グラビアの背後のイタリア

 仕事のためにずっとパソコンに向かっているときほど、本筋以外のどうでもいいこともどんどん連想してしまい、このようにブログにも手を出し、「お前の原稿を待っているのに、ブログなど書いている場合か!」などと叱られそうな私ですが、いろいろなことを考える脳という司令塔は一つなので、仕事で活性化すると、脳のなかの別の部門も刺激を受けて、仕事以外のこともいろいろ考えてしまいます。なんとか辛い仕事をこなしていこうという自己精神安定装置でもあり、OFFにはしていません。
 スーパーの帰りに寄った書店で、ふと目を留めたのが、あるグラビア女優の写真集。もちろん、美女は好きですが、そういうことを書きたいわけではなくて、その背景が明らかにイタリアのどこかではないかと思いました。イタリアで毎年末に話題になる翌年のグラビア・カレンダーの後追いをしている場合もある(だから本当の意味でデジャヴュで分かることもある)し、植物や建物の一部でなんとなく分かる場合もあります。こういう大型本は後で処理に困るので買わないのですが、個人では入れないような邸宅を借りて撮影している場合もあるので、裕福なイタリア人(超リッチならそもそも誰にも貸さないでしょうが)のライフスタイルがのぞける気がするのです。自分では調べる余裕はないですが、誰か写真業界の人や好事家がそういう視点から総覧みたいな本を編んでくれないかな。
 
 

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浅草サンバカーニバルの発案者

 仕事をしながらTBSラジオ「爆笑問題の日曜サンデー」を聞いていたが、著名人や有名な場所を様々な証言でふりかえるコーナー「27人の証言」(故人が多く取り上げられるが、爆問らしく、変に湿っぽくせず、関西のように長老へのヨイショでも終わらない面白いコーナー)で昭和の喜劇俳優、伴淳三郎を取り上げていた。私の世代では、晩年に出演されていた水谷豊主演のドラマ「熱中時代・刑事編」くらいしか記憶がないが、確かに面白い人だった。
 番組で話されていたのが、伴淳さんが浅草の衰退を嘆いて、なんとかしなければと台東区長を連れてブラジルに行ったことが浅草サンバカーニバルのきっかけになったとのこと。このことは、wikipediaにも出ている(ただし、wikipediaには地元商店街が神戸にならったとする説も紹介されている)から、結構有名な話なのかもしれない。もっとも、喜劇人らしく、このように世話を焼いた後で、「なんで俺がこんなことまでしなければならないんだ」と振り返ったという。自分でやっていて言う、この言葉が、なんともいい感じだ。
「あゆみの箱」など社会福祉にも協力されていたらしい。

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本物のロッカー

 忌野清志郎について無数のブログで書かれている上に、ここでも書く必要はまったくないが、彼は日本で数少ない本物のロッカーだったと思う。
「雨上がりの夜空に」は、ご存じのように、歌詞のギリギリのところで、歌詞カードではそう見えないが、発声すると含意がはっきりする、同音異義語の多い日本語の特性を生かした名曲である。歌詞には絶対にチェックが入るので、聖飢魔Ⅱもこのようなことをしたことがあるが、歌詞のほうは意味不明なものになっていて、清志郎のような完成度はない。
 一方で、清志郎は「君が代」のアレンジで物議を醸したり、働くお父さんの讃歌も歌った社会性のある歌手だった。
 やはり、ロックというなら、人間の本性に迫るもの、と、批判を受けるくらいの政治や社会への関わりがなければ、駄目だろう。歌詞で権力に唯々諾々と従って、何のロックだろう。また規制があってもそれをくぐり抜ける工夫もできないで、アーチストと言えるだろうか。
 だから、私は日本の自称「アーチスト」歌手たちを評価しない。それなら、ベタなアイドルや演歌歌手のほうが気取らないだけ、まし。

