳台以下にとって携帯があれほど重要かヒントをくれたこと。彼らは個人情報保護の制限を受けて、私の世代のように親の職業や住所を書いたクラス名簿をもらっていないのだ。だから年賀状も携帯メールで出すことになるし、携帯でしか使えない電話番号とメールアドレスしか連絡手段がない。これを考えると、われわれの世代とは全然違う情報環境で否応なしに生きざるを得ない彼らのつらさも多少分かる。彼らはよほど親しい間でない限り、郵便を使いたくても使えない。携帯という飛び道具による空中戦しかないのである。子供もつくらず、学界という島社会にいるとこれには気づかない。

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マニフェストの入手可能性

選挙に入ってから、普通に生活していて入手できた政党のマニフェストは2種。比例区に出ている女性党がある朝、石橋駅前で配布していた。今朝、蛍池駅で共産党のを入手した。どちらもあまり私には参考にならない。ネットで読むより冊子のほうが、やはり寝転がっても読めるからいいのだが。本当にコンピュータって、寝ながらやれないから不便。

この程度の入手可能性しかないなら、やはりネットを大いに活用できるようにしなくては、と、ここ数日の自分の考えにこだわる。もっといろいろなところで配り、また、街の要所要所で入手できるようにしてくれないと。

一つ提言なのだが、主要政党のマニフェストは、各新聞取り扱い店(キオスクでなく、新聞屋さん)におけるようにしてはどうか。というのは、現実的に可能なくらいの規模で、かつインフラとして日本の津々浦々にあるのは、郵便局と新聞店だと思うのだ。でも郵便局は土日には閉まるし、数が多すぎるので大変だろう。新聞店なら石橋のような町でも3つはある。

日本の都市にはヨーロッパのような広場が少ないのがハンディキャップだ。イタリアでは、選挙期間中、こういう広場に政党がテントを張って、ビラや文書を配っていた。広場は主要な辻辻にあるので、簡単に入手できる。また、政党の地方支部が充実していて、私が住んでいたフィレンツェでは、ずっと市政の与党が旧共産系だったが、市内に数ヶ所、旧共産党系の文化センターがあって、そこは普段から講演会、読書会、映画上映、ミニコンサートなどをしているのだが、こういうところにいけば、情報がとれる。もちろん会員でないと利用できない部分もあるが、私は近所にあった共産系文化センターのバールでコーヒーも飲んだし、バスチケットも買った。

日本では、政党助成金を受ける政党でも、オープンな施設が少ないのだ。支持者のみ入れる内向きの後援会事務所があるにすぎない。本当の支持者というのは、候補者に対して、自分は絶対入れるから構うな、他の支持者を獲得に行け、と言うべきで、支持者だけの内向きのお祭りをしていてはいけないはずだ。

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ビデオ版マニフェストは可能か?

政治学の片隅にいながら、選挙についてあまりにも無知だと実感している昨今。各党のマニフェストがネットでダウンロードできても、読むには相当忍耐が要ります。

共産党は支持していないが、ある意味、主張は読みやすい。自民党と民主党は政権をとる可能性があるから、内容が豊富になるのはわかるけれど、正直ビデオにでもしてほしい。そうすれば、風呂上がりにビールでも飲みながら見られる。

と書いて、なんでCMや政見放送があって、マニフェストのビデオ版がないわけ?働いている人に文書を読めと言っても、それは面倒。CMは論外だが、政見放送もあまり参考にならない。主要政党で元アナウンサーっぽい人たちと党首の対談形式が多いのですが、司会役のほうの党首への気遣いが見えすぎて、正直あまり気持ちよく見れない。自分の所属党首には国民の前では過度の敬語にしないほうがいい。

イメージ・ビデオでなく、ドキュメンタリー、ないしはNHK教育テレビ的にまとめたビデオ版マニフェストを選挙法で可能にして欲しい。

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ネット選挙のボーダーライン

今朝の日経2面に選挙期間中でも政党HPのニュース記事は更新できることで禁止されている政見との区別が微妙だと書かれています。

そうなんですよね。自民党のHPにも安倍さんがどこでどういう演説をしたということが簡単な記事ですが、更新されている。これって政見でないのか?

本人からの発信でなく、客観的な報道ということなのでしょうか。深い根拠も加えず、他党批判の言葉のみ紹介されたら、かえって公正を欠きますが。

やはり全面自由化のほうがいいです。

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ネット選挙委員会は可能か?

昨夜書いた記事で「ネット更新を妨げる政党、議員を炙り出せ」と書きましたが、もちろんネット更新解禁による弊害も込みで、やはり自由化の益が大きいと思います。

もちろん、ルール作りは必要で(それを自由化を送らせる理由にはしてほしくありませんが)いわば、「ネット選挙管理委員会」のような監視機関は必要でしょう。選挙に当選することを目的とせず、選挙を自分たちの広報の手段としかしない泡沫政党もいるからです。

とりあえず、現在政党補助金を受け取っている政党に限ってもいいかもしれません。その代わり、それはすぐやるべきです。

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ネット更新を妨げる政党、議員を炙り出そう

今回も間に合わなかった選挙中のホームページ更新の解禁。もはやネット難民のように家がなくてもネットに接しうる状況下で、まだ街宣車のほうを重視する政治家はまったく理解できませんが、既存メディアの側も情報の独占が失われるのを恐れてか、徹底的な批判を避けているように思えます。

参議院選後、すぐに行うべきこと。次回の国政選挙までに選挙中のホームページ更新を認めるかどうか、全議員にアンケートを。反対者も無回答者もネットへの「抵抗勢力」として炙り出そう。

朝日新聞でやって頂けませんか?新聞がネットに後ろ向きでないことを示すと、かっこいいし、そういう姿勢をとる新聞がネット時代でも残るはず。投書でもしてみますか?

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参院選後、日本政治はイタリア化する?

安倍首相が連日、民放ニュース番組に単独出演していることに、参院選公示前に現職首相の地位を利用した事実上の選挙活動ではないかと批判があります。

イタリア政治をウオッチしている私には、昨年のイタリア総選挙の法的拘束のかかる前に当時のベルルスコーニ首相がやはりテレビに出まくったのを思い出してしまいます。当時のベルルスコーニ政権は経済失政で内閣改造、地方選敗北とまさに満身創痍、とても野党に勝ち目のないなか、少しでも自陣に有利になるように選挙法を改正したばかりでした。しかし、少なくとも野党のリーダー、プローディ現首相よりはハンサムで精力的ではあります。

政策はともかく、テレビ利用に関しては、民放主要3局の事実上のオーナーであるうえに、マーケティングの専用スタッフを抱えるベルルスコーニに分があり、選挙終盤までに支持率はじりじりと上がり、最終的に負けはしたものの、得票率で1%程度の僅差、上院では国内分では勝利、海外投票を入れてようやく2議席劣るという伯仲状態で、政権交代はしたものの、勝った左派もいつ政権が崩壊してもおかしくないギリギリの状態です。

まさか、世耕首相補佐官率いる自民党政権の広報チームが、イタリアの例にならったわけではないと思いますが、このテレビ利用の成果が気になります。ベルルスコーニは数々のスキャンダルを抱えた人物なので、安倍首相と比較したら、安倍さんがかわいそうですが、現役首相の選挙法規制前期間のメディア出演については、衆議院などの突然の解散もあり得るわけで、結局法規で拘束は難しいのではないかと思います。任期満了なら遡って期間を設定できますが。

やはり、問われるのはメディアの自覚です。もちろん、閣内にスキャンダル続きの安倍首相を追い込む質問で自民党敗北を加速するかもしれませんが、逆に質問が悪ければ、首相のイメージアップに荷担することになります。選挙前の決定的な瞬間に、この両面の危険性に備えるメディア側の覚悟はいかに。

ところで、もし参議院が伯仲となれば、勝者プレミアム制で下院で安定議席を持ちながら上院で2議席差のイタリアの現政権と同じような位置に日本の現政権も置かれます。ただし、日本の現政権のほうが衆議院の議席が圧倒的に多く、政党も2つなので、9党連立ともいわれるイタリアよりは全然安定的でしょう。またイタリアは両院対等ですが、日本では重要事項で衆議院に優越を認めていますので、政権維持は政策遂行の遅れを容認すれば可能です。しかし、このグローバル時代に、ただでさえ遅い対応を、より遅くしてよいのか、巨視的な見方も必要でしょう。

あえて、大連立も選択肢として考えるべきかもしれません。

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イタリアには既にある「海洋相」

「海洋基本法」に基づく新設の海洋政策担当相を冬柴国土交通相が兼任との報道。イタリアにはすでに海洋相があります。環境相の兼務で、現在の内閣では、環境相の担当は、「環境および国土・海洋保全」となっているのです。

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reform treaty, treaty reform

EUのreform treaty、どう訳すべきでしょうか?駐日欧州委員会代表部HPは「改革条約」。でも、treaty を reform するなら、「改正条約」ではないのか。確かに、こう訳すと「条約改正」という普通名詞に似てしまい、一個の独立の条約ではなくなるが。でも、内容は、本当に、EUそのものをリフォーム=「改革」「改良」しているといえるか?それとも、リフォーム=「改装」「改築」「改造」なのか?お堅い公式訳を別にすれば、改造条約なんか分かりやすいなあ。「改革」条約よりは、「刷新」のほうがまだ、いいのでは?