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ロンドンのO2ドーム

 朝方の芸能ニュースでマイケル・ジャクソンがロンドンのO2ドームで久しぶりの連続ライブを企画していると聞いた。少し驚いたのは、会場であるO2ドームの画像を見たときで、これは、このブログの親サイト「やそだ総研」でも写真ギャラリーで紹介しているミレニアム・ドーム(グリニッジにある)だったことだ。西暦2000年の博覧会自体、民間活用というが、かなり変な博覧会だった(「やそだ総研」の「ギャラリー」記事参照)が、その後、エンターテイメント興業会社のAEGという会社に命名権と営業権を売り、現在の名前になり、外側のドーム以外の内装を総取っ替えしたようだ。自由化、民営化の進んだイギリスらしいお話であるが、結局ライブ会場にするなら、もともと何のために作ったのかな、という感じもする。いろいろ考えていたけど、やっぱり金がとれなきゃ維持できないでしょ、という、ダメな「新自由主義」の代表のような。

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カバーの名曲、名曲のカバー

 マックのi Tunesのおかげで、ネットでシングルカットの曲を安価で購入できるようになったが、このサービスに入っていない歌手やレコード会社も多く、この世のすべての楽曲が買えるわけではないし、別の歌手によるカバーしか買えないものも多い。

 ただし、その中にも名唱といえるものはあって、「川の流れのように」をソウル風に歌う、椿(歌手名、同名のロック・バンドもいるようなので、ご注意)のカバーはとてもよい。美空ひばりは文句のつけようがないが、普段聞くには重過ぎる。「翼の折れたエンジェル」の中村あゆみが歌う、ロック調の「愛の讃歌」も悪くない。それにしても、この前、偶然テレビで中村あゆみを見たが、とても美しい人になっていて、びっくり。同世代の私たちの青春ソング「翼の折れたエンジェル」のころはむしろ少年ぽい感じもあったのだが。

 逆に名曲のカバーというか、平原綾香のジュピターの成功に刺激を受けたのだろうか、砂川恵理歌の「ひかり」はトゥーランドットの「誰も寝てはならぬ」(トリノ五輪で荒川静香の楽曲だったアリア)に日本語詞を当てたものだが、こちらは詞と曲のバランスにやや違和感あり。いい歌手なのだが。

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紙テープはいつなくなったか

「キャンディーズ」解散30周年でファンたちが大画像を前に集まったとの報道。各自10本の紙テープが渡され、会場が色とりどりの紙テープだらけになりながら、皆楽しそう。これは、私よりもやや上の世代で、70年代のアイドルには紙テープでの応援は盛んで、初期の西城秀樹なども紙テープまみれだった記憶がある。
 報道では、知らない世代に向けて「紙テープの使用は現在では禁止されている」との字幕が。はて、いつからだろうと、ウィキペディアの「紙テープ」の項を見ても分からない。「紙テープ 禁止」で検索しても、客船の送迎(ちなみにこれに紙テープを使うのは日本独特のものだとの説がネット上にある)や野球場、プロレスでも盛んに使われていたが、今はいずれも怪我やゴミの防止目的で禁止が大勢で、しかしいまだに野球とプロレスではまだ「紙テープは使えないのか」という問い合わせがあることが分かる。そういえば、ビューティー・ペアのように歌う女子プロレスラーも紙テープはつきものだった。
 実体験的に1980年前後からなくなったのではないかと思うのは、私が高校生のときに行った富山市公会堂での聖子ちゃん(松田聖子)のコンサートでの経験である。このときには、暗黙で紙テープは禁止ということは浸透していたらしく、観客の一人だけが紙テープを投げて、係員に会場から排除されていた。だから、私は紙テープを投げたことがない。
 しかし、紙テープの衰退とともに、アイドル人気も斜陽になった気がする。松田聖子のアンチとして台頭した中森明菜がアーチスト系と接点を見いだし「ディーヴァ」となる(明菜はレコード大賞を取れるが、聖子は取れない)ことで、聖子ちゃん以降は真に国民的アイドルはいなくなった。森高千里は、当初は当時出現した「オタク」たちのアイドルだったし、モーニング娘。は、私の世代には、キャンディーズやピンク・レディーその他の昭和の諸々のアイドルのアイディアを混合したように見える。
 別に国民的アイドルの復活も期待しないけれど、日本の若手歌手がみんな自分を「アーティスト」と自称するのも正直鼻白む。そこまで言うなら、かつてのフォークや欧米のロック歌手のように政治や社会も歌い込んで欲しい。