調印地によるニックネームを待つしかないか。調印はいつ、どこになるのか。まだ、準備作業のための政府間会議の開会しか決まっていないのですが、条約の調印地はリスボンになるのか。そうすると、EUの競争力強化のリスボン戦略と紛らわしいが、どうなのか?ポルトガルの議長国期間に調印するなら、首都は外して、ポルトなどがいいのでは?思い切って、アソーレス諸島まで行くと、イラク戦争の記憶があって、ダメかも。

ああ、ヨーロッパって、ほんとにややこしい。(今更...)

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プロテストする文化

イタリアの新聞『コッリエーレ・デッラ・セーラ』や『スタンパ』によると、スモッグによる大気汚染に反対し、クルマ社会を見直すことを訴えて、欧州の数カ所の街で全裸(あるいは半裸)サイクリング「ワールド・ネイキッド・バイク・ライド」というデモがあったようです。どうも、スペインのアラゴン地方にある団体が呼びかけたものらしいのですが、マドリッド、ロンドン、ブライトン、パリなどでそれぞれ100人くらいは参加しているようですし、アメリカのワシントンでも同じデモがあったようです。

実はG8に対しても、半裸になった男女が平和や環境などのテーマでデモを打っていたのですが、今回のものはよりテーマをしぼったもののようで、裸の体に「2輪はよいクルマ、4輪は悪いクルマ」「石油は人を殺す」などと書いています。

この種のデモへの熱心さにはいつも感心します。日本で同じことをやると、周りはみんな引くのではないかと。実際に欧米でよくある「毛皮を着るくらいなら裸がマシよ」というデモを日本でも行ったことがあるのですが、裸に横断幕のようなものを皆でまいて歩道をデモしている風景は寒々しいものでした。

何も裸になることはないのではないかと思うのですが、確かに集団で自転車に乗るだけでは大して人の目を引きませんから、そうする意味は分かります。しかし、やはり体まるごとを使っても自分の意志を表すぞ、という気合いがなければ、またそれをどこかで理解する周りの文化もなければ、こういうことはできないと思います。

少々行儀が悪くても言いたいことを言う。これくらいの気力がなければ民主主義社会とはいえないのではないか、交通整理をデモより優先し、それを一般の人も容認する、この日本では不足していることです。

もっとも、もう一つ大事なことがあって、こういうプロテスト自身を楽しむという側面もあることです。ヨーロッパも夏を迎え、太陽光線が貴重な北側の諸国では日光浴シーズンです。正直、気持ちよくてやっている部分もあるのでは。

やりすぎと思う人もいて、こういう最近のデモでは、平和運動の旗のように虹色の多色の帯を体に描く人がいます。報道写真には、自分の○○○○にも紫色の絵の具を塗っている男性もいて、さすがに何もそこまでと思いました。でも、悲壮感でなく、おもしろさも入ったプロテスト文化のいい面だと思います。

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「自社さ」を覚えていますか?

自民党が「基礎年金番号導入時の厚相は菅直人民主党代表代行」とするビラを用意したものの、党内からも「泥仕合を避けよ」という批判があったようです。

そうなんですよ。当時、自民党は野党でなく、「自・社・さ」政権の与党だったのですから、責任は免れません。「さ」が「新党さきがけ」だったということも忘れられつつある昨今ですが。しかも当時の首相は、厚相経験者の故・橋本龍太郎氏です。そもそも番号だけが問題じゃないし。幼稚なトリックです。

逆に、菅厚相(当時)が自分の就任の前に発生した薬害エイズの問題を厚相として土下座で詫びたという事実が提示されたら、自民党はどう答えるのでしょう。海外には加熱製剤があったのに非加熱製剤が使われ続けた時期は、もろ自民党政権の時代です。

私はべつに菅を贔屓していません。歴史のつまみ食いは許せないだけです。フェア・プレイをしてほしい。

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イタリア大統領は大正14年生まれ

ある作文でナポリターノのことを書くのに誕生日を調べたら、1925年6月29日とのこと。日本の元号で言えば、大正14年。6年後はさすがに「昭和生まれ」の大統領になるでしょうが、こう考えると、象徴的地位とはいえ、結構公の日程も多いので、この人はすごいです。日本の大正生まれの中曽根さんも宮沢さんも引退していますから。

イタリアの大統領は、初代から7代目のペルティーニまでが、日本の「明治生まれ」、ここまでが例外なしに共和国憲法を作った制憲議会(1946年)の議員。8代目だけがえらく若くて「昭和生まれ」のコッシーガ(1928年)。9代目のスカルファロからは「大正生まれ」になり、10代目チャンピ、11代目ナポリターノはまさに本邦の中曽根、宮沢両氏同様、大戦下で青年期を迎えたわけです。

総理は日本のほうが若くなったけど、各省の大臣は圧倒的にイタリアのほうが若い。財務省のパドア=スキオッパは1940年生まれ(67歳)だけれど、それでも尾見さんより8つも若い。

やっぱり長生きしないと。面白いこともあるかもしれないから。

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サルコジ雑感

フランス政治は専門でないにしても、自分が持った感想は書き留めておこう。こういうときにブログは便利。

「小説吉田学校」史観ではないけれど、保守政治というのは裏切りの歴史なのか。サルコジがシラクの薫陶を受けながら途中で離反し、復活し、最後の最後には後任として支持させるという流れにやはり人間ドラマを感じずにいられない。

ドゥ=ゴールを裏切って欧州協調に進めたのがポンピドゥー。前二者よりもリベラルな方向に舵を切ったのがジスカール。このエリート主義者の否定がより人文的なミッテラン、しかし保守でないこの人は欧州統合とヨーロッパの復権に注力し、再選時はまるで優しいバージョンのドゥ=ゴールのような国父としてのモテぶり。ミッテランよりナショナルな言辞でジズカール・パート2のバラデュールを退けたシラクは、別な形で欧州統合の守護者になろうとしたが、これは失敗。晩年の寂しさはむしろドゥ=ゴール的か。

サルコジはアメリカ人というような風刺を聞くと、ジスカール・パート3なのかなという気もする。しかし、やたら長身が多いフランス大統領で短身なのはポンピドゥー、ミッテラン似か。

トリビアの泉で「ソ連・ロシアの最高指導者は、髪の毛ふさふさとツルツルの繰り返し」というのがありましたが、フランスの大統領は2メートル近い長身と中背の繰り返しです。

ドゥ=ゴール(長)ポンピドゥー(短)ジスカールデスタン(長)ミッテラン(短)シラク(長)サルコジ(短)。政治学的にはまったく無意味ですが、人間観察的にはどうかな。人格に身長は関係ある気がします。

あれ、政治分析しようかと思ったら、ビジュアルの話になっている。忙しい時期なので、思考混乱です。この辺で。

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なぜ記号式投票にしないのか?

大阪市議選で「こなみ」と仮名書きした票が「小波」(さざなみ)氏の票となった開票作業をめぐって「小南」(こみなみ)氏が抗議。少なくとも按分(小数点以下をつけて分ける)すべきであると。

至極もっともな主張である。

しかし、そもそも先進国で候補者の名前を投票者にわざわざ書かせること自体、珍しいことは知られているだろうか。比例代表制であるドイツ、イタリア、ベルギーなどは、候補者とその政党のシンボルマールが大きな投票用紙に記載されていて、それに×などのマークをつけるだけである。(×のマークはヨーロッパでは「ダメ」を意味しない)

ほかによくある例は、候補者名の札があって、それを1枚のみ封筒に入れて投票するパターンだ。いずれにしても記名しない。

日本で名前を書く理由はよく分からないが、私は根拠はないが、保守主義者(党派を問わない)たちの陰謀ではないかと思っている。政見を語ることなく、名前のみを連呼する街宣車などという非文明的なツールを利用して(これ自体、先進国では異常である)とにかく自分の名前を書いてくれ、という流れでは、やはり名前を書かないと盛り上がらないということではなかろうか。そんな浪花節、必要だろうか?

もう一つは踏み絵的効果である。現在のような市町村合併が進む前には、小さな村が村民こぞって投票に行き(これ自体はよいこと)、自民党へ投票して、その投票率から忠誠心を明らかにするということがあった。市町村ごとに各候補の得票は客観的な数値として公表されるので、大都市以外は動員の善し悪しがはっきり出るのである。(その意味では中央官庁主導の今回の市町村合併は、自民党に打撃となったかもしれない。)富山のある小村が驚異的な投票率で、それに注目した首相の訪問が実現した例がある。

投票所には立会人がいるから、最初が縦か横かで書いている名前が分かるケースはある。日本の投票ブースは投票者はお互いを見ないでいいが、立会人からは見えるケースが多い。これでは秘密投票の原則は少しだが崩れている。アメリカなどでカーテンつきのブースを見たことがある人も多いはずである。

もっともらしい嘘があって、記号式だと選択が軽んじられるというものがある。馬鹿馬鹿しい。われわれはもっと自分の人生に直接関わる書類で幾らも記号で答えている。投票者のためを考えれば、記号式にしない理由はないはずだ。

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公立学校には制服は不要

規定労働時間を過ぎたので茶を一服していたら、ヤフーで公立高校の生徒の10人に一人が授業料減免を受けているというニュース。

関連記事を読むと自分の知らないことばかり。

・国連人権規約で高等教育の無償化を求めているのに日本は逆行している(超有名な条約なのに、この規定知らなかった。はずかしい。)

・現在、公立高校でも年11万円以上の授業料がかかること。

・1年生は初年度納付金や制服代など自己負担を入れると30万円を超えること。

で、思ったのは、なんで制服をやめないのですかね?

制服だと貧富の差が現れないとかいいますけど、そんなもの、持ち物や行動様式で丸わかりですよ。今の若い人の服はカジュアルだし、ドレスも着てこないでしょう。それこそいじめられる。

格差拡大なら、要らない費用を少しでも減らしたほうがいいはずです。義務教育のように学用品費などの補助制度があるのか分からないのですが、あったとしてもやはり無しのほうが無駄なお金がかかりません。

欧州のように、制服なし、スポーツは学校の部活でなくボランティアで、学校は学科教育にしぼるというようなスリムなものにしたほうが、教員の負担も減っていいと思うのですが。とにかく、この国では教師を労働者としてとらえなさすぎです。医師のように高い収入があれば別ですが、土日は休ませないと。

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プローディ首相、9ヶ月目の辞職

プローディ首相が辞任しました。外交政策に関する動議への投票で、もともと2議席差の上院で、連立与党から2人の投票不参加(棄権と区別される:上院では入場して棄権すると反対票に数えられるため、議員証などをかざして投票しない意志を示す慣行がある)、定員外の終身上院議員から2人の棄権(策士アンドレオッティ元首相と自動車車体メーカー経営者ピニンファリーナ)が出て、この場合の必要な賛成票160票にあと2票足りなかったものです。

(注)「上院は2議席差」と書きましたが、これは選挙終了時の数。315人の選挙で選ばれた議員のほかに定員外だがフルに議員資格を持つ7人の終身上院議員がいる)

投票に参加しなかったのは中道・左派連合のなかで反戦派の最左派3党のうち2党、再建共産党と共産主義者党の各1人の議員ですが、おそらく最近ヴィチェンツァで盛り上がった米軍基地拡張反対デモの余韻のなかで、イラクと異なりアフガンからの撤兵については慎重で「国際公約を安易には破れない」とする政権中枢への不満がたまっていたのでしょう。

1998年にも再建共産党の主流派の1票差で第1次プローディ内閣が信任投票で敗れ総辞職していますが、そのときと異なり、今回は再建共産党も党としては賛成にまわっていただけに、上院で伯仲する議席で余裕のないところが露呈しました。第1次プローディ内閣はそれでも2年以上続き、イタリア共和国史上、3番目に長い内閣でしたが、今回はわずか9ヶ月です。

ここ10年くらいなかった、多数派の形成が長引き事実上の政権不在の「危機」がまた訪れるかもしれません。今回の総選挙は新選挙法によって左右がまっぷたつに分かれただけに他の組み合わせの可能性が乏しいのが問題です。左右の境界を越えて政権を作っても、それは選挙で国民が選んだ組み合わせでなく、政権の正統性に疑問符がつきます。

中道・左派で再度、別の政権をつくることもは可能ですが、やはり、プローディ以外は今一つです。左派で人望の厚いダレーマ副首相・外相では、また10年前と同じ交代になってしまいますし、この際、もっと若いルテッリ副首相に代えるにも、彼のほうがプローディよりも左派から遠いのに納得されないでしょう。

「私なしにどこに行こうというのか」プローディ自身の言葉です。大統領による次期政権への協議が今日と明日続きます。

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ダレーマ訪日記事のこだわりどころ

一応、政治学の研究者として、仕事から帰って、まず手にするのは、ため込んだ古新聞ですが、2月3日の各紙は前日に共同会見したイタリアのダレーマ外相の訪日の記事を載せています。これが各紙の特徴が出ていて面白い。アメリカの閣僚なら大体同じ内容になるはずですが、イタリアとなるとかなり扱いが違います。しかし、今回の記事はどれもイタリアについては重要な内容があり、まずは合格点。

アフガン派遣軍の駐留を政権の「頭痛」と見る朝日は、会見記の前にイタリア情勢をつけて、国際面のトップ。最左派3党が撤退を求めるが、穏健改革派の政権中枢は国際公約として安易に撤退できない、上院で与野党伯仲のなかで政権に緊張感が走っていることを過不足なく書いています。「武力だけでは成果上がらず」というダレーマの言葉も引き出し、この旧共産党出身の外相が、アメリカ国内にもある撤退論を見越していることも活写しています。朝日らしいと言えば言えますが、これで過去2年分くらいのイタリアの撤退論議は凝縮されていて、とても便利な記事です。

これと相当違うのが読売。派兵ぐらいは当たり前というのか、イラクには触れないで会見のうち、左翼民主主義者(読売も他紙同様「左翼民主党」と書いていますが、このこだわりは政治学者以外は理解してくれないでしょう)とマーガレット(この党名は記事になし)が進める大「民主党」構想を中心とした真ん中下の囲み記事。

ダレーマ自身が言ったのか、「9党」からなる政権というのは、他で書いていないと思います。というのは、日本の新聞はよく閣僚名簿だけ見て7党連立と書くのですが、イタリアは多党分裂のため、政務次官のみゲットする政党もいるのです。くわしくは、「やそだ総研」のイタリア政府閣僚ポスト分配表をご覧あれ。「やそだ総研」式では10党と数えるが、うち2党は独立のまま議会内で統一会派なので、9党というのも間違いではない。

http://www31.ocn.ne.jp/~yasodasoken/governoprodianalisi.html

党に近い非議員のみを閣僚に送っている微妙な閣外協力?をしている党もあり、本当に専門家以外には分かりにくい。読売の記事で数え直してくれれば、イタリア認識は深まる。

ただし、小選挙区が「2大ブロックを作り」と書くのはいいとして、「2大政党制に近づいた」というのは事実に反する。「2大ブロック」のそれぞれの中で多党化がとまらず、実は90年代を通して、観察する意味のある有効政党の数は増えているのです。まあ、そこまで記事に求めるのは酷ですが。

ダレーマ訪日は少なくとも、こういう形で普段よく分からないと思われるイタリアの基礎情報を提供したという意味でも成功でした。

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周防監督に学ぶ正しい怒り方

痴漢冤罪を扱った映画「それでもボクはやってない」の周防正行監督が、「満員電車が走っているのはおかしい」と記者会見で述べたようです。「外国なら被害にあった女性は電鉄会社を訴えるだろう」と。皆さん、これについてどう思いますか。

電鉄会社がかわいそう、と思いませんか?日本のように過密した都市環境では、まして今の段階で過密ダイヤでこれ以上は無理だと思いませんか。たぶん、そういう意見のほうが日本では思慮深いと思われるでしょう。

私は断然、周防監督に賛成です。なぜかというと、そういう風に怒らないと現状は変わらないからです。電鉄会社にまず満員電車を走らせるな、と国民が言う。そうすると、会社は「じゃあ皆さん全員は乗せられませんね」と脅すでしょう。経費的にも無理ですよ、と証拠も出てくるでしょう。そこでひるむのではなくて、電鉄会社の努力で足りなければ、今度は時差出勤を優遇する措置などを政府に考えさせればよいのです。

無実の男性を罪人にしたり、男性を全員痴漢扱いする「女性専用車」などといった性差別は、人権侵害です。それを企業に許してはだめでしょう。人権は私的利潤より優先されないといけません。企業にできないなら、国が何かの手だてを打つべきです。

日本人は他人を思いやることでは他の国の人より勝っていると思います。しかし、時にはまず怒って、そこで問題を相手に投げ、その答えにさらに反論していくという強さも必要です。怒り続けるには、体力も知力も要ります。しかし、そうやって鍛えられたプロテストの文化がないと、国難などにぶつかったいざというとき、体が動きません。

大体、民衆の示威行為であるデモよりも道路交通を優先する国が民主主義といえますか?歩道でデモなどナンセンスです。国民も、自分の交通ばかりを考えず、ストやデモがあるときは、明日は我が身、いつ自分が自分を守るためにそういうことをしなければいけないか、想像しなくてはいけません。ストやデモがあって会社にいけないときは、従業員は会社に謝る必要はないのです。

そういう国にしませんか?