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70年代しか信じない

テレビをつけると、阿久悠作詞の名曲の数々が流れていた。私たちの世代には感涙ものである。ピンクレディーの「ペッパー警部」の映像はNHKの保存がいいのか、ライブな感じでびっくりした。

なぜか、小学校で台湾からの訪問学生の歓迎会で、声変わり前の男子高音デュオとして斉藤君という同級生と歌った「津軽海峡・冬景色」。石川さゆりの色っぽい「あ~あああァあ」が再現できなかった思い出。

母を亡くした年にリバイバルヒットしていた和田アキ子の「あの鐘を鳴らすのはあなた」。

80年代以降のもの、例えば、聖子ちゃんも好きだけど、それらを全部棄てても70年代の歌だけでも生きていけるだろう。

私は、根本的には70年代しか信じない。

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チェ・ゲバラが好きなタレント

ふとテレビをつけたら、「オーラの泉」で意外な発言が。その女性タレントの好きな人物はチェ・ゲバラ。外国では珍しくないのですが、「キューバの社会主義革命に貢献した」という言葉が日本のタレントから発せられるのは意外だった。

その人は鈴木紗理奈さんでした。ワルぶるいい人という印象だったのですが、やはりいい人ですね。

ゲバラは中南米各国をめぐって革命を支援したのに、喘息持ち、というところにも魅せられるそうです。こういう感じ方、いいですね。

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私の「大阪嫌い」克服法2 B1角座に行く

先日、大阪に来てから初めて、というより生まれて初めて、お笑いライブを見に行きました。仕事で煮詰まって、とにかく馬鹿馬鹿しいことでリラックスしたかったからです。

「ぴあ」関西版を買って驚いたのは、お笑いライブも結構高いこと。吉本興行は劇場によっていろいろ違いますが、安いほうで3000円弱、テレビでおなじみの顔ぶれが出るほうだと4000円もするのですね。この額は一流のエンターテインメントです。分かる人には分かる表現で書くと、サッカーのセリエAのクルヴァ(ピッチの両端の安い席)並み。よくテレビで会場の中年男女のお客さんを見て、大阪の庶民だと思っていましたが、これだけの額を出せるというのは、中層以上ですね。とても自分はそこまで出せないなと思いつつ聞いてみたら、チケットも売り切れでした。吉本恐るべし。

いちばん安いのは、1200円で見れる松竹芸能のライブでした。鶴瓶と松嶋という私の好きなお笑いスターの所属会社であり、多分、これは若手の回だろうと思いつつも、一度行ってみようと決めたわけです。

大阪の地名を学習中の私は、今回ようやく、「道頓堀」「千日前」「難波」の各地名の配置が分かりました。それまでの認識は「なんば」という大地域のなかにこうした地名があるのかと思っていたのですが。有名な「食い倒れ人形」が想像以上に小さく、これこそが「道頓堀」のど真ん中にあることを知りました。

B1角座は、その名の通り地下にあり、ステージとお客の距離が近い、100人くらいの小さな劇場です。まず、東京でルミネ吉本がそうだと聞いてはいたのですが、ほとんどが若い女性なのに驚きました。会場で入念にお化粧している子も多く、二枚目のタレントの追っかけと同じだな、と思いました。

ネタを書くのは、芸人を殺すので書きませんが、正直私には笑えないものが多かったです。私はこの年でも流行事象を追うのは好きで、取り扱うテーマや題材が分からなかったものはありませんでしたが、どうも観客の若い女性との仲間同士の雰囲気で笑わせるというか、どんな人でも絶対に笑わせてやろう、というものには見えませんでした。

それでもやはり、出演順で後ろになるほど、確かな腕は感じられました。初めて見たダブルダッチという男子コンビの片方のオカマキャラは安定感がありましたし、チョップリン(これはテレビ東京の「虎ノ門」で見たことのある男子コンビ)は、やるきのなさそうな惚けた方の人が秀逸でした。この二組以外は特に記憶に残りませんでした。

若手の養成の装置なのかもしれないので、暖かい目でみるべきでしょうが、正直、2時間で9組ほどで、値段相応だなという感想です。逆に、人を笑わせることの難しさ、確実に笑いをとる吉本芸人たちのすごさを再認識せざるを得ませんでした。

次はお金に余裕があるときに、吉本を見に行くつもりです。

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