「それでもボクはやってない」 http://www.soreboku.jp/index.html

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フセインの死刑執行と日本

クリスマスの後の静かな休暇に国際社会が入っている今、イラクのフセイン元大統領に死刑が執行されました。これは主権を回復したイラク政府によるものですが、世界にはそれをアメリカの影響によるものと見る見方も多いでしょう。

ところで、これとまったく別の事象ではありますが、25日、まさにクリスマスの日に日本で4人に死刑が執行されています。長瀬甚遠法務相が署名したから執行されたのですが、死刑の存廃議論は別として、なぜこんな日に執行したのかと、そのタイミングの感覚を疑います。

要するに死刑が合法である以上、執行しないというのは大臣や法務当局の怠慢になるということと、メディアの観測では、統計上年内に執行しないとその「実績」が今年はゼロになるという焦りなのでしょうけれど、生死という極めて倫理的にも重要な事柄が行政的な手続きや、行政内部のきちんとしなければという小さな論理一貫性で処理されたことに嫌悪感を感じます。何か慌てて大掃除したというような感じすらします。そんな問題ではないはずなのに。

ひょっとしたら、世間がお祭り騒ぎになっている瞬間にメディアでの報道も考えてこの日にしたのかもしれません。偶々重なったフセインの死刑とも連想されて、決していいイメージを国際社会に与えないでしょう。

もちろん、イラクにしてみれば、このままフセインを生かしておくのは時限爆弾を抱えるようなものだったかもしれません。ヨーロッパのど真ん中で1989年のクリスマスの後にルーマニアのチャウチェスクが法的には問題のある手続きで即処刑され、その画像が世界に配信されたときは、確かに独裁政権が崩壊したと周知させなければいけないという必要があったことが感じられ、人々はそれだけ独裁政権が強力だったかと逆に納得もしたのです。

それに比べれば、凶悪であっても、日本の死刑囚は、少なくとも執行を急ぐ必要はあったかと問わざるを得ません。日本の法務当局、というかそれを動かしている内閣は、難民に対する政策でもそうであるように、問題の本質に迫って深く考えると言うよりは、いかにも官僚的な問題の処理だけを急いでいるように思います。

本質的な価値の探求なくして、尊敬される国にはなり得ないでしょう。現首相の唱える「美しい国」は、品格のある国ではないようです。

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食いしん坊の町?パルマ

チーズのパルミジャーナで知られるパルマは、食いしん坊というキャラがついているエミリア=ロマーニャ州でもとりわけそうだということになっています。食事の後にまた料理の話をするほどだという冗談も。粉飾決算で問題になったイタリアでは大きな乳業会社パルマラートもここが本拠で、地元のサッカーチームのオーナーでした。

ベルトルッチの『革命前夜』にこのパルマ・ネタが出てくるのですが、「戦争中もイギリスの靴が変え、イギリスびいきだった」というのはなんなのだろう。なにかイギリスとゆかりがあるのか。イタリアのブルジョワが案外イギリスびいきという感じは分かるが。

スタンダール『パルムの僧院』もここでしたね。

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欧州評議会HP担当者にメールを送る

何日か前に書いたことですが、欧州評議会のHPを参考に1949年加盟のギリシャが11番目、トルコが13番目という記述が変だと思っていたら、明らかに後の日にちの1950年加盟のアイスランドが12番目との記述。単なる誤記なのか、あるいは調印と批准で違うのか、訳が分からないのでHP担当者にメールを送りました。

ユーゴスラヴィアは一度も加盟していないようです。天涯孤独の非同盟主義だったのか。

しかし、同日加盟のギリシャが11番目、トルコが12番目という記述になるのも変ですね。いったい何を基準に番号を振っているのだろう。わからん。ちゃんとした本ないかな。

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アリゾナ州知事はナポリターノ

アメリカの中間選挙が民主党優勢のまま幕を閉じようとしています。改めて候補者名を見渡すとやはり人種のるつぼ、いろいろな国からの移民の子孫たちらしく、いろんなオリジンの名前があります。

イタリア系がニューヨークなどで強いのは有名(ジュリアーノ前市長=共和党、クオモ元知事=民主党、今回クオモ元知事の息子が州司法長官に当選)ですが、結構今はいろいろなところにイタリア系っぽい名前が見えます。表題に掲げたナポリターノ(民主党)などはイタリアの現大統領と同じ名字です。ほかにメーン州知事のバルダッチ(民主党)、ロード・アイランド州知事のカルチエーリ(共和党)など。ただし、ここに書いたのはイタリア語読みで、アメリカで同じように読まれるかは分かりません。

それはそうと、シュワルツェネガー(オーストリア出身)カリフォルニア州知事(共和党)も当選しましたね。奥さんを介してケネディ家の系譜とつながるなど、彼の努力は認めるのだけれど。う~ん。(複雑な心境)

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煙草への規制について

アメリカの政治で欠かせないスピニング(情報操作)の手法を、タバコ業界のロビイストの視点から面白く描いた映画「サンキュー・スモーキング」を一昨日、梅田で見ました。そこのなかの台詞で秀逸だったのが、「映画に出てくる喫煙者は異常者かヨーロッパ人だ」という言葉。禁煙が行き過ぎたアメリカとそこまで行っていない(しかしEUも警告文などかなり強化していますが)ヨーロッパの温度差をよく表していました。

しかし、映画にもあった過去の文化作品に登場する喫煙シーンまでカットするのは、歴史学を囓ったものにはやはり抵抗があります。愚行を含めてありのままというのが歴史学ですし、やはり嗜好品というものはそれを囲んだ人々の文化としての時間があるわけで、大事にしてほしいです。

実はヨーロッパでも悲しい傾向はあり、数年前に作家カミュの若い頃の肖像が入った記念切手が出たのですが、タバコをくわえているリラックスした表情が問題になり、表情はそのままタバコだけ画像から外して修正後に発行されました。本来くわえているものがなくなった口が不自然で気持ち悪い出来になっています。非順応主義的な彼の個性も台無しです。

私は「嫌煙権」という言葉は嫌い(誰も「嫌う権利」などない)ですが、「避煙権」はあると思っている、どちらかといえばアンチ・スモーキング派ですが、人に迷惑がかからないなら、愛煙者にはストレス発散にぜひ吸ってほしいと思います。体質的にタバコを吸えない私も人を待ったりするような時間にタバコが吸えればいい時間つぶしになるのに、と愛煙家を羨ましく思うことがよくあります。タバコやライターを介して初めて言葉を交わすなどという出会いのシーンは地球上で何億回と行われてきたはずですし、経験上、愛煙家には尊敬できる、いい人が多いです。

喫煙にはマナーを。しかし、歴史と(喫煙という)文化には敬意を。

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トルコと欧州評議会(2日の記事の補足)

2日にここに書いた記事について補足です。

やはり、欧州評議会は戦後始めてトルコが入った最初の欧州機関(欧州統合そのものに関わりうる重要な機関という限定つきですが)と言いうると思われます。

NATOが欧州機関と言いうるかどうか多少議論があり得ますが、私や研究仲間はこの点に疑問を持っていません。NATOの基礎条約である北大西洋条約の調印は1949年4月4日ですが、トルコとギリシャの加盟は遅れて1952年2月18日です。(西ドイツは1954年10月23日)

一方、欧州評議会憲章は少し後の1949年4月28日、発効が同年8月3日、諮問議会の最初の会議が同年8月10日に始まっています。トルコの加盟はなんと、この前日の8月9日。面白いタイミングですねえ。13番目の加盟国と欧州評議会HPに書いてあるけど、同じ日のギリシャは11番目。調印が早いのかな?それと12番目が見つからない。ひょっとしてユーゴスラヴィア?(もう無いから)

トルコは3ヶ月遅れ(発効直後)の「ほぼ原加盟国」といっていいような位置ですね。改めて考えてみると原加盟国の英仏伊ベネルクス、デンマーク、スウェーデン、アイルランド、ノルウェーの10ヶ国というのも面白い組み合わせではあります。軍事問題を外したので最初から中立国が入っている。

本当に私はトルコについて無知なのです。人権問題でEUと揉めるとはいいながら、欧州人権条約を1954年5月18日に批准しているし、欧州人権裁判所に判事も出している。う~ん、これはどう考えればいいのだろう。

欧州評議会HP http://www.coe.int/

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マイブーム、欧州評議会

先週末に裏方を仕切った行事の余韻がまだ残っていて、仕事が終わってコインランドリー(大阪は長居しないだろうと洗濯機を買っていないのです)に行って、洗濯ものを放り込んだ後、ランドリーの椅子に座って欧州評議会(Council of Europe)に関する論文を読んでいました。しばらくこういう時間がとれなかったのですが、やはり研究者は常に読んでいないとボケますね。いろいろ発見したり、思い出したりでした。

研究仲間のUさんの論文でこの欧州評議会の重要性を教えられたけど、自分ではついに勉強しなかった。悪友T氏がこれを審議会と訳さず評議会と訳すのもようやく理解できた。

来週末はEU学会に行くのだけれど、その前に東大のDESKのトルコについてのセミナーでも聞こうかなどと考えていたら、創設期の欧州評議会の諮問議会でトルコの代表が話している記事にぶつかりました。え、ひょっとしてトルコが最初に入った欧州機関ってNATOじゃなくて欧州評議会?これはこの後、欧州評議会のサイトに行って確認しますが、基本的なことを全然押さえていなくて最近の不勉強はひどいな、と反省。おりしもローマ教皇がトルコ訪問に向かっています。

幾ら仕事のストレスがあっても酎ハイ片手に「のだめカンタービレ」なんか読んで発散しているようでは駄目だな。全巻読んでしまったけど。

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リヒテンシュタインの切手

仕事でリヒテンシュタインのお客さんに会いました。全人口が3万5千人の国ですから、日本でこの国の人に会うこと自体が珍しいです。その方は国会議員なのですが、全員で25人だそうです。それでも三つ政党があるところもヨーロッパらしい。

行ったことはないけれど、私には親しみのある国です。同国は同じ欧州の小国であるサン・マリノやモナコと同様、自国の切手を外国の収集家に売って国家の重要な収入源としています。私からお客さんにまず申し上げたのが、「私はフィラテリスト(切手収集家)です。」この一言のおかげで会話がスムーズに行きました。日本では少数派で馬鹿にされる趣味だけど、本来、欧州では大人の趣味なのです。欧州でも少数派になっているようですが。

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市史の改ざん

木更津のホテルのロビーで呼んだ朝日新聞の千葉版に『流山市史』の記事が著者の意向に反し改ざんされたことが出ていました。市や企業の失敗を冷静に分析したと思われる記事が見事に削除、あるいは内容をあやふやにする形で加筆されていたものです。

市史というものは地元の人以外にはなかなか読まれないものですが、まさに著者も検閲者も地元の人だけにシビアな対立になります。しかし、どこであろうと基本的に歴史家に問われるのは事実かどうかであるはずで、解釈までしばるのは問題です。このようなごまかしが、地元には何も問題がないとうわべの安逸を生み、地方財政を傾け借金を重ねるもとになったのではないかと思います。これはおそらく流山だけの現象ではないでしょう。

中央の学会でも大学でもない場で戦う歴史家のいちばん厳しい場面での仕事だと思います。流山市史の著者に敬意を表します。

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死刑を見つめる視点

土曜日に日弁連主催の死刑をテーマにした公聴会を聞いてきました。仕事である行事を準備していてその事前勉強に、木更津で開催中の学会から抜け出して大阪の弁護士会館に聞きに行ったのですが、とても勉強になりました。

よくブログで行事の詳細を書く人が多いのですが、それはやはり主催者や実際に行った人に悪いし、著作権の問題もあるので、私の感想だけ述べますと、作家の高村薫さんの講演がすばらしかったです。その作品同様、緻密に構築された論理的な内容ながら、小説家として鍛えられた読者(この場合は聴衆)への分かりやすい説明の仕方、人間の感情にも配慮した、このテーマの基調講演としては最高のものでした。

実はこれまでに聞いた数々のシンポジウムの基調講演であまりいい講演を聴いたためしがないのですが、この講演はぜひ記録にして、多くの人に読んでもらってもいいのではないかと思います。

ただ感想だけですと、何がなんだかわからないのでひとつだけ書くと、高村さんがすべてを法律に委ねず、宗教にも、ここぞというところで位置を与えていた考え方にも共感しました。

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プラウダのイタリア語版

世界は謎だらけ。

「やそだ総研」(このブログの親サイト)の新しいページを作ろうとして、ロシア情報なら、まず共産主義時代から有名なプラウダと思い、HPを探し当てると、外国語版の構成は、英語はいいとして、他はポルトガル語とイタリア語のみ。確かに西欧のなかでは共産党が強くて、いまだにロシア・シンパはいそうだが。他ならぬロシアが共産主義を捨てたのに。人間って、すぐには変われない?

プラウダにもビキニの女の子の写真が出るようになったのですね。でもイタリア語版のそれがハリウッドのラテン系のモデルなのは、なぜ?

プラウダはこちらを。http://www.pravda.ru/(右上に言語切り替えあり)

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独裁国家もテロもない世界になったら

大半の人々と同様に、私も北朝鮮が日本本土にミサイルを撃ち込めば自殺行為だ、というあまり根拠のない理由づけで安心しています。しかし、彼らが本気であれ、狂気であれ、ミスであれ、ミサイルを撃ち込んだ場合にそれを破砕する能力は現実にないのですから、結局はすべてが中間的な仮説でもあります。

しかし、かなり先のことになると思いますが、北朝鮮で独裁体制で倒れた後の世界は、それ以前の世界よりもよい世界になるかというと、どうも期待が持てないのです。北朝鮮のミサイルの報道が一巡した今、ハワイ沖では日米など8ヶ国がミサイル演習を行っています。こうした問題国の存在が逆に日米の関係を強化し、自由主義陣営の団結を守ってきたし、その上に日本がかろうじて経済以外の分野で少なからず国際的地位を保ってきたからです。防衛の面で緊張のある時代のほうが、日本の政治的地位が高くなったのは事実です。

一つ言えることは、共通の脅威で団結している現在の日米を常態と見てはいけないのではないか、北朝鮮が独裁体制を終了したとき、そこで見えてくる生身の我々は、ブッシュ政権時の日本でなく、クリントン政権時の日本に近いであろうことです。防衛問題が重石の役目で無くなり、アメリカが対日関係で実態経済でうまく行かないところは、法と政治で自らの意思を他国においても貫徹させるという意気込みでかかってきたとき、果たしてわれわれにそれに戦う備えはできているのでしょうか。それは、ある意味で暴力よりも陰湿な面もある(もちろん高度に洗練された部分もあるが)知的な闘争といわないまでも競争になるのは、間違いないだろうからです。

不謹慎の極みですが、北朝鮮や成功しないテロがあったほうが、生命に関わらないちょっとした黴菌に備えるように、無防備な日本は安全でいられるのではないか、とさえ思います。

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トスカーナに集う欧州左翼の優雅な生活

 Yahooのニュースで先ほど(18:21頃)流れたのですが、ブレア英首相が休暇を過ごしたトスカーナ州から帰国の際にライアンエアという格安の航空会社を使ったようです。休暇に行くのにも政府専用機を使ったことへの批判に対するデモンストレーションなのでしょうが、そのために乗った飛行機のセキュリティーが強化され、出発が遅れたというのですから、後で野党から皮肉の一つも言われるでしょう。

 しかし、世界一風土が美しく文化もある州といっていいイタリアのトスカーナ州(州都フィレンツェ)にお金持ちはもちろん、左翼の政治家も別荘や休暇を過ごす場所を持っていることはよく知られています。ドイツの社会民主党の有力政治家の多くが同州に別荘を多く持つことなどが知られていますが、ドイツの前首相シュレーダー(社民党)もイタリアによく来ましたし、元首相のコール(この人は保守派)もそうでした。こうした折に非公式の首脳会談も多数あったように思います。トスカーナではありませんが、海のきれいなサルデーニャ島でも、そこに別荘を持つベルルスコーニが薄い頭にバンダナ姿でブレア夫妻と寛いでいる姿も一昨年あたり報道されました。

 トスカーナに話を戻すと、同州には政治家だけでなく、歌手のスティングなども別荘を持っています。ただ休暇をとるだけでなく、彼の社会的な活動の一環として滞在中にテレビの慈善番組で歌を歌ったりもしています。このようなある程度くつろいだ雰囲気のなかでのそれなりに意味のある活動というのもなかなか粋なものです。きっと政治家と同地で話すこともあるでしょう。

 左翼にもこういうレジャーができる余裕のあるのが、やはり生活の質の違いを感じます。日本と欧州でこんな差が生じるのはなぜか。実際にもともとのエリート階級の子弟が少なからず左翼になっているというのが一点、もう一つはレジャーにかかる費用の違いでしょう。さらに文化としての休暇のあり方や哲学も根本的に違う気がします。左翼民主主義者(旧共産党系)で、今回イタリアの新外相になったダレーマ元首相もちょっとしたレジャーボートを持っていて、夏には週刊誌に水着姿をパパラッチされています。だれも左翼がそんな贅沢をするな、とかいいません。

 この先、わが国の中間層の所得が増えないのは我慢するとして、時間の過ごし方ではもう少しリッチになりたいものです。

 

 

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イタリア新大統領はなぜ、ヴェントテーネ島に行ったか?

先ごろ旧共産党系で初めて大統領に選出されたイタリアのナポリターノ大統領が、中部イタリアの離島ヴェントテーネ島で演説をしました。上院が2議席差と左右両陣営の対立が激しい中で、中立的な憲法の番人である大統領は、しかし、欧州統合への貢献は全政治勢力の責務であると戒めたわけです。

大統領がいちばん近い港ガエータからも船で2、3時間離れたこの離島に来たのには理由があります。イタリアだけでなく欧州各国にその名が知られるようになった欧州連邦主義者スピネッリの亡くなったのが、20年前の今月なのです。来年は生誕100年ですから、今年、来年と関連行事は続くでしょう。

スピネッリは同じく反ファシズム政治犯として、この島にあった収容所にいたコロルニ、ロッシと今日「ヴェントテーネ宣言」と通称される欧州統合運動のマニフェストを起草し、1941年の夏、夫コロルニと対面が許されていたウルスラ・ヒルシュマン(あのアルバート・ハーシュマンの親族です)にこの文を密かに託し、それが本土のレジスタンス活動家に回覧され、戦後のイタリアの欧州主義運動のもとができたのです。

スピネッリが釈放後、スイスやフランスで他国の欧州主義者と交わり、それが各国を横断した連邦主義運動になりました。もちろん、これが欧州連邦主義の唯一の起源ではありませんが、その哲学は同じ連邦主義の思潮のなかでも特筆すべきものであり、今日でも読まれ続けています。

ナポリターノ大統領自身もスピネッリと無関係でなく、スピネッリが欧州議会で推進グループを作って採択させた欧州連合憲法条約草案(今日話題になっている欧州憲法条約とは別のものだが、基本的発想は似ている)に協力した一人です。ナポリターノはイタリア共産党では「右派」と目され、教条主義的なイデオロギーからは遠く、「影の外相」として同党の外交政策を欧州主義志向に転換した貢献者です。

ナポリターノ新大統領もチャンピ前大統領もレジスタンスに関わった人ですし、過去の大統領にはペルティーニのようにスピネッリと同じく、ポンツァ(これもヴェントテーネと同じく離島)の収容所にいた人もいます。

会場には、欧州憲法条約の草案を作ったコンヴェンションの副議長だったアマート新内相(元首相)、欧州中央銀行理事だったパドア=スキオッパ新経済・財務相(自身の名前を関した欧州統合に関するリポートでも有名)、EU委員だったボニーノ新欧州担当相(出身の急進党は「欧州合州国」を推進)の欧州主義者3閣僚が列席したようです。

これで、少なくとも新政権になったことで、イタリアから再び欧州統合にポジティブなメッセージが出てくることが期待できます。

これこそ、わが「やそだ総研」の心待ちにしていたメッセージです。

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5月9日のもう一つの意味

ヨーロッパやEUの政治や歴史に関心のある人は、5月9日が何の日か知っているはずです。もちろん、「シューマン・デイ」、1950年5月9日に、今日のEUに先立つ諸機関のうち最初のもの、欧州石炭鉄鋼共同体の基礎となるアイディアをフランスのシューマン外相が発表した日です。その原案作成者が「ヨーロッパの父」ジャン・モネであるのも周知のこと。

では、1978年の5月9日は?実は、この日にイタリアでは極左テロ集団「赤い旅団」により誘拐されていたモーロ元首相(当時キリスト教民主党党首=イタリアの場合、党首は名誉職で、書記長が実質のリーダー。むしろ首相経験者など「上がり」のポスト)が殺害された日だったのです。現在、東京、渋谷のユーロスペースで公開中の「夜よ、こんにちは」はこの史実に仮託したフィクションで、殺害した側の若者の目線で描いたものです。

私も鈍行&夜行バスの貧乏旅行で見てきました。ストーリーは営業妨害になるので詳述しないこととしますが、さすがに私も中学生のころ、まだイタリアの何も知らなかったころなので、挿入される当時のニュース映像だけでも個人的には満足しました。ただ、テロ側の若者がモーロの人間性に影響を受けるという筋書きはいかにもという感じがあり、もう一ひねり欲しいと思いました。

このブログの読者は研究者とは限らないので付記しておきますと、モーロは戦後のイタリア政治の中心だったキリスト教民主党の代表的な政治家で何度も首相、外相などを歴任、当時イタリア共産党のベルリングェル書記長が唱えた共産党とカトリックの「歴史的妥協」のカトリック側の対応者と見られていた人です。この「歴史的妥協」自体が、70年代にイタリアで深刻化した極左・極右のテロの多発と経済政策の行き詰まりへの一つの答えであり得たはずですが、結局、モーロが暗殺され、数年後にベルリングェルも急死して、この選択肢はなくなります。

当時の政府は「赤い旅団」の求めには一切応じず、老い先短かったローマ教皇にも満足に仲介の役を果たさせず、この映画にも暗示されているように、むしろモーロを放置したのではないかという観測もあります。共産党との連携をアメリカからも危険視されていたモーロがもし死ねば、「歴史的妥協」は潰え、さらにカトリック側は左派への格好の攻撃材料を手にすることになります。それは、20数年後の今日、キリスト教民主党亡き後、その正統な後継者でもないのに、中道・右派のリーダー、ベルルスコーニが折に触れ、こうした過去のテロを左派の非難に使っているくらいです。

例え、フィクションでも戦後イタリア政治史上、最大のなぞであるこの事件に多くの人が再び関心を持ってもらえるなら、上映はそれだけで成功といえるかもしれません。もはや旧カトリック系と旧共産党系が連立を組むのは当たり前になり、次の大統領は史上初めて旧共産党系から出るかもしれません。その候補の一人が、ほかならぬ旧共産党系で始めて首相になりコソヴォにイタリア軍を派遣したダレーマなのです。

モーロという名は、この際、もう一度想起されるべき名前でしょう。

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千葉7区補選から考えたこと

 千葉7区で民主党の太田和美さんが勝ちました。千票に満たない僅差だったとの報道ですが、共産党が1万票くらいとっていますので、間違いなく過半数は自民党候補にはノーの判断です。逆に、共産党の存在を考えれば、太田さんも有効投票のさらに半分もとっていないこととなり、彼女も厳密に考えると実は完璧な国民の代表とはいえません。法律がその勝利を決定しているだけです。私たちは近年、無意識に共産党を除外して考える癖がついているかもしれませんが、1票の重みは平等ですからそれ自体は変なことです。

 政党である以上、自党の候補を全国の選挙区で立てることは自由で、むしろ立派なことです。しかし、現在の日本の選挙制度のなかで、比例区を除けば、共産党が議席をとれるのは、ごくわずかです。学者やジャーナリストに共産党を「自民党の補完勢力」という人があるのは、そのためです。そこまで言わなくても、自民党、民主党のどちらの候補にも正当性を与えない意味では、国政全体の不安定化を招いている存在ともいえるのです。

 政権をとる意思がないというところが、やはり批判点になるのでしょう。現実的に政権をとれない選択をしている。それは批判されてもしょうがありません。民主党に共産党と組む意思がないことも事実ですが、勝算をあまりにも度外視した候補擁立は、結果として、有権者の与野党の支持割合と逆の候補を当選させていることも多いということをもっと真剣に考えるべきでしょう。

 イタリアに再建共産党という政党があります。この政党は前回(2001年)の総選挙では、日本の現行制度に少し似ている小選挙区・比例代表並立制で、2大陣営のどちらにも加わらなかったので小選挙区議席はゼロ、比例区のみで議席を獲得しました。全国レベルでは数%は確実に得票するので、これでもイタリアでは得票率で5番目か6番目に相当します。今回は比例代表制に変わり、中道・左派「連合」に加わったため、勝者側のプレミアム議席の分配にも参加できて、議席は3倍くらいになりました。これを見ると、日本の共産党が中選挙区制復活を主張している気持ちも分からなくはありません。

 この政党は早くも下院議長ポストを要求して、中道・左派内に不協和音を生じさせています。反戦、反グローバルの政党が一つくらいあってもいいと思うのですが、どう見ても政権与党向きではありません。僅差で勝った中道・左派も頭の痛いところです。

 しかし、この政党は地方議会ではけっこう重要な位置にいます。イタリアの場合、地方議会は首長の候補者と支持政党が議会選挙で連結しており、長野県のような首長と与党が真逆ということは起こりません。敗れた側の首長候補は野党の議員筆頭として議席を得ます。再建共産党は第1回投票では独自の候補を立てることもありましたが、中道・右派と中道・左派の2大連合の候補がどちらも過半数をとれず第2回投票(決戦投票)にもつれ込んだ場合は、ほぼ例外なく中道・左派に入れました。その意味でこの政党の根本の方向性は、2回投票制という制度にも支えられ、決まっているといえます。

 この2回投票制は日本のように投票率が低い国では実施は難しいと思います。1回の投票ですら行かない人が多いのに、2回もやっては。しかし、この制度のいいところは、有効投票の過半までとらないと当選できないので、少なくとも投票する意思があった人の過半はとったということは、相当強い正当性の確保になります。

 実は民主党のほうにも真剣さが足りないのも、日本に2回投票制がなく、相乗りが多いからです。地方議会の多くで民主党は共産党以下の議席しか持っていません。国政で自民党と対立しつつ、地方のほとんどで手を組んでいるのも何か変な話です。「共産党と組むくらいなら、自民党政権継続でいい」と確信しているなら、別ですが。

 長野県知事が議会でリコールされ、選挙で返り咲いたときも、議会はそのままというのも変な話です。知事が解散しなかったから、というかもしれませんが、自らの判断のミスを議員たちはいかに償ったでしょうか。法律で定めていなくても道義的には辞職すべきだったんのです。

 私たちは、地方議会だけ首長を独立させた選挙で選ぶ一種の「大統領制」を取る理由を「民主主義の学校」だから、などと教えられてきました。今、私は自分が受けた教育を疑っています。民主党は、まず相乗りをやめて、地方自治制度から、設計のし直しを考えて見てはどうでしょう。2回投票制が難しいなら、首長選と議会選の連結から考えてはどうでしょう。

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民主政の夕暮れ?暁? イタリア総選挙の総括

イタリアの総選挙の結果がようやく見えてきました。

当初、圧倒的に有利と見られた中道・左派連合「連合」(ウニオーネ)が、ベルルスコーニ首相率いる中道・右派連合「自由の家」の猛追によって苦戦し、最後の最後に、まさに薄氷の勝利です。国内の開票が終わった時点で勝者の予測がまだつかず、最初は下院は中道・左派、上院は中道・右派と多数派が分かれるという最悪の結果も予想されました。

最後に残った新設の国外居住者選挙区の票が開かれてきて、ようやく上院でも中道・左派の勝利が見えてきたわけですが、議席でもわずか数議席の差であり、中道・左派が票の数えなおしを求めるのも無理もありません。いずれにしても最終結果はまだであり、明日の朝に逆転していた、ということになっても、もう驚けません。

前回の総選挙ではなかった左右の首相候補のテレビ討論では、3月14日の初回で中道・左派のプローディ元首相(前EU委員長)が有利に進め、もう勝利は見えたと思われました。ところが、その討論でも取り上げられた税金の問題に絞って、右派が猛烈な攻勢をかけた結果、いわば引き分けに近いところまで来たのです。ベルルスコーニ、恐るべし。

前回の総選挙の前にもベルルスコーニの資質を疑う特集を組んだイギリスの経済誌「エコノミスト」は今回も直前に特集を組みましたが、こうした国際世論もものかは、左派や司法官、財界の一部までありとあらゆる非難を繰り返し、四面楚歌になったかと思っていたのに、中道・左派の弱点である税金に終盤の論争をしぼって盛り返しました。

一つ目の住宅には課税しないという、財政的には無理と思われる提案を掲げ、第2回目のテレビ討論では、疲れの見えた具体性のないプローディに対し、優勢に転じました。実際には、前回の総選挙の公約である所得税減税を財源の裏づけなく実施したことが、今日の財政難につながっているのですが、その修復も放棄して、さらに減税を公約したわけです。

イタリアの財政状況を見れば、このような無責任で場当たり的な政策は無理と思えそうなのですが、選挙民には自分の生活に響かないことには動かない人もいます。国が傾いても自分の税金が安いほうがいいと思う人もいるでしょう。左派は増税するというイメージをつくり、何度も同じことを繰り返し言うことで状況そのものも変化させた、そのキャンペーンは、少なくとも中道・右派のボロ負けだけは防ぎました。

もはや高度成長のない成熟経済で国民の満足する政策は出しにくいなか、正直に増税が必要ということも難しく、政策の幅がますます狭くなり、穏健な改革を進めようにも、生活が改善しない国民の不満はポピュリストに向かう、というヨーロッパ政治全体の苦難をイタリアもよく表象しています。

新政権は民主政の暁となるか、それとも夕暮れを迎えることになるのでしょうか。あまり、楽天的になれない感じです。ベルルスコーニの批判を真に受けるわけではありませんが、反グローバリズムにも関わる再建共産党が実に6~7%の議席を占めるとなれば、この与野党超伯仲国会で、中道・左派が改革をするめることも容易ではありません。

なお、この選挙の分析した私の小論は、来月にある雑誌に掲載する予定です。

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不思議な町 ピサ

 首都圏から完全撤退の引越し作業を1月くらいかけて毎週末にしています。本や紙資料を増やしすぎて、大阪の安アパートとオフィスにどう納めるかというところです。

 その作業で古い本を見つけました。グリエルモ・フェレーロの『権力論』。彼はイタリア人ですが、スイスなど国外で教えたので、英語や仏語からの訳です。フェレーロの経歴を見ると、彼もピサで学んだことがあるようです。

 なぜ、ピサということが頭に残ったかというと、前回の記事で書いたチャンピ大統領がこのピサにある高等師範(スクオーラ・ノルマーレ・スーペリオーレ=フランスのエコール・ノルマルに相当)およびピサ大学で学んでいるからです。この学校はフランスのエコール・ノルマルほど特権的なエリートを形成するわけではありませんが、大学の上を行くという位置づけは似ています。

 イタリアは日本と異なり、首都にあるローマ大学や大都会のミラノ大学が最有力というわけでなく、大学史上最古ともいえるボローニャ、それから別れたパドヴァなどの法学の伝統は全欧州的な名声があります。それについで法学で著名なのが実はピサ。もちろん、世界史でご存知のように、中世から近世にかけて、フィレンツェの支配下に落ちるまではジェノヴァと並び地中海全域に影響力のある都市国家でした。ガリレオやピサの斜塔は皆様ご存知のとおり。

 近代以降、政治、経済という意味ではパッとしませんが、この町は軍港や空港で歴史的にイギリスやアメリカとつながっており、ある種リベラルな思想を供給する町でもありました。確か、欧州憲法条約草案のコンベンション副議長「カミソリ博士」アマート元首相もこの法学部卒のはず。今、左翼民主党の指導者であるダレーマ元首相もヴェルトゥローニ・ローマ市長もピサの法学部に入学はしていたはず(この点、記憶によるのみでやや不確か)。この両氏は旧共産党時代に機関紙「ウニタ」の編集長を務めた党内エリートですから、大学に入ると政治活動で忙しくて卒業はしていませんが、やはりここを選んだわけです。

 このピサという知的な町、何か気になります。知識人史でいい本ないかな?

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トリノ五輪とイタリア大統領

 間もなく、トリノ・オリンピックが開幕します。今回は、私の本分である研究者として、ちょっと変わった、トリノならぬトリーノと、開会式に出席するチャンピ大統領についての、薀蓄話をします。

 さて、このトリーノ、日本人の行く一般的な観光ロード、ローマ=フィレンツェ=ミラーノという線を北西方向に進めるとフランスを目の前にしたピエモンテ州の州都として、そこにあるわけですが、イタリアに深い関心を寄せていない方には、いま一つイメージの沸かないところです。よく英語の記事を訳した日本語に英語名のチューリン(Turin)がそのままカタカナになっているのも見受けられます。

 しかし、イタリアの統一を成し遂げたサルデーニャ王国がその名に反してサルデーニャ島でなく、このトリーノに本拠があり、イタリア最初の首都がここであったということは、この際想起されるべきでしょう。イタリアは、北部からサルデーニャ王、後にイタリア国王となるヴィットーリオ=エマヌエーレ2世が北から、シチーリアから南部をナポリ王国の支配から解放した英雄ジュゼッペ・ガリバルディが南から、イタリア統一に向け進軍し、この両者が、前者が白馬に乗って、後者が普通の馬に乗って、ナポリの北、ティアーノで握手し、ガリバルディが平定した南部を国王に提供したのです。

 首都はその後、トリーノから短期間フィレンツェに移り、ローマ教皇をヴァテイカンの一角に閉じ込めることでローマがようやく首都となります。だから、フィレンツェの中心街にえらくごつい建築物でできた広場が、ローマには「世界最大のタイプライター」と揶揄されるヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂が、それぞれまわりの風景と不調和で存在しますが、これらはすべて、ようやく統一したイタリア王国のアイデンティティー形成に使われたものなのです。

 トリーノは、その後もミラーノとは違った形で国際都市、文化都市であり続けました。もちろん、ここにフィーアト(FIATのTがトリーノですね。なんせ、これは「トリーノ・イタリア自動車工場」という名前なのですから。フィアットというのはちょっと英語読みですね)という自動車メーカーができ、何よりも工業都市、イタリアのデトロイト、ないしは豊田ではないか、ということになるのですが、それ以上に知的に重い都市です。

 グラムシに代表される共産主義、ゴベッティなどの左派リベラルなど、イタリアを代表する政治思想を育んだ町です。戦後できたイタリア共和国の事実上の初代大統領(公式に初代大統領のデ=ニコラは臨時国家主席から新憲法施行時の大統領に暫定的に就任した)である自由主義者のエイナウディもこのトリーノ大学の財政学教授出身で、戦後の通貨危機をイタリア銀行総裁、予算相となって乗り切った人です。かれの親族が作った出版社がその名もエイナウディで、この書店の水曜会は多くの作家、文化人が集うサロンでした。

 さて、話は今回のトリーノ五輪で開会宣言をするであろう、現在のイタリア共和国大統領カルロ=アゼーリオ・チャンピに移ります。この人は歴代の大統領の中でも最高の経歴と資質を持った素晴らしい人物です。現首相のベルルスコーニが財界出身で、お騒がせなことが多い人物、おそらく歴代首相でモラルは最低に近いだけに、好対照です。

 チャンピはイタリアの大統領選では珍しく1回の投票(国会議員と地方代表による間接選挙)で選ばれました。こういう人は過去の大統領でほかに一人しかいません。多くの政党があり、左右両勢力の対立が激しいイタリア政界で一人の人物を選ぶのは難しいのです。よほどの人物だといえます。

 チャンピは長くイタリア銀行総裁を務めた後、1992年以降、大汚職事件と通貨危機でイタリア政界全体が大混乱に陥ったなかで、1993年に非議員(イタリアの首相は国会議員でなくてもよい)ながら経済政策への期待から首相に選ばれます。そこで政労使の協定で一応の安定を保った後、新選挙法が施行され、新しい政治家たちが参入してきます。その代表格がメディア王ベルルスコーニでした。

 しかし、このベルルスコーニ政権が短期でつぶれ、次の内閣は選挙内閣として、今度はイタリア銀行副総裁だったディーニが首相となり、閣僚全員が非議員の選挙管理内閣を作ります。その後に1996年「オリーヴの木」連合のプローディが中道・左派政権を樹立するのですが、その国庫相(日本の財務相に相当)がチャンピでした。チャンピの努力でイタリアは財政難を建て直しユーロに初めから参加することができました。

 ユーロ参加一つをとっても大統領に選ばれるに十分ですが、実はそれ以外に彼には政治家たちが持っていないすごい経歴があります。彼は、若い頃、ムッソリーニ失脚後、ドイツ軍と戦ったパルチザン知識人の作った「行動党」という政党の地方支部にいたのです。対独レジスタンスこそが戦後のイタリア共和制の基礎であるわけですから、これは左右両派ともに尊敬しなければいけないことなのです。

 もちろん当時二十歳前後のチャンピはレジスタンスの代表的な英雄ではありません。しかし戦後60年、もう生き証人も少なくなったなかで、彼は現存する最後のレジスタンス経験者の一人です。レジスタンス参加者で一番若い層に属します。だから、彼が大統領として1948年にできた共和国の伝統を語るとき、ほかの政治家にはない重みがあるのです。

 現在の政権与党には北部同盟のように、イタリア共和制の伝統を否定する勢力もいます。そのなかでチャンピは、三色旗の意義、国家の意義、解放記念日(4月25日)の意義を演説で述べつつ、現実に法案への親署権によって、憲法違反の法令には署名しないという形で「憲法の番人」を務めているのです。もう85歳くらいのはずで、任期7年の大統領への再選は普通あり得ないのですが、それでも今年任期の切れる彼に再選を期待する声がやみません。

 トリノ五輪の開会式をご覧になるみなさん、イタリアの政治家はベルルスコーニのような人ばかりではありませんよ。ぜひ、チャンピという人をこの際、記憶にとどめてください。

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仏新聞・雑誌の預言者ムハンマド漫画掲載に

 デンマークの新聞「ユラン・ポステン」に始まったイスラームの預言者ムハンマドの漫画掲載は、忘れかけていた「文明の衝突」という言葉を思い出させました。私は、9.11の反米、反資本主義的なテロリズムの問題の本質は、むしろ「文明の衝突」ではなく、アメリカの政治・外交そのものに根ざした問題へのイスラム原理主義者側からの乱暴な形の「応答」であり、それをあたかも「文明の衝突」として煽った政治家や一部の知識人に作為的なものを感じたものです。

 しかし、今回は、事情が違います。西欧文明の本質の一部をなす「風刺」が危機に晒されています。日本の世論はことが宗教に及ぶとして、どちらかといえば、事なかれ主義に流れているように思えますが、私は日本人としては少数派でしょうが、むしろ掲載した新聞、雑誌の「言論の自由」は基本的に守られるべきものだと思っています。

「フランス・ソワール」のあとを追って「シャルリー・ヘブド」がムハンマドの漫画を掲載したのは、もちろん商魂たくましい漫画週刊誌の経営戦略も原理主義者の行き過ぎに悩んでいるというもので、一つの主張としてそれほどひどいものではありません。むしろもともとのイスラームの教えの本旨にある平和の精神への期待とも読めます。イスラム教徒一般を人種差別的に馬鹿にしたわけでもありません。これをも禁じよというのは明らかに行き過ぎです。

画像はここで見れます。http://permanent.nouvelobs.com/medias/20060208.OBS5607.html

シャーリー・ヘブドに一挙掲載された、これまでに問題となったムハンマドの漫画を見ると、その幾つかはまさに西欧のエスプリの結晶です。なかでもパイプの先に預言者らしき顔をつけて「これは預言者の風刺画ではない」と題した漫画は最高でした。これはマグリッドが描き、フーコーも論じた「これはパイプではない」のもじりですよね。こうした遊び、こうした精神の余裕こそが西欧の強みだと思います。

私もどんな漫画でも許されるとは思いません。例えば、比喩がよくないかもしれませんが、ムハンマドがセックスに関わるような風刺で取り上げられたら、それはダメだと思います。というのは、キリストも仏陀もセックス的なことからは一応距離を置いて聖性を保っているわけですから。でもキリストも仏陀もはるかに愛嬌のある存在で、漫画でも結構ユーモア好きに描かれている気がします。

今回の派手な反発は、あきらかにイスラーム側の印象を悪くします。というのは、一人の漫画家への反発を一つの国家への反発に拡大してしまったからです。西欧とイスラームで、個人と社会の関係が違うことは知っています。しかし、国家を経由して特定個人を黙らせるということは民主主義の原則を根幹から崩します。むしろ、西欧はかつてファシズム、ナチズムでそれをやりまくり、その反省の上に今、民主政があるのです。

日本が本当に民主主義国であるならば、むしろ軽々に漫画のほうを抑える方向に議論を進めるべきではありません。これは宗教に関することだからと、当たり障りのない議論に終始して、敬遠すべき問題ではないのです。風刺は無害ではありませんが、民主主義社会においてポピュリストや独裁者を裸の王様にするワクチンです。正当な理由無きイラク戦争を指揮したブッシュ大統領の論理の貧しさを日々告発しているのも風刺であることを、世界のイスラームの民に理解してもらいたいものです。

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「やそだ総研」の子会社設立!

 このたび、「やそだ総研」の子会社である「欧風堂」を設立いたしました。ネット上の仮想研究所「やそだ [EU&イタリア] 総研」(略称「やそだ総研」)は、EU統合と現代イタリアを研究する八十田博人(やそだ・ひろひと)=所長の作るマニアックなサイトとして、所長の友人たちに秘かに親しまれてきましたが、ネット技術の進歩と、所長の多忙による更新の遅さにより、いささか時代に遅れつつありました。そこで、「やそだ総研」よりも気軽に所長が更新でき、ブログの世界にも活動の場を得るため、「やそだ総研」の仮想完全子会社として「欧風堂」(おうふうどう)を設立いたします。

 社長には「やそだ総研」所長の八十田博人が就任いたします。自ら、仮想研究所の所長を名乗りながら、そのふてぶてしい風貌から「お前ははむしろ社長だ」といわれ、愛称というものは自分で決めるものではない、友人からの「愛」がこもった名称だと悟り、名実ともに社長たらんと欲したものです。

「欧風堂」という社名の命名理由を説明させてください。社長は一流とはいえないものの、研究者です。いつも欧州に学んだ色々な思想を胸に秘め生きています。しかし、まぎれもない日本人として欧州の事物を無批判に受け入れるものでもなく、またどれだけ研究しても欧州人になれるわけでもなく、せいぜい「欧風」だろうという自覚があります。お金と教養が豊富で欧州人の価値観に染まり日本人としてのアイデンティティーを捨てる人もいますが、それならむしろ「欧風」に留まりたいと社長は考えます。

 実際、社長は自分の能力の限界を知っております。外国を研究していても常に外国にいけるわけでもなく、恐らくは多分に誤解や無知もあるだろう、でもそれを恐れていても何も変わらない。毎日おいしいワインが飲め、いい服を着れるわけでもないけれど、それでも欧州研究は捨てられない。いや、実はチャーハンとラーメンが大好きだけど、それは欧州に学び続けたいという意図とは矛盾しないはずだ。社長はこのように考えて、今日まで生きてきました。

「欧風」とは、そういった社長の自嘲と矜持を込めた名称です。

 どうか、「やそだ総研」同様、ご愛顧賜りますよう謹んでお願い申し上げます。

  2005年12月2日      「欧風堂」社長(やそだ総研所長)

                          八十田 博人

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